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BlackMusic研究会 in ROUTE20コミュのWHAT IS THE HIPHOP!!!?!!?

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最近HIPHOPについて考える時間がとても長いです。

ということで、みんなにしっておいてほしい知識を共有場をつくりました。
DOPE!!


第一回「クロス・ブロンクス・エクスプレスウェイ」
 
KRS-ONEがサウス・ブロンクス、サウス・サウス・ブロンクス!!っていってるし、サウス・ブロンクスがなぜ貧困層の町になってしまったか。
 マンハッタンを一番豊かで中心となる町にするため1929年にある計画が立ちました。それは、マンハッタンと郊外を結ぶ環状のネットワークを確立するため、マンハッタンの外側にある区の住宅地に高速道路を作るというものでした。これが題名にもあるクロス・ブロンクス・エクスプレスウェイです。
 この大規模な開発を中心になって行っていたのが、ロバート・モーゼスという建設家です。このハイウェイにより、ニュージャージー郊外から、クイーンズ郊外まで15分でいけるようになりました。
 エクスプレスウェイの軌道上には、6万人のブロンクス区民が住んでいて、多くの住民がブルックリン東部やサウス・ブロンクスに引越しをさせられた。1部屋につき200ドルの保証金しかでなっかたらしい。また同時に「スラム一掃プロジェクト」によりマンハッタンのアフリカン・アメリカン、プエルトリカン、ユダヤ系の住民も同様にロバートのてによって、立ち退きを強いられた。
 こうして、1950〜1960年代に起こった建設ラッシュにより、立ち退きをさせられ中流階級以下の人たちがひとつの地域に住むようになりました。
 60年代後半には白人の半数はサウス・ブロンクスを後にし、北部のウェストチェスター・カウンティやブロンクス・カウンティの東北部に移動した。これにより、白人が減少し、サウス・ブロンクスには有色人種が増えていった。
 この時期に白人ギャングに対抗するため黒人ギャングが現れる。アフリカン・アメリカン、アフリカン・カリビアン、ラティーノの家族が、かつてのユダヤ系、アイルランド系、イタリア系の地域に引っ越してくると、白人ギャングは、引っ越してきた少年たちを学校や道路でリンチしたそうです。これに対抗するため、最初は自衛手段としてギャングが作られました。しだいに、気晴らし、権力のためと目的がかわってきたのです。
 ようはマンハッタンにはできる限り見苦しいものはおかない。最貧困層はサウスブロンクスに行けってことで、どんどん悪化していったということです。
 

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