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酒井美紀コミュのこれまでのご活躍を振り返る

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彼女の軌跡を雑談しながら振り返ってみたいと思います。
話題は新旧を問いませんのでご自由にどうぞ。
(私自身は1996-2001年あたりが限度ですが…)

※写真は内容とは関係ありませんが、
 古めのものを探してきて貼り付けておきます。

コメント(24)

懐かしいですね。あせあせ

僕も実際に撮ったカメラ写真がたくさんあるのですが、全てネガで…。げっそり
拾い物ですが、懐かしい写真を貼らせていただきます。ウッシッシ手(パー)
話題の提起をしながら反応鈍くてスミマセン…。

>昭太郎さん
なかなか渋い写真を引っ張ってこられましたね。(笑い)
右2つは月刊明星、デビュー前(93年1〜3月あたり?)の
「美紀ちゃん通信」(かなりあやふや)だったような…?

数少ない水着も踏み込んだ判断だなあと思いますが、
本人の中ではあまり触れられることのない、
中学時代の制服姿は結構、貴重です。

当時(1993年初頭)のJANサタのビデオ記録を振り返ると、
支援者を招いたバスツアーもあったようですね。

私がその記録を見ることができたのは96年頃ですが、
記録に顔が見えた支援者の中で、私が当時の催事で
見かけた方はごくわずかだったのはちょっと残念でした。

95〜96年は彼女がステップアップする端境期でもあったので、
それを切っ掛けとして支援者層も入れ替わったのかなと
当時は考えてました。

96年は「白線流し」で勢いを増しつつあり、
シングル「Jewel」の歌詞が、彼女(というよりも事務所や
ビクターといった周囲かもしれませんが)の積極的な姿勢を
如実に表していたような印象です。
私自身はいわゆる96年の「白線流し」世代に該当。
同時期に展開された積極的なセールス活動=全国各地の
催事にはかなり足を運びました。

ちょうど「白線流し」撮影地巡りも盛り上がっていたので、
JR東日本の3日間乗り放題パスを使って、
1日目:盛岡(映画試写会あるも出演空振り)、2日目:仙台(本来の催事)、
3日目:松本(松本北高=松商学園の学園祭)…なんて
V字行脚を敢行したことも…若い&元気があったなあと思います。(苦笑い)

せっかくなので、仙台の写真(右・撮影OKでした)を貼っておきますね。
左はBOMB(95年秋?)の中から。京野さん・馬渕さんもいいですが、
やっぱり美紀さんのこの笑顔が素晴らしすぎます。(笑い)
だいすけさん
懐かしい写真、ありがとうございます。わーい(嬉しい顔)

この仙台には、確実に行った覚えがあります。あせあせ
しかも、学生でお金がま口財布が無いから、仲間と野宿してました。ふらふら

他の方は、なかなか書き込んでくれないようですが、2人で盛り上げてまいりましょう。ウッシッシ
仙台は晩夏、1996年8月31日でしたっけ…。

年金イベントの一環で、1日年金相談所長かだったようです。
付帯して大道芸人フェスティバルのようなものも併催されて、
ギャラリー参加型で盛り上がったような…。

この年の夏は、特に美紀さんご登壇の催事が集中していて、
夏の初め(7月)に発売された「そばに君がいる」の
プロモーションも兼ねていたんだと思いますが、
この曲のイントロから暑かった日射しを思い出します。(笑い)
96年の夏といえば、歌手としての事実上の集大成といいますか、
ひとつのピークになりましたがON AIR EASTでのライブがありましたね。

前年の95年(94年?)にも日本青年館(ここもアイドルの(準)聖地らしいですが)で
コンサートがありましたが、そちらはどちらかといえばカワイイ系に対して、
大学進学を果たして少しオトナな趣向で私も後ろのほうから楽しみました。
(確か整理番号順の入場で、私は最後に近い番号だったような…)

このライブのLDは久しく見ていないんですが、DVD化もされているようなので
廃盤前に早めに入手したいと考えてます。
…と、上のチラシのデータを貼り付け、
これも久しぶりに思い出しましたが、
観覧できる生放送のレギュラーを持ってたんですよね。

協和エクシオという渋いスポンサーでしたが、TOKYO"F"Night…。
渋谷のタワレコのスタジオも、今は無くなったようで寂しいです。

自分は仕事の終わりが夜9時までだったので、
終わって東横線で頑張って移動して走っても終わり間際がいいところ。
偶に早上がりでギャラリーできたこともありましたが、
今から思えばこれも貴重な機会だったのかなと思います。
96年4月スタートで、1年は保たずに年末迄でしたね…。
最終回は何故か市ヶ谷のデニーズで聴いてました。(笑い)

※写真は96年末にマイブームだった財形パンフの表紙です。
だいすけさん

仙台は、2日連続の登場じゃなかったでしたっけ。あせあせ
野宿2連泊眠い(睡眠)した記憶があります。

この大道芸のイベントは、テレビで中継映画され、会場から連れ出されたお客人影が壇上に上がり、一緒に芸に参加させられると言うものでした。
その生贄になったのが、私です。げっそり
2日も風呂いい気分(温泉)に入っておらず、髭も伸び、最悪の姿で、録画された映像を恐ろしくていまだに見ることができません。涙
懐かしい話題が・・・。というか懐かしい方が。
引っ張ってくる写真が無くて申し訳ありません。

ON AIR EASTのライブですが、結構前で見てました。
というか、目の前でカメラが回っていた記憶があります。

おかげで、ライブそのものの記憶なんてほとんど残っちゃいないのですが、DVDを見ると当時の様子がほぼ再現されると言う実にありがたい状況になっています。

当時は学生で地方(名古屋)在住だったので頻繁に遠征することも無かったのですが、佐世保とか駿府公園とかここぞとばかりには遠征をかましていた記憶があります。

駿府公園のイベントなんて、イベントの記憶は皆無ですが

東京でイベント→OFF会→普通列車で小田原先回り→ムーンライトながらで静岡→交番の横で野宿

とか、そんな記憶だけは割と鮮明に残っていたりします。
先日、白線流しのロケ地カチンコを訪ねて来ました。
宜しかったら、僕の本日付本日記をご覧下さい。あせあせ
昭太郎さん>

仙台(8/31)の前日、盛岡で「宮沢賢治〜その愛」の試写会がありました。
で、美紀さんも映画出演されており当然ながらその会には出席するで
あろうとの判断(=思い込み)で盛岡に乗り込んだわけですが、
主題歌を提供したカズンは登壇したものの、ご本人などキャストは
表れずじまい…といった見事な空振りだったと記憶してます。(苦笑い)
盛岡はその前月に、地元支援者ほぼ皆無の中でアットホームな
プロモーション催事があったため、今月もと2匹目のどぜうを
狙って失敗した形ですね。

それにしても、あの大道芸に壇上で参加されていたとは!
催事後に仙台でローカル放送された当時の様子が収まったビデオが
昨夏まで手元にあったのですが…といっても10年以上はデッキに
入れていなかったのでカビてる可能性大ですが…引越しに伴い処分。
仙台の催事は曇天〜雨天で集客は芳しくなく、私を含めて参加した
支援者は何とか催事を盛り上げよ〜と頑張ったように思います。

---

をかもっちさん>

をかもっちさんと私は、確か静岡駅前の交番横で野宿しました…。
ということで、大変ご無沙汰しております。
当時は大変お世話になりました。(笑い)

東京のイベントは確かF Nightの公開録音(半蔵門だったかな)で、
私自身はそれに参加できなかったんですが、をかもっちさんや私、
他にはあと数人(北海道の某氏?)でムーンライトながらに乗り込み、
深夜の静岡へ。確かに熱海までは先行して、駅前のファミマで夜食を
買ってホームで食して後続を待ち、デッキに立って静岡へ向かった
記憶がありますねえ…ああ、懐かしい。(笑い)

※昭太郎さんのあげた↑のモノクローム画像、初見です。
 UP TO BOYあたりに掲載されていたんでしょうかねえ。
皆さんのコメントを読んでいて懐かしくなり書き込みさせて頂くことにしました。

私は92年頃に文化放送でやっていた「サスケの夜はコンビンバ」で美紀ちゃんのことを知りファンになりました。

生で見たのは亜時亜大学?での学園祭への出演が初めてでした。

一番最初のライブツアーは行けませんでしたが、駿府城でのテレビ局のお祭り・サンシャイン噴水広場での高校卒業イベント・新宿タイムズスクウェアでのイベント等に行きました。

私は美紀ちゃんと同い年なのですが、96月4月に新社会人になるため、東京でのライブには行けなそうだったので高校の卒業旅行と称して仙台と札幌に行きました。

ファンクラブの解散イベント以降、熱がだいぶ冷めてしまいましたがビデオやCDを見ると懐かしくなります。

長文、申し訳ありませんm(_ _)m
皆さん、どうもこんばんは。わーい(嬉しい顔)
だんだん盛り上がってグッド(上向き矢印)きて、嬉しいですよね、だいすけさん。ウッシッシ

皆で、このコミュを元気にしていきましょう。うれしい顔手(チョキ)

カメラ画像は、拾い物なので、出所はわかりません。たらーっ(汗)
ごめんなさい。あっかんべー
インスタ始めたそうです。
https://www.instagram.com/mikisakai.mua/?igshid=1b4408k0i1mwu
園子が復活しました。
https://twitter.com/miki_sakai_mua/status/1311999534621319169
酒井美紀が不二家社外取締役に3月就任へ…「ペコちゃん」70周年アンバサダー昨年から務める
https://news.yahoo.co.jp/articles/5126dab0b358c3c8e8a49ce44c8f4d24e152ea47
女優の酒井美紀(42)が洋菓子メーカー「不二家」の社外取締役に3月から就任する方針であることが10日までに同社の決算・人事情報で告知された。就任は3月24日付。同日開かれる株主総会での承認を得て正式に決定する。
 酒井は昨年1月、不二家の名物マスコットキャラクター「ペコちゃん」の70周年アンバサダーに就任していた。今後は女優業の経験だけでなく、1児のママとしての目線でも社内経営へ還元していくとみられる。
 8日発売の集英社「週刊プレイボーイ」では人生初のグラビアも披露している。
NHKBSで映画「LOVE letter」やってました。
後の「白線流し」でも共演する二人です。
岩井俊二監督作「Love Letter」中国再上映! 公開日は若者に定着したネットバレンタインデー
https://twitter.com/miki_sakai_mua/status/1395576448384049153
園子と長谷部が出会った運命の作品でも有ります。
山本圭さん、死去 81歳 名バイプレーヤー「若者たち」「ひとつ屋根の下」「白線流し」
https://hochi.news/articles/20220425-OHT1T51148.html?page=1
テレビドラマ「若者たち」や舞台など幅広く活躍した俳優の山本圭(やまもと・けい)さんが3月31日午前9時20分、肺炎のため死去した。81歳だった。葬儀・告別式は近親者で執り行い、喪主は長女の慧美(えみ)さんが務めた。

 大阪府出身の山本さんは1959年に俳優座養成所に入所し、叔父の山本薩夫監督の「乳房を抱く娘たち」で映画デビュー。両親を亡くした5人兄弟がたくましく生きる姿を描いたフジテレビ系の青春ドラマ「若者たち」に出演し、脚光を浴びた。同作の映画版などで毎日映画コンクール男優助演賞を受賞した。

 90年代以降はバイプレーヤーとして若手俳優を支える立ち場での出演が目立ち、フジテレビ系ドラマ「ひとつ屋根の下」「白線流し」、NHK大河ドラマ「天地人」などで存在感を発揮。テレビ朝日系の昼ドラマ「やすらぎの郷」「やすらぎの刻〜道」では、石坂浩二(80)演じる主人公の盟友で「大納言」と呼ばれる元時代劇スターを演じた。舞台はハムレット劇「ハムレット」「リア王」などに出演した。

 俳優の山本学(85)は兄、山本宣(79)は弟。囲碁棋士の妻・小川誠子(ともこ)さん(享年68)とは19年に死別した。

山本さんと言えば白線流しの園子の父親役ですよね。
>>[22] 、酒井美紀さんもお悔やみのコメント出されてますね
酒井美紀、大学院修士課程の修了を報告「涙がこみあげてきました」 育児&仕事と並行し研究…「詰め込みすぎな4年間」
https://news.mixi.jp/view_news.pl?id=7341861&media_id=54
俳優の酒井美紀が18日、自身のインスタグラムを更新。東洋英和女学院大学大学院の国際協力研究科修士課程を修了したことを報告した。


 酒井は「東洋英和女学院大学大学院、国際協力研究科修士課程を修了いたしました!(社会科学修士) コロナ前→コロナ禍→コロナ禍の出口の光がみえてきた?という環境下の4年間の長期履修での研究は、なかなかの波乱でございました」としみじみ。

 「子育てにお仕事に研究と、詰め込みすぎな4年間でしたが、まぁ、そんな時期があってもいいじゃない!楽しんじゃえばいいじゃない!と前向きな私と、なかなか越えられない壁を前に辛くもがき苦しみ、もう辞めちゃおうか!という挫折しそうな私がいたり。いろんな私がいました」と葛藤があったことを明かした。

 続けて「修了式を終え、今、静かな部屋でひとり。これを書いていて、、涙がこみあげてきました。簡単にはいい尽くせない4年間の時間を、ゆっくりかみ締めたいとおもいます」と思いを吐露。「多くの方々の支えがあって、本日、修了の日を迎えることができました。感謝しかありません。本当にお世話になりました。心よりありがとうございました」と感謝をつづった。

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