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フロイト主義。freudianコミュのフロイトの判断論について

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フロイトの論文「否定」(1925)を読みますと、フロイト特有の面白さでもあり、一般的に認められ難い特質があるように感じます。

フロイトは、この論文において、快−不快(善−悪)に根ざした〈快感−自我〉による判断機能と、ある表象が現実に存在するか否か(現実吟味)を決定する〈現実−自我〉による判断機能を区別しています。

「非現実的なもの、表象しただけのもの、主観的なものは、〈内部〉だけのものである。一方の現実的なものは、〈“外部”〉にも存在している。この発展段階では、快楽原則は考慮されない。」

そして、後者の“快感原則は考慮されない”判断機能とは、《否定》表象を介した結果であるとし、このように述べます。(少々長いですが、引用します。)

「判断の研究によって初めて、原初的な欲動興奮の相互作用から知的な機能が発生するプロセスについて、洞察を得ることができるだろう。自我の中に取り込むプロセスと、自我から排除するプロセスは、快感原則に従って行われるのであるが、判断はその目的に適った形で、このプロセスをさらに進めるものである。この両極性は、われわれが想定した二つの欲動グループの対立関係に対応するものと思われる。肯定は、自我との統一に対応するものであり、エロスに属する。否定は排除を引き継いだもので、破壊欲動に属する。……しかし判断の機能が実行できるものとなるのは、否定の表象が作り出され、これによって思考が抑圧されたものの結果から初めて独立性を獲得し、同時に快感原則の強制からも解放されてからのことである。」


フロイトは、驚くべきことにここで、“否定は排除を引き継いだもので、破壊欲動に属する”と言っているのです。

このようなことを区別することにより、一体何が浮き彫りになるのでしょうか?

そして、“排除を引き継ぐ”とは、一体どのようなことなのでしょうか?(そして、快感原則に基づいて“排除をする”側との違いはどのようなものなのでしょうか?)

コメント(12)

朧さん

ラカンの理解も正しくありませんが、フロイトの読みも間違っていますね。

「エロスとはタナトスに従属するものであり、これは“排除する”側と“排除を引き継ぐ”側の関係(対立)であるように思うわけです」。

排除する側と排除を引き継ぐ側との関係は対立ではありません。

よく読んでください。

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