ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

好きです!ラッシャー木村コミュのラッシャー木村はいづこに

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
昔、アニマル浜口と寺西勇とで3人組を結成してましたが、
浜口は今や有名人。
ラッシャー木村はどこだ??
寺西なんて、もっとどうなったのか知りたい。
私が中学の頃、皆の酒の肴だったものな。
「ジャーマンかけたら、逆ホールされた」、「タイガーマスクに5秒で負けた」だの弱さの象徴として、皆で標的にしてました(すいません。寺西様)でも、彼の白いパンツは、かっこよかったよ。

ラッシャー木村は新日よりも馬場さんとの「兄弟タッグ」で話題を集めました。またマイクパフォーマンス「おい!渕。逃げんなこら!!ところでお前昨日夕飯食ったか?」

あの昭和の象徴のラッシャー木村にもう一度マイクを持ってもらいたいです。

コメント(5)

ラッシャー「おい!!井上。昨日の鍋うまかったなぁ。
でもお前よ〜、ふぐばかり食うと当たって死ぬぞ」
ウィキペディア(Wikipedia)よりコピペ

ジョー 樋口(-ひぐち、本名:樋口 寛治 1929年1月18日-)は、プロレスリング・ノア監査役兼、GHCタイトル管理委員長。愛称は「ジョー」。

少年時代から柔道をしていたが、その英語力を生かし、終戦後は駐留軍に柔道を教えていた。

1954年よりプロレスに転向。日本プロレスなどで活躍するも、1960年に引退。その後は1963年から進駐軍に関わっていたときに養った英語力を生かして外国人のお世話係兼通訳として日プロに復帰し、沖識名らの後釜を期待されて1965年からレフェリーも兼務する。

1972年の全日本プロレス旗揚げに参加。以降、ジャイアント馬場の試合に欠かせないレフェリーとして一躍有名になる。スキンヘッド、青のコスチュームに身を包んだ姿がお馴染みであり、日本唯一のNWAオフィシャルレフェリーでもあった。それまではレフェリーのイメージと言うと、どちらかと言えば地味であったが、よく足を使い、試合がストップした状態でも観客を飽きさせないそのレフェリングは、後の和田京平や西永秀一らにも大きな影響を与えている。試合がグラウンド状態になった際に叫ぶ意味不明の言葉「ワッチャギブアップ」も、実は観客を飽きさせないための工夫であった。また試合中に選手の乱闘に巻き込まれて失神(?)したり、悪役レスラーの反則に気付かないのもお馴染みであった。

しかし、レフェリングは厳格であり、2003年の力道山追悼興行で特別レフェリーを務めた際には、カウントしないことがほぼ不文律となっている小橋建太のマシンガンチョップに対して反則カウントを取った。また、カウントが遅いこともよく取り沙汰されたが、ある人がストップウォッチでジョーのカウントを計測したところ、実時間の3秒とほぼ一致していたという。

90年代以降は高齢の為チーフレフェリーの座を和田京平に譲っていたが、1997年にレフェリーを引退。外国人お世話係に専念することになる。その後は舞台に立ったことと言えば、ジャイアント馬場引退記念試合(東京ドーム)での「特別レフェリー」ぐらいであった。マットを叩く長年のレフリー生活で、今日でも左右の掌の大きさが違っているほか、腕の曲げ伸ばしも思い通りには出来ないと言う。

1999年に全日本を退社したが、2000年、三沢光晴らの大量離脱からNOAHが旗揚げされると、仲田龍の呼びかけにより監査役に就任。翌年に完成したNOAHのタイトルGHCのタイトル管理委員長にも就任し、タイトルマッチ前に認定証を読み上げ終わると会場は「ジョー!」の大コールに包まれる。

その他、タイトル調印式では鈴木みのるやSUWAらの暴走に厳しく諭す姿がファンにはお馴染みである。
ウィキペディア(Wikipedia)よりコピペ

「こんばんは」事件
1981年9月の田園コロシアムで行われた新日本プロレスの興行にアニマル浜口、寺西勇を連れて現れた木村は、リング上でマイクを取ると、決意表明に先立ち、まずは、集まってくれた観客に対し挨拶をしなければと思い「皆さん・・・こんばんは」と丁重に挨拶した。これが、団体対決に付き物の殺伐とした雰囲気を好む当時のファンを拍子抜けさせ、失笑を買った。あまりにもおかしかったため、当時ビートたけしが「こんばんは、ラッシャー木村です」とネタにしたため、世間にギャグとして広まってしまった(ここからラッシャー木村のお家芸が金網からマイクパフォーマンスになる)。ビートたけしについては、当時自分の弟子を集めて結成した「たけし軍団」の一人に「ラッシャー板前」という名前をつけて、ラッシャー木村と同じ黒のロングタイツをはかせるなどしており、だいぶご執心(ファン?)だったようだ。

なお笑われた木村本人は「初めてのところに行ってきちんと挨拶するのは当然なのに、なんで笑われなくちゃいけないんだ」とおかんむりだったそうだ。

また愛犬家としても有名。新日本参戦時に、熱狂的な猪木信者と思われるものから自宅へのいたずらの被害をたびたび受けていたが、その時も、木村は自分のことよりも愛犬がストレスで円形脱毛症になったことを心配していたという。

当時プロレスを面白くした立役者は、「ラッシャー木村」です。この事件は有名ですが、まさかこのとき「マイクパフォマー」するとは思いもしませんでした。
確か、初代タイガーマスク最後の試合の相手は寺西勇だった様な・・・。それだけで寺西は偉大です(笑)。
そうだったのですね。
寺西勇を舐めてはいけませんね。
情報ありがとうございます。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

好きです!ラッシャー木村 更新情報

好きです!ラッシャー木村のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング