ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

我が心の殿堂馬(世界)コミュの無敗の英雄たち

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
無敗という言葉には大きな魅力を感じます。

無敗というと完璧で強すぎて逆に人間臭さ(馬臭さ?)がなくて嫌だ、と
思う方もいるでしょうが、"孟徳"にとって無敗は魅力であり、憧れでもあります。
日本には超一流で無敗といえば、女帝クリフジ、幻の馬トキノミノル、
伝説のスーパーカーマルゼンスキーなどが挙がるが
世界にはそれらに勝るとも劣らない無敗の英雄たちがいます。
そんな世界の無敗の英雄たちを紹介していきたいと思います。


◆リボー(伊)
ダビスタとかやってると、気性がとても悪い馬ぐらいにしか思えませんが、
実はとてつもない馬。
 「私が生産したいのは、単に優れた馬ではなく、最もタフなコースで
最強のライバルが相手でも楽勝を飾ることのできるスーパーホースだ」 と
常々語っていたドルメーロの魔術師こと伊の天才馬産家フェデリコ=テシオが
自らの馬産人生の集大成をかけて生み出した馬で
馬名の由来は、19世紀のフランスの画家の名前を取っています。

伊グランクリテリウム(日本の朝日杯のようなもの)を制し、
やすやすと2歳チャンピオンになったリボーだが
幼き頃は体が小さかったため陣営がクラシック登録せず
そのため伊ダービーなどの3歳クラシックに出走することはできませんでした。
が、その鬱憤を晴らすかのように3歳で凱旋門賞を3馬身差完勝、
馬なりのままの勝利にテシオが夢見たスーパーホースが誕生しかけたわけだが
テシオはリボーがデビューする直前に亡くなっており、自身の創り上げた
スーパーホースの勇姿を見ることはありませんでした。
その後も国内で無敵を続けたリボーは4歳になり、キングジョージに挑み、
5馬身差圧勝。この着差は今尚、キングジョージ最大着差です。
国内で何戦かした後、最大の目標であり、引退レースの凱旋門賞に挑む。
クサール、タンティエーム、コリダに続く連覇に挑むリボーだったが、
他馬をまったく寄せ付けず6馬身差圧勝。
あっけなく凱旋門賞を連覇したのだった。

引退後は最初の3年間を欧州で過ごし、その後アメリカに渡りますが、
誇りの英雄が他の地に出ることには猛反発があったようです
(これはDブレーヴと同じようです)
種牡馬となっても活躍はとどまらず2頭の凱旋門賞馬、
他にキングジョージ馬、米国のクラシック馬他多数の活躍馬を出し、
ダビスタとかも目にするリボー系という系統まで創り上げたのでした。

16戦16勝。凱旋門賞連覇、キングジョージ、伊グランクリテリウム他多数。
文面ではなかなか伝えられませんが、リボーの恐ろしいところは生涯のレースが楽勝ばかりことと、本気を出したことはないどころか、ほとんどが馬なりでの
楽勝ばかりだったということです。
テシオが夢見たスーパーホースの夢は叶ったといっていいでしょう。
"孟徳"も『史上最強の魔王』というニックネームをつけています。


【リボー】
スピード ○:ミエスクやアバーナントなどには負けますが、
       中長距離馬では一歩抜けた最強レベルを誇るでしょう
スタミナ ◎:文句のつけようなし。逃げに近い先行で
       後続を馬なりで突き放す。先行力と持続力は魔王レベル。
勝負根性◎:競り合ったこと自体がほとんどないのだが、
       どんなレースでも完膚なきまでに相手を叩き潰すのは
       勝負に対する気力がないとできない。
気性   ▲:気性は最悪じゃないの、との声が出るでしょうが
       そもそも気性が悪ければこのような戦績と楽勝を
       残すことができません。
       レース以外に無駄な神経とエネルギーを使わず
       レースに全精力を向ける集中力は競争馬としては
       優秀な気性といっていいと思います。気性が激しくなったのは晩年で
      それを少しだけ加味して○→▲にしました。
馬場  △:重馬場はあまり得意ではありません。
頑丈  ◎:非常にタフ。レース後の疲れもすぐに回復しました。

☆参考
世界レーティング:143(第3位)

コメント(19)

無敗と言うと
思い浮かぶのはリボーの他だと
●ネアルコ14戦14勝?
●キンツェム54戦54勝
●コリン15戦15勝
●パーソナルエンスン13戦13勝

まだいましたっけ??
■カオスさん
コリンを挙げられるとはさすがですね。
なかなか挙がってこない馬ですから。
まだ、凄いのが挙がってないですよ(笑)。
これから紹介します。
◆キンツェム(ハ)
ハンガリーが生んだ希代の英駿。
今でこそハンガリーといっても「競馬やってんの?」ぐらいの
印象しかともすれば受けないが、当時のハンガリーは
オーストリア=ハンガリー帝国という国名で西欧との結びつきが強く
競馬先進国であった。

彼女が2歳〜5歳の間に残した戦績は、なんと54戦54勝。
無敗といってもこの数字は他の無敗馬と比較してもずば抜けており、
純粋に無敗馬を想像して想像できる域を超えている戦績。
しかも牝馬と聞かされれば「寓話」といわれても不思議ではない。
いや「寓話」であった方が違和感がない(笑)

この記録はギネスブックにも掲載され、未だ破られていない。
いや、今後も競馬先進国の間で破られることは決してないと断言する。

2歳時に10戦10勝すると3歳ではハンガリーにて
日本で言う桜花賞、皐月賞、オークス、ダービー、菊花賞
全てを制覇してハンガリー三冠馬となるが、こんなのはただの足馴らし。
いやクラシック完全制覇はハンガリーといえど断じて足馴らしではないと思うのだが。。
しかもダービーを大差など、全て圧勝しているのだから
そのレベルは尋常ではない。
ついでに今でも知名度のある独のバーデン大賞も圧勝。

4歳時には国内に敵なしのを受けて(当たり前)
36戦全勝の記録をひっさげて西欧に殴り込みをかけ、
当時クラシック以上に権威のあった英のグッドウッドカップに挑む。
(このレースの権威は、今で言えばキングジョージや
 BCターフぐらいの権威と思ってくれればよい)
が、ダービー馬、セントレジャー馬が回避するにとどまらず
グッドウッドカップ、ドンカスターカップを制し、
絶大なる人気を誇ったハンプトンや同じく当時、今の凱旋門賞に匹敵する
アスコットゴールドカップの勝ち馬ヴェルヌイユまでもが恐れをなして回避してしまい、
3頭立ての当レースを圧勝する。
その後、ドーヴィル大賞を完勝した後、本拠地に戻り
5歳も走り続け12戦全勝。54戦54勝という未曾有の記録を打ち立てたのであった。

引退後は繁殖でダービー馬他多くの活躍馬を出し
女帝かつ名母という完全無欠な位置を不動のものとする。

他にも猫が大好きであったことや、無類の旅好きであったこと
厩務員とも仲がよく、この厩務員が愛馬の名を取り
フランキー・キンツェムと名乗り墓標にもその名が刻まれているゆえに
本名さえわからないこと、毛布なしで寝ていたフランキーに毛布をかけたなど
牝馬らしいほのぼのとしたエピソードも残っている。

「ハンガリーの奇跡」といわれ、今でもハンガリーの生んだ
英雄としてハンガリーの人々の誇りになっている。
ブタベストにはキンツェム公園があり、またキンツェム生誕
100年の祭りも行われたという。

とにかく空前絶後という他はない。
"孟徳"もキンツェムを知ったときは「マジかいな」と震えがきたほど。
レベルの高い欧州で54戦54勝とは想像できる針をとっくに振り切れている
それぐらいキンツェムとの出会いは衝撃的であった。
惜しむらくは、欧州の真の一流馬との戦いがなかったこと、
これは実に惜しくてたまらない。


【キンツェム】
スピード ▲:中長距離馬の超一流の平均レベル。
スタミナ ◎:900メートルから4000メートルまでを
      こなす。当時としては珍しくないが
      空前絶後の戦績でこの距離をこなすのならば
      文句はない。
勝負根性○:最高級ということはないが、超一流の平均レベル
      を少し越えているとみる。
気性  ○:頑固さや気の強さもあるがレースでは割と従順。
馬場  ◎:馬場は問わず。
頑丈  ◎:非常にタフ。世界史上でも最高に近いタフさと
      いっていい。カマレロなどもタフであるが
      とにかく移動距離もローテーションも
      メチャクチャ。これで超一流の戦績とくれば
      世界最高レベル。
エクリプスやザテトラーク、セントサイモン、最近の馬ならラムタラ(彼はわずか4戦ですが^^;)も無敗ですよねぇ〜

こうやって一頭一頭、スポットを当てて書かれた文章を読ませていただくのは楽しいです♪
書いた後にザテトラーク忘れてたーって思いましたw
セントサイモンとかエクリプスは完全に忘れてました・・・w
無敗で挙げるならば
エクリプスと同時代の馬って結構無敗多かったようですよ・・・
サラブレッドと言えるのかどうかは別として

フライングチルダーズ(父ダーレイアラビアン)
5戦5勝以上
ハイフライヤー(父ヘロド)
12戦12勝
ゴールドファインダー(父スナップ)
13戦13勝

この辺りは古すぎてサラブレッドと言えるかすら微妙ですw
こんにちわ☆19世紀のオーモンド(Ormonde)も、16戦無敗の三冠馬ですね!ただ、主戦のフレッド・アーチャー騎手は、セント・サイモン(St.Simon)にものっていて、セントサイモンのほうが、強いといったのは、有名な話のようですね。
キンツェムってすごい馬ですね。
エピソードも含めて感動しました。
本当にいた馬とは思えません。。。
またいろいろ教えて下さい。(初心者ですみません)
〜 輝かしい栄光と不幸の晩年 〜

◆オーモンド(英)
父は14戦10勝、英国ダービーも制した一流馬ベンドア、
母はドンカスターC(現在のBCクラシックに匹敵)など
32戦21勝の女傑リリーアグネス。
そんな名馬を父母に持つオーモンドは名血中の名血として
大いなる期待を込められていた。

名調教師ジョン・ポーターによって大事に育てられた
オーモンドは余裕残しで使われ、2歳時は3戦3勝。
確かに無敗だが、オーモンドは2歳最強と考えられていた
わけではない。
同世代には2歳だけで16戦全勝という空前絶後の戦績を誇ったザハード、
シャンペンS、ミドルパークSなど大レースをことごとく制したミンティング、伝説の名手F・アーチャーが跨るサラバンドらがおり、オーモンドは3、4番手といったところであった。

明けて3歳、英2000ギニー。1番人気ミンティング、
2番人気サラバンド、3番人気オーモンド。
だが、結果は逃げるミンティングを直線でオーモンドが楽々捉え、2馬身差快勝。
続くダービーではミンティング、サラバンドがオーモンドには勝てないと回避。
代わりに2000ギニーを出走できなかったザハードが挑んできたがここでも直線2頭が競り合ったが、最後オーモンドが突き抜けて1馬身半差で快勝。
ちなみにダービーを回避したミンティングは当時の大レースパリ大賞典を
5馬身で圧勝しているのでかなりの強豪であった。
それを楽々と捉えるところにオーモンドの強さは推して知るべしというところか。
オーモンドはその後セントジェームズパレスSを制し、
ハードウィックSで前年の二冠馬メルトンを2馬身差で撃破、
セントレジャーを4馬身差で楽勝し、英国四頭目の三冠馬、
英国初の無配の三冠馬となる。
4歳時に3戦3勝で引退したオーモンドは通算16戦16勝。
初の完全無欠のままのトリプルクラウンホースとして世界に
名を馳せた。

オーモンドの偉大さというのはミンティング、ザハードなどの
稀に見る高いレベルの世代で無敗で三冠を制したこと、
三冠を達成する前に二冠馬を相手に快勝したことなどが
挙げられる。
英国三冠馬の中でも最強、の呼び声も今なお高いのもうなずけることだろう。

だが、オーモンドの栄光はここまでであった。
喘鳴症にかかってしまったオーモンドは満足な種牡馬としての
成績をおさめれず、英国の至宝はまさかのアルゼンチンに売却され、
その後アメリカに渡ったが芳しい成績は上げられなかった。
そしてオーモンドは1904年、ランチョ・デルパという
無名の牧場で死去することになる。
英国の至宝の輝かしい競争生活とは180度違った
不幸な晩年であった。

オーモンドの馬主はウェストミンスター公爵。
オーモンドの他にフライングフォックスという
三冠馬の馬主でもあり、英国クラシックのダービーを除く全てを制した
セプターのブリーダーでもある。

輝かしい栄光と悲劇の晩年に包まれたことに対する同情もあって"孟徳"にとっては
オーモンドは大好きな馬ではあるが
当時の最高峰レース、アスコット金杯やドンカスターCを
制していないということがオーモンドの栄光に寂しさをもたらし、
その強さにわずかだが疑問を挟めないことはない。
もっともこれらのレースに出ていても勝っていたとは思うが。。

それでも16戦16勝、無敗の三冠馬というオーモンドの
偉大なる栄光はリボーと並び今も色あせることはない。

【オーモンド】
スピード:○
スタミナ:○
勝負根性:○
気性  :◎
馬場  :○
頑丈  :▲
〜 史上最凶かつ史上最高の英駿 〜

◆セントサイモン(英)

その最強馬の鞍上には天才がいた。
だとしたら・・・
天才と最強馬、そのコンビに相手がいようはずはない。

フレッド=アーチャー・・・
"孟徳"の中ではG.リチャーズに次ぐ英国の名手であるが、
今なおこの男を英国史上最高の騎手と推す声も高い。
が、それにとどまらず世界最高の騎手の3本の指に入る、と
いう人も少なくはない。

13歳でデビューすると拳銃自殺で命を落とす
29歳までに実にクラシック21勝、
16歳から死ぬまで13年連続リーディングジョッキー、
生涯勝率3割5分という、とてつもない記録を持つ。
騎手としてどんどん脂の乗りはじめる29歳で
ピストル自殺により命を落としたが
それまで13年連続リーディングになっていたことを考えると
将来もそれを続ける可能性があり、英国史上最高の騎手、
世界でも3本の指に入る、という声は決して大ボラとは
いえまい。

その天才が「自分が騎乗した中で最高の馬」と常々言っていた
のがセントサイモンであった。
数多くの名馬に乗り、数多くの栄光に輝いた天才が
選んだのがセントサイモンであった。

10戦10勝。
だが、セントサイモンは2歳〜3歳時で実質1年しか走っていない。
たった1年で天才に「生涯最高の馬」と言わせる
強さは尋常ではないと容易に想像できるだろう。

出馬登録の手続き上、英国クラシックを獲ることえはなかったが、
アスコットゴールドC(凱旋門賞に匹敵)を20馬身
グッドウッドC(キングジョージに匹敵)を20馬身
で3歳時に制するというとてつもない力を誇る。
とにかく他にも圧倒的というか余裕綽々での勝ちっぷりを
見せつけており、
まさしく距離も斥量も強硬スケジュールも相手も一切
関係ないようなグレートホースである。

2歳時の調教で6歳の歴戦の古馬を簡単に負かしたとか
アスコットゴールドCではゴール後もさらに1600m
全力疾走したとか、あるマッチレースでは相手を20馬身突き放した後、
わざとスピードを落とし、相手が追いつくのを待って
そのままずっと4分の3馬身だけ先に出て相手をなめきって
ゴールしたとか
エピソードは多くあるが、当然信憑性は謎のままである。
が、事実にせよ、尾ひれがついたにせよ、このような話が
出てくること自体
セントサイモンが人々にいかに強烈な印象を残すような英雄だったかということは
想像に難くなく、疑問の挟む余地の無いことであると思っている。
また、有名な話だが16戦16勝の英国三冠馬オーモンドの
主戦を務めていたフレッド=アーチャーは
オーモンドとセントサイモンのどちらが上か?と
問われて「もちろんセントサイモンの方が上だ」と即答したのはセントサイモンの強さを表す上で欠かせないエピソードと
なっている。

だがセントサイモンの偉大さは競争時代に終わることなく
種牡馬になってもまさに世界を席巻する、という言葉がピッタリの世界征服を達成している。
それは現在サラブレッドの10%以上はセントサイモン系であると
いわれていることからも伺え、驚異である、

これも有名な話だが最後にセントサイモンのエピソードを1つ。
調教中、少し動きが鈍いと感じたフレッドが
セントサイモンに拍車を入れると物凄い勢いで走り出し、
フレッドは掴まるのがやっとでどうにも操作ができなかった。
ようやく止まった後、下馬して
「もう2度と、この馬を本気にさせない。怖い。」
フレッドは少し青ざめた顔でただそれだけ言ったそうである。

古すぎて評価の難しい馬であることは少し否めないが
"孟徳"の中ではリボーに次ぎ、世界競馬史上最強ランクの
2位に位置する。

【セントサイモン】
スピード:○
スタミナ:◎
勝負根性:◎
気性  :△ 凶暴、マイペース 気性荒い
馬場  :◎
頑丈  :○
ファリス、3戦3勝しかして無いけど、しかも古いけど
当時のフランスの2大レースのジョッケクルブ賞(フランスダービー)とパリ大賞典勝ってますよ。
第二次世界大戦のせいで競走生活を終わらせなくてはならなくなった悲運の名馬ですが、ちょっと戦績が少なすぎますでしょうか。

重箱の隅をつつくようで申し訳ないのですが、しかももうお気づきかも知れませんが、リボーの項で書かれているキングジョージ最大着差ですが、今現在はジェネラスの7馬身かと。次がダリアとセントジョヴァイトの6馬身かと記憶しております。
■無線さん
 ありがとうございます、現在はそうでしたね。
 ファリスは競争成績の偉大さより種牡馬としての
 偉大さの方が濃い印象です。
 ですが、競争馬としても一流だったため、
 あのまま戦争がなければ、超一流になっていたかどうか
 非常に興味深いですね。

■pucciさん
 はじめまして、コミュマスターの"孟徳"です。
 ようこそ、おいでくださいました。
 
 お褒めくださり、嬉しい限りです。
 多忙なため、なかなか更新できませんが、
 少しずつ続けていこうと思います。

 キンツェムは・・・欧州を制覇してほしかったです。
 ハンプトンやヴェルメイユでは勝てなかったでしょう。
先日、無敗のまま永眠した名馬が居ますよ。

バーバロ(Barbaro)7戦6勝、競争中止1
ケンタッキーダービーでの2着馬への着差6.1/2馬身は史上最大着差じゃなかったかな?

Kダービーの次走に選んだプリークネスSで3完歩目に骨折。半年に渡る懸命の治療にもかかわらず、本年1月29日に安楽死処分が下される。

享年4歳。
海外の歴史に残る名馬についても勉強中ですがコリンという馬は初めて聞いたかもしれません。
どなたか詳しく教えていただけませんか?
コーリン(colin)1905年生まれ
15戦全勝っていうと、これかな?
今で言う2歳5月にデビューで15戦のうち12戦が2歳時のレースなので。。。
たびたびの繰り返しになってしまうけど
最近の米国競馬界は寂しい限りです。

日本ではディープ、欧州ではハリケーンラン、
モティヴェイター、エレクトロキューショニスト、
シャマーダルなど数々の名馬が競馬場を賑わしているのに
米国ではそのような馬がなかなか現われず
ジャパンCにもそれほどの有力馬が出てきません。

正確に言えば現われかけているのですが
途中で怪我で挫折しています。
ここ近年米国は二冠馬が非常に多く、かなり三冠の期待が
かかりながら怪我で挫折、引退といった繰り返しにより
米国競馬の層がなかなか厚くならないという状態です。

バーバロにしろ、スマーティにしろ、ファニーサイド、
ウォーエンブレム他にしろ・・
米国競馬界が呪われているのではないかと思うほどです。

米国競馬が強くないと世界競馬はやっぱり面白みに欠ける。
数多くの英雄たちを生み出した米国競馬の回復を待ちたいと思う。
>おキヌちゃんさん
ありがとうございますm(__)m
12戦が2歳時ですか・・・微妙な感じですね。
でも2歳時の活躍だけでもアラジとか・・・確かザテトラークも?

>孟徳さん
全く同じ意見です。
ゴーストザッパーなんか相当強かったと思うんですけど、たいしてレース使わずして怪我して引退ですよね。
元々、米三冠って二冠馬が出やすいと思ったのですが。。。この半世紀で二冠馬(ダービー&プリークネスの最初の二つ以外の組み合わせでも)でどれかを未出走だった馬は居なかったはず。
ただ、このハードなローテーションが競争生活を縮めてるのも一因かと思いますね。特にブリーダーズカップ設立以降が。

JCはこのBCも含めて日本に来づらいのかと。日本馬のレベルも非常に高くなりましたし。また、JCの後に香港ができた事も要因かと。
その点では、昨年愛チャンのあとBC-JC-香港と渡り歩いた(結果、香港は故障回避でそのまま引退となりましたが)ウィジャボードは「近年まれに見るくらいタフ」だったんだと思いますね。

最後の北米調教JC勝ち馬のゴールデンフェザント以降、JCを勝った馬は日本の競馬に慣れている騎手のお手馬ですから。ファルブラヴがフランキーの鉄砲だったくらいかな?
日本で勝ち負けに持ち込めそうな馬以外は、今年以降(北米に限らず)どれくらい来るでしょうかねぇ。昨年のウィジャボードは、たった一頭で来日外国調教馬の格を上げてくれましたが・・・。

ログインすると、残り2件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

我が心の殿堂馬(世界) 更新情報

我が心の殿堂馬(世界)のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング