[注2] Om namo Buddha gyani: これを salute to the wise Buddha と訳すのだとすると少々疑問があります。Om namas shivaaya (オームナマシヴァーヤ:オーム 平伏す シヴァに)という言葉を聞いたことがありますか?これと全く同じ語法の筈なのですが、だとするとbuddha gyaanine としなければなりません。文法に則して訳すと「オーム、平伏す、智慧の仏陀よ!」になります。正式なサンスクリットの文法ではなくネパール語的に変化しているかもしれません。ヒンディー語と同じなら、文法上の格は、語尾変化ではなく後置詞(前置詞のようなもの)で表現するので、そのように考えておきます。
Namobuddha:namas + Buddha で namobuddha(ナモーブッダ)になります。 サンスクリットでは発音を円滑化するために単語間に音変化が生じます。これを連声といい、この法則を知らなければサンスクリット文は一語たりとも読めないとさえ言われています。 Namas(ナマス):おじぎ、祈り、礼、崇敬、礼拝 Namobuddha:仏陀を拝する・・といった意味でしょう。 Gyani→jnyaanii(ジニャーニー、ギャーニー)jnyaanin(ジニャーニン):有識の、学識豊かな、
[注3] レーメドゥヘーヤ(Remedhheya)のレベル: 一番初めのnews、たしかロイターのものだとおもったのですが、 After five days it was opened and he spoke. "Tell the people not to call me a Buddha. I don't have the Buddha's energy. I am at the level of rinpoche [lesser divinity]. と記述されていた事もありました。 訳すと、仏陀のエネルギーは得ていず、リンポチェのレベルにあると言っていることになります。 リンポチェはチベット仏教の高僧の位を表しています。 ダライラマは観音菩薩の化身だそうですから、菩薩の方がリンポチェより高い境地なのでしょう。そして更に仏陀(悟り)の境地があるのだと思います。 パルデン・ドルジェは現在リンポチェまたは菩薩の境地にあって、buddhahood(悟り)の境地を目指している修行者ということになります。
実際そんなに褒められたものでも無いです。文中数カ所、原文の意図が組みきれず、かなり拡大解釈した部分もあり、はたまた、純粋に日本語として質の良くない作文をしていたりして、後で読み返すと正直赤面したしたりして、正直原文とゆっくり読み比べられたら、たまったものじゃないなと思います。ただ、かの地ネパールで、出版されているという『?Ascetic Palden Dorje of Kalki」の大まかな内容は何とか日本語に変換できたと思います。