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Contemporary Art of KOREAコミュのあらためて光州ビエンナーレ

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左[Arnoud Holleman, Untitled (Staphorst), 2002 Video, black-and-white, silent, 4:30
© Arnoud Holleman, Courtesy The Stedelijk Museum Amsterdam]
中:[Harold Edgerton, Bullet Through the Apple, 1964
C-print, 51 x 61 cm Courtesy Palm Press, Inc. ]
右:[Liu Wei, Unforgettable Memory, 2009 Video, 12:45 ©Liu Wei ]



2010年、韓国は日本による併合(1910年)から100年、朝鮮戦争勃発(1950年)から60年、光州事件(1980年)から30年という節目を迎えた。
それぞれ朝鮮王朝による君主国家から列強による支配と文化・言論統制、民族分断、独裁国家から民主化へ、という、重要な国家的・歴史的マイルストーンである。

良く知られているとおり、光州はそのうち光州事件の起こった都市である。
朴正煕暗殺後に沸き起こった民主化運動の中、光州では学生と市民による民主化デモが暴徒化、軍による一斉射撃や殴打で一般市民が多数殺害され、制圧後は民主化運動の旗手である金大中(彼の逮捕が事件のきっかけとなった)が死刑判決を言い渡されるなどの影響がでた。
韓国内のマスコミは当時の最高権力者・全斗煥による言論・報道統制によって、何が光州で起こっているか全く報じていなかった。
しかしその一方で、無抵抗にも関わらず軍の兵に棍棒で殴られようとする一般市民、市民デモ、射撃により殺害された一般市民の遺体など、写真や映像で数多くのイメージが残っている。
これらは韓国が民主化を経て初めて、国民たちが目にできるようになった。


こういう背景を持つ土地である。
ゆえに、光州ビエンナーレはもとより反保守的でジャーナリスティックな視点を強く持つ展覧会である。
そうでなければ、光州という土地や市民たちのアイデンティティとは共感しえない。
芸術総監督は、ニコラ・トラサルディ財団のアーティスティックディレクターを務めるマッシミリアーノ・ジオーニ。ニューヨーク新現代美術館の特別展示主任も兼任しながらの仕事となった。
光州のような、背景が重大でその国の歴史的・政治的要素までも背負わなければならない展覧会を行うというのは、光州ビエンナーレを主催する財団側にとってもジオーニ氏側にとってもリスキーで困難なことだったろう。
しかし2008年の光州ビエンナーレ芸術監督に決定していたシン・ジョンア元東国大教授の学歴詐称事件によるマイナスイメージを払拭することも、今光州ビエンナーレに必要な要素であったのだろう。
財団と展示チームは皆韓国人だが、キュレートやアートディレクション、コーディネートはすべて外国人というチームが出来上がった。

このチームがうまく機能したのだろう。
結果的に地域性に集約しがちだった内容から一皮むけたビエンナーレへと発展した。
イメージが人に与えるもの、イメージを与えられた人間、解釈の後吐き出されたもの、そしてその再解釈…永遠に続くこの作業が、その時々の歴史を作っていく、その生き物のように姿を変えるイメージと歴史についても、また考えるという作業を人に生じさせる。
放出してもしきれず内にこもる熱のようなものが残る展覧会だった。
それらの作品を見れば見るほど、結局自分にイメージを取りこみ、自己の好きに印象付けてしまうというのは、人間である限り避けられない事だからだ。


ジオーニ氏はサブテーマに「家族アルバム」「イメージの博物館」を挙げている。
それは「万人譜」という今展のメインテーマとジオーニ氏が提示したかった「イメージそのものと、イメージと人の関係」が融合するキーワードである。
そして数多く展示された写真や映像によるイメージに、例えば我々はかつてこの世に存在したであろう人々の人生を覗き見ることができる。
しかしそれらは決してセンチメンタルなものだけではない。
ジオーニ氏が「現代人は病的なまでにイメージにとらわれるiconophilia(イメージ愛好症)に苦しめられている」「我々はイメージに安らぎを探し、崇拝し、渇望し、消費して、また破壊する」とあいさつ文で述べているように、我々は個人や集団に関わらず、イメージに対する欲望や暴力をも持ち合わせている事を突き付けられるのである。それが政治的なものであろうとエンターテインメントであろうと趣味であろうと。


なお、メインテーマの「万人譜(10000Lives)」であるが、これは韓国で著名な詩人・高銀(コ・ウン)の全30巻、4001篇に及ぶ巨編詩集のことで、1986年に第1巻が出版されてから、今年4月に25年を経ての完成となった。
この巨編が編まれるきっかけとなったのは、高銀自身が光州事件の先導者として逮捕・収監されたことである。
この巨編では、高銀が収監された牢獄での精神的葛藤と、彼の琴線に触れた人々、光州事件の整理を中心として韓国が民主化へと歩む歴史をも綴っている。
例えば光州事件のあと初めてこの事件について書かれたといわれる詩「ああ光州よ、我が国の十字架よ」を綴った詩人を題材にした「金準泰(キム・ジュンテ)」、盧武鉉前大統領の自殺を扱った「ポンハ落花岩」(ポンハとは、盧武鉉前大統領が身を投げた山がある地名である)。


この詩集は読む者に自由とそれに命を賭した人々とその家族、それらを飲み込んで行った歴史と人々の欲望に思いをはせながらページを繰らせてくれるし、本ビエンナーレも同じ要素を持っている。だがそれだけではない。
人間の欲望を含んだ歴史と政治、それらを記録したイメージ、イメージに対する人間の欲望、欲望に沿って与えられるバイアス、これら全部に翻弄される人間、そしてそれらを記録するイメージ。
会場内で観覧する我々をも含めてその渦の中にいることを知らされる。

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個人的に印象に残ったものを羅列していく。
アルナウルト・ホレーマンの「Untitled(Staphorst)」。
オランダの原理主義改新教の村で女性たちを撮影しようとするカメラ、ひたすら顔を写されまいと顔を隠す女性たち。超スローでこの映像を放映している。
我々は女性の顔を見たいという欲望のみならず、そういった彼らの行動を興味深く見てしまう。

チェ・ゲバラの処刑後、ボリビア政府軍の将軍による遺体検証写真も、人物の配置等の構成が綿密に決められたものであったことが語られる、ロアンドロ・カッツのドキュメンタリー映像「あなたが私を愛する日」。
左翼勢力の力を抑えるために配信された写真であるが、人物の配置、生きているようなゲバラの姿に、人々はピエタを、復活を見た。
ゲバラの死にざまを、我々は欲しているわけである。

テディベアと子供、または家族が映った写真に依存症的に執着し何千枚と集めたものを展示したイデッサ・ヘンデレスの「パートナー」。

韓国で最初に人物を対象としてカラーの商業写真を撮ったキム・ハニョンの広告写真シリーズ。

ハロルド・エジャートンの「アンティーク銃発射」。

ダンカン・キャンベルの「Bernadette」、「北アイルランドのジャンヌダルク」ともてはやされ、若くしてイギリスの国会議員になったアイルランド人の運動家、ベルナデット・デブリンという女性のドキュメンタリー映像をつなぎ合わせ、一編の映画になっている。世間のキャンペーンにかつぎだされ、いつもカメラに囲まれ記者団にマイクを突き付けられているが、1人になると陰鬱な表情を浮かべている。

ハンス・ペーター・フェルドマンの「9/12(新聞)1面(細部)」。
世界貿易センターテロの次の日にだされた、全世界の新聞の一面が室内中に張られていた。
限られた、同じようなイメージがでかでかと張られている。
韓国や日本の新聞はなかった。

リュー・ウェイの「消せない記憶」。
2005年6月4日、かつての天安門事件の日、作家は中国の一番の最高学府である北京大学の学生にインタビューを試みる。
「今日は何日ですか?」
学生は「6月4日」と答える。
「何の日ですっけ」
ともう一度聞くと、学生たちはほとんど「言いたくない」「知らない」「録画するな!」と動揺する。なかには「学生運動記念日でしょう」という者もいるが、それ以上の意見をいう者は皆無である。
また、装甲車の前に何も持たずに立ちふさがる学生を写した世界的に有名な写真を見せても「戦車だ」というだけで、「人なんかいる? 分からないな」とうそぶく彼ら。
中国の屋台骨を支えるであろう大学で学ぶ学生たちが、ことごとくこれである。
作者は中国の内政について訴えたいのかもしれない。
だがこれはどこの国でも集団でも起こりうることであろう。
しかし彼らが拒否感を示せば示すほど、この日が誰の頭にもこびりついた日だという事が分かる。

ジャン・エンリの「通り過ぎてください、ここにはなにもありません」。
家具も何もかも取り払われ、誰もいないアパートを模したインスタレーション。
だが、どこに何があったのかは歴然で、日焼けや水あか、手あかによる染みで、すべての家具やトイレ等の形が浮かび上がる。
そしてそこにいた人々の息遣いや生活がありありと浮かんでくるのだ。

イェ・ジンルーの「トン・ビンシェが見つけたアルバム」。
ロンドンの写真館で撮影された辮髪をした中国人紳士の写真。撮影年は1901年、それから1968年まで、毎年彼は自分の自画像を撮り続けている。
1901年に自分の写真をロンドンでとれるなど、また服装を見てもかなりの富裕層に違いない。しかしそれから激動の67年を経ているというのに、1年も怠らず取り続けている。
人物のファッションは時代とともに変遷を遂げる。辮髪はなくなり、女真族独特の服装もなくなる。人物も年をとっていくし、写真館の背景もどんどん変わる、人物のポーズの取り方も変わっていく。
しかし厳然と変わらないのは、彼が毎年自身の写真を撮り続けているという事なのだ。

チェ・クァンホの「My Family」、34年間自分の家族を撮り続けた写真である。
彼は元々物を写したCプリントにパンチで穴をあけてインスタレーションする作品で名をはせた作家だが、この連作はストレート写真である。
非常に親密で濃度の高い家族写真ばかりが続く。
本来他人であるはずの家族の嫁も含め、妊娠している時の写真、生まれたばかりの赤ん坊、それに対し死にゆく年配者、その死に顔、韓国独特の方法で行われる埋葬。
年配者のみならず全ての家族の死に顔を写しており、親戚の結婚写真のすぐ横に、何があったのか新郎がもう葬儀用の麻布に包まれている。
その死に顔はいずれも何か重りを下ろしたように、安堵に包まれている。

ゴダールの「映画史」。
10年ほど前に全編見たことがあるし、4時間半の長編のためほぼ見ていないが、イメージと映画というメディアによるイメージ史を扱ったものとしては有名すぎる作品だろう。


国内外134名の作家が作品を出しているため、いつものことながら作品が非常に多い。
ゆえに展示室別にテーマが決められている。
【ビエンナーレ館】
・1展示室 : イメージの創造、イメージの提示、写真
・2展示室 : イメージの構成、イリュージョン
・3展示室 : 記憶の空間、記念、生存としてのイメージ
・4展示室 : メタファー対象のイメージ
・5展示室 : 記憶のイメージ
【光州市立美術館(1、2展示室)】 : 自画像と自己再現
【光州市立民俗博物館(企画展示室)】 : 歴史と記憶
【良洞市場】 : 市民参加イメージと小品

なお、日本人は佐藤允、大竹伸朗、実験工房(最近松本俊夫の映像が韓国で紹介されることが多い)、山口勝弘が参加している。


※ちなみに非常に些末なことだけれど、管理人はPeter Fischli & David Weiss「Visible World」に設置された3000枚のポジフィルムのうち、一番端にあった日本を映したフィルムがことごとく裏返しだったのが気になりました。

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