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司馬遼太郎コミュのみなさんのご意見は?

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はじめまして。
2年前「竜馬がゆく」を読んでから「翔ぶが如く」、「坂の上の雲」などなど
司馬作品にどっぷりのYasuと申します。

どの作品も司馬さんの世界に引き込まれあっという間に制覇してきたのですが、
「関ヶ原」「城塞」の腹黒い家康やその家臣達がどうしても好きになれず、
読むのに苦労しました。
個人的には司馬さんの家康に対する評価(好みの問題?)は低いのではないかと
思いますが、みなさんはどうお考えでしょうか?

コメント(28)

好き嫌いは別として、司馬さんの家康に対する評価は決して低くないと思いますよ。

ただ、誰との対談の時かは忘れましたが、大久保利通と並んで、玄人向きの人だとは言っていたと記憶しています。
ボクは本当は、秀吉の大大大ファンなんですが・・。
3のひがきんぐさんの書き込みで思い出しました。


朝日文芸文庫『対談集 東と西』の中に、ライシャワー博士と司馬先生との対談があります。
「日本人物史談」という題で、日本史上の人物について語っているのですが、
その中に

「家康―日本人の秩序感覚と地方自治を築く」という対談があります。

少し抜粋すると

「家康の場合、たとえば(大名の)配置だけでなくて、自治という点でも、
秀吉ならばやらなかったかもしれないことを、慎重にやった。端的な例が
薩摩藩という、当時としては均質的な他の諸藩にくらべて多少の異風さを
もった藩の自治さえ、完全といっていいぐらいに認めてますね。」

「家康の(藩配置の)配合は実にうまくできている。」

「単一民族で単一文化というところに、少しバラエティーを持たしたのも徳川時代ですねえ。」


結論として。

「家康は玄人しかわからないんですよ。秀吉の生涯は劇的だし、
それに中年以後は自分で意識して多分に劇的に自己を演出している。
それに陽気ですしね。ちゃんと観客を持っている。素人でわかるんだと思います。
 
 家康はやっぱり玄人じゃないとわかりにくいですね。」とあります。


この対談を見る限り、家康の評価は低くないと考えますが、いかがでしょう?
逆に、秀吉ファンは素人だと言われてるようで、悲しい涙

あくまで個人的な感想ですが、司馬先生の好みというよりは家康の後半生がそういう人物だったということのように思えます(若い時はそうでもないんですが、関ヶ原の時は既に五十代と、いい感じに熟成されていましたし)。イコール評価が低いということではないと思います。人物に寄りすぎないのが司馬先生の持ち味でもありますし。
個人的には『馬上少年過ぐ』の方が辛いな〜と感じてしまいます。まあ、同じことなのかもしれませんが。
どちらかといえば、司馬先生個人としては『城塞』を読む限りあまり好きではなかったのかもしれませんね。確かにやり方から考えたら非常にえげつない所がありますし、司馬先生自身もこの点で後世の家康観も『たぬきオヤジ』というあまり印象が良くないイメージがついたと述べているくだりがあります。ただ私個人としては結構子供っぽさがぬけないが醒めたら非情な現実主義者というイメージがありますね。鎖国が家康からではなく、孫の家光から始まったのであり、それまでは日本史上まれにみる日本人自身の大航海時代を迎えていたという点も皆さん考えてみてはいかがでしょうか?
「覇王の家」は読むと徳川家康のことはよく分かっても、なんか面白味に欠けるんですよね。
この原因はそれまでの「竜馬がゆく」「燃えよ剣」「花神」「峠」のように
歴史に埋もれた人物を発掘して魅力を伝えようというスタンスではなく
司馬サンが最も初期に書いた史伝小説だと思いうので、客観的に家康を分析しようという点にウェイトが高かったからだと思います。
言うなれば「家康は能力が高いが面白味に欠ける人物」という見方をしていたのではないでしょうか?

同じ類例では大久保利通もそれに該当すると思います。
世間ではあまり印象が良くなかった石田三成や黒田官兵衛を見直した
「関ヶ原」「播磨灘物語」でどちらかというと家康が活き活きとしていて
二人とも家康の敵役を担っているあたりが司馬サンの好悪が出ているのでは
ないでしょうか。


「功名が辻」の中で、それまで「律儀の三河殿」と信頼されていた家康が秀吉の死の前後から人変わりしたということを書いています。
司馬遼太郎さんの「関が原」や「城塞」、そして「功名が辻」を読む限りでは、やっぱり決して好印象は持っていなかったと感じます。関が原後から豊臣家に対して行なった仕打ちの数々は「犯罪に近い」みたいな表現もあったと記憶しています。

ただ、それが評価が低いとは結びつかないと思います。
むしろある意味では評価はすごく高いと思います(その生き方、スタンスを共感してはいないだけで)
皆さんのおっしゃるとおり、評価は低くはなく、高いですね。
わたしの表現が間違っておりました。
ただ、司馬さんは家康を好きではなかったとやはり思ってしまいますね。
好きでなければ、小説の主人公にはしないのではないでしょうか?

家康は、日本の財界人の間では評価が高い人物です。
264年継続という礎をつくった能力が買われていると思います。

私は個人的には好きではありません。

戦国より幕末の人物の方が魅力的です。
家康は覇王の家で別途描かれているように、家康もまた異常人であると描いてたと思います。
決して評価は低くはないのですが、判官贔屓、大阪人、という事から、その才能を認めても、好きになれなかったのかも知れません。わたしもそうなので、非常に共感しています。
逆にそういった好悪の感情を表さない人はつまらない人か人物のどちらかだと思います。
そうですねぇ.. 家康は知っていたんだと.. 徹底的にやらないとまた乱世がやってくることを。 歴史の側面で 時代にとっては非情といわれようが鬼といわれようが「徹底的」になんとかしないといけない時があるんだと思います。涙 それを家康がどのように実行していったかをリアルに伝えるために ああゆう書き方になったんではないでしょうか..ボケーっとした顔 決して家康嫌いではなく ここまでやったからその後の270年があったんだと  家康は過去の歴史で中途半端な情がまた大きな混乱を招いたことを知っていて「非情」に徹したんだと思います。 それはそれで 家康に対する司馬さんの高評価な気がします。
失礼しましたあせあせ(飛び散る汗) 
 
私は小学4年の時に、まさに「関ヶ原」「城塞」を読んで司馬ファンになりました。
なので、人それぞれに感じ方が違って、いいな、と思います。

司馬さんは、半藤一利なんかも言っていますが、
好きになった人物しか主人公として描いていないはずです。
ですので、ろくな人物がいなかった昭和の物語が書けなかったのだと。

私は、「関ヶ原」「城塞」ともに、むしろ家康の相手方に痛く失望したクチです。
戦いに負けても結局は屈服させた秀吉とは比べ物にならない小物だと。
司馬さんご自身が何かのエッセイ(『街道を行く』?)で書いていたとおり、
あまりにも実力が違いすぎて、そのことで反発を覚えてしまうかもしれませんね。
家康は模倣する人だったということをどこかで司馬先生が書いていたと思います。そして、信玄には学ぶところが多かったと。(具体的な箇所が分からず申し訳ないですが。)
持って生まれた能力は信玄のみならず、信長や秀吉に劣るかもしれませんが、自分より優秀で創造力のある者から学びそれを生かすという点では特に優れていたという評価になるのではないかと思います。
私は関ヶ原も城塞も家康の腹黒さを楽しみに読みましたよ。
司馬作品を全部読んだ訳ではありませんか、大村益次郎や、黒田如水など先生は無私で欲がなく頭が良い(その事がかえって災いして天下をとれなかった)人物が好きな印象を受けますね。個人的には大久保の事も西郷の事も好きではないかと思います。要は成功を手に入れる立場にいながらに最後は成功を手に入れられなかった人物という共通点が見えてくるような気がしてきます。
そう思うと家康は最後まで成功しちゃったものだから先生も執筆して面白みにかけていたのかもしれませんね。
関ヶ原自分も読みました。(結構前なのですが)
たしかに心情的には石田光成や島左近に入れ込みたくなる作品ですよね。
ただ個人的にはこのときの家康は腹黒いというよりは老練という印象が強かったと思います。(ちなみに
本多正信もです)
特に鳥居元忠との伏見城篭城前のやりとりは、今でもよく覚えています。


家康から始まった江戸時代が、どちらかというと「閉鎖的」「陰湿」「序列社会」といったマイナスのイメージが付きまといやすいと思います。
氏の作品にも「新入りをいじめる文化がこの時代に醸成された」といったような記述が見られたりします。
氏も経験された、陸軍内の新兵いびりの世界のルーツのような時代を「切り開いた」家康や徳川家を描くときに、少し距離を置いてしまわざるをえなかったのではないか、と想像します。
「関ヶ原」「城壁」
爽やかさが無く無理exclamationでした、
滅び行くものに愛着を感じます指でOK

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