ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

日本の将来を考えよう!!コミュの林真須美被告は本当に犯人なのか!?

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
林真須美に死刑判決が下った。しかし、彼女は本当に犯人なのか?

実は以前、林真須美を支援する会からこのコミュニティーとのリンク依頼が来たことがある。そのときは私も彼女が犯人だろうという印象を持っていたので乗らなかったのだが、先日新聞に載っていた争点を見た瞬間、「これは冤罪だな。」と感じた。証拠がないのだ!
物的証拠はもちろんない。彼女がカレーに砒素を入れるところを見たという確実な証人もいない。あくまで色々な状況証拠から彼女が一番怪しい、というレベルのようだ。もちろん私もワイドショーレベルの知識しかないので、実際の裁判に立ち会えば違った印象を持つかもしれない。

裁判においては「疑わしきは罰せず」つまり、確実に犯人であると断定できるとき以外は無罪、というのが本来の基準なのだ。ところが最近の裁判では痴漢冤罪事件が多発していることからも分かるように、「疑わしきも罰する」方向に行っているのだ。どちらかと言えば犯人の確率の方が高いと思えば有罪判決が下されるのが今の裁判だ。

林真須美被告が犯人だという判決は、今までの報道から多くの国民が受けた印象通りの結果であり、5月から開始される裁判員制度で最も恐れられていることそのままが起こったと言ってもいい。つまり、お昼のワイドショーでの見方に沿った判決が下されるというものだ。
国民の見立てに沿った判決を下せば国民から批判されることは少ない。今回の判決が別にワイドショーの見方に合わせて下されたとは思わないが、今回の事件が裁判員制度の下で扱われていたら、かなりの確率でワイドショーの見方に寄った判決が下されることになっただろう。

みなさんは今回の判決をどう評価されるか、そして裁判員制度でこの事件を扱ったときにどうなるか、の2点についてご意見をお聞かせ下さい。

コメント(26)


私は当時8歳でしたがこの事件はとても印象に残っています。
事件後、全国で自販機などの商品への異物混入が多発したことも印象深いですし
「林真須美」という名前が連日メディアで報道されていましたし犯人だと決めつけていました

しかし最近の報道で状況証拠しかなく、さらにその証拠で死刑判決を下したことに驚きました

一体どのような状況証拠だったのか

・住民たちの話から、「カレーのなべの横にひとりでいて、カレーに毒を入れることができた人は4人だった。
でも、このうち3人はカレーを食べて中毒になった。
食べなかったのは林被告だけだった」というもの
・林被告の自宅から「亜ヒ酸」が見つかっていて、この「亜ヒ酸」と犯行に使われた「亜ヒ酸」がまったく同じものだった、というもの
・彼女の親族等が既に犠牲になり、遺品からヒ素が検出されていること。
・夫の毛髪等からもヒ素が検出されていること。
・過去の履歴・保険金の流れ(保険金目的の殺害のプロだとかなんとか)・言動・ヒ素の所持の有無・ヒ素の成分分析

などなど…

これを聞くと限り無く黒なのですが、

・決定的な物証が少なく
・直接証拠もなく
・自白がとれていない

という点からはもちろん冤罪の可能性だってあるな、とは思いました

でも、一審では3年間かけて状況証拠を検討したと聞いています。
それに事件から既に10年が経っており、それだけの時間を費やしてプロの判事達が判決を下したわけですから、なるようになったのかと考えるようになりました

しかし死刑判決には驚きました。
状況証拠のみで死刑に処した場合、後にもし冤罪だとわかった時に、またメディアが騒ぐでしょうし、無期懲役かなと考えていました。
(ただ無期懲役は税金がかかるのが嫌ですが)


ずらずら書きましたがまとめると
死刑判決には少し驚きましたが、冤罪の可能性はあまり高くないように思えますし、10年をかけた中で弁護団も状況証拠を覆せなかったので、死刑はともかく有罪判決は妥当、判決を支持します


でももし新制度の下この事件の裁きが行われたら
こんなに時間はかけられないし、メディアに踊らされる可能性は非常に高いし、
まともな判決にならないだろうと思います。
私は基本的に裁判員制度には反対です。


長々と未熟な意見を書き連ね申し訳ありませんでした。

もし、冤罪の可能性が全くないでないところまで、調べていたら、裁判は延々と長引きます。
加害者の最低限の人権も守ることと、冤罪という恐ろしい出来事から、一般人を守ることを考えると、それは仕方のないことです。
でも、裁判が、10年もかかって、良い訳はないです。
それでは、被害者はどうなるのか、また、犯罪が増えていくのを放置することにもなります。

今回の事件では、自白がないという所、被告が黙秘を続けているところに、被告が、黙秘権を利用しているような印象を持ちます。
その印象は、間違いかもしれません。
間違いだとしたら、取り返しのつかないことです。
しかし、黙秘権は、犯罪者に、大いに利用され得ます。
そこから、自白がないのに、死刑判決が下された、ということが制度の変わり目を表しているようにも思います。

一方、直接証拠がない、ということは、説得力がないように感じますが、この点については、なんとも言えません。

結論として、今回の判決は、多少の腑に落ちなさを感じつつも、やむを得ないと思います。
http://kccn.konan-u.ac.jp/law-school/online/study/study_01.html(←かなり参考になったURLです)


裁判員制度に関しては、集められた裁判員の主義信条等によって、判決が、運に左右される度合いが強くなるのでは、と思います。
どちらにしろ、非常に難しい問題です。

乱文、失礼しました。
本格派さんは林被告は冤罪だと信じていらっしゃており、それが前提でこのトピを立ち上げられたようですね。

法治国家の一員として冤罪はあってはならない事と思いますがそれを忌避するが余り、犯罪者を放置するわけにもいかない。

私は裁判員制度に賛成です。

人間が人間を裁くのですから絶対に間違いが無くなることはないでしょう。

きっと今後も冤罪もあるでしょう。

しかしそれを業として背負う責務が民主国家に住まう我々には必要なのではないでしょうかね?

それを否が応でも気付かされる裁判員制度。

私は賛成です。
林真須美被告(もう被告ではなく死刑囚なんでしょうけど)の

夫・健治氏の発言では

「耳かき一杯で瀕死の 状態になるヒ素を、それつかって
保険金詐欺をやってきたプロが、紙コップ3分の1も入れるなど ありえない」

逮捕されなかったら真須美被告が5億円の保険に入り
ヒ素を飲んでさらに詐欺をする予定だったそうです。

だそうで真須美被告からヒ素が検出されたのも
一応筋はとおっておりそれなりに説得力はあります。

よく冤罪を主張する方は似た例ということで松本サリン事件の
河野さんと比較されますがどちらかというと本件は
ロス疑惑の三浦氏に近いように思えます。

事件について状況証拠しかなく自供はしていない。

とはいえ保険金詐欺や殺人未遂は行っており
善良な人というわけではなく限りなくダークに近い。

そういった背景があったので『グレーだが好ましくない人物なので
もう出て来て欲しくない』という世の中の意識もあったのかと思います。

裁判員制度では冤罪もあるでしょうが現在の制度でもあります。

裁判員個人が業として背負う責務が生じるのに拒否反応があるかと
思いますが真犯人だったがダークだが有罪に出来なかった容疑者を世の中に出し
新たな被害者を生む危険性もあるわけです。

現行の裁判で冤罪を作りだしても補償は国民が払うわけで現状では
間接的な責務は国民にあります。

被告が裁判について裁判員制度を適用するのか今まで通りの裁判に
したいのか選べるようにするのもひとつの方法かとも思いますね。
林真須美被告は稀代の悪女には間違いありません。
限りなくクロに近いグレーですが、林被告が真犯人ではない可能性は捨てきれないと思います。
死刑執行後、また時効成立後、真犯人による告白があった場合、大変な失態となる危険性のある判決のように感じます。
>林真須美被告は本当に犯人なのか!?

我々には、はっきり言って【わかりません】ですね。
出ている情報以上の情報、状況証拠類は警察は当然把握しているでしょう。

冤罪の可能性は捨て切れませんが、裁判官の出した答えが全てです。
それ以上でも以下でもない。

そして人間である以上、冤罪の可能性を低くすることは可能でも0にすることは不可能
自白があっても犯人じゃなかったということはありますから。

現行犯逮捕以外は冤罪の危険性はありますね。
私の思うところは、
林容疑者は限りなく黒に近いグレーという印象です、
しかしあくまで憶測であったり印象に過ぎません。
話によれば決定的な証拠が無いようですし、
白黒については断定的なことは何も言えませんね。


注意しなければいけないのは、
マスコミと警察、これらは双方とも平気で嘘を付くことです。
特に日本は報道の自由度が低いですし、
また、警察自ら保身のために嘘を嘘で塗り固め、
無理やりにもつき通すことすらあります。

この事件についてそういったことが例外か否かは解りませんが、
何れにしても真相真実を見極めるのは難しいと思います。
それを言うと、今件に限らず総てについてお手上げですし。
ここでそれを掘り下げると論点があらぬ方向へ行ってしまいますが、
過去、冤罪事件が起きているという厳然たる事実が在りますので、
ほぼ黒のように見えても、
林容疑者が犯人ではない可能性も常にしっかりと視野に入れるべきと思います。
特に黒に近いグレーほど判断を誤るきらいがあるでしょうから、
慎重に為るべきと思います。
常に、真実・真相を見つけ出すことの価値は何物にも代え難い事と思うのです。

過去起きたことの事実確認を取るというのは難しいことですし、
それ自体とても難しい問題を孕みますね・・。


裁判員制度に関して思うことは、
裁判員が常に無作為に選出されるならば特に言う事はありません。
しかし、恣意的に決定され選出されることがあるのではないかと懸念しています。
また、無作為選出であっても圧力や買収の危険も起きるのではないかと想像いています。
ただ、これは裁判官においても同様です、
結局のところ、人が判定し人を裁くことに何ら変わりは無いのです。

しかし本格派 さんの言わんとしていることにも理があると思いますし、
一方では大いに賛同してしまうのです。
というのは、
人々はテレビや新聞などの恣意的な情報に抵抗なく洗脳されやすく踊らされ易いからです。
反対の立場からの検証も必要かと思います、林死刑囚以外に誰がこの事件の主犯になれるのか、やるだけの動機のある人が他に存在するのか?
検察はその方向からこの事件の犯人を特定したのだと。
当時の彼女の態度もあまりにも感情的で(TVで見ていた限りでは)やりかねないと印象が私にはあります、隣人トラブルも非常に多く女性特有のヒステリックな衝動殺人なのかと感じました。
あくまでも私の主観です。
毒カレー事件における冤罪かどうかはさておいても林に関して言えば過去とんでもない犯罪に何度も手を染めていた事は明らか
それこそ旦那まで過去の犯罪経験から砒素の使い方を林が間違えるはずがない!とまで言っているわけでしょう(笑)

一般家庭に砒素が何故必要なんですか?

自身が楽して金稼ぎしたいという身勝手な理由で身近な人に砒素を盛るなんて行動しているのですから例え毒カレー事件において冤罪だったとしても個人的には全く同情の余地はありはしませんね

林を見ていると「黒い家」という小説を連想させます

自白をあの女がするわけないよ
剛憲くん殺害事件で当初は自ら死刑を望んでいたバカ女もいましたが最高裁で無期懲役の判決がでたら不服だと上告

こいつらに共通している点は自らの行為を「犯罪」とは認識していない点

ひたすら自己中心的

出所したあとにお隣に住まわれたら皆さんは温かく安心をもって迎えてあげられますかね?
「お勤めご苦労様('-^*)ok」と

死刑制度反対やら冤罪に関する容疑者擁護する方にはどうも「リアル」を感じられないね。。。

所詮、違った世界の出来事だしぃ〜( ̄。 ̄)y-〜〜みたいな感じかな?

チョー個人的見解です

トピズレ失礼
本格派さんは

●状況証拠しかなく元被告は自白もしていない。
●マスコミや警察が恣意的な動き方をすることは
 よくあるので信頼度は高くない。

といったことで実は裏があり真須美元被告は冤罪と考えたんでしょう。

よく松本サリン事件の河野さんを例に出してこういった犯罪は
きわめて冤罪の可能性が高いという人もいますがそれは多分に
経験則であり薬品関係の仕事をしていて事件現場の近くの家で
第一通報者であった河野さんを条件が揃っているので被疑者に
したというロジックと大差ないような気がします。

なわけで証拠が不十分だから元被告を死刑にしてしまうのはどうかと
いうのはあるでしょうが冤罪だ、無実だとの主張には無理があると思います。
 
和歌山毒物カレー事件。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E6%AD%8C%E5%B1%B1%E6%AF%92%E7%89%A9%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%BC%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 
冤罪 (無罪) なのかどうかだと、判断が分かれるところです。
そもそも判断のつきづらい事件において冤罪 (可能性) が問題提起されます。
ですから、無実の真実があるか / ないかでなく、仮に無実があった場合に誤って判決されやすい事件かどうか、という評価基準へ転換させて、
冤罪の起こる可能性が高い判決かどうか、という評価なら、
この異例な判決に対して、一定の支持者がいます。
ニュース記事にリンクされた日記の数々をざっと読んでみてすらそう判断できます。
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=815108&media_id=2
 
この事件が提起する1つは、冤罪死刑 (冤罪可能性の高い死刑) についてだと思います。

 
捜査や裁判は罪を決めてゆく行使ですから、どの事件にも必ず冤罪可能性があります。
警察機構の裏金問題や ・ 個々の警官や判事による犯罪などの報道からも、三権に携わるなら人格者という過信は今や崩れ、
公人も民間と同じく試験に合格した給与所得者にすぎない、という認識が定まりつつあると感じます。
例えば明確な証拠が提出されている事件でも、警察の預かる捜査権力や科学捜査力が過失や故意で誤用された事例 (自白強要・証拠捏造) は過去にありましたし、今後にも起こりえます。
故意の誤用が判明するかもしれない危険を冒してまで行なわれるときの条件は、
例えば、過熱報道による世論の強い矛先が警察の威信や政権支持率をも左右しかねない場合の保身かと思われます。
まして、この事件では直接証拠でない状況証拠ばかり1000点で判決されています。
 
しかし、だからといって例えば冤罪を根絶するために捜査や刑罰へ否定的なだけでは、省力化後の犯罪増加という推測からも本末転倒です。
(例えば、警察や裁判を嫌悪・拒絶するばかりの姿勢は、アパート管理人や家政婦といった職種を何らかの印象で卑下するような感情と同じですから、
運営や業務の、体質改善案や・監視強化策や・透明化着想などがあって初めて、感想にとどまらない意見として他者に知らせる価値があります。)
(同様にそうした本末転倒・過不足評価は、死刑存置論にも感じられます。
「死刑に他の刑罰にない特徴があろうと冤罪は等しくやむをえない」。)
捜査や刑罰の必要性を認めながら、冤罪可能性を抑制・縮減、さらに被害回復するための課題解明や改正検討なら有意義だと感じます。
 
ただ、特筆すべきは、
死刑制度と冤罪問題が重なる場合、その被害が決定的な強度を持ってしまう、
という課題です。
例えば、冤罪の可能性は捜査や刑罰があるかぎり消せませんから、
懲役刑の受刑20年後に冤罪が判明した場合、三権は被害補償や再発防止の責務を負いますし、
被害者は裁判を起こしたり改正運動に半生を捧げることも / 事件以前のすべてを取りもどすべく前向きに暮らすこともできます。
もう少し軽度には痴漢冤罪なども含め、こうした事態を必要悪だと肯定するまでではなくとも、
治安のための捜査・刑罰なら、冤罪は縮減こそあれ撲滅はできないはずです。
 
しかし、希に冤罪問題が凶悪犯罪と重なり、死刑判決へ進んだ場合には、
こうした被害対処をも自ら閉ざす、完全に過ちが確定する可能性 (死の完全性) が三権に残されてしまいます。
 
死刑から冤罪への注視、
冤罪から死刑への注視、という示唆は、この事件自体の今後にとって、そして世論の向上にとっても重要だと考えています。
 

http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/18796.html
 

『和歌山毒物カレー事件』
http://mixi.jp/view_community.pl?id=2712860
 
自白が無くても、状況だけで死刑にできる
画期的判決だと思います。

これは犯罪というよりは
むしろテロと言えるので
(当時はこの言い方が無かっただけ)
起こし得る人物の特定だけで
充分な量刑裁定になる思います。

テロ抑止には、早期解決と重刑がポイントになります。
世の中の流れに沿った、正しい判決に思います。
冤罪であっても、テロを未然に阻止するためには 正しい・・と考えている人がいるとすると、ちょいと恐ろしいと思います。

ま、死刑制度を支持するためには少々の冤罪は無視しなければならないと思います。少人数の犠牲者(冤罪で処刑される人)で大勢が犠牲にならずにすめばめでたしめでたし・・と言えますし・・。

ただ、私は嫌いなだけ。
最近テレビで見たのは、「死刑判決が下されたものの、本人は否定しており、状況証拠しかなく、動機も無い。ひょっとしたら冤罪の可能性も・・・」

という感じでした。

一昔前に「あいつが犯人に違いない!」と騒ぐのも、今「冤罪じゃないのか!?」と騒ぐのも、結局マスコミに踊らされているだけのようにも思えます。

冤罪なのか、犯人であったのかについては、「私はそれを判断できるほど情報が無いので分かりません」
国が国民を信頼できず、中途パンパな証拠(?)で死刑にすることは、刑罰、取締りの強化の姿勢を示して 犯罪予防に一躍をかうか?・・と思う人もいると思いますが、私は逆と考えます。

国民を信頼しない国家です。「信頼」にはある程度のリスクが生じまして、犯罪者を裁けないというリスクがありますが、 無実の人を犯罪者にしてしまう危険がある・・という認識が広く広まれば、私たちの社会環境は悪化していると言えるでしょう・・。 国民が国家を益々信頼しなくなります。
 報道が取り上げていませんが、林家にあったヒ素とカレー混入ヒ素が同一として、林家から他人の手に渡っていた可能性はないのか等の情報が無いのにも疑問が残ります・・・
 死刑判決から半年で死刑執行が義務付けられている日本で状況証拠のみで死刑判決を出す事は冤罪であったときどうなるんでしょうね・・・
> アーモンド51さん
本題には絡みませんよ…お互い主張がありますからね。
でも、司法を国家と言い替えるのは、議論をミスリードしていると思いますな。
また信頼などという言葉を使う点などどうかと思いますよ。
国家は敵だと思っているのでしょうかね?
私は林真須美被告が無実だと考えているわけではありません。
印象では極めて怪しいと思っています。
しかし、それと実際に犯人であるかは別の話。カレーに砒素を入れていなければ、他にどのような犯罪を犯していたとしてもこの件で有罪にされてはなりません。それが裁判の原則です。「確実に犯人である」という証拠がない限り、「疑わしきは罰せず」なのです。

「55%の確率で犯人」と思うのであれば無罪です。「90%犯人」でも無罪です。本来はそうであるべきなのが、現在の裁判制度(裁判員制度でも同じになるでしょう)では裁判官が「犯人である確率の方が高い」と思えば有罪にされてしまいます。これが現行制度の大きな問題点です。

原点に戻るべきです。絶対に冤罪は出してはなりません。真犯人を10人逃がしてもひとりの冤罪を出してはいけません(というのが裁判の鉄則です)。裁判員制度でもこれを徹底すべきです。
それともあなたは冤罪で裁かれたいですか?
100% 犯人であるという証拠は無い、が
90%以上犯人であろうという状況証拠はある。

こういう場合、裁判官、もしくは裁判員制度は何も出来ないのでしょうか。

実際に亡くなった方、亡くなった方のご遺族はおります。

自分の心情としてはその方達の為に裁判をやって欲しいと思います。

裁判官はもとより、裁判員に選ばれた一般人の場合その裁判の判決について責任を持たないといけないと思いますが、そこで決断をするのが任命された責任というものではないでしょうか。

暴論かもしれませんが 100% の証拠が無ければ無罪というルールをずっと守るのであれば機械にでも判断させればいいでしょう。

人間として判断しないといけない以上、「間違っているかもしれない、でもここまで状況証拠等があるのならば犯人として考えるしかないのでは無いのだろうか…」ということを悩んで欲しいと思います。

そうでなければ裁判員制度の意義がないのではないかと感じます。
フェイさん

>実際に亡くなった方、亡くなった方のご遺族はおります。

自分の心情としてはその方達の為に裁判をやって欲しいと思います。

裁判官はもとより、裁判員に選ばれた一般人の場合その裁判の判決について責任を持たないといけないと思いますが、そこで決断をするのが任命された責任というものではないでしょうか。<

「遺族の感情を」というのは分かります。
しかし、それと被告を犯人と判断するかどうかは別の話です。
冤罪であっても誰かを犯人ということにして有罪にすれば遺族の方が救われるということではないでしょう。冤罪は望まないと思います。

また、裁判員制度に何が望まれているかというと、第1は「冤罪をなくすこと」です。これは元々陪審員制度を導入すべきだと主張してきた弁護士達が導入の目的として上げていたものです。裁判官による裁判では、裁判官が検察官と一体の考え方をする傾向があり、検察が検挙したのだから有罪なのだろうという先入観で裁判を行なう傾向があるゆえに冤罪が起こりやすい(これは理由のひとつに過ぎませんが)、ゆえに国民の参加が必要だ(この理屈も短絡的なのですが)、と主張してきたのです。

よって、裁判員が判断すべきは、「疑わしきは罰せず」を徹底することなのです。「有罪の印象」で有罪を下すべきではありません。下してはいけません。
 被害者遺族の感情を判決に持ち込むのは主流のようですが、被害者が怨むのは真の加害者であるべきです。
 感情を判決に入れてしまったのでは思い込まれた被告人が悪いことになってしまうと思われます。この流れも変えていかねばならないはずです。疑惑があっても判決が出るまでは対等な一個人のはずです。
 また、一度犯罪を犯した人間だから、別の犯罪を犯してもおかしくないという考え方はよろしくないと思います。

 今脳の活動部位によって嘘を見抜く為のMRIが開発されようとしています。これができるまで少し猶予を与えてもよかったんじゃないですかね?
 
大昔に同コミュニティーで話題となった死刑制度の是非にも書きましたが法律とは社会的動物である人間が生きていくために必要悪な制度であり、中でも刑罰は被害者感情の納得性と人間の持つ理性を併せ持った一つの結論
絶対普遍的な視点など有り得ない

故に今回の判決は私は妥当だと考えています

「疑わしきは罰せず」という言葉の背景に潜む建て前と本音を一考すべきではないでしょうか?

人が人を罰するとはそれ自体が何とも罪作りな事ですが、それが無くなったリスクを勘案するにやはり必要なんでしょうね

刑罰は

例え何千件に一つの冤罪が起きようとも
 罰しないわけではありません。犯行の可能性は高いがまだ冤罪の可能性を否定できないうちは有期刑が打倒ではないかと言っているんです。
 
 殺されたのかもしれないで死刑を迫るのは冷静な感情とは思えません。本人の自白やもう少し明確な決めてが欲しいのです。
 
 保険金詐欺の方の裁判は特にいう事はありませんが、カレー事件の方は見極める時間があっても良いのではないでしょうか?
この事件、冤罪の可能性が10%以下とか1%以下というレベルではなく、30%ぐらいあります。

だから話題になるのです。

現在わかっている事実を否定しなくても、林死刑囚以外がヒ素を混入するもっともらしい解釈、つまりストーリーは簡単に5つ以上作ることができます。

ヒ素の鑑定も由来が同一だとしても同一でない可能性や、混入時刻がもっと以前とか、混入が複数回行われたとか。

また、人の行動は動機に基づくわけで、動機のない行動をとる人はいないという前提で状況証拠は組み立てられます。動機を無視したらなんでもありになってしまいます。

犯人を目撃してても怖くて黙っている人がいるかも知れません、目撃者の記憶が変化している可能性も十分あります、別の真犯人の動機が隠されているかも知れません。

娘を連れて、しなくてもよいカレーの見張りをしている人が、わざわざ毒を混入するでしょうか? それでも衝動的殺意による犯行だろうとは思いますが、その可能性以外考えられないほど世の中単純でしょうか。

裁判はその場に出てきた証拠から思考・論理を組み立てて判断します。思考・論理の対象外に根本的な抜けがあることはこの判決に限らず考えられます。

ログインすると、残り1件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

日本の将来を考えよう!! 更新情報

日本の将来を考えよう!!のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング