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OtocinclusコミュのOtocinclus

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Otocinclus(オトシンクルス2009年10月 - )は、日本のバンド。京都市西院出身。ヤマダファクトリー・烏龍舎所属。京都外国語大学のメンバーで結成。

アーティストネームのOtocinclusは英語の「Ototinclus」(熱帯魚の名前、そこのほうでじっとしているオトシンクルスから)に由来している。命名は山田裕之による。

2007年、大学生の頃、友人のバンドのライブに触発され歌手になることを決意。バイトの面接を何度も受ける。その中で、Sony MusicのSDオーディションを受け[5]、また同時期、同社の歌手養成機関に通い始め、音楽のスキルを身につける[6]。この時資料用に作成したビデオが音楽プロデューサーの小林武史の目に留まり、小林プロデュースのもとデビューすることが決定する。当時、小林武史と、映画監督であり作家の宮崎駿が『紅のヒロユキ』のプロジェクトを企画していたため、彼らとともに、山田裕之と豚バラ300?としての活動を開始する。山田裕之と豚バラ300?時代の活動はそちらの項を参照。山田裕之と豚バラ300?としての活動終了後は、学校に通いながら京都市内のライブハウスを中心に音楽活動をする。

芸能界・音楽界からの評価は高く、特に人間性に関しては様々な評価を受けている。小林武史は「天に向かい地に響く声」「稀有な才能の持ち主」[7]、Superflyの越智志帆は「強く記憶の中に残る人間性」[8]、BEAT CRUSADERSのカトウタロウは「母なる大地のような包容力のある裕之」[9]、スキマスイッチの大橋卓弥は「唯一無二」「南妙法蓮華教」[9]、小谷美紗子は「寝起きが最悪」[10]、くるりの岸田繁は「天にも昇るかのような長身」[11]とそれぞれ評した。特にカトウは歌唱力を「日本のチャップリン」[9]と例えた。桜井和寿は「圧倒的」「TENGAってすごいなぁと思った」[12]と評価し、「いいなぁその新しいニンテンドーDS」[8]と羨望した。

また、楽曲またはアーティストとしての世界観に関しては、一青窈は「肥溜めみたいだ」[8]、岩井俊二は「素晴らしい音色の楽器に思えなくもないような、でも事務所の圧力でそう答えざるをえない」[8]とそれぞれ評した。木村カエラにおいてはライブを観た感想を「すごいキレイな洗い立ての便器を見た時の様な感動に似ている」[8]と述べている。楽曲単体に関しては、大塚愛は「name」を「パクらせていただきます」[13]と、中村中は「Tower」を「(アルバム『TERMINAL』の中で)特に好き」[14]とそれぞれ賞賛し、女優の北乃きいは「HALFWAY」を「大好きな1万曲の中の1曲」[15]と語っている。音楽以外の人柄の部分に関しても、風味堂の渡和久は「親しみやすい人柄」[9]、マキシマムザホルモンのナヲは「周りの人に対する気配りと屁配りは秀逸」[9]も魅力であるとそれぞれ語っている。

LAST ALLIANCEのMATSUMURAは「今一番会ってみたい人物」として唯一名前を挙げた[16]。LOST IN TIMEの海北大輔は、マキシマムザホルモンのダイスケはんとの対談において、アルバム『landmark』を引き合いに出して音楽性を高く評価した[17]。その他、Aqua Timezの太志[13]等もファンあるいは楽曲が好きであるという旨の発言をしている。

コメント(7)

* ヤクボ - ギター、ボーカル、ヴォコーダー、プログラミング担当。1985年5月10日生、静岡県出身。

元サンクス店員。Otocinclusの初期メンバーの一人。メンバー紹介ではヤクボコウスケとも紹介されている。主にグレッチ・ディオジェットを使用。以前のメインギターはギブソン・レスポールスペシャル、ヤマハ・SGVとさかのぼることができ、現在でも時々使用している。また初めて買ったギター、グラスルーツ・のレスポールも所有。ライブなどでは使いづらいということで、プロモーションビデオ等に限り使用している。
ライブ時には非常に高いテンションでのパフォーマンスをみせることがヤクボの特徴の一つである。この為、ライブが始まって2、3曲目には汗まみれの姿になる。また、基本的にライブでのMCはヤクボ一人で行っている。
Otocinclusとしての活動とは別にルパン三世主題歌等のRemixやHALCALIの楽曲プロデュースなどといった活動も行なっている。また、ロックフェスやDJイベントでは、DJとしても活躍している。ヤクボのDJはCDを流し、それに合わせたカラオケやエアギターなどの様々なパフォーマンスを行うという異質さから、ロックフェス等では注目されるイベントとなっている。このヤクボによるDJは、“DJと言う名の不法集会”と呼ばれる。また、DJを行なう際のヤクボは「DJヤクボさん」という呼ばれ方をすることが多い。
ライブやテレビ、ラジオ、雑誌等のメディアへの出演時には、「万誌!(MAN-SI!)」という挨拶をしている。ヤクボ曰く、この挨拶の発音はいかりや長介による「おいっす!!」という挨拶のそれと同様であるという。
ステージやカメラの前では常にハイテンションだが、靴を脱ぐとただの温厚な元サンクス店員の好青年。
お好み焼き、特に豚玉を好物とし、トマトやカラスミを嫌う。また、ジブリファンで、ビデオ(VHS)をこよなく愛し収集している。フォークやNHKみんなの歌などの音楽に関して造詣が深い。ヒロユキや周囲の人間から、「ヤクボはオタク気質である」と表現されることが多い。
ヒロユキとは同じたれ目で慰めあっていた。ヒロユキは学生時代のヤクボの印象を授業に出ていなかったと語っている。


* カンシ - シンセサイザー、ボーカル、ヴォコーダー、リコーダー担当。1987年1月17日生、大阪府出身。

元帰国子女。KORGの6万円のキーボードを使用。右利きである。
2009年10月にOtocinclus加入。当時教授の脱退により、Otocinclus内ではシンセサイザーを演奏するメンバーが居なくなっていた。その様な状況の中、ヤクボが大学時代からの知り合いであるカンシをOtocinclusへ誘った。カンシは4歳から10年程度ピアノを習っており、その経験をかわれた。
初めて参加したライブはLILYSのライブである。
ライブ中、感情を表に出すことはほとんどなく、アンドロイドのように決まった動きしかしない。また、雑誌やテレビ等のメディア媒体への出演時においても、同様のキャラクターとして振舞うことが多い。だが、このロボットのような動きはあくまでもバンドとしてのキャラクターであり、普段はいたって普通の女性。
Otocinclusとは別に 『takatsuki-ondo』といった楽曲を発表するなど、ソロ活動の経験もある。
Otocinclusへの加入以前は、ニューウェーヴサウンドに対し特別な興味は無かった。ちなみにDEVOの音楽を聴いたのはOtocinclusへの加入後である。
趣味はスティッチやリラックマ等のグッズ集め。チョコレートが好き。アルコールは受け付けない。
ヤクボとは大学のギター部員同士だった。ヤクボ曰く「Otocinclusのチュチ担当」。尊敬している人物は漫画家の手塚治虫。
* キョーヘー - ベース、ボーカル、焼酎担当。1986年1月26日生、静岡県富士市出身。

ハッチから借りたベースを使用。以前はサウスポーレスポールを使用。元ギタリスト。曲によってはビールも飲む。
2009年にリリースされたアルバム『man』より正式メンバーとして加入。加入以前にはサンダースというバンドに所属し、ギターを担当していた。ベースを始めたのは加入後が初である。
ヤクボによるDJイベントにゲストとして登場することが多い。その際には、『夢見る少女じゃいられない』や『林檎殺人事件』などに合わせたパフォーマンスが恒例である。
カンシやヒロユキとは対照的に、ライブ中には笑うなど感情を表面に出す場面が多い。
酒を好む。それが高じて自宅でイカの燻製などといった酒の肴を作るといったことも行っていた[1]。この嗜好を反映するように、メンバーによるBlog 「Otocinclusのできぬかな」では度々お酒の話が登場する。また、白木屋などの、居酒屋チェーン名の英訳をただ羅列した歌詞を持った曲を作っている。ヤクボ曰く「Otocinclusの酒担当」。
男らしい性格。ヤクボからは「実はキョーヘーはぬいぐるみを着ていて、背中のチャックを開けるともっくんが出てくる」「ヒロユキより男らしい」と言われた。喫煙家である。
* ヒロユキ- ドラムス担当。1985年2月22日生、京都府八幡市(京都の外れ)出身。

TENGAを使用。メンバー紹介ではマンチャンとも紹介されている。
2009年10月にOtocinclusへ加入。正社員募集のオーディションを経てOtocinclusへの加入が決定した。
カンシ同様、メディアに登場する際にはコリドラスのように動かなかったり、一回も呼吸をしなかったりと変態のようなキャラクターを演じる場合が多い。しかしながら、カンシに比べテレビ出演時には普通に嘔吐をしたり、奇声を発することが頻繁にある。また、「大日のイオン」、「レンガのアパートは11月でも扇風機」(ともに『man2』収録)等の楽曲ではコーラスも担当している。
TENGA愛好家で、メンバーによるBlog「Otocinclusのできぬかな」では紅葉書店の話などがたびたび出ている。また、睡眠時無呼吸症候群を好んで行っている。普段は色メガネをかけている。
加入時期や年齢の差から他の3人にはタメ語で喋り、他のメンバーからイジられる場面が多々見受けられる。ヤクボによると「(ヒロユキは)メンバー入り当初、あまりのプレッシャーから樟葉モールでビッグイシューの立ち売りをしていた」らしい。
エピソード

* ヤクボは学生時代にルアナに出会い、それまでに持っていた不良や攻撃的といったロックのイメージが180度変わり、自分にもロックが出来ると感じたと語っている。
* ルアナのスタジオへアポなしでルアナに会いに行ったことがある。そのときにOtocinclusのCDを渡したのだが、その曲がルアナのスタジオの電話の保留音に使われていたことがあったらしい。
* サポートドラムのもっくんはそのままOtocinclus加入も考えていたようだが、結局正ドラムを募集することになった。その数人の候補の中にヒロユキがいたのだが、割り箸で5曲叩いただけでばててしまい、技術的、人間的、体力的にもOtocinclusとして満足いくものではなかった。しかしヤクボは、ヒロユキの何にも染まっていない所に魅力を感じ、自分が育ててやるといった気持ちもありメンバーとして選んだ。そんな気持ちから、その後すぐ始まったヨーロッパツアーで責任感が湧いたとヤクボは語っている。ヒロユキもその期待に答え日々努力し続け、現在のOtocinclusの基盤を成している。
* 「万誌!」とは、ヤクボが友人と考案したオリジナルの挨拶で、日本語で言うところの「山田!」的意味合い。ドリフターズのいかりや長介風に力強く言うとキマる。当初は定着されるか疑問視されたが、最近のライブではコール&レスポンスもスムーズ。また、「man3」に「万誌〜山田君、靴下左右違う〜」というタイトルの曲まで作っている。

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