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ようこそ了法寺へコミュの御住職の法話・よかった事

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コメント(72)

方便としてこれも仏縁を作るきっかけなんだと思います。一般の方がたで宗教と無縁な方も了法寺がきっかけで仏さまのようなこころを持とうとするかもしれない。そんな人が一人でも二人でも増えたらいいと願います。

俗世の趣味の方がたがお寺に触れるきっかけを作る。そんな意味でもキャラグッズの販売も一つの手段の様に思います。

嘘も方便という言葉があります。嘘は悪いです。自分の業を増やします。でも嘘をつく事で相手を傷つけないで済む事があるかもしれません。

そんなお寺は触れてはいけない聖人の砦ではなくみんなの憩いの場であり、また自分の心に仏の心の蓮の華を泥水のような世の中から栄養をとって咲かせるきっかけを作る精進の場でもある気がします。

そのために修行者はお題目を唱えるのだと思います。
宗教に縁の無い人は、宗教と関係無いところで生きている
それで良い人達まで、宗教のたいして意味の無いルールで縛るきっかけを作るなんて
お節介もいいところ

宗教が偉そうに、我々の考えは素晴らしいなどと
上から語るなど、なんとおこがましい事だろう
宗教に囚われてる人間は、勘違いをしている人が多過ぎる。
たいして意味のないルールからも得る事もあるんじゃないかな?方便として。そういうルールの内にいるのが窮屈なら、本質を見て行動を決めるのもいいと思います。

ただそういうルールや他人に言われて、受け入れ理解し行動し達成する人は全てやりきれば、こころ深くなる。

また了法寺は心をいかに無理せず行動するか?皆のペースで信仰させていただいてます。

自分の入りやすいやり方から深めていきます。

仏さまの一面しか僕は知らないけど信じていると思います。深い心、全てを表す仏。生長し続けます。
>そういうルールの内にいるのが窮屈なら、本質を見て行動を決めるのもいいと思います。
>ただそういうルールや他人に言われて、受け入れ理解し行動し達成する人は全てやりきれば、こころ深くなる。

こういう所が、上から目線だと・・・
宗教(ルール)やってなきゃ、立派になれないのかね
宗教(ルール)やってりゃ立派になれるなんて、大きな勘違いだって言ってるのにね
受け入れるだけで、心が深くなるなんてのもおかしな話だわ
心が深くなるは苦しまなくなると言う意味です。立派とか上から目線で語ってしまいましたが、本質は偉くなりたいと言うより、嬉しく安らぐようになる種を蒔き、育てる事のきっかけを了法寺で出来たらいいなと思います。

確かに上から目線でそれが人を不幸にして苦しめています。ただその苦しみを苦しみと感じなくなるくらい無我夢中に達成したら、自分がある意味安らげると思います。多分美談また綺麗事かもしれませんが、手の着けようが無いくらい仕事を全うしていたら他人の評価よりも、、、やることをやりきるこころは安らぎ、安らがない時は何か省みて軌道修正しないといけないような気がします。

多分、生長する瞬間瞬間が大切で励みを己で見つける。法華経に出会うとはそんな事も意味していると法華経を読んでると思うようになりました。

>嬉しく安らぐようになる種
それは、宗教でなくても
今、まわりに広がっている世界に、たくさんある。 
見ていないだけ、感じていないだけ
宗教は、その戒律やら神仏の存在感で人の感性をも縛り、見えにくくさせる

宗教に頼らなくても、宗教の仕来りなんて守らなくても
人は、安らぐし、嬉しくもなる。 そして苦しむ。
何の問題も無い、それそのものが生きるということだから

苦しみを感じなくなることに意味があるのかね
無痛無感な存在、そんなものを過去の偉人たちは望んだろうか?
彼らもまた、喜び、笑い、苦しみ、偉人と呼ばれるようになったのに

キミの言っている事は、キレイ事などではない
唯の自己満足

戯言だよ


あと、オレはキミの言葉に、苦しんでも、悩んでも居ない
唯々呆れているだけ
そうか、よかった。安らぎ、喜んでいるのならよかった。僕もよく仏が見えていない。僕はただ自己満足を得るためだけに仏法を利用し人を退転させる第六天魔王と同じかもしれない。

でも思う。どんな生き方もある意味何かしらの生長を意味し、法華経は永遠に生長することや、全てに価値を、、、仏を見出だし、、、だから僧侶でなくても、仏教出なくてもひとりでに悟る、どんな人も苦労して生長し達成し安らぎさらに生長する事が法華経に出会うことなんだなと思う。

少し法華経を誤解されて、、、また法華経を読んでないのかもしれないが、貴方のおっしゃられている事は、全てに価値を見出だし生長する法華経を語られているので、ありがたいです。

また僕のひとりよがりかもしれませんが、人に喜びを与えられた時、今はささいな事しかやってませんが、人として嬉しいと感じます。その生き方はこれからも生長します。

仏教だろうと、普通の社会の中だろうと、自分の選ぶ道で、どの道であろうと人間として生きる道で同じように喜んだり苦しみ励む。そんな事が永遠の生長に繋がる。地獄や天国、様々な道を輪廻し歩み仏に至り。

仏さまを語るには僕の一つだけの人生では足りずやはり一面しか語っていないです。

だから僕自身世の中一面しか見えていないし、
また貴方さまも仏の一面しか見えていない。

お互い様に思います。
喜んでもなければ、安らいでもないです。
あなたは、勝手な決め付けが多過ぎます
その辺りからも、上から目線

神仏なんて、これ以上知るつもりなんてありません。くだらないから

天国?地獄?輪廻?そんな事考える前に
考え、やらなければならない事が、山積みだろうに
だから、宗教好きはバカなんだ
そうだね。宗教好きの自分は教えを知ろうとするけど人を知ろうとしていない。

また人の話より自分の意見を押し付ける。それで人を不幸にしている。

そうだね、神仏を大切にするあまり世の中を粗末にしている。みんな大事に出来るよう、取るに足らない自分はその道を模索します。
あるがままを受け入れあるがままの自分が生長する。

自分の感情、神仏を尊く思うこころは己を弁(わきま)えるためであるのに、それは自分を高く勘違いしまた、神仏を利用して相手を屈服させようとする。

己を省みてます。

謙虚さを学ばさせて頂いてます。
大分、感情の整理がつきました。神仏を私物化していた気持ち。人を見ようとしない自分。大切なものが人によって違いそれを受け止められなかった自分。自分は変わるべきに感じます。
自分の悪いとこや自分を自分でいじめることではなく自分の良いとこを見つめてと御住職から教わりました。

何もないと思い込んだり、あるのに価値を認めてない。僕らはそんなもったいないことしている。自分が見えていないんだなぁ、、、。

僕の良い所ってなんだろう?

本当の自分の望みってなんだろう?
みんな素晴らしい人なんだと聞いております。
自分自身との対話、素晴らしい自分とありのままの自分との対話。皆、仏さまの子で尊い自分を認める事。それに気付かせるためにおしゃかさまはこの世に生まれて来たそうです。

マイナスの感情に支配され暗い未来を描く事を乗り越え、、、自分の夢や希望を描いて生きて下さい。

後、無理し過ぎないように。

はじまりはいつもこれからだから真っ白な未来のキャンパスに素敵な絵、描きましょう。

真っ白なシーツに、地図を描きました!!!!
お久しぶりです。なんかアプリかなんかでサンタのくれた世界地図とかで戦争かなんかで真っ赤な世界地図で悲しかったとマイミクさんが書き込みがありました。

下手にコメントできないなぁと思いちょっと書き込み躊躇しました。戦争がないから僕らは平和ボケできます。戦争は悲しい。
戦争が無いと思ってるあたりが、平和ボケ
というかバカ
ありがとう。その馬鹿に成り切れる日本を愛してます。わかりあうこと。腹の底を見せあって語り合いが出来るミクシーも大好きです。
身近に戦争があるのに、いや、どこかに戦争があるのに
バカでいることが正しいのが、仏教ってヤツですか?

それって、臭いものに蓋じゃ無いでしょうか?

現実逃避をするのが、仏教なんですか?

現実に苦しんでる人間がたくさんいるのに
そこから目を逸らすんですね。 わかりますw

仏教って暖かいなぁ〜♡
そうだよね、戦争があったり、苦しい人がいたりします。大きな問題です。

自分の身近な人には手が届く。何かしら手助けはできる。

出来ることから始める。

その出来ることをした後、また次の出来ることをする。

先ずは自分と縁の深い身近な人の願いや苦しみから向き合います。

それが出来ないで大問題の世界の戦争や苦しみをどうにかできるか?

先ずは親や兄弟と仲直りすることから始めてます。

家族や友人と仲直り出来て始めて、世界と仲直りが出来ると思います。

大きな問題も大変ですがちっちゃな問題も馬鹿に出来ない気がします。

地道な小さな積み重ねから大きな問題に対処できる能力が育つ様に思います。

だから戦争を無くすため背伸びしたって小さな事をないがしろにしていたら、バランスを崩して大きな怪我をしかねません。

身近な人を大切にできることがありがたく、やはり平和ボケ出来る日本は好きです。

いろんなニュースが舞い込んできます。自分の心を縛り付ける思い込みや常識はいつか無理しすぎてニュース沙汰になる可能性を秘めてます。

だからそうならないように、心が楽になるよう、落ち着くよう、お寺は参拝者のよりどころになるくらい進歩していく。

みんなでお寺を育て成長させて行くことを願います。



みんなのまあるくなったこころが出来て始めて、世界のこころがまあるくなる気がします。

ちっちゃな事も蔑ろにせず、一日一日を大切にしよう。まずはそこから僕は始めてます。
>その馬鹿に成り切れる日本を愛してます。

自分達さえ良ければ良いんだねぇ〜仏教ってw
自分がまずしっかりしなければ、人を不幸にしてしまう気がします。

一人の時をうまく過ごせない人は二人の時もうまく過ごせない。

まして多くの者を愛するならば、先ずは自己の能力をしっかりさせなければ潰れてしまう。

でも本当に皆を愛するならば自己犠牲の精神で人に尽くし、うまく行かないことを、大いに悩む事が必要なのかもしれない。

僕は多くの人を愛することに、まだ目覚めていないのだと思います。

皆と繋がっているじぶんは笑顔になれる。

自分は一人じゃない。

先ずは自分のやることをしっかりやり、人と喜びを分かち合うことからやりたいです。

自分は素晴らしい存在であると気がつくことを、未だやってる段階で人間として未完成な自分自身です。

人を愛せても、自分を愛せない不幸な人は、いつかその負の感情を人に与える危険性ある気がします。

だから僕はまだまだ発展段階の途中だから。ありのままの自分を底上げしたい段階です。

無理しすぎて潰れたらもともこもない。

でも貴方の訴える人間の成長段階は僕なんかより遥かに格やレベルが高いです。

本当に皆を愛する気持ちの消化が、僕に求められてると認識します。

どうすれば皆を本当の意味で愛せるだろう?皆が本当の意味で嬉しくなる手助けをする精神、身につけていきます。

そして自分をあんまりいじめないで行こうと思います。
御住職がおっしゃってたんですが、

目の前の出来事でパニックを起こす人がいて、そのパニックを起こさないためには、少し先の未来にいいイメージを持つとパニックから離れられるそうです。

僕も今の現状に振り回されず少しでもいい未来をイメージすると現実がよい方向に向かっていく。

昨日はそんな話が心に残りました。
今日は良医治子(ろういじし)のたとえを習いました。

お医者さんの息子達が毒薬を飲んで苦しんでます。お医者さんは良い薬を差し出しますが息子さん達はもっと苦しくなると思って薬をのもうとしません。父であるお医者さんは旅に出て自分を死んだという報せを家に伝えました。子供達は悲しみ父の良い薬を思い出し薬を飲み治り、父も生きて帰って来て皆喜んだそうです。

この話はおしゃか様がお医者さんで、息子達が衆生、良い薬が法華経を意味するそうです。

法華経を信仰すると多大な難を背負うことになる気がしていました。

でも法華経を信仰し始めると苦しみだけが来るわけでは無く、この世の法則が少しずつ見えてくる、そして心深く気付く事がたくさんある。

法華経に出会い永遠の輪廻し永遠の生長の果てに仏になる。

そして浄土はいつも共にあると感じることが出来るようになることが信仰を深める事に近づく気がします。

上手く言えませんが、、、
>この話はおしゃか様がお医者さんで、息子達が衆生、良い薬が法華経を意味

お釈迦様が、他人(医者)のふんどしで相撲をとったていう話ですね。わかります。
嗚呼、情けなや。
僕自身も、まだよく理解消化出来ていない。

法華経如来寿量品第十六
良医治子のたとえ
自我偈

ここで言いたい事はお釈迦様が入滅の姿を見せるが、僕らはお釈迦様が見えなくなっても見えない仏さまの世界といつも共にあり、その浄土は決してやぶれない。

法華経に出会うとは、良き薬であり
お釈迦様とは、良き父(医者)であり
現世で苦しんでいるのは自分だ。

だから少し先の未来はその見えない世界・浄土をいつも感じ、繋がる事かな?

その澄んだ眼。

法華経に出会う。誤解無く理解したいです。

苦しんでいる自分に為す処方は?
今日は御住職と話しをしました。なぜ正しいことをしたいと思うのか?その心の根元は何か?愛すると言うことはどういう事が心の根元にあるか?

そんなことを問われて、うむむとなりました。

すぐ答えがでない。

正しいことをしたいと思うこころは仏さまが苦しみを離れ安楽なこころになるように、正しいことをしていたら罰せられない。人から、親から、世の中から罰せられない。自分や社会から認められる。それが正しさを好む者の心理に思う。

だがその思想は足りない物がある。

憎しみ、差別、独裁、一方的な裁き、正義のその奥に闇が潜む。

愛や慈愛、幸せを作ろうとする努力を怠らない。
他人の幸せも正しさだろう。
愛すると言うことの根源は何か?

ギブアンドテイクとか、ボロボロとなるまで相手に無償の愛を与える。それが本当の愛か?

社会心理学者のエーリッヒフロムの言葉を借りると愛は技術であり相手から学び生長する物だ。恋に落ちると言う行為はわがままが同調してわがままが二倍になるにすぎない。と教えてる。また恋人を通して愛する事を学び、幸せを作って行くかを考え幸せにできる人は世界を愛する事ができる。

そんな人間としての生長を愛から学ぶと言うことを御住職に答えました。

すると御住職は愛や慈愛は心の中にあり、膨らみ生長するものだ。ただ自分勝手で気づかなかったり見えない人が多い。そう話されました。

愛についても語り合う、皆で慈愛溢れる心になりたいものです。
あとこじきと悟りについて語り合いました。

豊かさや幸せの反対のこじきをどうとらえるか?

こじきは欲はそんなにない。豊かな人は欲を肯定する。そう言う意味でこじきの方が仏さまに近いと思う。
ただ人間は輪廻の最中で、何かしらの学びや精進が必要。こじきは何かを得る為に何か努力をしているか?
そこが重要に思う所でお話が一段落しました。

また語り合いたいです。
四日くらい前に法華経ダイジェストをお寺で読もうとしたら

ご住職に、法華経薬王菩薩本品第二十三を読んで欲しいと言われました。

薬王菩薩さまは己の身を焼いて仏の道や法華経へ導きました。

観世音菩薩さまの方が人に福を与える仕事の方が重要に思うのですが、

ただその時、法華経随喜功徳品第十八を思い出しました。

もし人にあって、法華経を聞いてこころに喜びを持ち、それを他の人に伝えよう。その人がまた他の人に伝えて、五十人目に法華経を聞いた人が心に喜びを持ったとしよう。そうすれば、その人が受ける恩恵は、限りなく大きい。

ある人が福を求めて八十年の間、人間はもちろん、あらゆる生き物に施したとしよう。その功徳でさえ、五十人目の人が受ける恩恵の100千万億分の一にも及ばない。

だから人に福のために一生を費やす観音さまよりも、

人に仏や法華経のある場所やこころを身を削って伝える薬王菩薩さまの方が先に紹介される。と聞きました。


まだ僕はその法華経を上っ面しか掴んでない。

辛くなると逃げる、僕も身を削ってまで信仰を貫き通すことが出来るだろうか?

仏さまのように人を慈しむことが出来るだろうか?

自分を否定されても傷ついても人を大切に出来る真実を解り合うことが出来るだろうか?

迷わず覚悟して、行動出来る自分を作ろう。

でもまだ迷う。決断出来ない。迷うことが目的ではないのに。

またご住職と話そう。祈ろう。
今年の7月になってから、息を物凄く吸って、お題目をゆっくり唱える事が導入されました。

深い呼吸がヨガの呼吸法になってるらしいです。

実際ゆっくり唱える事により、焦りみたいなものを感じなくなり、また海の上でゆらりゆらりと漂ってる感覚になり、また一文字一文字を腹の奥底から深く唱えているようになり精神安定にもいいような気がします。

また行こう。
今日ひさびさに了法寺に行きました。ちょっとご住職とお話をして、がんばらなくていい、本当にやりたいことを喜びながらやればいい。

本当の頑張るって、やりたいことをやってれば頑張るよりもやったって気持ちでうれしい気がする。

少しでも頑張らなきゃいけないことをやりたいことにできたらいいな。

それもむりがかかるけど。まだ迷いの中です。
昨日了法寺に行きました。お祈りしに行ったらお祈りよりお話をしました。

朝遅く起きて30分だけしか居られませんでしたがご住職は無理はしなくて良いと暖かな心で感謝すれば良いと言ってくれました。

一昨日から悩んでいたのですが腹の奥から感謝するだけで心のもやが消える。不思議な体験でした。この感謝しきれた心がどれだけ幸せか。それを体感した時の不思議。ありがたし。

また心は妙、自分の中には計り知れないとらえきれない不思議がある、それが妙だと聞きました。

それは宇宙の計り知れない捉えきれない、宇宙すべてを受け止める自分が妙で、宇宙全体が妙と感じました。また妙音菩薩さまや観世音菩薩さまも思い出されます。

世の中不思議ですが、感謝するこころに自分の心神仏菩薩さまのこころとなるだけで一念三千少しずつ苦しみの世界からから離れていくのだと思います。

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