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花の24年組コミュのトランスジェンダー?

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はじめまして。こんにちは。
私は木原敏江さんの『摩利と新吾』が大好きで、それを読んでから花の24年組に興味をもちました。
そして今、竹宮恵子さんの『風と木の詩』を読み始めたところです。

この時代の方のまんがを読んで、その魅力に引き込まれてしまった理由は、たぶん物語の性設定です。
たとえば
池田理代子さんの『おにいさまへ』
山岸涼子さんの『日出処の天子』
萩尾望都さんの『トーマの心臓』

『おにいさまへ』は隔離された女性社会が舞台で、その上に君臨する男性社会が設定されています。(たぶん)

『日出処の天子』は男性と女性が出てくるけれど、主人公の目線からは女性という存在に否定的な印象を受けました。

『トーマの心臓』は男子校だけど、性差のない愛を語っています(中性)。

どれも性を越えた愛の理想(と挫折)を描いた話で
(性への違和感)
私はこの部分に魅かれたのだと思います。

これらの作品が大好きです。
私はまんがに詳しくないし、私が生まれる前の作品なので当時の読者がどの部分に魅かれ、愛読したのかわかりません。
けれど、この漫画たちに出会って、今私の心には、彼らが大御殿を作り住みついています。

質問ですが、
花の24年組の先生方の作品の何処に魅かれましたか?好きな作家さんとともに教えてください。(それ以外でも)
今後読む漫画の参考にしたいです。

尚、上に書いたことでおかしい所ありましたら教えてください。

コメント(24)

とにかくこの時代の作家さんの
知的レベルの高さ、芸術的センス、作品に込めたエネルギーの濃さは
現代の少女漫画家など足許に及ばないと思います。
非常に個人的な意見ですが
こういう作品がごく普通に連載され、年頃のお嬢さん方が心ときめかせて読んでいた、
素敵な時代だと思います。
ワタクシもリアルタイム読者では無いので
当時を知る方々が羨ましいです。
私はリアルタイマーですが、
まりもちょんさんと同意見ですなあ。
こんばんは

あまり書き込みがないのですがわりとこの話題はどこでもでますね

この年代から同性愛が描かれたという取り上げ方をよくされているように思います
私は子供でしたが求めあい引かれあう同性の登場人物に衝撃はなく
簡単にマンガとして引き込まれて読んでました
女学校が舞台は多いように記憶してます

トーマの心蔵と風と木の詩のころはちょっと異質でこれなんなのと読んでいるうちに夢中になりました
当然の設定とは思いませんでしたが
すらりとした男の子がふりふり衣装をきてタイツをはいたりはテレビでも当たり前になっていましたし
この二つは同じコミックでなんとなく印象も似ていて雑誌の性格付けをする作品という感じがありました

コミックやララには載らない
都市で働くうら若い女性が田舎の母に結婚を進められて涙ながらに
男への未練を断ち切る心情を語る、とかそういうのは小さい子供から見るともっと気持ち悪かった
おとぎ話的なものがないというのでしょうか
演歌や青年マンガに繋がる感じですが

その後は男の子ばかりの心理を鑑賞するマンガは当たり前になってました
男同士ってホモだろ、げーっと男の子や年輩の方が
深く考えて気持ち悪がって
初めてそういわれれば男ばかり、と感じるくらいで
だれも気にしてなかったと思います

ライオンさんと森の小人が家族で木の精と小りすがお友達とか
全然普通ですよね
そんな感じでした

言えるのはどの方も少女マンガ的基準で絵が巧くて泥臭くなかったことです
子供が絵を気に入らないと人気にならなかったと思います
絵が気に入ることが荒唐無稽に入れ込むいい訳にもなったってことです
それに子供が理解できる程度の苦悩と愛情と悩みと出来事があれば充分でした
ストーリーがなんであれあれは絵がいやと言ったら話になりませんでした
結果として大人も楽しめると言われたんだと思います
長くてごめんなさい

その後専門的に同性ばかりの本など出てきましたので
その道(?)に入れ込む人はまたここからいろいろと発展していったのかもしれないです

私は大手出版社の売れている雑誌ばかり読んでましたし
マンガにおけるジェンダー論のようなものは
言い掛かりか考え過ぎか利用しやすいから
丁度いい材料にされてるなって感じでした
こんなに子供も進んでいるのに旧弊な考えはけしからん
どれだけ性差別がひどいか女性の感覚の柔軟さを見習え
等の主張のためにマンガを持ち出されてもって感じでしょうか
大多数は平凡に異性を好きになったりしてたと思います
別にこうゆう趣味のある私たちを理解してほしいといった主張は
なかったと思います

所詮子供ですから男社会が上に君臨してるなんていわれても
わからないでただ女学校だわと思っていましたね
男子校は男だけなのは当然ですから
なんのひっかかりもなかったです
「少年愛」が「先端的な」少女漫画のキーワードだった時期がありました。無論、性差を超えた愛をどう描くか、というモティーフが背景にあったのでしょうが、後の時代の「やおい」につながるような要するに「美少年萌え」みたいな享受のされ方が実は一般的だったのではないかと思っています。萩尾さんが先駆的に調味料として使ったのを竹宮さんが全面展開し、大島さんがチクリとその傾向を批判する(参照『さよなら女たち』)というような構図ではなかったかな。
私はやおいって全く読みませんのでしりませんが
女の子好みの容貌や行動をする男の子をキャーキャー騒ぐ感じは
ありましたね

前後にどじで駄目な私を素敵な彼が好きになってくれて
というお話が沢山あったのですが
その自称だめな私
(ぎょろめで数学が苦手で鼻ぺちゃ等の嘆きがありますが実際は可愛い絵)
= 女の子の心にある共通の自己像のようなものを
女の子を恋しない美しい少年の役柄に変えた感じはありました
気分はジルベールっていったらいいんでしょうか
自分だけまわりに馴染めない普通の女の子らしくない私、は気分はセルジュかもしれないです

竹宮さんが全面展開というのはどんぴしゃりですね
ここで一気に花開く異世界という感じでした
大島さんが批判したかどうかは子供なのでわかりませんでしたが
いまちょっと手元に紐解けなくて怪しいのですが、大島さんの白くて赤いラインのコミックスの何点かは読み返して「色あせない..」と驚いた事があります。援交の話、生まれ変わりのオカマの話、当時は「なに書いてるンだろうこの人、面白いけど独特」って思ってました。でも今ならこの話、すんなり受け入れられますよね。私が少女の頃は大島さんはビッグネームだったので、生意気にありがたがってわかりもせずに読んでいたのが恥ずかしいです。ところでみなさんは倉田江美は読まれますか?私大好きなんですが、24年組ではないのかしら...?
確かに色あせない物が多いですね
特に綿の国星以降はそうだと思います
倉田江美はコミックスやララでしたから
雑誌で読んでいた読者は比較的見ていると思いますよ
24年組かどうかはわかりません
全てリアルタイムで読んでました。

当時は『美少年もの』という受け入れ方でした。

男子校の美少年同士が仲良く過ごす。
好意は持っているものの、それはまだ恋でも愛でもなく、もっと淡いもの。
友情の延長の微妙な感情、という美しい捉え方が一般的だったと思います。

同性愛としてはっきり認識されたのは『風と木』以降ですね。

そして美少年愛をテーマにした雑誌、『JUNE』創刊。
栗本薫(中島梓)が評論を書いていたように記憶しています。


『日出処の天子』は明らかに毛人を異性として愛してしまう厩戸と、それを知りながら受け入れられない毛人、実の兄である毛人に恋心を抱く刀自古。

複雑で錯綜していますし、トーマや風と木とは異質のものだと思います。

おにいさまへは微妙です。
同性への憧れ、という捉え方でいいのではないでしょうか。

トランスジェンダーというなら『クローディーヌ』でしょう。
クローディーヌは女性の体に生まれたものの、心は男だし、完全なる男として女性を愛します。


性を超える、というか、女性性を否定する作品は、多くの女性作家に見られます。

萩尾作品なら『マージナル』もそうですし、『11人いる』のフロルベリチェリにヌーも中性。
その後、どちらかの性に分化するもの、しないで中性のまま終わるもの。

最近の山岸作品で『ハトシェプスト』。

実は私も自分が女であることがイヤで、否定し続けていたので、正直言って、とても共感を覚えたものです。

萩尾作品は私の気持ちを代弁してくれているようで、とても嬉しかった。


異性愛が正しい、というわけではないし、同性であっても同性愛とは限らない。

当時は、その問題提起がとても新鮮で画期的で、一大ブームになりました。
ここに書かれていることに付いては男性には分かりにくいのですが、少女がホモ(男の)的な「恋」、「愛」に引かれる傾向は確かに存在するようです。

男の目から見ると宝塚のあり方もそういった事と、随分と関係があると思います。

まだ結論も何も出してはいませんが、少年マンガでも『僕はウイリー』とか、性転換的な題材はありますが、どうも「異性」への関心のレベルに留まりがちのようです。

映画、ドラマ、『転校生』などは、どう言う風に解釈されるのかな?
>はなさん、

それは、「シンデレラ・コンプレックス」と言われている(心理学では)ものですね。男でもそれはあって「ピーター・パン・コンプレックス」と言われています。両性とも「異性は怖い」(勿論、近づきたい気持ちもありつつ)と言う面なのでしょう。

あからさまに言うと何ですが、男の中にも(全部とは言えないものの)ロマンティックな感じを大切にするベクトルはあると思いますが。(例えば、松本零次さんの『銀河鉄道999』とかが顕著です)。

順序が逆になりましたが、宝塚はそうなのですか。キャトル・レイヴに写真を買いに行った時に店にいたオバサマ達の冷たい視線がそれならば納得できます。
Baroque様
 「七月七日に」で更に思い出したのですが、吉本ばななの「キッチン」では主人公の男友達の母親は元父親で、妻を失った悲しみをきっかけに自分の「男性性」を棄てたのでした。

 井上雅子の「フィメールの逸話」という作品をご存じですか?
 亡くなった少女の体に時を同じくして亡くなった少年の魂が宿り、蘇生して少女として生きる物語です。確か少年は、同級生の少年に想いを寄せていたという設定でした。
 霊的な?トランスジェンダーの話をもうひとつ。大島弓子の「つるばらつるばら」
 エンディングが素敵なお伽話です。
>はなさん、

確かに名称を間違えました。実はそれが書いてあった雑誌を探していたのですが、見付かりません。パンク・ロックの若者達が実は大人に成りたくない、「ピーター・パンク」だと言うのと対比して、ディズニーの『シンデレラ』、『白雪姫』の様に、ラストの王子様の登場以上は進みたくない女性のことを、実にうまい言い回しで言っていたのです。(70年代後半ですね)。

もし分かったら、お伝えします。

んー、確かに脱線させている。済みませんでした。
>たろさま
「フィメール〜」は鈴木雅子さんでは・・?彼女の本、セブンティーンコミックスなどですが、ジェンダーとは何か考えさせられる作品が多いですよね。とても好きな作家さんです。
今、うちの大学で少女漫画評論家の藤本先生が「越境する性別」というテーマで授業をやっています。多分、24年ぐみ中心で授業はすすむと期待しています。すでに、竹宮先生について、レジメでふれられてました。楽しみです。
すーめい様
 本当だ!何を記憶違いしていたのでしょうね…。
 私はあまりセブンティーン読んでいなかったのですが、鮮明あの作品はかなり記憶に残っています。

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