ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

中高年のための京都コミュの【番外】 三重県の観光

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
三重県にも魅力的な神社仏閣が沢山ありますね。

伊勢神宮内宮(皇大神宮)
伊勢神宮外宮(豊受大神宮)
猿田彦神社
椿大神社
神明神社(石神さん)
二見興玉神社(夫婦岩の近くにある)
多度大社(北伊勢大神宮)

関地蔵院(亀山市)は、一休宗純にも関係がある日本のお地蔵様の総本山。
結城神社(津市)は、後醍醐天皇の忠臣結城宗広を奉る枝垂桜の名所。
津観音寺(津市)は、日本三観音に数えられる寺。
四天王寺(津市)は、織田信長の母の土田御前のお墓がある。聖徳太子が建てたと云われるが...。
能褒野神社(亀山市)は、神話の日本武尊(ヤマトタケル)の終焉地と云われるが...。

そして、リニア鉄道館、赤福本店の和菓子やアイス。夫婦岩に鳥羽・志摩・長島などの温泉。
鳥羽シーサイドホテルに、また泊りたいな。風光明媚で海の幸が豊富。

コメント(16)

伊勢神宮

「お伊勢さん」と親しく呼ばれています。二千年の歴史を有する。

ちなみに京都にも「京の伊勢」がある。俺の住む山科区にある日向大神宮(ひむかいだいじんぐう)がそれだ。そして初詣は、地元の氏神様の山科三之宮からです。伊勢神宮のお札やお守りがいただけます。護王神社から伊勢神宮方面に向って拝礼できる場所がございます。

伊勢神宮とは、伊勢の宇治の五十鈴(いすず) 川上にご鎮座の皇大神宮(こうたいじんぐう、 内宮=ないくう)と、伊勢の山田の原に ご鎮座の豊受大神宮(とようけだいじんぐう、 外宮=げくう)及び別宮など125社神社の総称です。

神宮参拝の順路は、多くの場合まず外宮 からというのが古来からのならわしです。

外宮は、伊勢市駅から歩いて7分ぐらいです。 その後内宮ヘとお参りするのがよいでしょう。

◎豊受大神宮(とようけだいじんぐう、 外宮=げくう)
御祭神:豊受大御神(とようけおおみかみ)
御神徳:衣食住をはじめすべての産業の守り神としてあがめられています。

◎皇大神宮(こうたいじんぐう、 内宮=ないくう)
御祭神:天照大御神(あまてらすおおみかみ)
御神徳:皇室の御祖先の神で、日本人の総氏神とも言われています。

お伊勢回りのついでに「伊勢・志摩・鳥羽エリア」の 旅も楽しみたい!お伊勢さんの門前町「おはらい町」「おかげ横丁」の名店や名物グルメ 、伊勢志摩の名所や絶景スポットが点在しております。
二見興玉神社

御祭神に猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)を祀り、縁結び・夫婦円満・交通安全などにご利益のある神社。

夫婦岩は、沖合約700m先に鎮まる猿田彦大神縁りの霊石「興玉神石」と、日の大神(天照大神)を遙拝するための鳥居とみなされています。古くより神宮参拝の前に二見浦の海水で心身を清める禊をする「浜参宮」という習わしがあり、現在でもまず神社に参拝し、お祓いを受けてから神宮へ向かう参拝者も多いです。

二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)。縁結び・夫婦円満・交通安全など にご利益のある神社です。竜宮社参道。二見興玉神社の境内社で東参道に入った所に位置します。龍宮社は、海の守り神・綿津見大神(わたつみのおおかみ)を御祭神とする神社です。

猿田彦大神は天孫降臨の際に高天原と豊葦原中津国の間の道案内を務めたことから、「道開き(導き)の神」といわれている。この神のお使いはカエルとされており、神社参拝の後に御神徳を受けた人々が、神社の境内にカエルの塑像を献納します。

このため、境内には無数のカエルの石像が並んでいる。この神社の御守(授与品)もまた「無事カエル」「貸した物がカエル」「お金がカエル」(カエルと帰る・返るの掛詞)と呼ばれるカエルをモチーフにした物です。御陰さまで京都に無事に帰ることができました。(ー人ー)


住所:伊勢市二見町江575
電話番号:0596-43-2020(二見興玉神社)
公式URL http://www.amigo2.ne.jp/~oki-tama/
あれ?大小仲睦まじく並んでいた夫婦岩の夫の岩の陰に、もう一つの岩が隠れていた。三角関係だったのか?この時代から不倫は、文化?近くにある二見のふれあい水族館は、2度見たくなります。
鳥羽シーサイドホテルから観る伊勢湾は美しい。伊勢湾地域には、伊勢湾台風の被害から今でも手厚い政府と自治体からの保護がある。例えば、100歳まで生きたら100万円の祝い金などを与えるなど。税制上も優遇されている。
赤福本店

赤福本店の建物は明治以来130年余りで、伊勢らしい切妻屋根は間口を広げるために高くし、正面に掲げた横書きの大きな看板には金色で赤福の二文字。妻入りの軒先にかかる海老茶色ののれんをくぐると、朱塗りのかまどから湯気が立ち昇っています。地元度会産の番茶を焙じる香ばしい薫りが広がる店内では、餅入れさんと呼ぶ女性職人が繊細な指先で、赤福餅の三筋の清流を一つ一つ真心こめて形づくります。とのこと。数年前の過ちから立ち直ったようだ。

江戸時代に盛んになったお伊勢参り。無事にお伊勢参りができるのは、目には見えない神様のおかげ。そして道中の人々の「施行(せぎょう)」と呼ぶ様々なお世話のおかげ。お伊勢参りは、「おかげ参り」と呼ばれるようになりました。
施行とは、お伊勢参りの旅人が無事に念願を果たせるよう、道中の人々が宿や食事、風呂、路銀などを施すことを申します。

施行をすれば徳を積めるという考えから、参宮道中の誰もがすすんで行なったと伝えられております。

■営業時間
営業時間:午前5時〜午後5時(繁忙期時間変更有)
■定休日
無休
■住所
三重県伊勢市宇治中之切町26番地
■電話番号
0596-22-7000

■取り扱い品目
・土産「折箱」8個入 ・土産「折箱」12個入 ・土産「折箱」20個入
・贈答「銘々箱」
・贈答「甑」
・3個入パック
・お召し上がり「盆」
・赤福氷
 販売開始日:平成28年6月10日/販売終了日:未定
 ※本店向かいの別店舗にてお召し上がりいただけます。
  (営業時間:午前9時〜午後5時 繁忙期時間変更有)
・赤福ぜんざい
 販売期間は終了しました。(冬季限定)
・朔日餅

●最寄駅
近鉄宇治山田駅、JR伊勢市駅、近鉄伊勢市駅よりバスで内宮行15分、神宮会館前下車。
●自動車
伊勢自動車道伊勢I.C下車、内宮方面へ5分、市営浦田Pより徒歩5分。
●駐車場
なし
伊勢内宮前 おかげ横丁

入口には、タクシーが待機中。気持ちはよくわかるが運賃は高い。。。
そんな伊勢神宮内宮門前町「おはらい町」の中ほどにあるお伊勢さんの「おかげ」が由来の「おかげ横丁」。わくわくする横町です。爺さんの俺でも気楽に楽しめる魅力的な町並ですね。

【伊勢神宮】お伊勢参りで寄りたいおかげ横丁オススメ店 2016年最新版 ...
http://matome.naver.jp/odai/2135640872886859701
http://www.okageyokocho.co.jp/
史跡旧林崎文庫(きゅうはやしざきぶんこ)

三重県伊勢市宇治今在家町にある学問所跡。鼓ヶ岳(つづみがたけ)の東麓、背後が傾斜地の小高い場所に位置し、1686年(貞享3)に宇治会合所の大年寄らが外宮(げくう)の豊宮崎(とよみやざき)文庫にならって創立したもので、翌年に文庫を丸山の地に設けて内宮(ないくう)文庫と称した。次いで1690年(元禄3)に土地が低い丸山から北隣の林崎に移転し、以来、林崎文庫と呼ばれた。この文庫を高名にしているのはその蔵書であり、村井古巌(こがん)の寄贈書をはじめとして諸家の寄付によるものが多く、貴重な書物が残されている。天明年間(1781〜89年)と文政年間(1818〜30年)に整備拡張され、敷地の改修や建物の修繕が行われたが、明治維新後は廃されて、建物や蔵書は伊勢神宮に献納された。石段を上がって表門を入ると正面左に平屋建ての講堂、右に書庫があり、敷地には1865年(元治2)に建立された柴野栗山(りつざん)の撰文による林崎文庫記の碑、1827年(文政10)に建立された本居宣長(もとおりのりなが)撰文の林崎ふみくらの詞の碑などがある。こうした一連の遺構遺物は往時の形態をそのまま留め、教育・学芸史上価値ある遺跡であることから、1954年(昭和29)に国の史跡に指定された。JR参宮線ほか伊勢市駅から三重交通バス「内宮前」下車、徒歩約2分。

普段は、見物できませんが、春と秋の神楽祭の三日間だけ一般公開します。
問い合わせて下さいね。

問い合わせ先:三重県環境生活部文化振興課県史編さん班
〒514-0004 三重県津市栄町1丁目954 三重県栄町庁舎2階/電話:059-224-2057/ファックス:059-224-2059
【番外】昭和6年創業、日本最古のビヤガーデン浩養園【こうようえん】・サッポロビール。
仙ちゃんさんが若い頃にバイトをしていたらしい。(^_^)/
醸造所併設で新鮮な地ビールがその場で楽しめる名古屋の総合ビヤレストランです。
浩養園で「ひつまぶし」をいただく。飲み物は、ウーロン茶どす。俺は、ビールも酒も飲めません。最初は、そのままいただき、二度目は、ダシを入れていただきました。旨いっすね。
【番外】愛知県名古屋市港区金城ふ頭三丁目2番2。貨物船が見える。吊り橋と青空も美しい。
リニア・鉄道館〜夢と想い出のミュージアム。JR東海が本社を置く名古屋市です。
京都駅の西側にある公園内に似たような施設ができたようだ。
大内山牛乳
山々の緑、きれいな水と澄みきった空気につつまれた自然環境の中で牛乳、練乳、プリン、アイスクリーム、バター、チーズ、ヨーグルト等多種類の乳製品を製造する。大阪、奈良、和歌山方面にも広く愛飲者をもち、美味しくて栄養満点な健康牛乳としてよろこばれている。町内・県内の特約店および大内山ふれあい牧場などで販売している。ロールケーキも美味しかったなあ♪うまい!
亀山市にある東海道47番目の宿場町が関宿です。
江戸時代の風情がたっぷり残っているため国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されています。

壬申の乱の頃に古代三関の一つ「伊勢鈴鹿関」が置かれたところです。
江戸時代も、東の追分からは伊勢別街道、西の追分からは大和街道が分岐する活気ある宿場町でした。

関宿の範囲は、東西追分の間約1.8km、25haに及び、江戸時代から明治時代にかけて建てられた古い町屋200軒あまりが残っています。
関サービスエリア。この辺りは、東海道五十三次の宿場町の関宿だったのか?
京都の八条口へ行けるバス停有り。そして、亀山サービスエリアでアイスクリームを食べました。
>>[11]
三重トピックありがとうございました
三重にも京都に縁の深い歴史建造物がわりとあります
ここは知らなかったですが一度行って見たいです
>>[12]
早速トピたてありがとうございました
伊勢神宮
椿大社
斎王の道など京都とも縁の深い場所があります

楽しみにしてます
在原業平はその自叙伝ともいうべき「伊勢物語」の面白さから、近世に近い人と思っていらっしゃる方もおられるようですが、生まれは825(天長2)年ですから平安時代初期の人物です。

出自をたどれば平安京を開いた桓武天皇の曾孫(孫:系図参照)であり、平城天皇の孫というたいへん高貴な血筋ということが分かります。

菅原道真らが編纂した「日本三代実録」には「体貌閑麗、放縦不拘、略無才覚、善作倭歌」とあります。
美男子であり好き勝手な行動をとる人物で、漢詩・漢文の教養がないけれど、和歌の才能はあったことが窺われます。

伊勢物語第六十五段「在原なりける男」に概略以下のことが記されています。

『帝がお心におかけになって、お召しになる女で、染殿の后のいとこである女。まだ若かった男と互いに知り合う仲で、親しくしていたのだった。

男は年少ということで、女官の部屋に出入りすることを許されていた。
この部屋には、人が見ているのも平気で男が上がりこんで座っていたから、この女はつらい思いで実家に帰ってしまった。それで男は、これはかえって好都合だと思って、女のもとに通ったので、みんなはそれを聞いて笑った。

帝は、容貌が美しくいらっしゃって、仏の名を心に深く込めてお唱えになるのを聞いて、女はひどく泣いた。
「こんな立派な帝にお仕えしないで、前世からの因縁が悪く悲しいことです。この男の情にひかれて」と言って泣いたのでした。

ここでの男とは業平、帝とは清和天皇、女とは藤原高子(たかいこ)です。ただ高子については話の展開からは業平よりも年上でなければならず順子か明子と考えるべきです。

文徳天皇にとっては自分の母親か女御と関係を結ぶ業平は最も嫌な人物だったでしょう。天皇はこの事実を知ってからは立場上、事を公にできず、苦々しい思いを抱いていた筈です。
そのために業平の出世を止め、兄の行平を須磨に左遷したのだと筆者は理解しています。

それ故、文徳朝から清和朝に代わると業平の官位は上がり始めました。




業平は人の犯してはならない禁断の女性とも関係を結んでいます。第六十九段に伊勢斎宮恬子(やすこ)内親王との話が書かれています。斎宮とは天皇の妹か娘に限るという高貴なうえに潔斎して清楚で処女でなければなりません。

物語の概略は以下のようです。
むかし男(業平)がいた。宮中の宴会用の野鳥を狩るため伊勢へ勅使として派遣された。
斎宮は母親の静子から手紙で「この人は特別だから普通の勅使よりも大切にしなさい」と聞かされていた。
斎宮はその意を受けて男を丁重にもてなしした。
朝から男を狩に出発させて、夕方には自分の宮殿で饗応した。

二日目の夜、男は思い切って「今晩会いましょう」と声をかけたのだった。男に声をかけられた斎宮は人目があるので会うわけにはいかない。

男は勅使一行のリーダなので宿舎は斎宮の住まいの近くにあった。人が寝静まったあと斎宮は男のところへ忍んで行った。男も寝られずにいると窓の外に朧月がさしていて、斎宮が召使の少女を先に立たせてやってきた。

男は斎宮を寝室に入れて午前2時ごろまで一緒に過し、やがて斎宮は何も言わず自分のところへ帰っていった。

男はそれが悲しくて寝られなかった。朝方になって男は「恬子内親王はどうしているだろうか」と思っているところに斎宮の方から手紙がきた。



君や来し われはゆきけむ おもほえず 夢かうつつか 寝てかさめてか
(夕べは貴方が私のとこへ来てくれたのでしょうか、それとも私が貴方のところへ行ったのでしょうか、あれは夢かうつつであったのかよくわかりません)
これを見て男はたいへん泣いて


かきくらす 心のやみに まどひきに 夢うつつとは 今宵さだめよ
(心が迷いに迷って夢うつつだったかは今晩お会いして決めましょう)と詠んで狩に出発した。


ところが宵になって伊勢守が男をもてなすということで一晩中宴会を催した。そのために男は斎宮に会うこともできなかった。

夜もしらじら明け染めた頃、斎宮方から男のもとへ盃が差し出された。見れば、上の句のみの歌が書き添えてあった。


かち人の 渡れど濡れぬ えにしあれば
(渡っても濡れもしない浅い川のようなご縁でした)

男は、続きを松明の燃え残りの炭で書き付け足した。
また逢坂の 関は越えなん
(いつか必ずやお逢いできましょう)


その朝、男は尾張国へ旅立って行った。
伊勢物語り自体がドキュメンタリーを装ったフィクションですから実際にどのようなことがあったのかは読者が想像するだけです。

>>[15]
なかなかに斎王奔放ですね
けれど文のやり取りは抜群花丸
業平は沢山の艶聞を残しました
ただのイケメンではなかったのでしょう
仙ちゃん楽しいお話ありがとうございました
写真は斎の宮歴史博物館近くの当時のミニチュア

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

中高年のための京都 更新情報

中高年のための京都のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。