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呪縛から逃れてコミュのハルマゲドンと大患難の考察―その?

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『近年の世界の出来事それ自体は良くないものですが,それが意味するもの,つまりキリストの臨在は良いニュースです。上に述べたような状態は,あの広く布告された年である1914年以来,顕著に見られるようになりました。それは異邦人の時の終わり,また人間の支配からキリストの千年統治への移行期の始まりとなりました。

そのような移行的な期間があることは,詩編 110編1,2節,および啓示 12章7-12節に示されています。これらの聖句によると,キリストはご自分が王になる時が来るまで天で神の右に座しておられます。次いで,天で戦争が生じた結果サタンは地に落とされ,地上では災いが生じます。キリストは敵のただ中で支配を行ないます。その後「大患難」によって悪の完全な終わりが到来します。その「大患難」はハルマゲドンの戦争をもって完結し,その後にキリストの平和な千年統治が続きます。―マタイ 24:21,33,34。啓示 16:14-16。

聖書はこう述べています。「しかし,このことを知っておきなさい。すなわち,終わりの日には,対処しにくい危機の時代が来ます。というのは,人々は自分を愛する者,金を愛する者,うぬぼれる者,ごう慢な者,冒とくする者,親に不従順な者,感謝しない者,忠節でない者,自然の情愛を持たない者,容易に合意しない者,中傷する者,自制心のない者,粗暴な者,善良さを愛さない者,裏切る者,片意地な者,誇りのために思い上がる者,神を愛するより快楽を愛する者,敬虔な専心という形を取りながらその力において実質のない者となるからです。こうした人々からは離れなさい」。―テモテ第二 3:1-5。』

これが、彼らの「良いたより」の中核をなすものですが、
ここに書かれている聖句を調べてみます。

その前に、彼らの1914年のキリストの天での即位に関することは、別の機会に調べることとして、今は、ハルマゲドンと大患難に焦点をしぼってみたいと思います。

とにかく1914年からキリストの千年統治ははじまっていません。これも後にします。

詩編 110編1,2節,啓示 12章7-12節、マタイ 24:21,33,34。啓示 16:14-16。

彼らの聖書と口語訳聖書を使います。
★詩編 110編1,2節
→新世界訳<1わたしの主に対するエホバのお告げはこうです。
「わたしがあなたの敵をあなたの足台として置くまでは,
わたしの右に座していよ」。
2あなたの力の杖を,エホバはシオンから送り出して,[こう言われます。]
「あなたの敵のただ中で従えてゆけ」。 >

→口語訳<ダビデの歌
2主はわが主に言われる、「わたしがあなたのもろもろの敵を/あなたの足台とするまで、わたしの右に座せよ」と。
3主はあなたの力あるつえをシオンから出される。あなたはもろもろの敵のなかで治めよ。>

聖書は、聖書自らその聖句を説明しています。
★マタイ22;44
→新世界訳<44『エホバはわたしの主に,「わたしがあなたの敵たちをあなたの足の下に置くまで,わたしの右に座っていなさい」と言われた』と言っているのですか。 45それで,ダビデが彼を『主』と呼んでいるのであれば,どうして彼の子でしょうか」。 >

何ともわかりにくい訳です・・・・

→口語訳<44すなわち『主はわが主に仰せになった、あなたの敵をあなたの足もとに置くときまでは、わたしの右に座していなさい』。
45このように、ダビデ自身がキリストを主と呼んでいるなら、キリストはどうしてダビデの子であろうか」。>

この聖句は、イエスはパリサイ人たちに「キリストをどう思うか。だれの子か。」とたずねられて、彼らはダビデの子と答えましたが、イエスは、詩編を引用して上記のように説明されました。

またパウロもコリント第一15:25で同じ詩編を引用しました。この部分は、時の経過について書かれていますので、少し長いですが、明記します。
→コリント第一15:20〜28
<20しかしながら,今やキリストは死人の中からよみがえらされ,[死の]眠りについている者たちの初穂となられたのです。
21死がひとりの人を通して来たので,死人の復活もまたひとりの人を通して来るのです。
22アダムにあってすべての人が死んでゆくのと同じように,キリストにあってすべての人が生かされるのです。
23しかし,各々自分の順位にしたがっています。初穂なるキリスト,その後,その臨在の間に,キリストに属する者たちです。
24次いで終わりとなります。その時,彼は王国を自分の神また父に渡します。その時,彼はあらゆる政府,またあらゆる権威と力を無に帰せしめています。
25[神]がすべての敵を彼の足の下に置くまで,彼は王として支配しなければならないのです。
26最後の敵として,死が無に帰せしめられます。
27[神]は「すべてのものを彼の足の下に服させた」からです。しかし,『すべてのものが服させられた』と言うとき,すべてのものを彼に服させた方が含まれていないのは明白です。
28しかし,すべてのものが彼に服させられたその時には,み子自身も,すべてのものを自分に服させた方に自ら服し,こうして,神がだれに対してもすべてのものとなるようにするのです。 >

 ※23節の「臨在」という言葉は、大変わかりにくい訳です。私は、聖書を詠むときこの言葉の意味をどう理解していいのかわかりませんでした。「来臨」とすればキリストの再臨に結びつくのですが、パルーシァというギリシャ語で、
これを臨在としてしまっているので、このあたりから間違っています。

→同口語訳
<20しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである。
21それは、死がひとりの人によってきたのだから、死人の復活もまた、ひとりの人によってこなければならない。
22アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである。
23ただ、各自はそれぞれの順序に従わねばならない。最初はキリスト、次に、主の来臨に際してキリストに属する者たち、
24それから終末となって、その時に、キリストはすべての君たち、すべての権威と権力とを打ち滅ぼして、国を父なる神に渡されるのである。
25なぜなら、キリストはあらゆる敵をその足もとに置く時までは、支配を続けることになっているからである。
26最後の敵として滅ぼされるのが、死である。
27「神は万物を彼の足もとに従わせた」からである。ところが、万物を従わせたと言われる時、万物を従わせたかたがそれに含まれていないことは、明らかである。
28そして、万物が神に従う時には、御子自身もまた、万物を従わせたそのかたに従うであろう。それは、神がすべての者にあって、すべてとなられるためである。>


このパウロの時の経過は、黙示録にも関わっています。パウロはここで、復活に関する事柄をコリントのクリスチャンたちに説明しているところでした。
けれどもキリストはアルファでありオメガであられます。創世記から黙示録まで、そして、アダムと神は敵に勝利されます。それはキリストの全幅の服従でした。第一のアダムと第二のアダムは天で出会うことになるのです。
上記26節は、
黙示録22:14<それから、死も黄泉も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。
15このいのちの書に名がしるされていない者はみな、火の池に投げ込まれた。 >

第二の死は永遠の滅びです。命の書に記されなかった者は、第二の死という裁きを受けます。

しかし、ハルマゲドンと大患難は、その以前に起こります。

★マタイ 24:21,33,34

→新世界訳<21その時,世の初めから今に至るまで起きたことがなく,いいえ,二度と起きないような大患難があるからです

33同じようにあなた方は,これらのすべてのことを見たなら,彼が近づいて戸口にいることを知りなさい。 34あなた方に真実に言いますが,これらのすべての事が起こるまで,この世代は決して過ぎ去りません。>

→口語訳<21その時には、世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きな患難が起るからである

33そのように、すべてこれらのことを見たならば、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。
34よく聞いておきなさい。これらの事が、ことごとく起るまでは、この時代は滅びることがない。>

イエスの十字架を目前に控えた最後の週の火曜日、イエスは宮で最後の務めを果たされて、宮を出ようとした時、弟子たちは夕日に輝く美しい宮の建物にイエスの注意を促しました。しかし、イエスは、「あなたがたは、これらすべてのものを見ないか。よく言っておく。その石一つでもくずされずに、そこに他の石の上に残ることもなくなるであろう」と言われ、弟子たちにそのような滅びの来る日について、説明されている場面のみ言葉です。

大患難の1つは、西暦70年のエルサレムの滅びで成就しました。次の
大患難は、イエスが天の至聖所から出てこられる時に起こります。
これは、サタンが嫌うキリスト教教理の1つです。「ヤコブの悩みの時」とも呼ばれます。JWは、その言葉は使わなかったと思います。大患難の時、七つの災い(黙示録15章、16章他ヨブ記一部を含む)がキリストの再臨に向けて、起こります。詳しくは、その?で考察したいと思います。



◆神のタイムライン(英語版)のご説明

1844年にキリストは天の聖所の至聖所にはいられます。
天の聖所については、ヘブライ書に書かれています。これはJWの方もよくご存知と思います。
大祭司としての最後の務めを果たされます。
この期間は「恩恵期間」、あるいは「恵みの時」と呼ばれます。
これに関してはダニエル書や黙示録が関係しています

赤と緑色の境のたてラインは、イエスの再臨です。
赤の前のブルーは、「恵みの時」現在もまだ、その期間中です。
でもなぜキリスト教は迫害がないのか。それは、キリスト教が世と妥協しているからです。これから、もっとキリストとサタンの善と悪の「大争闘」が厳しくなるでしょう。

順番は、キリストが天の至聖所から出て来られると、恩恵期間の終わりが来て(カトリック日曜休業令が目安、日曜礼拝をする教会は、土曜安息日を守る教会を敵視する)、キリストの執り成しなしで、残りの民は立たねばなりません。
そして、いよいよクライマックスの時、イエスが東の空から来られます。
そして、生きている悪人をイエスの吐く息で滅ぼされ、善人の死者の復活、生きている残りの民は一瞬にして、朽ちない体に変えられ、空中で主とであいます。
それから、千年期となります。この期間に、サタンとその仲間の堕天使たちは、荒れ果てた地上に閉じ込められます。反省をさせるためです。千年期の終わりに、悪人の死者の復活があります。新しいエルサレムが降下します。そして、サタンは元気をとりもどし、悪人をすべて集めて、新しいエルサレムの王キリストと戦おうと進軍します。しかし、滅びの天使の火によって焼く尽くされます。
荒廃した地球は、再生され、人々はそこにすむのです。

これは、100年以上も前にすでに明らかにされていたことなのです。
WT統治体は、そもそも、イエスに信仰を働かせていないので、聖霊の援助はないのではないかと推察しています。
伝道奉仕をしなければ救われないなどと、パリサイ人の論理で学歴なし、金なし、職務経歴なし、社会保険も年金もなし、生活保護となれば、一般市民に対する証しにもなりません。男性であるなら、家族を持つことも、子供を産むこともままならぬことを強いられ、自分の人生をこのような組織のために捧げるなど、無意味です。
大切な人生は、真の神様にのみ捧げますが、それは常識的であるべきです。

どうか、JWの皆様、1人でも逃れ出て欲しいです。








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