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【緊急】夫婦別姓反対 22日議論コミュのソ連の「革新」的な実験がもたらした大惨事

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http://www.oct.zaq.ne.jp/poppo456/in/b_cobet.htm
ソ連の「革新」的な実験がもたらした大惨事

   文・小田村四郎
       八木秀次・宮崎哲弥編「夫婦別姓大論破!」より引用。



夫婦別姓論者の真の狙いは何か

 その結果はどうなるか。かつて事実婚を公認した唯一の国家であった旧ソ連の実験を左に紹介したい。以下は、ニコラス・S・ティマシエフ(Timasheff)の「ロシアにおける家族廃止の試み」という論文(N.W.Bell"A Modern Instrucion to the Family"1960 N.Y.Free Prees所収)による。




旧ソ連の家族破壊はどう行われたか

 1917年、ロシアの共産革命によって政権を掌握した共産党及び革命政府の施策は多くの抵抗に遭遇した。ソ連政府はその原因を家族、学校、教会にあると考え、革命を成功させるため、家族の絆を弱め、教会を破壊し、学校を革命の担い手に変えることとした。「旧秩序の要塞・伝統文化の砦」とされた家族に対する攻撃は次のように行われた。

 一、従来、法律婚の要件とされていた教会での結婚式を不要とし、役所での登録だけで婚姻の効力が生ずるものとした。

 二、離婚の要件を緩和し、当事者合意の場合はもちろん、一方の請求だけでも裁判所はこれを認めることとした。

 三、犯罪であった近親相姦、重婚、姦通を刑法から削除した。

 四、堕胎は国立病院で認定された医師の所へ行けば可能となり、医師は希望者には中絶手術に応じなければならないことになった。

 五、子供たちは、親の権威よりも共産主義のほうが重要であり、親が反動的態度に出たときは共産主義精神で弾劾せよ、と教えられた。

 六、最後に、1926年には、「非登録婚」も「登録婚」と法的に変わらないとする新法が制定された。


 この結果、一、同居、二、同一家計、三、第三者の前での結合宣言、四、相互扶助と子供の共同教育、のうちの一つでも充足すれば、国家はそれを結婚とみなさなければならないこととなった。

 これにより、「重婚」が合法化され、死亡した夫の財産を登録妻と非登録妻とで分け合うことになった。

 こうした反家族政策の狙いどおり、家族の結びつきは1930年頃には革命前よりは著しく弱まった。

 しかし、彼らが予想もしなかった有害現象が同時に進行していた。1934年頃になると、それが社会の安定と国家の防衛を脅かすものと認識され始めた。すなわち、

 一、堕胎と離婚の濫用(1934年の離婚率は37%)の結果、出生率が急減した。それは共産主義国家にとって労働力と兵力の確保を脅かすものとなった。

 二、家族、親子関係が弱まった結果、少年非行が急増した。1935年にはソ連の新聞は愚連隊の増加に関する報道や非難で埋まった。彼らは勤労者の住居に侵入し、掠奪し、破壊し、抵抗者は殺戮した。汽車のなかで猥褻な歌を歌い続け、終わるまで乗客を降ろさなかった。学校は授業をさぼった生徒たちに包囲され、先生は殴られ、女性たちは襲われた。

 三、性の自由化と女性の解放という壮大なスローガンは、強者と乱暴者を助け、弱者と内気な者を痛めつけることになった。何百万の少女たちの生活がドン・ファンに破壊され、何百万の子供たちが両親の揃った家庭を知らないことになった。




破壊後のゆりもどしはこう行われた

 こうして、1934年には、国家はこのような混乱の対策に精力を消耗することに耐えられなくなった。それは戦争に直面している国の国力を破壊するものであった。これを是正するためには、社会の柱(pillar of society)である家族を再強化する以外に方法はなかった。かくして政府は次のような措置を取った。

 一、「結婚」の意義が再評価された。それは生涯の結合であって人生の「最も厳粛な行事」であると教えられるようになった。家庭の強化は共産主義の基本的モラルの一つとされた。「離婚は性的快楽のための権利ではない」として、1935年には、結婚した翌日に離婚した男が強姦罪で起訴された。
 1939年の公的雑誌に次のような記事が書かれている。
「国家は家族なしには存立し得ない。結婚は生涯の伴侶を得てこそソビエト国家に価値がある。いわゆる自由恋愛はブルジョワの発明であって、ソビエト市民の行動原則とは何の関係もない。さらに結婚は、子を儲け、親としての喜びを経験することによって国家に対する最大の貢献となる」
 『イズベスチヤ』や『プラウダ』は結婚祝福の記事を載せ、1936年には教会で用いられる結婚指輪も店で売られるに至った。

 二、離婚の制限を強化した。1935年には離婚歴が戸籍に登録され、女性が男の三十人目の妻となるようなケースを防止できるようにした。離婚費用も3ルーブルだったのが、一回目50ルーブル、二回目100ルーブル、三回目150ルーブルに引き上げられた。この結果、たとえばウクライナの離婚件数は、1936年には前年の三分の一に減少した。

 三、この法律は、さらに1926年に導入された非登録婚の制度を廃止した。登録婚だけが合法となり、嫡出子と非嫡出子の「ブルジョワ的差別」も復活した。婚外子とその母とは扶助料も受けられなくなった。

 四、堕胎の自由もなくなった。1935年から反中絶キャンペーンが始まり、それがいかに母体に悪影響を及ぼすかを医学者たちがPRした。1936年には1920年の法律が改正され、母体の生命と健康に危険のある場合及び重大な遺伝上の問題がある場合を除いて人口中絶が禁止された。出産が奨励され、六人以上の多子家庭には特別手当が支給された。

 五、親に対する反抗の奨励も修正された。親の権威が強調され、1935年には、「親に対する尊敬と孝行は青年共産主義者同盟(コムソモール)の道徳の核心をなすものである」と新聞に報道された。スターリンも1935年10月、自らチフリスに住む老母を訪ね、母親に対する愛情と尊敬を示し、模範例として称揚された。




前車の轍を踏んでもいいのか

 以上が、結婚と家族を破壊しようと試みたソ連の壮大な実験の経緯と結末を紹介したティマシエフ論文の概要である。ところが、「家族」を敵視した共産主義者たちですら失敗と認めたソ連の悲惨な実験について、福島瑞穂氏は、「ロシア革命の後、様々な政策が根本から見直され、一時的であれ、事実婚主義がはっきり採用されていたとは素晴らしいことだと思う」(『結婚と家族』岩波新書)と手放しで絶讃している。別姓論者の意図が奈辺にあるかは、この一文によって察せられるであろう。
 注意すべきは、ソ連がこのように180度の政策転換を行う事ができたのは、一にソ連が共産党独裁によってスターリンが国民の批判を許さない絶対権力を握っていたからである。自由主義、民主主義の国家においてはこのような軌道転換はほとんど不可能といってよい。
 家族崩壊と青少年非行、児童虐待に悩む欧米諸国の現状を見るがよい。クリントン大統領は1996年1月の一般教書で家庭の尊重を強調し、6月には青少年犯罪対策として夜間外出禁止条例の制定を州、都市に要望したが、事態はそこまで悪化している。ヨーロッパでもスウェーデン(ソ連に近い事実婚公認)やフランスの家庭崩壊は目に余るものがある。しかしいったん崩壊した家族秩序を修復、再建することは至難の業である。
 ピューリタンの厳しい伝統に支えられていた米国等でさえ然りである。欧米のような厳格な一神教の伝統を持たないわが国にあっては、祖先祭祀を核とした「家」の存在こそが社会秩序の基礎であった。(参照、加地伸行『沈黙の宗教−儒教』筑摩書房) 競争社会の中で唯一の憩いの場であり団欒の場である家庭が崩壊することは、社会秩序を根底から破壊する。それは国家破滅への道である。
 「ライフスタイルの自己決定権」と称して、別姓論者が事実婚を実行し、現姓に固執することは犯罪ではないから自由である。しかし、これを実定法以上の権利と主張し、別姓の法定を要求し、相続権も与えよというに至っては論外である。
 民・刑法の定める一夫一婦制度は、わが国社会秩序の基礎であって、これを破壊するような要求に法的保護を与えることは断じて許されないのである。

 小田村四郎、1923生、現・拓殖大学総長。
 引用は、八木秀次・宮崎哲弥編「夫婦別姓大論破!」 1996.10/20、洋泉社。







寸評
 ソビエトでは既に実験済み。さすが、母なるロシア、偉大なるナロード、ステンカ・ラージンの国! われらが父、スターリン書記長万歳!

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