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竹田青嗣 ファンクラブコミュの最も美しい思想的表現のひとつ

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 以下の文章は、最も美しいと感じさせる思想的表現の1つであり、竹田青嗣の思想的な営みの一つの頂点を示していると思うので、少し長くなるけれど、引用することにする。

「ほんとう」の根拠は、わたしたちの<意識>(主観)とその外に(超越的)にある「ほんとう」のモデル(客観)との「一致」にあるのではない。その根拠は、<意識>と<意識>の間にだけあるのであって、そのほかには何もない。そしてこの<意識>と<意識>の間に生きて動いているものの確かめは、その関係を見ている第三者としての<意識>ではなく、最終的にはその当事者が自己自身のうちでそれぞれが行なうほかないものである。しかしこの「ほんとう」の確かめの構造は、一方で人間のどんな確信もすでに<他人>による確かめなしには決して成立しないが、また一方で、その<他人>による確かめも最終的には個人の固有の<意識>においてしか成立しないというパラドクシカルな関係として存在する。
 そのことから「ほんとう」についての極めて重要な性格が現れる。それはつまり、どんな「ほんとう」も絶対的な確証(一致の)として現れることは決してないということにほかならない。それはただ信憑(確信)としてだけ現れる。信憑は信じることではない。つまり決意とか思い込みとして生じるのではない。それはなにかがあるということを、信じざるを得ずどうしても疑い得ないというかたちで、<意識>のむこう側から人間の自由な意志をねじふせるようにやってくるものなのである。
 しかしまたそのことは、そうして現れた「ほんとう」には何の根拠もないということを決して意味しない。むしろ逆である。<私>の「このリンゴは青い」という信憑は、もともと<私>の内的感覚(内在)だけでなく、他人たちもそれを確信しているという思いからやってきている。このときこの信憑は、<私>がこの他人たちとともに生きる限り「ほんとう」であってそれを疑うべきどんな理由も<私>はもっていない。このとき<私>と他人たちの彼方にどんな<客観>や<真理>としての「リンゴは青い(あるいは赤い)」も存在していない。およそかっての「ほんとう」のかたちが疑われるのは、この間主観的領域に、「このリンゴは赤い」と主張する人間が新たに現れ、<私たち>が彼らとともに生きねばならないときだけである。
 そういう場面ではじめて<私たち>はそれまで「ほんとう」であった、「このリンゴは青い」という超越(信憑像)を、はじめて編み変える必要をもつだろう。だがそのことは、それまでの「ほんとう」が虚偽だったことを決して意味しない。なぜならその信憑こそが、<私>がその他人たちと関係を結びながら彼らとともに生きることをよく支えていたからである。つまり人間の生きることの関係を、それは支えるようなものとして生きていたからである。
<私>の意識をねじふせるようにやってきて<私>がそれをどうしても疑えなくなるような<世界>の信憑像(超越)は、したがって根源的には、人間が他人との関係の中で生きねばならないという事態からのみ生じ、ただその関係性だけを表現(反映ではない)している。超越としての世界像が、決して最終的な確定に至らないのはまさしくそのためだ。人間の関係性が総体的に変化するとき、わたしたちの抱く世界像もいやおうなく変わってゆく。また、わたしたちがこの関係性を変えようとするときだけ、世界像は編み変えられる理由を持つのである。

 特に後半の部分は、竹田青嗣が在日として生きざるを得なかったことから引き出された問題を、思想の形に昇華させたものとして、思想というものが何であり、且つ、何でなければならないかを僕に教えてくれます。
 ちなみに、引用は『現代思想の冒険』からです。

コメント(4)

はじめましてヒデさん

『現代思想の冒険』からの引用読ませていただきました。

久しぶりに竹田さんの本を読みたくなりました。

<私>の「このリンゴは青い」という信憑は、もともと<私>の内的感覚(内在)だけでなく、他人たちもそれを確信しているという思いからやってきている。

このときこの信憑は、<私>がこの他人たちとともに生きる限り「ほんとう」であってそれを疑うべきどんな理由も<私>はもっていない。

このとき<私>と他人たちの彼方にどんな<客観>や<真理>としての「リンゴは青い(あるいは赤い)」も存在していない。

およそかっての「ほんとう」のかたちが疑われるのは、

           ↓

 ★ この主観的領域に、「このリンゴは赤い」と主張する
   人間が新たに現れ、<私たち>が彼らとともに生きね
    ばならないときだけである

 ここですね。対立する他者との出会いについて、
 思考の羽を広げさせてくれます。
カントあるいは柄谷行人氏の言っていることがとてもわかりやすい形で記述されていると思いました。
いや、上の僕のコメントはそれはそれでいいかもしれませんが、引用された文章そのものにより近いのは(あるいはまさにそのものズバリなのは)竹田先生によるヘーゲルの『精神現象学』の読解ですね!
この引用文はそれを丁寧に祖述したものに他なりませんね!
>特に後半の部分は、竹田青嗣が在日として生きざるを得なかったことから引き出された問題を、思想の形に昇華させたものとして、思想というものが何であり、且つ、何でなければならないかを僕に教えてくれます。
 

ぼくはそこに竹田さんの伝記を見るというよりも、竹田さんが近現代哲学の歩みを丁寧に振り返ってきてつかまれたその成果をこそ、見るものです。

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