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戦国武将列伝コミュの関ヶ原の戦い

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関ヶ原の戦いについてのトピです。

謎や戦略など話あいましょう。

コメント(22)

戦術・戦略を語るのは難しいですね…げっそり
有能な軍人と有能な政治家の戦い…ウインク
そう表現させて下さい…冷や汗
戦う前から結果は見えていたと…
これ以上は特定の武将の悪口になるので…げっそり
関ヶ原の西軍って、それぞれの思惑があってバラバラな感じがします。。。

特に毛利勢は。。。

石田三成は、傲慢な人物に描かれることが多いですけど、

私個人としては、そんなに傲慢な武将ではなかったと思いますね。

三成は有能な武将だと思いますよ〜ウインク
戦国三智将の一人…島勝猛を家臣にしただけでも評価はできますね〜ウッシッシ
ただ自らの職務を忠実に行った結果…恨みを買うことは現代でもよくある話しです…がまん顔
槍働きで成り上がった武将たちにとって戦経験もないのに五奉行の一人としてデカイ顔している三成は目障りだったのでしょう…冷や汗
余談ですが…
関ヶ原以降の徳川家でも本多正純などの謀将が重宝されて四天王の一人である榊原康政が悪態をついたなんて話しも残っています…がまん顔
いつの時代も武官と文官の対立はあるもので…関ヶ原の戦いは家康がそれを利用したんですね〜ウッシッシ
私も三成は優秀な武将だと思います指でOK

島左近が家臣にいることや、大谷吉継に対する茶会での態度からみても好感が持てます。

いつの時代も武官と文官の対立はあるようですね。

戦争がなくなると、武官は活躍できなくなっちゃいますからね。

あと、しいていうと上杉家が家康を追撃できていれば。。。

なんてことも考えちゃいますけどね。

上杉が動かない事を家康は計算していたと思いますよ…冷や汗
それに直江兼続も家康が本気で攻めてくるとは考えていなかったと思います…がく〜(落胆した顔)
上杉討伐に手間取れば手薄になった畿内から東海…関東まで西軍の手に落ちて下手すれば挟撃の危険さえありますから…げっそり
家康は伏見城を餌に三成の決起を誘発させて反転の機を伺っていた…ウインク
逆に兼続は…家康の横暴に反感を抱いている豊富恩顧の緒大名が決起するのは時間の問題と考えていたはずです…ウインク
では仮に…上杉が追撃軍を出していれば…
攻城戦に比べて野戦はすぐに決着がつきます…冷や汗
それに家康の野戦上手は小牧・長久手の戦果で周知の事実…さらに会津の背後では伊達政宗が侵攻の機会を伺っていて挟撃の危険さえあった訳です…げっそり
軽挙妄動しなかった…その一点だけで兼続の能力の高さが証明されると思いますよ…ウッシッシ

しかし…家康の攻城戦下手は大阪夏の陣で完全に露呈するのですが…もっと早く知られていれば歴史は違う方向に動いていたのかもしれませんね…冷や汗
関が原の戦いの配置図を幕末のドイツ軍人に見せたらどうして家康が勝ったのか分からないって返答が来たって話があるようですねw

関が原より九州をほぼ手中に収めた黒田官兵衛のが怖いw
上杉景勝及び、直江兼続が追撃しなかった理由はいくつか説がありましたね。

1、追撃を考えていたが、最上、伊達の動きが気になり追撃できなかった。

2、直江兼続は追撃を進言したが、上杉景勝がなぜか許可しなかった。

これがよく言われている理由ですが、こんな説もありました。

3、家康が殿に、結城秀康を配置した、結城秀康が上杉景勝に挑戦状を叩きつけた。景勝は家康と戦うと思っていたが、秀康に変わったことで拍子ぬけしてしまい引き返してしまった。

でも、家康の攻城戦下手は知りませんでした。確かに、家康が城を落としたとあまり聞いたことがないような。。。


黒田官兵衛の九州での怪物的な動きはすごかったですね。

北九州をほぼ制圧したのはすごい。各地の戦いも面白いものがありますね。

黒田如水の天下統一を阻んだのが息子長政の戦での活躍って言うんですから皮肉なものですよね。

関が原が1週間掛かっていれば如水は天下人だったかも。
家康というか徳川家臣団は攻城戦を苦手としていたようですよ〜ウインク
有名なのが上田城の真田攻めですね〜ウッシッシ
関ヶ原の秀忠も含めて二度失敗しています…冷や汗
攻城戦を得意とした武将はもちろん豊富秀吉ですが…その秀吉が築いた大阪城を攻城戦を苦手とする徳川家康が攻める…がまん顔
冬の陣で散々な目にあった家康は休戦を申し入れ講和の条件として城の外堀を埋めたのですが…どさくさに紛れて内堀まで埋めてしまったんです…冷や汗
豊富方は篭城戦を諦め野戦を挑んで滅亡した…これが夏の陣ですね〜ウインク
布陣だけ見れば西軍有利なのに内応予定者が居るから敢て東軍はあのように布陣したのでしょうけど東軍総大将のその根性というか気合がすごいですよね。携帯とか直接会話して「頼むよ〜、当日裏切ってくれよ〜」「OKOK!まかせとけ〜」って直接の確約ではないのに(それだって怪しいのにw)よほどの覚悟だったんでしょうね。

石田三成は好きな武将ですが想像すると・・・友達になるとすっげーーいい奴なんだけど、パッと見は生意気で気にくわねぇ奴なんだ!って感じでしょうか?w
関ヶ原が一週間かかっていたら、どうなったんでしょうね

すごく興味深いです。他にも毛利輝元が参戦していたらとか。。。


徳川家にとって、上田城は鬼門ですね。何度も撃退されてますからね。

苦手意識が定着しちゃったかも知れないですね(汗


ゆっきーさんの石田三成像はかなり当たっているような気がしますね。

私も石田三成は好きな武将ですね。


関ヶ原が一週間かかったら…冷や汗
実はそれを一番怖れていたのは家康だったという話しがあります…ウッシッシ
豊臣秀頼の参陣…ボケーっとした顔
それは家康に味方した豊臣恩顧の緒将が大量に離反する最大の危機です…げっそり
結局…秀頼は後の大阪の陣でも参陣しなかったのですが…冷や汗
三成が秀頼を参陣させていれば勝敗は変わっていたかもしれませんね〜ウインク
秀頼参陣もしくは、名目上の西軍総大将毛利輝元の参戦があれば、勝敗は変わっていたのかも知れませんね。

日和見大名の動向に左右された戦いでもあったような気がします。

でも、石田三成は短期間の間に西軍を作り上げたんですから、

敗れたとはいえ、大したもんだと思いますけどね。


秀頼参陣、輝元の積極的参加があれば・・・確かにそうですね。

それか、福島や加藤ら武断派と三成が仲違いせず協力し合っていたら・・・
秀吉や秀長、寧々さんあたりが「おまいらー、最近仲悪い様だけど仲良くするだぎゃー」とかw

それと豊臣家には有力な親族衆がいなかったってのも理由のひとつかもしれませんね。
関が原の英雄は小早川秀秋ですね。

絶妙なタイミングでの裏切り、合戦を一日で終わらせてしまうほどである。

もし合戦が長引けば当時の農民たちの被害はすごいものだったでしょうね。

秀秋ほど判断力を備えた武将は数少ないでしょうね。

若くして夭折してしまったのがもったいない。

小早川秀秋は関ケ原の後豊臣の親族なのに裏切ったと裏切り者扱いされて関ケ原で死んだ武将らの亡霊を見るようになり心身共に疲弊して若くして死んだと昔聞いたことがあるんだけど実際はどうなんでしょうねあせあせ
> 碧雲さん


確かに最期は発狂死したような記録も残ってますね。関ヶ原では味方を裏切って家康に付き、勝利に大きな貢献しました。しかし、肖像画で見る秀秋はとても荒々しい合戦には似つかわしくない細面ですからね。後で自分のしたことを実感して自責の念にかられても不思議じゃないですよ。そりゃ亡霊も見えるかもしれませんね。彼の判断が正しかったか、間違っていたかは何とも言えませんが…
英雄かどうかは別として…農民の視点から見れば小早川さまさまは納得できますね〜ウッシッシ
とても斬新な意見だと思いました…ウインク

判断が間違ってるかどうか…豊臣家親族としては裏切り者である事は間違いないのですが…冷や汗毛利家の家臣として考えれば間違った判断とは言いづらいですね〜ボケーっとした顔
西軍総大将の輝元が所領没収を免れていますから…冷や汗
吉川広家が口約束だけじゃなく証文を得ていれば毛利家は減封もされなかった訳で…げっそり
主家の為に裏切ったのならば…忠臣と評価しても良い人物かもしれませんね…ウッシッシ
奇襲の話は聞いたことがありますね。

石田三成が退けたんですね。

あと、島左近の関ヶ原の奮戦と島津義弘の中央突破は凄まじかったようですね。

> 戦国武将@司さん

三成が夜襲の話しを退けた事…島津義弘の率いている兵がわずか1500人だった為に軽視された事…これが遺恨となって島津家が日和見をしたと言われています…冷や汗
島津の中央突破による退却は…一般的に勇猛な義弘が敵に背を向けて退却する事を潔しとしなかった…と言われていますが、肥満だった為に伊吹山を越えての退却が困難だったという説もあります…ボケーっとした顔

朝鮮の役で明の大軍20万を退けた島津の不戦…西軍敗戦の一因である事は間違いないですね…げっそり

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