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逸聞しおひがりなつみかんコミュの第一話 瓦解≒ガカイ ?

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 志雄〜〜。志しを持った雄雄しい人間になってほしい。そう願って父方の祖父が選んだ名前だった。
 大それた夢があったわけでもなく必要以上に腕白だったわけでもなく、シオはいたって平凡に育ってきた。幼少時は小柄で細身だった事もあり、足が速かったのが唯一の自慢といっていい。取り立てるなら、その程度だった。
 だからといってシオは自分の名前が嫌いになった事も重圧を感じた事も無い。名づけの祖父はシオの幼少期に亡くなり、記憶は定かでない。面影がシオと似ているという親せきもいたが、シオには血の繋がり以上に特別な共通点はあまり感じなかった。かつて祖母から半世紀以上前の「大戦」において当時の健康な男子の例外なく徴兵され、復員した時は上等兵だったと聞いた事はあった。旧軍と現国防軍の違いはあるが、退役したシオと同じである。ただし、出征経験は無かったという。祖父の年齢から逆算して、おそらく終戦末期の徴兵であったのだろう。上等兵という階級も、当時の兵員不足から異例の早さで与えられたものであると考えられた。一応は志願兵であり、戦闘経験を持つシオとは同じ軍人としてもだいぶ違う。もっとも、それを確かめる術は無いが。
 発展途上の国においては軍隊に入る事がエリートコースである場合が多い。何も人殺しの術を磨くのが軍隊ではない。軍隊の中には経理部もあれば広報部も総務部もあり、病院や軍法という法律を管理する部門もあれば食事を作る料理人もいる。絵に描いたような体育会系の人間もいるが、軍服を着なければ民間企業のセールスマンと変わらない者も大勢いた。いわば軍は国家が経営する最も大きく安定した複合企業という面も持っていた。
 戦争が身近にあった時代はさておき、平和が長く続いたシオの時代においては最新鋭の装備を誇る国防軍での軍隊生活も、現代人のシオにとっては少し風変わりな事もする大きな会社くらいの印象しかなかった。
 そんな中で、意外にもシオは上手く順応し本人の思いのほか早い出世をした。特筆すべき点が無い。それを良くいえば角が無いとなる。
 巨大組織は同時に複数の人間関係が入り組む。人が三人集まれば派閥が出来るというように、人間は本来群れを成す生き物だ。群れが多ければ争いも多く起きた。階級が一つでも上の人間の言葉は絶対である軍隊であっても、所詮は人の集まりである。外に戦う敵がいない時代、むしろ敵は内部にあった。
 いわゆる権力闘争である。小さくは分隊内で、大きくは師団もしくは各方面隊レベルで。
 シオにとって誰が、どの部隊が最も優秀かどうかなど、全く興味は無かった。そもそもの入隊動機は、生活に困窮したからである。国を守ろうとか、銃を撃ちたいとか、戦いのエキスパートになろうとか、軍人として出世したいなどの大それた考えは無く、ただ安定した生活と金が欲しかっただけだった。
 仕事である訓練はきついし規則も厳しい。居心地が良いわけではない。ただ、他に明確な人生の目的があったわけでもない。だから軍隊にいた。与えられた事だけをこなしていく生活。いつしかシオは慣れ、それ以上の事には関心を持たなくなった。
 しかし皮肉にもシオのその姿勢こそが、下級兵士という仕事には向いていた。二年の任期が終わりに近づいた頃、思いもかけず昇進試験への誘いがあった。
 通常二年の任期が終わると四割近くの者は除隊する。大概は単車や自動車や大型特殊機械の運転免許や特殊資格欲しさに入隊してきた連中だからだ。特に日常の業務が厳しい歩兵部隊の除隊者は例年他の部署に比べて多く、指揮官たちも頭を悩ませるところであった。もっとも、軍人あがりを専門に雇う土木工事関連会社などの間に人材斡旋の取引ルートがあるのは公然の秘密でもあったが。
 そんな中で特筆すべき優秀な成績は無いものの人格と生活面での大人しさが選考の理由になったかは定かではないが、シオは所属する小隊の責任者である少尉から薦められ試験を受けた。
 任期満了間近で昇進試験を受けさせる事は異例である。満期除隊時に支払われる退職金には階級が影響するので、もし昇進した直後に任期更新せず除隊されたら人件費が高く付くのはもちろん、試験を薦めた上官の管理能力にも傷が付く。たかが一下級兵士を昇進させるとはいえ、部隊の上官〜〜特に上級将校予備軍である士官たちにとっては今後の出世に影響を与える事案であった。逆を返せば、それだけシオは信用されていたともいえた。またシオのような人間を昇進させる事で、辞めようか留まろうか境界線上にいる他の兵士たちに一つの雛形を見せるつもりでもあったのだろう。
 三年目の軍隊生活を迎えた時、シオの階級章には一本の線が追加されていた。
国防陸軍一等兵。所詮は下から二番目の階級に過ぎなかった。
 が、階級章に増えたたった一本の線が、一つ下の階級の者に「死ね」と命ずる事も出来る力を持っているとは、鈍色のライフルを携え戦闘服に身を包んで仮想の敵と日夜戦い続ける訓練に明け暮れる日々の中でも、シオにはまだ実感出来てはいなかった。



 奈津美〜〜。春に生まれた姉にハルミと名づけた両親が、夏に生まれた次女に付けた名前。
 三女が秋に生まれたらどんな名前になっていたのだろう。アキコ? アキミ? ちなみにナツミと同い年だった従姉妹のアキコは、小学生の時に交通事故で亡くなった。背格好も顔つきも、ナツミに良く似ていたという。ナツミの記憶の中にアキコは強く存在しない。幼少期に親せき同士の集まりであったくらいだ。姉の方が仲が良かったと聞く。
 だから姉は、今でもアキコを覚えているのだろう。ナツミとなった今でも。
 「アキコちゃん、そのエプロンはアタシのだよ」
 病室を見舞う度に姉は言った。色がだいぶ落ちてしまった水色のエプロン。ハルミがナツミに贈った物だ。
 「うん、ちょっと借りてる」
 ナツミの答えも変わらない。
 ジャーナリストだった恋人が戦場で消息を絶ってしばらく後、ハルミは恋人と同棲していたマンションから飛び降りた。ビルの7階からの身投げ。しかし奇跡的にも一命は取り留めた。下半身の自由と、ハルミである記憶と引き換えに。
 ナツミは鏡の前で姉の長い黒髪を梳きながら、ナツミとなったハルミの話を聴き続けていた。かつて恋人が手を通したであろう姉の黒髪。一時は痩せて老婆のように乾いていた髪は今、美しく光っている。隙間から覗く透き通るような白い肌も細い首も、時間の流れを止めたかのように、あるいは逆行したかのようにいつまでも美しかった。昔、美術館で見た白磁のように。
 髪を梳くナツミの手は、少し日焼けして荒れも見えた。染みだろうか、右手の甲の端に痣のような薄い模様もある。倉庫で荷物に挟んで出来た血豆もまだ治っていなかった。どこかで見たような記憶がある右手。それがこの記念病院で死んだ母の手だと、ナツミは気づかない振りをしていた。
 姉は幸せなのだろうか?
 大好きだった人に永遠に会えない事と、大好きだった人との想い出を忘れてしまう事。
 幸せというよりは、どちらが悲しい事なのか、ナツミはいつも考えていた。答えはいつも出なかったが。
 想い出なんて時間が経てば全て美しいと錯覚するものさ、とあるミュージシャンが言った。
 高校生の時、初めて付き合った男の子が好きなミュージシャンの言葉だったが、あの時はナツミも彼も、日々を想い出にするほど暇ではなく、そして若かった。
 放課後、部活を終えて彼の自転車の後ろに乗って帰った事。指に付いた木炭が彼の白いワイシャツを汚した事。焦ってハンカチで拭いたら余計に染みが広がってしまった事。二人で神社に絵馬を奉納した事。一緒に図書館で夏休みの宿題に取り組んだ事。地震が起きた時に真っ先に彼からナツミの携帯電話に連絡があった事。海を見に行く予定だった事。約束を忘れてケンカした事。約束を忘れられてケンカした事。動物園で買ったお揃いのシルバーのストラップの事。
 いつも今日の連続で、昨日も明日も無かった。悲しいニュースを見聞きしても、それは飽くまでテレビ画面や紙面の中のことで、あの時は「クレーター」の荒れた大地さえ、他人事だった。
 世界は、優しくぼんやりと自分の中だけにあった。今、世界は冷徹にはっきりと、ナツミを内側に取り込んでいた。

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