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日本の超古代文明コミュの意外なルーツは? 写真は出雲大社丹後分祠

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古事記や日本書紀などは、昔からの言い伝えを、大和に定着した人々が整理して取捨選択して(悪く言えば手前に都合のよいところだけ取り出して)まとめたものであることはいまや認めざるを得ません。話は変わりますが、ナスカの絵は小さな絵柄を正確に拡大したものであると言われています。古代の歴史も実は、かなり身近に起こったことを、後世に支配地が広がってから拡大描写して作り上げたものではないかと思えるようになってきました。それじゃ、その元はどこだったか?

私はズバリ、古代の丹後から若狭にかけての地域だと思います。伊勢神宮が今の場所に移る前にこのあたりで40箇所も移されたという言い伝えがあることはご存知ですか?あまの羽衣、天の岩戸、海彦・山彦、浦島太郎、鬼の山、はては出雲大社を関する神社もあるのです。要するに、ミニチュアであるが全てが揃っている。これは、もともとこのあたりが古代日本人の意識の源であることを示しているのではないでしょうか?

後世、開けた場所で発展したときに、この故郷を全支配地に拡大描写したとは言えないでしょうか?   論客求む。

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