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映画で元気コミュのNO.135「つ」のつく元気になった洋画2

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「追憶」(ついおく)

<元気コメント>
 人生に何を求めるのか。
 例え性格が異なっても男女が結びつく障害にはならない。

<あらすじ>
 1937年の春、ケイティー(バーブラ・ストライサンド)とハベル(ロバート・レッドフォード)の2人は、大学の創作クラスで机をならべて勉強していたが、政治活動に熱中するケイティーとそれに興味を示さないハベルの生き方はまったく違っていた。
 やがて、学生たちは卒業し、各方面に散っていった。
 第2次世界大戦中のニューヨークで、ケイティーとハベルは偶然、再会した・・・

<データ>
「追憶」(The Way We Were)
http://www.dmm.com/rental/ppr/-/detail/=/cid=n_606rdd10152/searchstr=oaiCiEaTjJfoxI2d*5fAko3A9ZP5nLGcy8OLw,s_/mdream-008
 製作:1973年 アメリカ コロムビア映画配給
 監督:Sydney Pollack シドニー・ポラック
 原作:Arthur Laurents アーサー・ローレンツ
 出演:Barbra Streisand バーブラ・ストライサンド (katie)
    Robert Redford ロバート・レッドフォード (Hubbell)
    Bradford Dillman ブラッドフォード・ディルマン (J.J.)
    Lois Chiles ロイス・チャイルズ (Carol Ann)
    Patrick O'Neal パトリック・オニール (George Bissinger)

解説:移り変わる激動の20年間にわたる男と女の愛を描いたラブ・ストーリー。
   製作はレイ・スターク、監督は「大いなる勇者」のシドニー・ポラック、原作・脚本はアーサー・ローレンツ、撮影はハリー・ストラドリング・ジュニア、音楽はマーヴィン・ハムリッシュ、編集はマーガレット・ブースが各々担当。
   出演はバーブラ・ストライサンド、ロバート・レッドフォード、ロイス・チャイルズ、ブラッドフォード・ディルマン、パトリック・オニール、ヴィヴェカ・リンドフォースなど

<「追憶」と言えば>
★主演、主題歌歌手 バーブラ・ストライサンド
 (Barbra Streisand、本名Barbara Joan Streisand,1942年4月24日 -)は、アメリカ合衆国の歌手、女優、作曲家、映画プロデューサー、映画監督。
 アメリカが誇る大スターの一人である。ニューヨークのブルックリンで育つ。

(「ピープル」、「追憶」、映画監督デビュー)
 1962年に歌手としてデビュー。
 代表曲は「ピープル」、「追憶」
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000065VOE?ie=UTF8&tag=eigadegenki-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=B000065VOE
等。
 女優としても活躍し、自身の映画出演作の主題歌を歌ったり、楽曲の提供などもしている。
 アカデミー賞は、『ファニー・ガール』
http://www.dmm.com/mono/dvd/-/detail/=/cid=n_606hhd10145/searchstr=wLSVmMP9wI6Zw5SUkorD3A__/mdream-008
で主演女優賞を、『スター誕生』で作曲家としてアカデミー歌曲賞
http://www.dmm.com/rental/ppr/-/detail/=/cid=cd_338sicp131/searchstr=wNiVhseKovD43RGd45fakrfA35eWnN2cqsfew5bAgpWWxPk_/mdream-008
と2度受賞している。
 別々の分野にまたがり受賞しているのは彼女ぐらいである。
 また、複数のエミー賞、グラミー賞、ゴールデングローブ賞、およびトニー賞を受賞している。
 映画監督としては1968年『愛のイエントル』でデビュー。
 主演・脚本・製作、そして主題歌と5役を務めた。
 『サウス・キャロライナ/愛と追憶の彼方』
http://www.dmm.com/mono/dvd/-/detail/=/cid=n_606tsdp12840/searchstr=wNSVn8OPwJSdyJTbltvD3sTBk,wficKdqqb*1IPB*fiFq80_/mdream-008
はアカデミー賞の作品賞で候補にあがったが、彼女は監督賞候補にならなかった。

(クリントンが大統領に就任した際には)
 バーブラ・ストライサンドは60作以上のアルバムを録音しているが、その殆どがコロムビア・レコード・レーベルから発売されたものである。
 1960年代に発表された初期の作品は、アイロニックで見事な「幸せの日は再び」をはじめとする劇場やナイトクラブで歌われるスタンダード曲を主とした古典的な表現に徹した作品だと考えられている。
 1969年からは作曲家としても活動をはじめ、ロックへの路線変更を試みて試行錯誤する。
 最終的にリチャード・ペリーがプロデュースした1971年の『ストーニー・エンド』の成功によって、ポップやバラード志向に定着した。
 ローラ・ニーロが作曲したこのアルバムの表題作は大きなヒット曲になった。
 1970年代のあいだ、ストライサンドは「追憶」「スター誕生の愛のテーマ」
「ノー・モア・ティアーズ」や「ウーマン・イン・ラヴ」など、主に彼女の映画のサントラに使用された楽曲でチャートの首位に輝き、ポップチャート上でも際立った存在だった。
 1970年代の終わりには、米国で最も成功した女性歌手として認識された。彼女のアルバムのセールスは凄まじく、当時彼女より多くのアルバムを売り上げていたのはエルヴィス・プレスリーとビートルズだけであった。
 1982年に、音楽評論家のスティーヴン・ホールデンは彼女を「フランク・シナトラ以来最も影響力のある米国ポップ歌手」と評している。
 1980年、ビー・ジーズのバリー・ギブによるプロデュース作「ギルティ」を発売、彼女自身最大のヒットアルバムとなった。グラミー賞も受賞した。
 1985年のアルバム『追憶のブロードウェイ』で、ストライサンドは彼女の原点であるミュージカル的な作風に回帰する。このアルバムはビルボードの首位を3週連続キープして3xプラチナとして認証され、思いがけない成功をもたらした。レコーディングのためにスティーヴン・ソンドハイムによって特別に作り直されたミュージカル・ナンバーを収めたこのアルバムは高い評価を受け、グラミー賞で「アルバム・オブ・ザ・イヤー」にノミネートされた。ストライサンド自身も最優秀女性歌手部門において、彼女にとって8度目となる同賞を受賞している。
 1991年には、『ジャスト・フォー・ザ・レコード』と題された4枚組みのCDボックスセットが発売された。このアルバムにはライブ音源やヒット曲、それに初期から1991年までに録音されたレア音源など、70曲以上が収録されている。
 1992年ごろは、音楽的成功はストライサンドにとって関心ごとではなかった。
 ビル・クリントンとの関係から、ニューヨーク・タイムズは彼女を再び「最も有力なエンターテイナー」であると宣言した。
 ストライサンドが行った資金集めのコンサートは、クリントンをスポットライトに送り込む手助けをした。
 クリントンがアメリカ合衆国の大統領に就任した際には、ストライサンドが彼を紹介している。

(チケットの値段は50ドルから1500ドルへ)
 しかしながら、政治活動のためにストライサンドの音楽的キャリアは中断していた。
 そこで、ツアーが提案され、彼女はそのために2年もの歳月に渡って話し合いを行った。
 そして、それから1年後の1993年にショー・チューンを集めたアルバム『バック・トゥ・ブロードウェイ』で再び全米チャートの1位を記録すると、同年の9月には27年ぶりのコンサート・ツアーを行うと発表した。
 この限られたツアーへのチケットは1時間未満で売り切れた。
 また、主要な雑誌の表紙も飾った彼女のツアーを、タイム誌は"世紀の音楽イベント"になると予測した。
 ツアーは全てのメディアにおいて、史上最も大規模な交渉を生む商品となった。
 チケットの値段は50ドルから1500ドルへと高騰し、ストライサンドを史上最も高価なパフォーマーにした。
 ザ・コンサートはその年アメリカ国内で最も高い収益を得たコンサートとなり、2つのエミー賞とピーボディ賞を受賞した。
 HBOでオンエアされた録画放送は、HBOのこれまでの30年以上の歴史の中で最も高視聴率を記録したコンサート特番となっている。
 1999年の大晦日、彼女はコンサートのステージに復帰する。"Timeless"と題された。
 そして、これまでのラスベガスの歴史における単独での歌手のコンサートとしては、最大級の収益をあげる記録をなしとげた。
 世紀末の時点で彼女は、デビュー以来各年代で最低2枚1位を記録したアルバムがある、アメリカ最高の女性シンガーであった。
 日本では一度も来日公演が行われておらず、未だ来日していない大物アーティストの一人である。
(参考:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

<映画クイズ>
  ▲今回「追憶」の中で
   第二次世界大戦後の有名な共産主義者狩の名称は?

 ▼前回「ちいさこべ」の中で
   茂次は子供達のためにこしらえてやった特別の部屋を、喜んだおりつはつけた部屋の名称は?

  正解
   ちいさこべや

◆◆この映画をご覧になった方は感想をお寄せ下さい
(今回はお便りがございません)

◇◇貴方のご覧になった他の<元気の出た映画・ドラマ>をご紹介して下さい
↓オススメ映画をお寄せ頂いたお便りです
【県さんのオススメ「地球防衛軍」】
 先日なぜか夢の中で似たような光景を思い出し、それが子供の頃に見た映画の一部であったことに気がつきました。
 ネットのレンタル店で探したらありました。
 子供の頃にかえったようです。
 ゴジラも見たくなりました(県)

 ☆☆県さん、お便りありがとうございました。
   巨大なロボットや円盤のキーンというような飛ぶ音、懐かしい特撮映画ですね。 
   またのお便りをお待ちしております。(映画で元気)

<データ>
「地球防衛軍」
http://www.dmm.com/rental/-/detail/=/cid=n_620tdv2604d/searchstr=pq6F3K3,0OCP1g__/mdream-008
 製作:1957年
 監督:本多猪四郎 ホンダイシロウ
 原作:丘見丈二郎 オカミジョウジロウ
 出演:佐原健二 サハラケンジ (渥美譲治)
   平田昭彦 ヒラタアキヒコ (白石亮一)
   白川由美 シラカワユミ (江津子)
   河内桃子 コウチモモコ (岩本広子)
   三條利喜江 サンジョウリキエ (江津子の母)

解説:「ゴジラ(1954)」「空の大怪獣 ラドン」に続いて製作された空想科学映画である。
   製作スタッフの中心も、前二作と変らない。丘見丈二郎の原作を香山滋が潤色、更に「遥かなる男」の木村武(1)が脚色し、「別れの茶摘み歌 お姉さんと呼んだ人」の本多猪四郎が監督した。
   撮影は「新しい背広」の小泉一が担当した。
   ほかに東宝特技班が参加している。主演は「遥かなる男」の平田昭彦、「脱獄囚」の河内桃子、「続々大番 (怒涛篇)」の白川由美、それに佐原健二などで、ほかに志村喬、村上冬樹らが助演している。
   地球を守れ!科学の力を結集した超兵器群が、宇宙の侵略者ミステリアンと一大科学戦を展開!

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