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再来コミュの「カルキである智慧の苦行者パルデン・ドルジェ」

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人間というものは常に新しい事象に魅せられ、心はそれを学ぶ誘惑に駆られ、毎瞬変化する。そして、その心に浮かぶ考えは彼を正い方向に導く。


噂というのもは、干し草に放たれた火の様に拡がる。
この噂はラトナプーリ(Ratnapuri)に出現した苦行者のもので、正直、私達も最初は信じる事ができなかった。
ところが、実際にラトナプーリに赴きその場をみてきた者の話を聞くにつれ、ただの噂は、半ば信じれる何かになってきたが、実際、完全に信用するには多少の時間がかかった。
なぜなら、こういった話は往々にして噂であることが多いからである。
そうしている間にも、人々は車をハイヤーし、その噂の場所に赴き、そして同じことを私に語り聞かせる。
時には大勢の人が語ることを信じることも必要かもしれない、と思い、私は、その噂をこの目で確認するべく、友人を従え、その地へと向かうことにした。
そして、そこで実際に聞いていた以上の物を見ることになった。
その場所は、私の目には純粋に苦行者達の為に作られた土地のように映り、実際、とても魅力的なものとして感じられた。

私の「視野」は、私と旅路を共にした友人たちとシェアしている。
この思いは、私に何かこの件に関してポジティブな事をしようと思わせた。

2005年11月25日(Kartik 9, 2062)。
この思いは、その苦行者と彼が瞑想をするその場所に関する出来るだけの情報を集るため、私達を偉大な苦行者のいるラトナプーリへと導びいた。
私たちは、近所の者や友人、近親の者達を尋ね、彼の両親とそマクワンブルにある苦行者の家に関する情報を集め、それを纏め上げた。
更なる情報の収集はまだ続いており、まだ進行中の調査もあるのだが、まずは、私たちのこの試みに対して多大な援助をしてくれた友人に深い感謝を表したいとおもいます。
そして、この件に関するコメントなどあれば歓迎いたします。



教典によると、ネパールは、聖者や賢者の献身瞑想の地といわれ、ネパールにおける万象、そしてその多様性は、特有の宗教的な意味を帯びている。
ネパールは、ただ単に神や女神の住む地ではなく、宗教的な意味を持つその土地や、巡礼者の旅の歴史は、壮麗な文化財産として受け継がれ、我々はそういった、苦行や禁欲によって得た知識の光を放つ聖者賢者の子孫と言うことができる。
私たちは常に何か人類に有益な事をするよう心がけなければならない。
そして、清い行いを実践し、平和と調和の中に生きなければいけない。
私たちは、2560年前にゴウタム・シッダルタ(Siddhartha Gautam)によって示された非暴力の教えを生きなければならない。
パルデン・ドルジェは、この21世紀の夜明けにおいて、深く瞑想に耽り、このメッセージを啓示している。


賢人によって示される道が、社会のネガティブな側面をそっくり取り除いてしまうのは、あたかも太陽が暗闇を追い払うかのようである。
この生ける例が、バラ郡、ラトナプーリ自治区の第五区、バンジャー(Bungjar)に生まれたパルデン・ドルジェ(Palden Dorje)その人である。
この若き苦行者は、1989年5月9日(Baisakh 27, 2046)、満月の夜、この世に生を受けた。
両親や近所の者によると、例えば、礼拝の儀式を見るのに夢中になったり、菩提樹に対する敬慕の誓いをしたりと、彼の幼少時代には他の子供とは大きく異なる所が見受けられたという。
当時から、彼はおとなしく穏やかな性質であり、そのためか動物の屠殺や暴力を避けていた。 
近隣の人々を含む、彼の家族の全員は、そういった彼の奇妙な言動を見るたびに、カピルヴァストゥ郡(Kapilvastu)ティラウラコット(Tilaurakot)に育ったゴーダマ・ブッダ(GautamBuddha)の幼少時代にも通ずるものを見つけ驚いた。

彼が4-5歳の頃には、自分の碗を袖に置き、他の人が食べ終わるまで手をつけなかったり、また、その椀が汚されるような事があれば、彼は一日中空腹で切ることを厭わなかった。
一度空腹を満たすと、決して余分は欲しがらず、いぶかしがって両親が尋ねれば、彼はただ微笑み、空腹ではない事を告げるのだった。
そして、友人家族、誰とも決して口論することはなく、いつも物思いに耽っているように静かだった。


[彼の母親は彼が生まれた場所を見せてくれた。]



彼の教育は、バンジャーにあるシュリー・ネパール民族初級小学校(Shree Nepal Rashtriya Primary School)に始まったが、しかし、すぐにチトワン自治区(Chhatiwan VDC)第8地区に住むラマ僧、ソン・バハドゥール(Som bahadur Lama)からパンチシール (Panchsheel)[注1参照]を授与された。
彼の教育は、彼の両親が彼を私たちの手に預けたところから始まったのです....と、彼の教師であるソン・バハドゥールは語り始めた。

「彼は私の言葉に決して逆らうことがありませんでした。かれは、友好的であり、社交的であり、そしてその同じ遣り方をもって勉学にも励みましたが、同時に、本を読むことよりも、瞑想をすることにずっと心惹かれるし、興味もあるとも言っておりました。彼は、パンチシールを授与されたのですが、その授与式では9人の生徒が選ばれ、髪を剃り上げてから儀礼に望むのが慣わしなのですが、彼は髪を剃ることを躊躇していました。」

これは、彼のグル、ラマ僧ソン・バハドゥールが、パルデン・ドルジェとの会話の記憶から語ったことであるが、同じように、彼は、パルデン・ドルジェを1ヶ月間洞窟に籠もらせた時の事を思い出し、話し出した。

「2年間の勉学を完了した後、ブッダ生誕の地であるルンビニ(Lumbini)へ9人の伝授者を連れて行った。9人のうち、8人の伝授者は帰ることになったのだが、彼だけはそこから戻ることを拒否した。代わりに、彼は、デラドゥン(Dehradun)に向かった。更なる教義をデラドゥンのグル達に請い、その後にポカラ(Pokhara)に戻った。」


[グル ラマ僧 ソン・バハドゥール]

ポカラに滞在中、彼は病気を患い、腰から下が全く機能しなくなった事があった。
ポカラの僧達はバス代を払い彼を実家に送り届けた。
彼は実家で手厚い看護を受け、症状は次第に快方に向かったが、結局全快はせず、足を引きずり、真っ直ぐ歩けなくなった。

2005年5月16日(Jestha 3, 2062)。
突然パルデン・ドルジェは、家族全員を呼び集め、こう伝えた。

「どんな些細な殺生もしないように。酒を飲まぬように。これらの行いは、あなた達にとって非常に有害なものとなるだろう。」

家族はそう聞かされ、やがて就寝した。
そして、同じ夜、丁度零時に、彼は家を出た。
彼の家族は突然彼が消えてしまったことに驚き、懸命の捜索を開始し、やがて、彼らの住む場所の南の方角に位置するラトナプーリ自治区の第1地区の森の中で瞑想に耽る彼を探しあてた。
最初に彼を発見した時、彼は、菩提樹の下で結跏趺坐(Padmasana)を組み、両目を瞑っていた。
それを見た発見者は、相談の末、彼の瞑想を中断しないことを決め、彼が瞑想から醒めるまで、彼の両目に集中し、ただひたすら待ち続けた。
果たして彼は突然目覚め、こう語った。

「皆さん家へ戻ってください。私は神に対して瞑想をしています。なにも問題はありません。」

彼の母親であるマヤ・デヴィ(Mayadevi)は、人里離れた不毛の地に息子を置き
去りにして帰るつもりにはどうしてもなれず、「あなたを此処にひとり置いてゆくことはできません。」と答えた。
彼は、菩提樹から6枚の葉をむしり取り、母に手渡しながら言った。

「この菩提樹の葉を持ち帰り、大切に保管してください。もし、この葉を失くすような事があれば、私は2度と戻りません。しかし、大切に持っていてくれれば、いつまでも私はあなたのものです。」

彼の母親は、その言葉と、その胸を裂かれるような別れの哀しみを決して忘れてはいない。
そして、パルデン・ドルジェはラマ僧として、ただひたすら瞑想に没頭することとなる。


2005年8月18日(Bhadra 2, 2062)
パルデン・ドルジェは、グルに5つのトールモーシュ(Tormos)を準備してもらえるように頼んだ。
グルが、5つのトールモーシュの名前がわからない、と答えると、彼は、整然とそれらのトールモーシュの名前を答えた。

グルはさらに過去のエピソードを話し始めた。

「2005年5月29日(Jestha 17, 2062)、パルデン・ドルジェが瞑想から醒めた時に、私は実家に戻りたくはないのかどうか尋ねた。しかし、彼は、瞑想以外は何もしたいことが無い。」

と答えた。

さらに私は、なぜ食事を取らないのか、空腹は憶えないのか、と尋ねた。
かれは、2匹のNaga(神格化された蛇)が彼の両脇に座しており、右側の蛇が彼にミルクを与えており、それで十分なので、心配することは何も無いと答えた。
グルは、この言葉に驚いた。

グルはさらに回想を続ける。

「パルデン・ドルジェは、ジャナイ・プルニマ祭の日に、僧侶(ラマ)を遣わしてもらえるように頼んだが、その時、同時に、ラークバーティー(100000個の灯明)を燈すようにも頼んだ。もし、100000個が無理の場合、何個でも構わないのだが、その ラークバーティーの数を数えるようにと。それからというもの、彼は言葉を発しなくなった。」 

グルはこのことから、パルデン・ドルジェが、過去、現在、未来を見通す第三のブッダの転生だと、確信するに至った。

この一連の情報集めのなかで起こった興味深い事柄が幾つかあるのだが、うち一つとして、彼のグル、彼の母親マヤ・デヴィ、彼の近隣に住む女性が見た夢の奇妙な一致、と言うものがる。
あるものは、白い大きな象がTapovana(苦行林)で、南の方角を向き佇んでいる、という夢をみた。
他のものは、西を見据え佇む少女の夢をみた。
そしてさらに一人は、蓋の上に蛇が乗っている泉を開ける苦行者の夢をみた。
もちろん、彼の母親も夢を見た。
彼女は最初、公表することを避けようとしたのだが、執拗に迫られ、最終的に彼女は自身の夢に見た事を語った。

2005年10月24日(Kartik 7, 2062)に、非暴力を説く著名なラマ僧、ギャン・サガー(Gyansagar)が、Tapovana(苦行林)を訪れた。
彼は、瞑想中にパルデン・ドルジェの眼の中に燃える火の光を見て、パルデン・ドルジェが第三のブッダの転生だと言明した


ナモブッダ・タポヴァーナ・コンサーベーション・コミッティーは以前からその地で、団体の教義に従い活動を続けている。
コミッティーの主催者で、ラマ僧でもある ヴェド・バハドゥール(Vedbahadur)が語ったところによると、彼と彼の取り巻き達が一晩そこに滞在し、午後十時ごろ、パルデン・ドルジェの身体から緑色の光が立ち上っているのを確認し、そして、午後11時には黄色い光となり、そして、午前零時には満々とした光を発っするに至った。

平和と悟りのために6ヶ月もの間瞑想を続けている苦行者パルデン・ドルジェをひと目見ようと、バラ郡ラトナプーリ自治区、(Ratanpuri VDC)、 チャーコセ・ジャーディ(Charkose Jhadi)のジャングルを訪れる人の数は日に日に増加している。
彼の兄弟、ガンガー・バハドゥール・バムジャン (Ganga Bahadur Bamjan)によると、パルデン・ドルジェは、ブッダ、ならびにブッダの哲学の影響の元、瞑想をしており、したがって、どんな種類の殺生、暴力、性的な行いも、すべて避けているとの事である。
家族の話によると、パルデンはブッダの哲学を深く勉強しており、それゆえ長い間何も食せず瞑想に没入していおり、多くの人たちは彼をブッダの生まれ変わりだと信じている。
Nijagadhのマッヘシ・バンダリ(Mahesh Bhandari)は パルデン・ドルジェを精神と肉体のコントロールに長けた偉大な苦行者であると記述した。

パルデン・ドルジェは昔、よく僧院を訪ねグル達にブッダの教えを請うた。
家族の話によると、パルデン・ドルジェは勉学の為、色々な僧院に送られ、マクワンプル(Makwanpur)のグルからはラマ僧のチベット語を教えて貰ったことも有るとの事だ。

そのため、パルデン・ドルジェは座禅を組み眼を閉じ、ブッダのように瞑想ができる。


[パルデン・ドルジェが育った場所]


瞑想75日目、彼は眼を開き、彼の兄ガンガー・バハドゥール・バムジャン に、これから彼の事を「オーム・ナモ・ブッダ・ギヤーニ」(Om Namo Buddha Gyani)と呼ぶようにと伝え、また瞑想に戻った。それ以来彼は、 「オーム・ナモ・ブッダ・ギヤーニ」(賢者仏陀への賞賛)[注2参照] となった。

瞑想中には、沢山の興味深い事柄が起こった。
例えば、バス・デヴ・アディカリ(Basudev Adhikari)の娘パーバティ・アディカリ(Parvati Adhikari) はその地を訪れ、突然、今まで失っていた喋る力が戻ったこともあった。
しかし彼女の家族が不信、疑惑を表すと、四日後に彼女はまた元の通り喋る事ができなくなってしまった。
他には、チャンドラニガハプール(Chandranigahapur)のマーダブ・バッタライ(Madhav Bhattarai)のものがある。
この、ラジェシュ・マハット(Rajesh Mahat)という名を持つ22歳の口をきくことができない少年は、マーダブ・バッタライの召使をしていたのだが、パルデン・ドルジェを訪れてから喋る力を取り戻したのだ。
この事件以来、バラ、 パルサ、ラウタハトそしてマクワンブル、さらにインドとの国境近辺からも、多くの人々が、この苦行林に巡礼にやってくるようになった。

2005年11月6日( Kartik 20, 2062)、苦行林にて起こった一連の出来事の中でも、もっとも重要なことが起こった。
突然、蛇が現れ、彼の左のふくらはぎを噛んだのだ。
彼の身体は汗が噴出し、震え始めた。彼は今にも倒れそうだったので、彼の拝観することができなくなった程だ。
実は、3ヶ月程前にも似たような事件が起こっていた。 
その時も蛇に噛まれたのだが、師(グル)は、彼がエネルギーを失いかけている時に、彼を活気つけるため、神格化された蛇(Naga)が彼を噛んだのだと信じている。
この事件はもしかしたら、宗教家や科学者の調査の対象になるのかもしれないが、不食のまま6ヶ月も瞑想を続けているという事実は、この男には魔法の力があると信じさせるに十分である。

2005年11月8日( Kartik 22, 2062)。
彼が人々に対して伝えることがあるというアナウンスが公式に報じられ、彼は、現在、レーメドゥヘーヤ[注3](Remedhheya)のレベルには達しているのだが、仏陀(悟り)のレベルには到達していない、と人々に語った。
それゆえ、ブッダの生まれ変わりとして彼の事を話さない様に注意した。
さらに彼は、世界平和のために瞑想しているとも語った。
この苦行林において、最低6年間平和な環境を維持するようにも語った。

クリシュナ神はギーターの中で、罪、不品行、暴力がどんなにこの世を覆っても、彼は救済にやってくると語っている。


我々は、科学が難しい形で社会に入り込む21世紀の初頭にいます。
我々の社会はこの不毛な土地での瞑想に対してどのようなリアクションを取るべきなのでしょうか?
科学者や、知的で宗教的な先生達でさえも、この件については頭を悩ましています。
パルデン・ドルジェは、我々共通の資産です。
彼を見守り、このエリアを保存することは、私達に共通した責任であります。彼をひと目見るために人々が利用する、激しく行きかう交通網からの汚染などから彼を守る為や、不安に駆られた人々、または、多くの信者の為に、基本的な施設を提供する為、必要なステップを踏んでゆくことが必要です。 
私達はあなた達すべてに心から感謝いたします。




■■■■■■用語解説■■■■■■

mawoさんからの情報になります。今回の翻訳、mawoさんの協力無しではとても成立しませんでした。此処に厚く御礼申し上げます。

[注1]
Panchsheel⇔panchasheel:
同じです。前者はヒンディー的発音でpanchaの末尾のaが省略されています。
Panch→panch(パンチ):5、社会、民衆
Sheel→shiil(シール):行為、品行、性質、美徳、持戒(仏教用語)、
Panchsheel→panchshiil(パンチシール):五戒(だと思います。)
【五戒とは】
仏教で、在家の信者が守るべき五つの戒め。不殺生(せつしよう)・不偸盗(ちゆうとう)・不邪淫・不妄語(もうご)・不飲酒(おんじゆ)の五つ。


[注2]
Om namo Buddha gyani:
これを salute to the wise Buddha と訳すのだとすると少々疑問があります。Om namas shivaaya (オームナマシヴァーヤ:オーム 平伏す シヴァに)という言葉を聞いたことがありますか?これと全く同じ語法の筈なのですが、だとするとbuddha gyaanine としなければなりません。文法に則して訳すと「オーム、平伏す、智慧の仏陀よ!」になります。正式なサンスクリットの文法ではなくネパール語的に変化しているかもしれません。ヒンディー語と同じなら、文法上の格は、語尾変化ではなく後置詞(前置詞のようなもの)で表現するので、そのように考えておきます。

Namobuddha:namas + Buddha で namobuddha(ナモーブッダ)になります。
サンスクリットでは発音を円滑化するために単語間に音変化が生じます。これを連声といい、この法則を知らなければサンスクリット文は一語たりとも読めないとさえ言われています。
Namas(ナマス):おじぎ、祈り、礼、崇敬、礼拝
Namobuddha:仏陀を拝する・・といった意味でしょう。
Gyani→jnyaanii(ジニャーニー、ギャーニー)jnyaanin(ジニャーニン):有識の、学識豊かな、


[注3]
レーメドゥヘーヤ(Remedhheya)のレベル:
一番初めのnews、たしかロイターのものだとおもったのですが、
After five days it was opened and he spoke. "Tell the people not to call me a Buddha. I don't have the Buddha's energy. I am at the level of rinpoche [lesser divinity].
と記述されていた事もありました。 訳すと、仏陀のエネルギーは得ていず、リンポチェのレベルにあると言っていることになります。
リンポチェはチベット仏教の高僧の位を表しています。
ダライラマは観音菩薩の化身だそうですから、菩薩の方がリンポチェより高い境地なのでしょう。そして更に仏陀(悟り)の境地があるのだと思います。
パルデン・ドルジェは現在リンポチェまたは菩薩の境地にあって、buddhahood(悟り)の境地を目指している修行者ということになります。

【菩薩とは】
《梵bodhisattvaの音写「菩提薩(ぼだいさつた)」の略。悟りを求める人の意》仏語。
1 仏の位の次にあり、悟りを求め、衆生を救うために多くの修行を重ねる者。文殊(もんじゆ)・観音・弥勒(みろく)・勢至(せいし)・普賢(ふげん)など。元来は釈迦の前生時代の称で、大乗仏教がおこると、将来仏になる者の意で用いられるようになった。




Chaitra→chaitra(チャイトラ): ヒンドゥー暦第1月(西洋暦3〜4月)、仏教苦行者、祭壇、
Baisakh→baisaakh(バイサーク):バイサーク月、ヒンドゥー暦第2月(西洋暦4〜5月)
Jestha→jetha(ジェータ):ヒンドゥー暦第3月(西洋暦5〜6月)※thaは反舌音、帯気音です。sは誤植か?またはそう言う場合も有るのかも知れません。
Bhadra→bhaadra:バードーン月、ヒンドゥー暦第6月(西洋暦8〜9月)
Kaltik→kaaltik(カールティク):カールティク月、ヒンドゥー暦8月(西洋暦10〜11月)

Siddhartha Gautam ならびに、GautamBuddha:仏陀、お釈迦様のこと。シャカ族の王子、ゴーダマ・シッダールタが本名で、いわゆるブッダ(仏陀)とは悟りを得た人を指す。
VDC:住民による自治組織。農村開発委員会
Peepal→piipal(ピーパル):ボダイジュ
Shree→shrii(シュリー):女神、富、美、ビャクダン、…さん、…氏、有名、名声、※敬称と考えれば良いと思います。
Nepal→nepaal(ネーパール):ネパール
Rashtriya→raashtriiya(ラーシュトリーヤ):国家の、※sh、t共に反舌音という音です。
Panchsheel⇔panchasheel:同じです。前者はヒンディー的発音でpanchaの末尾のaが省略されています。
Panch→panch(パンチ):5、社会、民衆
Sheel→shiil(シール):行為、品行、性質、美徳、持戒(仏教用語)、
Panchsheel→panchshiil(パンチシール):五戒(だと思います。)
Padmasana→padmaasana(パドマーサナ):パドマ・アーサナ、結跏趺坐、蓮華座、
Naga→naaga(ナーガ):蛇、人頭蛇尾の悪魔、
Tapovana:苦行者の住む森、苦行に適した森、※この語も(tapas + vana)でできています。
Krishna(クリシュナ):クリシュナ神 ※sh、naは反舌音です。
Gita→giitaa(ギーター):バガバッド・ギーター

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補足説明1

チベットでダライラマとかの生まれ変わりを探す時、候補者に何か前世にちなんだものを見せてその反応により本物の生まれ変わりかどうか決めます。lakhbatiの件で、グルは彼をブッダの三度目の生まれ変わりだと確信したわけですが、このブッダはパンチャ・ブッダ(五如来:大日、阿閃(あしゅく)、宝生、阿弥陀、不空成就)と言われている存在のことを言っているのかもしれません。 http://aricom.exblog.jp/2132369


補足説明2
文中にある、以下の部分は、確信は無いのですが、おそらく本の上では写真がプリントされているのではないかと思います。

[彼の母親は彼が生まれた場所を見せてくれた。]
[グル ラマ僧 ソン・バハドゥール]
[パルデン・ドルジェが育った場所]

コメント(5)

ごくろうさまです。力作です。素晴らしい!
これで世界平和に貢献できますね。

私の担当?の方は肝腎の単語(tormos,remedhheya・・)が判らず少々残念です。
宗教用語なのでしょうね。普通の辞書には載っていません。継続調査いたします。

地名、名前に関してはそのまま読んだ方が一般的かもと申し上げたのですが、takeshimさんは英語読みだったんですね。私はローマ字読みを想定していたのでした。
が、インドの言葉がカタカナになっている場合、英語読みになっていることも多いと思います。

例えば
gyansagarは
ギャン・サガー  :英語読み
ギャン・サガル  :ローマ字読み
ギャーン・サーガル:ヒンディー
ギャーナ・サーガラ:サンスクリット
でして・・
カタカナから原語の辞書を引くとしたら、このような変化を想定をするわけです。
私は、たまたま、雑にローマ字化されたヒンディー、サンスクリット混在の歌の意味を調べていたことがあり、この作業には慣れているのです。本来なら何の意味もない修練だったわけですが・・役に立たないものはないんですね。

ありがとうございました。
実際そんなに褒められたものでも無いです。文中数カ所、原文の意図が組みきれず、かなり拡大解釈した部分もあり、はたまた、純粋に日本語として質の良くない作文をしていたりして、後で読み返すと正直赤面したしたりして、正直原文とゆっくり読み比べられたら、たまったものじゃないなと思います。ただ、かの地ネパールで、出版されているという『?Ascetic Palden Dorje of Kalki」の大まかな内容は何とか日本語に変換できたと思います。


言い訳って訳じゃないですけど、これは翻訳の翻訳であり、ドイツ語で書かれたヘッセを英語に訳して、さらにそれを日本語に翻訳するって事は絶対にしない訳で、そう考えると、今回の作業は本来無い事を無理矢理やっている感じなのです。そもそも無理がある。言語はその土地の文化をどうしたって背負い込む訳で、それは、あたかもよくあるテレビのバラエティーのお絵描き連想ゲームの様な感じで、それぞれの書き手にはそれぞれ固有のバックグラウンドがある訳で、、、最初の書き手が最初の絵を描き、そこには文化的背景が色濃く入っていて、、、そして2番目の書き手はその原画を見てまた違う文化的見解をうっすらとのせながらそれをなぞり、それを見た3番目の書き手は、さらにそこにうっすらと違う文化的見解をのせ、、、それだけなら良いものを、2番目の書き手の表現に自国には無い何かを見つけ、悩み、何とか妥当だと思われる表現に自分を納得させ、、、、、みたいな感じで、、、。

よくわからんくなってきました....。

簡単に言うと、実際のところ、翻訳の翻訳って有り得ないわけで、誰だって翻訳するなら原文からしますよね?ってことです。これが土地の言葉がわからない今の自分に出来る精一杯です。


ところで、固有名詞などのカタカナ化の部分ですが、正直自分で自身がありません。mawoさんに助けていただいた部分は、ほぼそのまま反映させてもらっているので問題ないのですが、自分でやった部分は、ウェブなどで他の人がカタカナ化しているのをそのまま頂戴しているので、自分で書いといて正直確証はありません。
お許しを、、、。もし、どうしても気になるところがあれば、どなたでもどんどん指摘してくださいませ、ということで。

おつかれさまでしたー!
瞑想は周囲に静寂をもたらすとは聞きますが、瞑想とは何か?悟りとは何か?というと難しいですね。
これについて別のトピを立ててみようかと思います。
ちっともエキスパートじゃありませんが、お気軽なレベルでお話しできたらと思います。エキスパートのご意見を期待しつつ。
氣和もの倶楽部(精神世界&裏治療を語る会)でtakeshimさんの翻訳を紹介しましたら、確りした翻訳だと大変好評でした。長く瞑想をして来た友人が「ニュー・ブッダは本物かもしれませんね。。」と言っていました。説得力あったみたいです。
ありがとうございますー。喜んでもらえて、嬉しいです。

それにしても、パルデン・ドルジェは、まだ瞑想を続けているんでしょうか? ココ何日も恐ろしく忙しく、ウェブでの情報掘りができずにいたので....

また来週にでも、サーチしてみます。

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