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よっぴーの起業雑学コミュの1代で400億企業をつくった起業家

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若手の起業家志望に絶大な人気を誇る
サイバーエージェントの藤田晋社長が
1代で400億企業をつkるにいたった、
経歴をご紹介します!



 高校までは、福井の鯖江市で育ちました。

小さな頃から、オセロゲームや将棋が得意でした。

ある一定の決まったルールの中で、勝つための一番近いルートを合理的に導き出す。

目標に向かった時の集中力が、人より強かったのかもしれません。
小学校時代には、将棋大会で鯖江市の代表に選出され、県大会で優勝したこともあります。

将棋を教えてくれた父はそんな私を「県で一番のケンイチくんだ」といって喜んでくれました。

ちなみに父には一度も勝てませんでしたね、将棋では。

 中学ではバンド活動にはまりました。パートはボーカルです。

学園祭は一番大事な発表の場だと思ったので、学園祭を自分達で運営できるように、

生徒会長もやりました。政治力をにぎるためだけではなく、

モテますしね、生徒会長は(笑)。

そして、中学まではどちらかと言えば勉強ができたほうだったので、高校は進学校に進みました。

 高校では小学校時代にやっていた剣道部に入部します。そのうえ麻雀にはまって、

バンド活動も継続していたので、勉強はサッパリ。

授業中は寝てばかりです。バンド活動では学園祭がやはり大事なので、友人を生徒会長にして、

指名制で私はまんまと副会長に。また学園祭を仕切りました。

 当時私は、プロのミュージシャンになりたいと考えていたのですが、

歌がへたです(苦笑)。昔から薄々気づいてはいたのですが、

この頃はっきり自覚するようになった。

それで、目標を切り替えました。同じ夢を持っている才能ある友人をデビューさせるために、

レコード会社をつくると宣言したのです。ならばビジネスの中心地・東京に行って、

経営者を目指さなければ。私が起業家を目指すようになった原点です。



 これは後日談なのですが、ミュージシャン志望の若者が夢をあきらめ、

起業家になったわけです。起業後に、ある週刊誌に私の音楽の才能がどれほどのものだったのか、

その実際を検証するみたいな記事が掲載されたことがあります。

周辺取材もしっかりされたようで、記事全体をとおして

「藤田にミュージシャンの道は、ありえない」という論調だった(苦笑)。

まあ、そんなこんなで、音楽の道はあきらめ、まずは東京の大学へ行こうと、

高校3年の夏から猛勉強を始めました。それまでまったく勉強してなかったので、

偏差値40台からの大学受験でした。

 結果、私は青山学院大学経営学部に合格。3年間かけてずるずる勉強するより、

明確な目標を立ててから集中して頑張るほうが性に合っているのでしょう。

ラストスパートはどの地点からかけるのか。

マラソン競技の戦略と同じようなものだと思います。

 東京に行けることは決まったものの、

青山学院の最初の2年間は厚木校舎なわけです。

最初の住まいは神奈川県の相模大野。

1、2年は雀荘のバイトにはまり、怠惰な生活を続けました。

結果、留年。それでも先走って東京の二子玉川に居を移した私は、

バーテンダーのバイトを始めます。そんなある日、バーの先輩スタッフから

、「藤田、お前の夢はなんだ?」と質問されてハッとしました。そうだった。

自分は経営者になるために東京に来たんじゃないか、と。



 今思えば、なんとなく自分から質問されるように仕向けた感もありますが、

夢や目標を聞かれるというか、言わされるシュチュエーションをつくることって大切だと思います。

その先輩に「私は会社を創りたいのです」そう宣言した

私は、まずは「会社」というもので働いてみようと、

すぐにアルバイト情報誌を購入して新たなバイト先を探し始めました。




会社といえばスーツを着て働くところ。単純にそう考え、スーツを購入した私は、

アルバイト情報誌である広告代理店の募集広告を見つけます。

その広告には「営業はスーツ着用での勤務となります」という一文が書かれていました。

そして私は、オックスプランニングセンター(現オックスプランニング 以下、オックス)という、元リクルート社員たちが中心になって立ち上げた会社で営業の仕事を始めるのです。

 大手通信会社が発行するフリーペーパーに始まり、

採用情報誌、スクール情報誌、タウン誌、看護士向け求人情報誌などなど、

本当にさまざまな業種、業態のメディアの広告営業を経験させてもらった

。夏の暑い日でも、飛込み営業を1日100件するなど、自分にさぼることを許さず、

一所懸命仕事をしました。ミュージシャンへの夢は歌が下手で断念した。

同じように、社長も仕事ができないとなれない。そんな焦りもあったのだと思います。


結局、大学卒業までの約2年半、この会社にお世話になりました。



 大学4年になり、私をかわいがってくれていたオックスの専務から

、「うちに就職してもいいけれど、ほかの会社も見ておいたほうがいいぞ」と言われ、

就職活動を開始。大手企業に行くつもりはまったくなく、

ベンチャー企業に絞って会社を探しました。その活動の中で出合ったのが、

インテリジェンスです。現在USENの代表取締役社長である、
宇野康秀さんが立ち上げた会社で、新卒セミナーで宇野さんの話を聞いたのです。



 私は、この頃『ビジョナリー・カンパニー』という本を読んで、

「21世紀を代表する会社を創る」という将来目標を打ち立てていました。

新卒セミナーで、宇野さんの壮大な計画性と真剣なまなざしに、

私の心は動かされました。もしかしたらこの会社で自分の志を共有できるかもしれない……。

正直、直感ではあります。お世話になったオックスには申し訳ないと思いましたが、

私はインテリジェンスへの就職を決断したのです。


 インテリジェンスに入社した私は、希望通り採用コンサルティング部門に配属されます

。始発で会社に来て、始業時間が始まる頃には営業に出かけ、夜は終電ぎりぎりまで仕事。

土日などの休日も当然出社。ゴールデンウィーク、夏休みもとらず、1日も休むことなく

私は働き続けました。当時のモチベーションは、

毎月の自分の営業目標をどれだけ大きく超えられるかどうか。

結果、1年目にして自分ひとりで稼いだ粗利益額は5,000万円です。

そうやって常に自分のパフォーマンスを意識していました。



 当時、インテリジェンスでは「キャリアモザイク」という求職サイトを運営しており

、私はこのサイトの営業にも携わっていました。

インターネットは個人的に大学4年生の頃から始めており、なんとなくですが

将来の可能性も感じていました。後にネット事業での起業を決めたのも、

この頃の営業経験が少なからずあったのだと思います。ちなみに、

「キャリアモザイク」の採用管理システムをつくっていたのが、

当時、オン・ザ・エッヂの代表取締役社長だった堀江貴文さんです。



 そして入社1年目の12月、友人からの1本の電話をきっかけに、

私は起業することを決意します。宇野社長をはじめ、

インテリジェンスの先輩たちからは何度も留意をされました。

けれど、私は一度決めたら絶対に信念を曲げない性質。

しかし、当初考えていた仲間との起業計画は頓挫します。

そんなこんなで決意してから実際の起業までの紆余曲折はありましたが、

最終的に宇野社長からの出資を受け、1998年3月18日、サイバーエージェントを設立したのです。



 ちなみに、会社をつくることは決めたものの、

事業内容はぎりぎりまで決まりませんでした。

それでもインターネットの将来的な可能性の大きさ、

そして、インターネット業界に営業がいなかったということもあり、

インターネット業界の営業代行という方向性で事業を運営していくことに決めました。



こうして、1998年4月、「21世紀を代表する会社を創る」という目標に向かって、

私のネクストステージが始まりました。



続く


参考文献  ドリームゲート http://w ww.dreamgate.gr.jp/feature/inteview/bestlife/18/sp03.html

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