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アルカサル -王城-コミュのスペインについての雑談

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アルカサル本来から外れるかもしれませんが舞台となっているスペインの雑談にでもとトピを作ってみました。

で、始めに現在のスペインについての情報をば・・
(僕の入っているスペインサッカーコミュ用に書いた物を転載します)


○スペインについてです。


スペイン(Spain)

国の正式名称:スペイン語で、Reino de Espana(レイノ・デ・エスパーニャ)

面積:50.6万キロ平方メートル

首都:マドリード

言語:主要用語(スペイン語)
   地方公用語(カタルーニャ語、バスク語、ガリシア語)

人種・民族:スペイン人・カタルーニャ人等 

国名由来:フェニキア語のウサギの意

国旗の意味:黄=国土・赤=流された血・盾紋:5王国の紋章


国名がウサギって・・・

コメント(20)

また、この国は相も変わらず民族同士が反発していたりしてます。

大きなところで、現在の首都(中央政権)であるマドリードとバルセロナ、マドリードとバスク・・・
サッカーで言う所の、レアル・マドリードとバルセロナの様にスポーツの世界でも揉めています。

マドリードとバルセロナの事の発端は、カスティリア王国(マドリード)とアラゴン王国(バルセロナ)の関係&かって軍(フランコ)が政権を握っていた頃、寵愛されたのがレアル・マドリードであり、虐げられたのがバルセロナ。

スペイン北東部、カタルーニャとバスク地方には今なお独立を目指す動きが続いている。先日マドリーで起こった列車爆破テロに対し、当時の首相は当初、「バスク(ETA)のテロだ」と言い放ったほどである。それほどまでに両都市の溝は深い。

と、アルカサルで描かれていた事を一部ではだけど今だに問題になっている所が凄いです・・

ちなみに、このレアル(Real)と言う名前はスペイン語で「王室の」という意味です。
つまり、あるフットボールクラブ、アスレチッククラブ、チェスクラブ等々、どんなクラブであれ王室から認可を受ければレアルを名乗ることが可能なのです。

で、問題のバルセロナやアスレテック・ビルバオ(バスクの代表的チーム)は案の定このレアルと言う冠をつけていません。
チーム側から辞退したとの事・・
流石だ・・・
そうそう、細かい事ですが国旗に入ってる5王国の内訳です。

写真を参考に、

紋章は王冠を戴く。中央、ユリの花をかたどったブルボン家(1700年〜現国王へ続く)の紋章を囲む5つの紋章は、それぞれ統合前の王国を示す。


○左上:城
"castillo" : 「カスティリア王国」 (スペイン中央部、マドリードを中心とする。930年成立。1469年女王イサベルがアラゴン王子と結婚、1479年スペインとして統一)


○右上:立ち上がったライオン

"leo'n rampante" : 「レオン王国」 (スペイン北西部。914年成立、1230年カスティージャ王国と最終統合)


○左下:細帯

"vergetas" : 「アラゴン王国」 (スペイン東部、バルセロナを中心とする。1035年独立、1137年カタルーニャと共同統治を開始。1469年王子フェルナンドがカスティージャ王女と結婚、1479年スペインとして統一)


○右下:鎖

"cadenas" : 「ナバーラ王国」 (スペイン北東部。820年成立、1512年カスティージャ王国に併合)


○中央下:ザクロの実

"granada" : 「グラナダ王国」 (スペイン南部。1238年に建国されたスペイン最後のイスラム教国、1492年征服される)


とまぁ、こう言う事らしいです。
さて、劇中の主人公ドン・ペドロ一世とエンリケ二世についてです(ネタバレになる可能性があるので注意!)


とりあえず親父さんのアルフォンソ11世から・・

○アルフォンソ11世 Alfonso XI
生没年:1311-1350

父:カスティリア・レオン王フェルナンド4世

妻:マリア(父:ポルトガル王アフォンソ4世)
子:ペドロ1世

女:レオノール・デ・グスマン
子:(庶子)エンリケ2世


○ペドロ1世 Pedro I el Cruel
生没年:1334-1369

父:カスティリア・レオン王アルフォンソ11世

妻:ブランカ(父:ブルボン公ピエール1世)

妻:マリア・デ・パデリア
子:コンスタンシア(夫:ランカスター公ジョン・オブ・ゴーント)
子:イサベル(夫:ヨーク公エドマンド・オブ・ラングリー)


○エンリケ2世 Enrique II
生没年:1333?-1379

父:カスティリア・レオン王アルフォンソ11世

妻:
子:ファン1世
子:レオノール(夫:ナバラ王カルロス3世)

きゃ〜〜〜、みなさますごく勤勉家!
ありがとうございます。

時間がないのでじっくり読むのは後ほどということにして
(すみません、大変失礼なことを・・・)
でもでもヨーロッパ史が大好きな私にとっては
よだれジュルジュル(←はしたない)な情報ばかり。

特に王家どうしの血縁関係とか、
王家の旗印のいわれとか、もうもう大好きなんです〜〜〜〜。
で、写真は拾ってきた物ですがドン・ペドロ1世のアルカサルです。
(セビリア王宮)

アルカサル(セビリア王宮):世界文化遺産指定。アラビア語で宮殿の意味。イスラム教徒が8Cにグアダルキビール川の治水を目的に建設した要塞宮殿。12世紀にムワヒッド朝が大モスクを築いたが、現存するほとんどの部分は1364、イスラム教徒からセビリアを奪回したキリスト教王ペドロ1世が改修したもの。セビリア最古の建物。ムデハル様式が基本。グラナダやトレドからも優れた腕の棟梁、左官、装飾職人を呼んだ。君主が交代する度に当時の流行や君主の趣味で新たな装飾が組み込まれたり、覆い隠すように重ねたりした結果、ゴシック様式やルネッサンス様式がちぐはぐに混在する。


写真右から

○獅子の門:王冠を載せ十字架を持ったライオンが陶器タイルに描かれる。

○モザイク模様にスペイン特有の華麗なムデハルを取り入れた物

○庭園:2階から水が庭園の池へと・・・
追加:

この城、8世紀に回教徒の手によって建てられた物ですが、その時代の部分は僅かしか残っておらず、ほとんどが13世紀にキリスト教徒がセビーリャを奪還してからのものです。ペドロ1世は当時属国だったグラナダ王国のモハメッド五世からアラブの最高の技術者や職人を借り受けて築城しました。建築様式はムデハルというスペインで生まれた華麗なアラブ様式です。後にフアン二世、カトリック両王、カルロス五世、イサベル二世などが改築しています。

同じく右から

○獅子の門のUP

○乙女のパティオの周囲の建物

○庭園の池

ドン・ペドロと言えば池!(w
そう言えば、ドン・ペドロの最愛の人でもあるマリア・デ・パデリアはイタリアでオペラになっていたみたいです。

MARIA PADILLA

初演:1841年12月26日、ミラノ、スカラ座
台本作家:ガエターノ・ロッシの台本に、ドニゼッティ自身が加筆
原作:フランソワ・アンセロットの戯曲「マリア・パディッラ」(1838)

内容は長いので以下のURLを参照して下さい。

http://www.h5.dion.ne.jp/~goten/donizetti1841.htm

しかしまぁ、落ちがなんとも・・
そして、肖像画

右より

○アルフォンソ11世(パパ)

○ドン・ペドロ1世(Pedro I el Cruel)

○エンリケ2世(Enrique II)

ぐわぁー!イメージが!!
マリノスケさん、よくぞここまで!
ありがとうございます〜〜〜。

掲載の肖像画ですが・・・
アルフォンソパパがいちばんかっこよいじゃない・・・と思うのは
私だけ???

ドンペドロはまあこんなもんなんでしょうか。
「黒髪で長身のハンサム・・・」むむむ。

で、いちばんしょぼいのはエンリケだ!!!(笑)
うわ〜!!
すごいです!!!
ホントに「よくぞここまで!」ですねヽ(*´▽`*)ノ
すっごく勉強になりました。
写真も素敵です♪

スペイン、一度は行ってみたい国です。
そして、
「トモコ マミヤです」と名乗って、
「オ〜、マンマミーヤ!!」と言われたい…。←バカです。
みなさまありがとうごいます!

どうも一度気になると調べまくってしまう癖があるんです(w


どうもドン・ペドロの肖像画がどことなく信長チックなのが気になります(僕だけですか?)
そう言えば、信長も激烈な性格だった様な・・
ついでに関係の深いエドワード黒太子関係の事も調べてみました。

○エドワード黒太子 Edward the Black Prince
生没年:1330-1376
父:イングランド王エドワード3世

妻:ジョアン(父:ケント伯エドマンド)
子:エドワード・オブ・アングレーム
子:リチャード2世


このエドワード黒太子ですが、太子のまま即位せずに没していたり、その翌年に父のエドワード3世も没していたり・・

何故「黒太子」と呼ばれたか、というのは、いろいろな説があるらしいです。常に、黒い甲冑を身に付けていたとか、(フランス側から見たら)悪魔のように恐れられた、など。しかし、黒太子という呼び方は、後世のものだとかいうらしいです。
 とはいえ、父も祖父も同じエドワードという名前なので、黒太子とかブラック・プリンスとか呼んで、区別するのが合理的かも

 黒太子は、騎士道の鑑として有名のようで、1356年のポワティエの戦いで捕虜にしたフランス王のジャン2世に対して、非常に礼儀正しく接したとかの逸話があります。
 後年、スペインの内紛に介入して、そのときに病を得て、引き揚げざるを得なかったときに、フランス軍と戦い、占領したリモージュの住民を虐殺するなどしたため、騎士道の鑑としては、ものすごい汚点を残したことになりますが・・。
その後、目立った活躍をせずに、ほぼ10年後に父に先立って世を去ることになります。

ところで、介入したものの健康を損ねるなど、良いことはなかったというスペインの王位争いですが、黒太子(イギリス)が支援したのはドン・ペドロ1世の方で、黒太子の弟たち、ジョン(ランカスター家)やエドマンド(ヨーク家)は、ドン・ペドロとマリア・デ・パデリヤとの娘たちと結婚しています。
ジョンは、ペドロ亡き後、後継者の夫ということでカスティリヤ王位を主張している。
そして、ドン・ペドロ1世とマリアの娘達の嫁ぎ先の事

彼らを語るには、黒太子の父王でもあるエドワード3世から調べてみた方が良いと思います。

○エドワード3世 Edward III
生没年:1312-1377

父:イングランド王エドワード2世

妻:フィリッパ(父:エノー・ホラント伯ウィレム3世)
子:エドワード黒太子
子:ウィリアム・オブ・ハットフィールド(夭折)
子:ライオネル・オブ・アントワープ
子:ジョン・オブ・ゴーント(ランカスター家へ) ←
子:エドマンド・オブ・ラングリー(ヨーク家へ) ←

〜以下省略

問題は、この黒太子の弟の2人で、ジョン(ランカスター家)とコンスタンスが、エドマンド(ヨーク家)とイザベルが結婚しました。
●ランカスター家 Lancaster

○ジョン・オブ・ゴーント John of Gaunt
生没年:1340-1399

父:イングランド王エドワード3世

妻:ブランシュ(父:ランカスター公ヘンリー)
子:フィリッパ(夫:ポルトガル王ジョアン1世)
子:エリザベス(夫:ペンブルク伯ジョン・ヘイスティングズ及びエクサター公ジョン・ホランド)
子:ヘンリー・ボリングブルック

妻:コンスタンス(父:カスティリア王ドン・ペドロ1世) ←
子:カタリナ(夫:カスティリア王エンリケ3世)

妻:キャサリン・スウィンフォード(父:サー・ペーン・ロイト)
子:ジョン・ボーフォート(ボーフォート家系へ)
子:ヘンリー・ボーフォート
子:エキサター公トマス・ボーフォート
子:ジョーン(夫:サー・ロバート・フェラーズ及びウェストモーランド伯ローフ・ネヴィル)


補足ながら、ジョンとコンスタンスの娘であるカタリナの夫となるのは、かのエンリケ2世の孫のエンリケ3世(父:ファン1世)・・
そしてその子がカスティリア・レオン王、ファン2世

複雑です・・・
●ヨーク家 York

○エドマンド・オブ・ラングリー Edmond of Langley
生没年:1341-1402

父:イングランド王エドワード3世

妻:イザベル(父:カスティリア王ドン・ペドロ1世) ←
子:エドワード
子:コンスタンス(夫:グロスター伯トマス・ル・デスペンサー)
子:リチャード・コニスバラ


こちらは2人の子のエドワードがヨーク家を無事につぎ、彼に子息が居なかったのでその弟のリチャード・コニスバラがヨーク家を引き継ぎました。
( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェー

このトピック、なかなか勉強になりますね。
初めまして。

6月にツアーではなくフリーでスペインかドイツに行こうかと思っております。
が、旅行会社の人に「スペインは治安が悪い」と言われました。
どれくらい治安が悪い所なんでしょうか?
青池先生のマンガを読む限り、あまり怖さは感じないのですが…。
どもです。
旅行に行かれるのですね!
良いなぁ羨ましいです。

で、僕も気になったので調べてみました。


○旅行者が被害に遭うのはスリや、ひったくりや置き引きなどの犯罪が多く、命を失うような犯罪に巻き込まれることは、まず無い様です。でも、頻発している首しめ強盗は被害にあったときのダメージが大きいのでくれぐれも気をつけてください。


○事例1) 女性・二人旅
夜、マドリッドのソル付近のオスタルに戻る時、後をつけられ、オスタルの建物に入った瞬間、玄関ホールにアラブ系の複数の男が押し入ってきて、バッグなどを強奪された。最近、こうしたアラブ系複数犯による強奪がホント多い。背後には充分気を付けてね。

○事例2) 男性・一人旅
マドリッドのスペイン広場付近で歩行中、警察官と名乗る車に乗った男にパスポートを見せるように要求され、パスポートを渡したところ取り上げられ、車に乗るように指示され、パスポートを返してもらおうと車に乗ったところ、脅されて現金やT/Cなど、すべて奪われた。

○事例3) 女性・在住者
マドリッドの市街地を一人で歩行中、後ろから来た男に背中に何かを突きつけられ、細い路地に連れて行かれ、バッグを奪われた。
事例4) 男性・一人旅
バルで飲み物に薬物らしい物を入れられ、眠らされて所持品をすべて奪われた。

○事例5) 女性
マドリッドの地下鉄でスリの集団に囲まれた。列車に乗り込む時に取り囲み、連れに近づけないようにされ、その後、ポケットの中にさりげなく手を入れてきた。でも、ポケットには何も入ってなかったので被害はなし。 スリが本当に多いので、要注意!

ほかにも、コインなどを足元に落として、気を向けさせたり、アイスクリームなどを服につけ、動揺させて金品を奪う人たちもいるようです。

○あぶない場所 :
観光客が集まる場所は特に危険です。
ソル、グランビア、アトーチャ、プラド美術館周辺などでの被害が目立っています。観光客がよく泊まるようなホテル、オスタル周辺も泥棒たちが目をつけているので、周囲には気を配って、防犯を心がけてくださいね。

○これだけは守ろう!:  
※夜間の一人での外出は控える。日中でも狙われることがあるので、気を緩めないで。
※外出の時は必要最低限の物しか持って歩かない。大切なものは入っていないとしてもバッグなどを持っていると、その中に貴重品が入っていると思われるので、できれば手ぶらでの外出をオススメします。
※現金は外観でどこに持っているのかわからないように工夫する。 (以前出会った日本人の男の子は靴の中にお金を入れてたなぁ。そこまでする必要があるかは???)首からかけたりする貴重品袋の存在を泥棒たちは知っています。貴重品袋を過信しないでください。

○気をつけよう! :  
※バッグは肩にタスキ掛けにしていると引ったくりに遭いにくいと言いますが、車から引っ張られた場合、危険が増します。
※空港で客引きしているタクシーにはついて行かないでください。ボラれることが多いようです。タクシーを利用する場合はタクシー乗り場で並んでいるタクシーを利用すること!街中の流しのタクシーはまず、信用できます。が、念のためメーターがきちんと動いているかチェックしてね。

○ひとこと:
被害の話しを聞くとなんだかとても恐ろしい気がしますが、実際はそんなに怖がることはないと思います。警戒心をあまり強く持ちすぎるとせっかくの旅行も楽しくなくなってしまいます。最低限の防犯に対する心がけは必要ですが、もし、それでも被害に遭ったら、命だけは助かって良かった・・・と思えるような心の余裕を持てると良いと思います。とにかく命だけは大切にして楽しく旅行しましょう!

あと、外務省のスペインのページで調べてみるの手と思いますので一応乗せておきます。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/spain/


余談ながらイタリアの南部(ナポリ等)とかでもスリは多い様です。
ヨーロッパでは基本なのかも(w


まぁ、日本の治安の良さ(最近は怪しいですが・・)が世界的に見たら異常なので危ない所には近づかない等の注意をして居れば大丈夫だと思われますので旅行の方を楽しんで来てくださいませ。

そうそう、以下の様なサイトもあるのでご参考までに。
(SNJ-スペインの治安)

http://www.spainnews.com/chian/chianmain.html
マリノスケさん、アドバイスありがとうございました。
教えて頂いたサイトも見てみました。
海外は初めて行くので、ちょっと怖いなぁとやはり思ってしまいました(^^;
僕の場合は、海外に行ったらいつもジーパンにサッカーユニとかでうろついているのでサッカー好きなおっさんとか以外は近づいて来ないですね(w

ほぼ手ぶら&金は無さそうオーラを出しているので危ない目にあった事も無いです(w

まぁ、基本として人気の少ない所には行かない、暗い所には行かない、危なそうと思った近づかない、知らない人には付いて行かない、金目の物は身に付けない(露出させない)等を気を気を付けていたら大丈夫だと思いますよ。

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