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京都魔界巡礼コミュの岩屋山志明院について語ろう!

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アブさんのご指名により、トピックスを立てさせていただきます。
京都・雲ヶ畑の岩屋山志明院は、西暦650年(白雉元年)役の行者により創設されました。
霊場として知られ、また歌舞伎十八番「鳴神」の舞台にもなっております。
みんなでこの寺について語っていきましょう。

私がこの寺を知ったのは、「かくれ里」という本の、奈良本辰也氏の文章です。
「物の怪の寺」と紹介され、司馬遼太郎が泊まった際「天狗の雅楽」を聞いたと書かれ、別の人が泊まった折は、境内は光り物が浮遊していた、とあり、大変興味を持ちました。
そして自分の足で行ってみて「やはり聖地だ。何か目に見えない『気』を感じる」と、惹きつけられました。
すっかり気に入り、バイクで何度も足を運んでいます。

ここより少し北に、1961年までは幻の峠とされていた石仏峠があり、昔、出雲族がこの峠を越えたという伝承があります。
雲ヶ畑の地名も、出雲族が移り住んだから、という説も有ります。
個人的には、この一帯と出雲族との関係をもっと知りたいです。
寺院なのになぜ境内に鳥居があるのか、とかも興味があります。

コメント(9)

TOKIさんありがとう。
岩屋山志明院いいですねぇ〜一度しか行ったことありません
が、当時はまだ「魔界」に覚醒する前だったのが残念です^^;
石楠花を撮影に行ったと記憶しております(汗)
司馬遼太郎氏がこよなく愛していたのは周知の通りですね。
鳴神上人の伝説は非常に惹かれますね!
来年の夏には一度足を運びたいと考えています。

貴船、鞍馬しかり京都の北に位置する寺社はほんと惹かれ
ますね。地図を見ながらこの辺りの大小問わず、寺社を全部
訪問したいって願望があります。

>出雲族
こういうエピソード好きです!詳しくは無いですが、
民俗学、神話学の見地からも考察してみたいですね。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4562033363/503-7787291-4299117
こういう本を読みたくなりましたね(笑)
アブさま

3月上旬もいいですよ。
京都市内は春を感じるのに、近づくに連れて残雪が増え、今年私が行った時は粉雪がちらついてました。
私が読んだ本では、行をする女性の写真があったのですが、今も修行者はいるのでしょうか。
境内に入るまでにも、道すがら祠などが幾つもあるのは、一つ一つどういったものなのかも知りたいです。

>石楠花を撮影
あそこ、写真ダメかと思って、カメラはいつもバイクのトランクに入れて山門をくぐってました。
>写真の件
一応誤解なき様に。
前職ですが取材でカメラを持参しました。
え〜っとボクの正体がバレそうなのでここらへんで(笑)
「続日本記」によると、828年、都に天変地異が相次ぎ、賀茂川も氾濫したので淳和天皇が北山の神に祈りを捧げた、と有ります。
志明院が弘法大師により復興されたのが翌年の829年。
私は肝心のこのお寺の歴史を詳しく知らないのですが、この二つは関係あると思って良いんでしょうか。

確かに交通の便が悪いですね。
バスを利用する時はかなり朝早く出なくてはいけないのが辛いです。
徒歩なら山門の脇から薬師峠(石仏マニアのアブさん、ここの六地蔵は拝まれました?)を抜けて大森の集落へ降り、霧谷不動尊と滝へ足を運び、周山街道まで歩いて戻るルートも好きです。
今は有りませんが、昔はお寺の脇辺りからレールのような木馬道が続いてました。
バイクや車だと、混雑する市内を抜けるのが大変ですから嵐山から広沢の池の脇を通って周山街道へ、杉阪から持越峠を越えて行くルートが快適です。
(一度、猪の子供3匹が前を横切って慌てました。)
「京都行くねんけどどっかお勧めない?」
と問われてよく「岩屋山志明院」としたり顔で答えておりましたイケズなガタリと申します。
よろしくお願いします。

ボクも志明院、一度だけ行った事あります。
早朝の出町柳から岩屋橋行きのマイクロバス(?)に乗り込んだのはボクと連れの2人だけ。あれメロディーカーっていうのでしょうか?持越峠を過ぎた辺りからのんきなサウンド奏でてどこでも乗降可能になるんですね。

時期は9月頃だったのですが、終点岩屋橋のたもとにあるモミジの葉が1枚だけ真っ赤に色づいていたのを覚えています。

お寺では年配の女性が出てきて対応して下さったのですが第一声が桜サンと同様に「なんで来はったん?」だったのには面食らいました。

その著書で司馬遼太郎サンが通っていたお寺だと知り興味を持った事。更に、ここにはその頃まだ魔が棲んでいたと記されていてどんな場所か見てみたかった事も告げると色々話して下さいました。

当時バス停は3kmも下方にあり司馬サンは明かりを灯す為のバッテリーを持って登って来られた事、電灯や生活音に囲まれた街中では感じない事をここでは感じ取れるのだという事、それは夜に書き物をしていて屋根の上にドングリが落ちるだけでも物の怪の気配だと感じるようなものだという事……。

話のあと「なんにもありませんけどまぁ見て行って下さい」と促されました。
「あんまり奥へ行ったら帰って来られへんようなるから気ぃ付けてなァ」という事も付け加えて。
「……………。」

オバサンが戻って行った建物の壁には当時ロードショー間近という事もあり司馬サン原作の映画「梟の城」のポスターが貼ってありました。ここ志明院での宣伝効果のほどについては触れるべきではないでしょう。

境内をぐるっと一回りし鳴神洞窟を見、山の瓦斯をたらふく吸い込み、オバサンに礼を述べ、山門に一瞥し我々は志明院を後にしました。
バス停へ下る途中、突然雨が降り出し、それはすぐ土砂降りになりました。そして初めて経験する山の雷。
それはそれは凄まじいもので、そう遠くない場所でズドーン、ズドーンと重低音サラウンドシステム!!!
明らかに「落ちて」います。
しかも「喜怒哀楽」でいうなれば紛れも無く「怒」!!!!!
バス停近くの庵の軒先にへばりつきブルブル震えておりました。
そこでハタと思い出したのです。
京都魔界本で読んだ一節を。
能の演目「鳴神」は我々が先ほど見てきた鳴神洞窟がモチーフである。「鳴神」とは「雷」のことである……。

つまり物見遊山がバレていたのです。
いや、どこかで拾ってネコババしたキャップをかぶっていたのがいけなかったのかも知れない……。
いずれにせよ山の神様を怒らせてしまった気分。
オバサンは我々の荷物を預かる時おっしゃられました。
「ゴメンねぇ、言うても聖地やからねぇ」

ボクが訪れたこの時もまだこの地には「魔」が棲んでおりました…卍
>ガタリ氏
氏の文章ってほんとおもろいね(笑)
リアルで案内されてる感じがしましたわ。

確かにあそこは京都言えども異界って感じがしますよね。
ボクはカメラ持ってったけど、結局山門だけしか撮らな
かったもんなぁ(上司に怒られた記憶がw)
紹介すると言っても当時の僕は「魔界」チック
なモノに全く反応しない体質やったしねぇ^^;

気軽に行ける場所でもないところにあるから、
リピーターになる人って相当な魔界好きやと思いますね。

コミュとは全く関係ないんですけど、最近「投入堂」に
無性に行って見たいと思う今日この頃。
出た!投入堂!
三仏寺投入堂ですね!
ボクは行った事ないですが、友人で神秘主義者にしてトランぺッター、更に建築マニアという男が以前行った事があります。
その話を聞くまで恥ずかしながら「とうにゅうどう」と読んでおりました。実際は「なげいれどう」という稀に見る素敵なネーミング!

不思議な話があるんですが、その友人が投入堂で買ってきたお札を見せてもらうとなんと比叡山横川の元三大師のそれと全く同じデザイン!
後に横川へ行った際にこのデザインのオリジナルはどこかと尋ねてみたんですが的を射ない曖昧な返事でした。

実はそれ以前にひょんな事からこの投入堂のご住職、並びにそのドラ息子らと登山をした経験があります。少し話す機会があったんですが俗にまみれた生臭坊主という印象があります。
「パクる」事も厭わないと言えばそう言えなくもないような……そんな雰囲気の方でした。

18切符期間中に行ってみようかなぁ卍

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