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山上智の速報コミュの平成のXファイル・奇怪・4NO−166

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名前は、筆者。職業はオカルト・古代史探偵。
相棒のハンターは、ハッキングの名手で身元不明の女の子。
東京ベイテレビの「K」という謎の人物から毎回、不可思議な仕事依頼がある。

外は雨、うっとうしい一日が終わろうとしていた。ソファに横になりながらテレビを観るとはなしに見ていると、例のごとく「K」からのメールが入った。

「指、つめ状あり、カッパか?」
NO−166「宮崎日日新聞」1991年7月9日〜宮崎県

ハンターは、外出していて居なかったので一人で考えていた。
カッパ上陸地は、熊本県八代市にあったはずだ。以前、取材に行ったのを思い出した。
たしか、
「応神天皇の時に、熊本県八代市の徳渕ノ津にカッパの集団が上陸して河川を通じて全国に広まった。」
という伝説もあり、「河童九千坊音頭」という唄まで作って記念碑まで建っていたはずである。
そのようなことを考えていると、事務所のドアが開いて、ハンターが帰って来た。
「外はひどい雨が降っていて濡れてしまったわ。」
そう言いながら、買ってきたものをテーブルの上に置いた。
「パソコンの調子が悪いので、ちょっと部品を買ってきたのよ。」
その言葉をさえぎるかのように、筆者は携帯を差し出した。
「Kからの伝言ね。」
濡れたコートを脱ぎながら、
「今夜、パソコンを直すから、朝までに情報を出しておくわ。」
筆者は黙ってうなずいて、またテレビの方を向いた。

翌朝、目が覚めるとパソコンの画面に「宮崎日日新聞」の紙面が出ていた。

西都市下三財の会社員宅に正体不明の動物の足跡らしきものが、居間や畳や廊下に点々と黒いしみになって付いているのを見つけた。直径10センチほどに3〜5本の指とつめのような跡、それに黄色い液体。しかも黒いしみはいくらふいても消えない。
このあたり一帯は昔からカッパが住んでいたという言い伝えが残っている。
その不思議な液体を保健所にもっていき、成分分析を依頼。わき水に見られるような鉄分が高いという結果が得られた。
さらに、フェニックス自然動物園の竹下完副園長に〃足跡〃の写真を見てもらったところ、「写真ではなんともいえないが、このような足跡の動物は考えられない。」
ざっと、このような内容だった。

パソコンの画面右上に「伝言」と書かれたところをクリックすると、新しい画面に切り替わった。
「河童のミイラ」「人魚のミイラ」「龍のミイラ」の写真が見えた。いずれも大阪・瑞龍寺所蔵と書いてあった。
その下に、ハンターが書いた文字が目に飛び込んできた。
「K」からの追伸あり。香川県高松市・根香寺に「牛鬼の角」あり。予約済み。
と、書かれてあった。
「う〜、河童と牛鬼の角、どのような関係があるのだろう」
などと、考えながら羽田空港に向かった。

高松空港でレンタカーに乗って高松市内に向かった。高松市から県道180号線を西に行くと五色台という山の中に根香寺はあった。
車を止めた目の前に大きなゴジラに翼つけたような像が建っていた。
若い頃、四国八十八ヵ所の遍路を思い出した。しかし、このような大きな像があるという記憶はなかった。と、言うより興味がなかったから早足で御朱印帳に記入してもらって、次の札所に早足で向かったと言うほうが正解なのかもしれない。
それよりも「牛鬼の角」が目的であるので、他の巡礼にまじって受付へと急いだ。早々に住職に会う旨を伝えると、待っていたのかと思えるような応対だった。
「ハンターの奴、ここまで手を回していたのか。」
頼もしい相棒に感謝をして、受付の入口から中に入らせていただいた。
住職が、
「遠いところを、わざわざ大変でしたね。」
ねぎらいの言葉を言われ、奥から木箱を持ってテーブルの上に置かれた。
木箱に「牛鬼角・双角」と書かれてあり、ふたを開けると白い角笛の小さなものが二つ現れた。許可を戴き、写真に撮らせてもらった。
やはり礼儀として、「根香寺の由来」を聞くのが本筋だと思ったので住職に尋ねた。
すると住職は、待ってましたとばかりに語り始めた。
「当寺は、四国八十八番の札所で平安時代に弘法大師(774〜835)が花蔵院を創建して五大明王をまつり、智証大師が千手院を建立して千手観音をまつり、この二院を総じて根香寺と称したのです。
約400メートルの山上に地形をたくみに利用して堂宇が配置されておりまして、山岳仏教の特長をよく物語っています。
栄えていたころは、境内に99の僧房があったといわれています。その後、南北朝時代よりしだいに衰え天正13年(1585)には兵火にあい、堂宇の大半を焼失しましたが、その後、生駒氏松平氏の保護をうけて復興されました。
現存の本尊千手観音像は、国の重要文化財に、五大明王像は県の重要文化財に指定されています。」
その長い由来を聞かされた後、「牛鬼の角」の由来を聞いた。
「伝説によれば、今から400年以上前、根香寺に牛鬼という奇怪な生き物が住んでいて人畜を害していたのです。人々は大変困り、弓の名手である山田蔵人高清に頼んで牛鬼を退治して貰ったのです。山田高清は退治した牛鬼の角を切り取り、根香寺に奉納したといわれています。」
由来を聞き終わった筆者は、住職にお礼を述べて、一通り境内を巡り根香寺を後にした。


報告書NO−166
我が国に河童渡来の伝説が各地にみえるが、特に九州地方に「河童のミイラ」や「鬼のミイラ」などが多くある。
遠野地方にも河童伝説があるが、どれも九州から北上してきたようだ。

『覚什・太子傳記』には、
推古天皇の27年(619)、己卯(つちのとう)の年の春の頃、近江の国から異形の者が進送された。その形は子供のようで、4本の手足があるというものの人ではなく、また、かといって魚にも似ておらず、獣でもない。

『日本書紀』には、
秋7月に、摂津国に漁父(あま)ありて、罟(あみ)を堀江に沈(お)けり。物有りて罟(あみ)に入る。其の形児(わかご)の如し。魚(いお)にも非ず、人にも非ず、名(なづ)けむ所を知らず。

これこそ日本最古の河童の記録なのではないだろうか。そう思いながら河童伝説のルーツを調べていったところ、河童伝説は想像以上に古く、なんと応神天皇の御代にまで遡れることがわかった。
その伝承によると、河童は応神天皇の時代に帰化人とともに九州に渡来し、地下水脈を通って日本全国に広まったというのだ。
この伝承自体にどれほどの信憑性があるかわからないが、帰化人とともに渡来した異形の生物であるという説は非常に興味深い。というのも、応神天皇の時代に大挙して日本に渡ってきた人々といってすぐに思い浮かぶのが「秦」のルーツである弓月の君の一族であるからだ。この河童に酷似した生物も実在の生物ではなくて、彼らが大陸から持ち込んだ寓話や伝説としての存在だったのではないだろうか。
日本全国に河童伝説が古くから存在していることを考え合わせると、実際に日本全国へ散らばったのは河童ではなく、「秦」の一族だったのかも知れない。

追記
「牛鬼」という像は、あたかも聖書に出てくる4つの生き物を一つにしたみたいな怪物みたいである。

『ヨハネの黙示録・第4章』
「第一の生き物は獅子のようであり、第二の生き物は若い雄牛のようで、第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は空を飛ぶ鷲のようであった。」



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