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映画で元気コミュのNO.85「れ」のつく元気になった邦画

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「連合艦隊」(レンゴウカンタイ)

<元気コメント>
 毎日が戦争の中で生きた者しか本当のことはわからないかもしれない。
 過酷な運命に委ねられながらも、日々を懸命に生きようとする姿に励まされます。 

<あらすじ>
 昭和十五年。考古学者本郷直樹は次男の真二が自分と同じく学問の道を志すことを喜んでいた。
 兄の英一は父の意に反して海軍少尉になっていた。
 一方、船大工の小田切武市は一人息子の正人が海軍兵学校に合格したので有頂点になっていた。
 十八年間海軍に勤めても下士官止りの武市は正人の将来は約束されたと信じて疑わなかった。
 一年が過ぎた。世界情勢は日毎に緊迫の色を強め、戦争の予感は現実のものになろうとしていた・・・

<データ>
「連合艦隊」
http://www.dmm.com/rental/ppr/-/detail/=/cid=n_620tdv2995r/searchstr=qsOJ3tL5o9A_/mdream-008
製作:1981年 東宝
監督:松林宗恵 マツバヤシシュウエ
出演:永島敏行 ナガシマトシユキ (本郷英一)
   金田賢一 カネダケンイチ (本郷真二)
   中井貴一 ナカイキイチ (小田切正人)
   丹波義隆 タンバヨシタカ (茂木大尉)
   佐久田修 サクタオサム (大江中尉)
   丹波哲郎 タンバテツロウ (小沢治三郎)
   小林桂樹 コバヤシケイジュ (山本五十六)
   森繁久彌 モリシゲヒサヤ森繁久弥 (本郷直樹)

解説:太平洋戦争を背景に、そこに生きた人々の愛、悲しみ、苦闘、怒りを描く。
   脚本は「どんぐりッ子」の須崎勝弥、監督は「関白宣言」の松林宗恵、撮影は「トラブルマン 笑うと殺すゾ」の加藤雄大、特技監督は「地震列島」の中野昭慶がそれぞれ担当

「どんぐりッ子」:天真欄漫なお手伝いと両親よりも彼女になつく子供との暖い交流を描く由起しげ子原作「女中ッ子」の再映画化。脚本は「大空のサムライ」の須崎勝弥、監督は「エデンの海(1976)」の西河克己、撮影も同作の萩原憲治がそれぞれ担
「関白宣言」:さだまさしのヒット曲「関白宣言」をヒントに映画化したサラリーマン喜劇。脚本は紺野八郎とかがみおさむの共同執筆、監督は「恋の空中ぶらんこ」の松林宗恵、撮影は「トラブルマン 笑うと殺すゾ」の加藤雄大がそれぞれ担当
「トラブルマン 笑うと殺すゾ」:コンピューターによって選ばれた新入社員が巻きおこす騒動を描くコメディ。脚本は常盤松次郎、中原朗、白山進の共同執筆、監督はこの作品がデビューとなる山下賢章、撮影は加藤雄大がそれぞれ担当
「地震列島」:マグニチュード7.9の直下型地震が起こり地獄と化した東京を舞台に、災害に巻き込まれる人々の様々な人間模様を描いたパニック・スペクタクル作品

<「連合艦隊」と言えば>
★連合艦隊=聯合艦隊(れんごうかんたい)
 2以上の独立した艦隊で編成された海上作戦部隊(4ヶ国連合艦隊、など)をいうが、一般的には大日本帝国海軍が編成した艦隊種別の一を指す。
 略称は GF(Grand Fleet/General Fleet)。

★聯合艦隊の始まり
 聯合艦隊は2個以上の艦隊で編成された日本海軍の中核部隊である。
 明治初期、海軍はそれまで有力艦・新鋭艦で編成された主力部隊を「常備艦隊」、老巧艦などで編成された沿岸防備のための二線級部隊を「警備艦隊」と称していた。
 しかし、日清戦争開戦がせまってくるにつれ「警備艦隊」というのは戦時にふさわしくないという意見がでてきた。
 一時は「警備艦隊」を「常備艦隊」に統合する案が出たが、当時の軍令部官房主事である山本権兵衛大佐が「警備艦隊」を「西海艦隊」と改名し、「常備艦隊」と「西海艦隊」をもって「聯合艦隊」を組織するという案を出した。
 これが聯合艦隊の始まりである。
 
★大正12年(1923年)以降常設
 日清戦争開戦の6日後にはじめて聯合艦隊が編成された。
 以後日露戦争など戦時や演習時のみ臨時に編成されていたが、大正12年(1923年)以降常設となった。
 なお、日露戦争後の聯合艦隊解散式で名文との評価が高い聯合艦隊解散之辞が読まれている。
 聯合艦隊は天皇に直属する連合艦隊司令長官がこれを統括し、軍令に関しては軍令部総長の、軍政に関しては海軍大臣の指示を受ける。
 昭和19年(1944年)のレイテ沖海戦で事実上壊滅した。

★実戦部隊のエリート
 聯合艦隊司令部には、司令長官を補佐する幕僚として、参謀長、参謀副長(S19〜)、首席参謀(先任参謀と通称)、砲術参謀、水雷参謀、航空参謀、通信参謀、航海参謀、機関参謀、戦務参謀、政務参謀、主計長、軍医長、機関長、暗号長、気象長、副官等が配置されていた。
 ただし、首席参謀以外の○○参謀は通称である。
 日本海軍といえば、長い間、聯合艦隊が代表であり、戦艦など主力艦はいうに及ばず、駆逐艦、輸送艦のような補助艦まで、大多数が聯合艦隊に取り込まれた。
 また、聯合艦隊こそが実戦部隊のエリートであり、そこに有能な人材を集中し、局地警備部隊や海上護衛部隊の人材育成を軽視した。
 補給軽視は、日本陸軍と同じである。その結果、本来、海軍の重要任務になるべき海上交通、シーレーンの確保に充当すべき艦艇と人材に不足を来たしてしまった。
 日本海軍は、戦艦中心の艦隊決戦の思想を残しながらも、空母機動部隊を編成し、斬新な艦隊運用のさきがけとなった。

★航空部隊の援護なしの無謀な突入作戦
 海軍航空隊の育成も、戦艦による艦隊決戦、次いで空母艦隊決戦を目標としていた。
 空母艦隊決戦の思想は、1944年6月のマリアナ沖海戦の敗北で、放棄されたが、1944年10月のレイテ沖海戦まで、聯合艦隊中心主義の艦隊編成・運用をおこなった。
 聯合艦隊中心主義の結果、海上護衛部隊、対潜哨戒部隊(ハンターキラー)の編成に遅れをとった。
 1945年4月の戦艦大和以下第二艦隊の沖縄への海上特攻は、第二艦隊を解散するいう決断ができないままに、レイテ沖海戦と同じく、航空部隊の援護なしの無謀な突入作戦を繰り返しであった。
 沖縄戦に敗北すると、生き残った残った戦艦「長門」のような大型艦艇は、事実上、局地警備隊の海岸砲台として使用された。
 そして、特攻兵器「回天」「海龍」「震洋」などを配備した特攻隊が海軍の主力艦艇となっていた。
 戦争末期、聯合艦隊は、事実上、解散していたのである。

★聯合艦隊旗艦が出撃した海戦
 日清戦争
 黄海海戦(明治27年(1894年)9月17日)- 旗艦:防護巡洋艦 松島
 威海衛海戦(明治28年(1895年)2月12日終結)- 旗艦:防護巡洋艦 松島
 日露戦争
 黄海海戦(明治37年(1904年)8月10日)- 旗艦:戦艦 三笠
 日本海海戦(明治38年(1905年)5月27、28日)- 旗艦:戦艦 三笠
 太平洋戦争(大東亜戦争)
 ミッドウェイ海戦(昭和17年(1942年)6月5〜7日)- 旗艦:戦艦 大和

★歴代司令長官
(代)-(氏名)-(就任時階級)-(就任年月日)
伊東祐亨 - 中将 - 明治27年(1894年)7月19日    
有地品之允 - 中将 - 明治28年(1895年)5月11日     
東郷平八郎 - 中将 - 明治36年(1903年)12月28日  
東郷平八郎 - 大将 - 明治38年(1905年)6月14日
伊集院五郎 - 中将 - 明治41年(1908年)10月8日
吉松茂太郎 - 中将 - 大正4年(1915年)11月1日
吉松茂太郎 - 中将 - 大正5年(1916年)9月1日
吉松茂太郎 - 大将 - 大正6年(1917年)10月1日
山下源太郎 - 大将 - 大正7年(1918年)9月1日
山下源太郎 - 大将 - 大正8年(1919年)6月1日
山屋他人 - 大将 - 大正9年(1920年)5月1日
栃内曽次郎 - 大将 - 大正9年(1920年)8月24日
栃内曽次郎 - 大将 - 大正10年(1921年)5月1日
竹下勇 - 中将 - 大正11年(1922年)12月1日
鈴木貫太郎 - 大将 - 大正13年(1924年)1月27日
岡田啓介 - 大将 - 大正13年(1924年)12月1日
加藤寛治 - 中将 - 大正15年(1926年)12月10日
谷口尚真 - 大将 - 昭和3年(1928年)12月10日
山本英輔 - 中将 - 昭和4年(1929年)11月11日
小林躋造 - 中将 - 昭和6年(1931年)12月1日
末次信正 - 中将 - 昭和8年(1933年)11月15日
高橋三吉 - 中将 - 昭和9年(1934年)11月15日
米内光政 - 中将 - 昭和11年(1936年)12月1日
永野修身 - 大将 - 昭和12年(1937年)2月2日
吉田善吾 - 中将 - 昭和12年(1937年)12月1日
山本五十六 - 中将 - 昭和14年(1939年)8月30日
山本五十六 - 大将 - 昭和16年(1941年)8月11日
古賀峯一 - 大将 - 昭和18年(1943年)4月21日    
豊田副武 - 大将 - 昭和19年(1944年)5月3日 
豊田副武 - 大将 - 昭和20年(1945年)5月1日  
小沢治三郎 - 中将 - 昭和20年(1945年)5月29日

◆◆この映画をご覧になった方は感想をお寄せ下さい
↓NO.84「類猿人ターザン」をご覧になってお寄せ頂いたお便りです
【5/6(日)類人猿と勘違い】
 前に検索していたら中々出てこなかったのですが、「類猿人」を「類人猿」としていたためでした。
 人に似ている猿ではなく、猿に似ている人だったんですね(同じ人類)

 ☆☆同じ人類さん、お便りありがとうございました。
   確かに検索では入力の勘違いで欲しいデータが出てこないことがよくありますね。
   またのお便りをお待ちしております。 (映画で元気)

◆◆この映画をご覧になった方は感想をお寄せ下さい
↓NO.84「類猿人ターザン」をご覧になってお寄せ頂いたお便りです
【5/6(日)あのアーアアー声という声が】
 不思議な声だった。
 たぶんテレビでそれが流れる度に何度も真似をしたし、縄にぶら下がって木から木へ渡ろうとして落っこちたり。
 いやはや、楽しい時代だった。(愛媛 大久保)

 ☆☆愛媛の大久保さん、お便りありがとうございました。
   お話からすると、同世代の方でしょうか。
   似たような思い出があります。 
   またのお便りをお待ちしております。 (映画で元気)

◇◇貴方のご覧になった他の<元気の出た映画・ドラマ>をご紹介して下さい
↓オススメ映画をお寄せ頂いたお便りです
【藤川さんのオススメ「流転の王妃」】
 テレビで見て感動し、さらにDVDになってからも見ました。
 尊き方もご苦労が多かったのですね。(藤川)

 ☆☆藤川さん、お便りありがとうございました。
   ご存知かもしれませんが、京マチ子、船越英二主演で1960年に大映で制作された「流転の王妃」もありますよ。
   またのお便りをお待ちしております。(映画で元気)

<データ>
「流転の王妃・最後の皇弟 第一夜」
http://www.dmm.com/rental/ppr/-/detail/=/cid=n_914dmsm5525/searchstr=q8,1h8L405Twuw__/mdream-008
製作:テレビ朝日
監督:藤田明二
原作:愛親覚羅浩
出演:竹野内豊 常盤貴子 反町隆史 江角マキコ

解説:テレビ朝日開局45周年記念のスペシャル番組として2日間にわたり放映された、竹野内豊、常盤貴子他、豪華キャスト出演によるドラマ史劇第一夜。
   日本と中国を舞台に、時代に翻弄されながらも生き抜いた夫婦の壮絶な人生の物語が始まる。

「流転の王妃」
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00005GEK0?ie=UTF8&tag=eigadegenki-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=B00005GEK0
製作:1960年 大映
監督:田中絹代 タナカキヌヨ
原作:愛親覚羅浩
出演:京マチ子 キョウマチコ (呼倫覚羅竜子)
   船越英二 フナコシエイジ (溥哲)
   竜様明 (溥文)
   金田一敦子 キンダイチアツコ (皇后)
   沢村貞子 サワムラサダコ (菅原和子)

解説:満州国皇帝溥儀の弟、溥傑氏の妃として波乱の半生を送ってきた愛新覚羅浩の自伝の映画化。
  「野火」の和田夏十が、脚本を書き「乳房よ永遠なれ」以来、久しぶりに田中絹代が監督した。
  撮影は「かげろう絵図」の渡辺公夫

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