ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

白井晟一コミュの善照寺

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
浅草通りを上野方面に向かって、
菊屋橋の交差点の一本手前を本願寺のほうへ
入っていくと、右手に長屋が並び左手に
奥へと通じる路地があります。

行った時は土地勘がないのでずいぶん迷いました。

建物は非常に象徴的な、しかし威圧感とまではいかない
ボリュームで、やっぱり間違いなく「寺」であると
感じさせる、つまり思ったほど違和感のないものでした。

コメント(4)

8年程前に東京へ出向いた際、一番に向かった先が(何故か)この善照寺。
今は解らないけど、当時は既に研究者さえも内部は立入禁止とのこと。
そこを何とか見学させてもらえないかと、玄関先で何度もお願いしてみるも
「どうしてもダメ」との答しか返ってこない(当然だけど・・・)。
諦めかけてたその時、偶然その横を通ったある方が常識を知らない小僧を
哀れと思ってか、内部に入ることを了解してくれた。

建築を眺めるとき、空間よりも出会いがその印象を決定する。
そんな甘いことを考えていた自分を懐かしく思い出し書き込んでみました。

饒舌な作為の中にあって、静かな空気が流れてた様な気がします。
学生時代

熊本県立美術館・建設現場見学会に参加した時の事
前川国男事務所の 現場常駐スタッフさんが

「学生さんが居たら、君達に伝えたい事がある。見学会終了後
現場事務所に遊びに来ないか?」

お訪ねしました。
スタッフさんは「空間というものをどうとらえる?」

「空間とは 無では ない。
無に リンゴが1個 置かれた時 そのリンゴが周りに
放つ 力線が空間を 構成する。」

とても、印象深い言葉でした。

善照寺の 奇跡的なキャンティレバーの回廊 天上から差し伸べられた深い庇
その間に 創り出されたもの

今までで 最も 空間を感じた瞬間でした。
「あらためて、偉大なるかな、白井晟一」

仏寺は仏像と同じように、けっして神秘的なエクスタシーの能力として求められるものではない。

しかし、人間内面へ沈潜する雰囲気のなかで、瞑想という主体の実践を包む空間として、聖と俗とのもっとも高い調和を導くモニュメントなることも忘れてはなるまい。

今日のプロバガンダの喧騒のなかでこそ、市民生活にとって精神的レクリェーションのための静謐な空間は、ことにたいせつにしなければならない。

『白井晟一著:仏教と建築』
東本願寺の辺りは小さい頃の遊び場でした。
善照寺さんはその頃から立ち入りをうるさく言うお寺さんだった記憶がありますが、他のお寺と一線を画す佇まいは子供の頃の記憶の底に印象強く焼き付いています。

小学校の建物はセセッションの影響を受けた復興小学校だったし、蔵前にかけての建物には、アールデコっぽい会社の建築、商家の看板建築など、面白いものが沢山ありました。ある意味贅沢な環境だったと思います。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

白井晟一 更新情報

白井晟一のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。