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北欧の教育システムを学ぶコミュの日本の教育のここがおかしい!部活動

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 以下の文を本日私のBlogに寄稿しました。このコミュニティのテーマでもありますので,即日トピックさせていただきます。北欧諸国では,「部活」ないし「クラブ活動」は学校とは関係なく,コミュニティの社会人クラブで学生はそれぞれの好みで活動していると聞いております。現状を正確にご存知の方はぜひ書き込みで教えてください。

[本文]
 今の日本の中学校から大学まで,いわゆる「部活動」の無い学校は無いのではないでしょうか。(聞くところによると小学校でも4年生以上には部活動があるそうですね。)
 
 大きく分けると運動部と文化部とに分けられるようですが,どちらにしてもどうも生徒の部活動としては,その有り方がおかしいとしか私には思えません。
 
 本来,部はその活動をしたい生徒が集まって,学校の許可を得て(学校の施設内でやるのだから)自主的かつ自然に行われるものではないでしょうか。そうして始まった部のうちいくつかがそれなりに活発になってきて,部活動を維持するためにさらに充実した設備や器具が必要になってきたときに,学校から金銭的な援助を受けるようになることもあるでしょう。

 部によっては指導員とかコーチみたいなものが必要になるでしょう。そのときに,教師の中でその活動内容に適した人が居ればその教師が担当してもよいし,OBとか近所の人がボランティア的に面倒みてくれてもよいでしょう。しかし聞くところによると,現状では部として活動するには必ず「顧問」と呼ばれる教師が付かなければならず,その監督の下に活動しなければならないということになっているようです。本来部活動というのは「課外活動」であって,上にも述べたように生徒が自主的に運営するべきもののはずです。なぜ先生が監督指導しなければならないのでしょうか?生徒が自主性を身につけるせっかくの機会を潰してしまう「いらぬお節介」です。

 生徒は部を自主的に運営することによって,人間としての自主性をはじめいろいろなことを学ぶ機会を持つことになるはずです。ひとつの部を立ち上げることともなれば,練習場所,設備・器具,運営費,コーチを誰に頼むか,クラブ員募集などいろいろな問題を解決しなければなりません。これこそが教育なのです。教室で正規の授業からは学べないことを沢山学ぶことになるのです。一番難しい人間関係もたっぷり学ぶことになります。それを今のシステムではそのほとんど全てを取り上げてしまい,なお悪いことにはなにか大会やコンクールでもあれば「勝つこと」が最大の目標になってしまう。これは大変な間違いで,選手や技能に優れた生徒を作ることよりも,先にあげた困難な問題にぶつかりながらそれを部員のチームワークで解決していくことを学ぶことこそ大切なのではないでしょうか。それが本来の部活動のレゾンデートル(存在意義)のはずです。

 こんなことをやっているから,社会人になってもすべて誰かがお膳立てしないことには仕事もできない人間ができてしまうのです。大学のクラブをみていても,既製のシステムや設備の範囲でしか活動できない学生になってしまっています。みんなで協力してアルバイトして必要な経費を稼ぎ出してクラブ活動を維持・発展させようなどとは毛頭思わないクラブ員ばかりになってしまっているのです。「美味しいところどり」(英語に”cherry-picking”という言葉があります)の人間ばかりです。

 クラブ活動の本来のレゾンデートルをきちんと抑えておかないから生徒の自主性の伸びにも限界があるし,担当させられた教師は時間をとられて本来の教師としての仕事に差支えが出ることになります。二重に馬鹿なことをしているのです。
どうしてこんなことになってしまったのでしょうか?答えはあきらかなようです。父兄からの学校側(校長等責任者)への突っ込みに対する自己防衛。父兄が全ての責任を学校側に押し付けるというなんとも不可解な風潮。運動していれば怪我をするのは当たり前じゃないですか。それを一々学校側に訴え出るのは,子供にダメ親(なんでも人のせいにする)の事例を身をもって示しているようなものであることに気がつかないのでしょうか・・・

コメント(25)

はじめまして はじめて書かせていただきます。我が子は、高校生と小学生の男の子です。私は、母であり、保健師でもあります。

確かに、日本の多くの学校には、そういう点があります。ですが、わずかな“最先端”の私立学校では、生徒の自主性を重んじようと試みている学校もあります。・・そして、そういう学校が今、非常に人気が高く、入学の難易度も高いのです。
 長男は運よく中学受験でそういう学校に入れましたので、のびのび教育を受けています。

一番の問題は、そういった私立中高一貫校に、わずかな子供しか入れない、・・・つまり、お受験での勝ち組だけという問題。
 さらに、子供達の自主制を重んじると、ある程度の家庭教育をしておかないと、子供達の“荒れ”に繋がってしまうのですが、その家庭教育ができている子供とできていない子供たちとの差が広がっている、ということの問題です。

学校と家庭の問題は、繋がっています。

家庭での基本的な「しつけ」ができていなければ、学校で厳しく「しつけ」なければならないということです。

そして、さらに、子供達の親自身がしっかり「しつけ」られて育ってきたかどうかの問題までさかのぼります。

・・・・もっとも、私自身が、しっかり「しつけ」られて育ったか、子供をしっかり「しつけ」て育てたのか・・・と問われても、答えに困るところもあるのですが・・・
>ミコさん,Welcome to our community!(こういう場合に適した日本語が無いですね)

文中の「さらに、子供達の自主制を重んじると、ある程度の家庭教育をしておかないと、子供達の“荒れ”に繋がってしまうのですが、その家庭教育ができている子供とできていない子供たちとの差が広がっている、ということの問題です」の家庭教育と子供の「荒れ」がどのように関係しているのかもう少し具体的なお考えを聞かせていただけませんか?とても興味深いテーマだと思います。

家庭と学校での教育が繋がっていることは明かですね。私も何度もBlogに書いてきたことです。私流の言い方では,教育(躾も含めて)は家庭教育+学校教育+子供社会での経験と三位一体ではじめて完全になりえると考えています。http://blog.livedoor.jp/konton_1937/archives/23142566.html

上のBlogに加えて学校へ行くまでの躾の大切さも痛感しています。特に6歳までの家庭での躾がその人の性格を作り上げるのに決定的に影響を与えるものと思います。これについてもいくつかのBlogを書きました。よろしかったら一度お読みください。

これらのテーマについてあなたのお考えを是非トピックなり書き込みなりしてください。楽しみにお待ちしています。

よろしく!
kontonさん、レスありがとうございます。

先日も、朝日新聞にも載っていましたが、生活習慣が整っている(例えば、朝食を食べる、早寝早起きをするなど・・・一昔前には、当然のことなど)子供達の学力はそうでない子供達の学力より高い、という統計はとれています。百マス計算で子供達の学力を伸ばす・・ということで、有名になっている陰山さんは、本当に最も強調したいことは、「子供達の生活習慣を整えること」によって、学力は向上する、ということであります。それが、「そんなんではニュースにならないから・・・」という理由で、百マス計算のことばかりが一人歩きしてしまっています。

さて、私の仕事に関する、「生活習慣病」が、子供達にも増えています。その原因も同じことがいえます。
その親がその子供達のために 生活習慣を整えてあげていないからです。

では、どうして、そういう親が生まれたのでしょうか?
一つに、核家族が増えて、その核家族を応援する先輩たちが減ったせいではないでしょうか?

私自身、核家族で、しかも夫の転勤によって誰も知らない街に引っ越してから長男の子育てをしました。そして、育児書通りに子育てしようと試みました。協力してくれると期待していたサラリーマンの夫は、毎晩会社からの帰宅は遅く、週末も疲れが残っていたり、男の育児がまだあまり世間に知られていないこともあって、あまり協力してもらえませんでした。
半分育児ノイローゼ気味にもなりました。幸い、公園で知り合った、子育て仲間のお母さんの一部に恵まれたので、何とか、精神的には保てましたが・・
・・・また、その後転勤で引越した先での公園仲間のお母さん達からは、つまはじきにされたこともあり、ホント、同じ日本人同士でも、付き合いの難しさを感じています。・・
(だから、先日、幼稚園児二人を殺してしまったお母さんの気持ちが、全くわからないでもない・・・というのが、正直な話です。)

だいぶ長くなりましたが、とにかく、精神的な支えも十分してもらえない親たちは、自分の子供達のために生活習慣を整えることさえ難しくなってしまいます。
それでいて、コンビニやファーストフード店はたくさんありますから、ラクに過ごそうと思えば過ごせるわけです。

さらに、「自由」を履き違えている親もたくさんいますので、「子供のため」というよりも、「自分のため」に夜更かしして、子供をつき合わせたりするのも平気だったりしています。

“しつけ”のために幼児虐待をして、我が子を殺してしまう親も後を絶ちません。

そういう親たちに対して、回りの人たちはどう接しているのでしょうか?もっと、思いやりの協力体制を整えなくては、・・・結局、学校の問題にもつながるのです。

ただ、戦前の隣組制度に復帰してもらっては困ります。「協力体制」という名目で、監視体制となっており、隣の「非国民」を訴えていたわけですね。

本当に 思いやりのある社会を作るように、日本人一人ひとりが頑張っていかなければ、日本の善良な人々の将来は厳しいでしょう。

私は今、思いやりの精神のある「医療制度改革」ができないか、検討中です。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=606068
今度の医療制度では、人々の思いやりの精神は育たない・
・・どころか、他の人を蹴落とし、金持ちにならないと高度な医療を受けられない制度になってきているわけですね。
そんな制度に満足する人が増えることに恐怖を感じています。しっかり、皆で、現実を検討し、批判だけをするのではなく、日本らしい思いやりの精神に基づいた社会制度を育てるように努力していくことが大事だと思っています。
人間と他の動物との違いの一番は、本能の他の能力を与えられていることです。本能だけで生きられれば、悩みも減り、生き易くなるでしょう。電気も発明せずに、「暗くなったら、電気をつけずに寝る」という大昔の生活習慣を引き継いでいれば、nanaさんの言われる「当たり前のこと」ができるのでしょうね。
でも、残念ながら、人間は、電気を発明して、夜中でも起きていられるようにしてしまいました。また、医療も発達させてしまい、大昔なら、とっくに死んでしまったような人をも、生きながらえるようにしてしまいました。
現代人の苦悩はそういうところから、始まるのではないでしょうか?
いまさら、太古に戻れますか?

さらに、育児書がないところでは「伝統」によって育児や家庭生活をしていました。それらの「伝統」は各民族や集団によって、かなり違っていました。それらの「伝統」が皆良かったと思えたら、きっと育児書もいらなかったでしょう。
でも、それらの「伝統」に欠点を見つけた場合、「さらに、良い育児」を求めて、育児書を読むのです。

私自身は、祖父母や親戚の同居する大家族で育ちました。その中で、育児方法に納得がいかない点が多々ありました。だから、その「伝統」をやぶりたい、という気持ち、「より良い育児をしたい」という気持ちが、育児書に向かわせました。

伝統を継承することによって、上手くいく場合と、継承しないことを選ぶことによって、より良いことに繋がっていくことがあります。が、反対により悪くなっていくこともあるのです。

日本は戦後、戦前の教育を前面否定されました。
だから、「伝統」は、途切れました。
そこから、試行錯誤してきた結果が今の教育ですね。
ですから、今の日本の教育を全面否定する必要はないと思っています・・・まだまだ発展途上なのですから・・・
ただ、今本腰を上げて、善良な人たちががんばらないと、お金持ちの家庭と貧しい家庭学力の貧富の差が確定的になって、挽回のきかない状態になってしまうでしょう。

もっとも、イギリスの古くからの伝統的な学校は、貧富の差を当然のことと見た上での、上流階級のものですよね。
nanaさん

どうも、私もnanaさんのお気持ちが理解できずに反応してしまいました。

>育児書なりでまなんだ事を、皆で話し合い発展させ、
>協力し合えるコミュニティのようなものが、
>この国の文化として根付いていったらいいなぁと思って

私もそう思います。しかし、その「話し合いそのもの」が、多くの場で成り立たなくなっているのが、今の日本です。
○か、×か、Aを選ぶか、Bを選ぶか、そんな問題ばかりやらされて、育った多くの日本人は、話し合いが苦手です。
私たちの多くも、子供達の多くも、○か×かで評価することに慣れ過ぎているので、なかなか話し合いもできません。

しかし、一部では、話し合いによって、NPOや自治体をも動かそうという形ができつつあります。
そういう一部の動きを大事にしていけば、日本の未来も決して暗くはありません。
 ただ、十把一絡げに「日本の部活動は・・」などと取り上げることが、いいかどうか、ギモンがあります。

 デンマークでは、幼稚園から教育に「他の人の話をよく聞く」ということを取り入れているそうですね。「他の人の話をよく聞いた上で、自分も話す」そういう教育は、ぜひ、日本でも取り入れて、皆が話し合いのできる基礎を築いていってほしいですね。
そうした、土台をしっかりしていけば、もっと正常な話し合いができ、自主性を尊重できるようになって、学校の教育方針も変わってくるでしょう。
nanaさんwrote
>しかし、人々が紋切り型の取捨選択方式の教育に「慣れる」ほどまでになってしまったのは、教育者だけの責任でもない気がします。時代の流れとも捉えられるし、一人一人がそういう教育を無意識に選んできたのかもしれません。

そうですね。私も時々、今の沈没しそうな日本丸を選んだのは、日本人一人ひとりの無意識かもしれないと思っています。だから、そういった選択を選ぼうとしない、わずかな人々がいくらあがいても、北欧のマネなどできないと思ったりします。
 ただ、我が子たちのために、親として「少しでも努力してきた」という証拠だけでも残しておくべきか、と 悪あがきをしています。
ありがとう、nanaさん

頑張っている親たちは、もちろん私一人ではありません。
ドイツで発祥したシュタイナー学校を中心とした
コミュニティを実際に造ってしまおうと、
頑張っている親たちもいます。

http://www.ashitanokuni.jp/

千葉県の成田からクルマで1時間ぐらいのところです。
シュタイナー教育を日本で受けるのは困難であると考えて、
そちらの動きに無関心でいた間に話は進んで、
気づいた昨年には、すでに実際に広大な土地を購入してあり、
来年には開校の予定となっていました。

できれば、来年中学生になる次男をそこに入れたいと思っていたのですが・・・なかなか話は広がらず、
来年の中学の開校は実際には困難なようです。
(仕方なく 次男も他校の私立中学受験体制に入りました。)

ところで、シュタイナーの広大なコミュニティ構想と
北欧の教育とはどう違うのでしょうか?
私にとっては、どちらでも、実現可能なところに飛びつくしかない、と考えていて、違いについて いまひとつ明確にできません。
・・・確かにシュタイナーの思想は、独特ではありますが、目指すところは同じととらえてよろしいでしょうか?

よろしかったら、教えていただけませんか?
初めて書き込ませてもらっています、まるちんです。自己紹介を見ていただければ解るとおもいますが、イギリスにて、教育学を勉強しています。

nanaさんがのご指摘があった‘話し合いやdebateが日本で根付かない一つの原因’は他に、日本文化と切っても切れない繋がりがあるように感じます。というのも、昔から、詳しく言えば江戸時代、「五人組」という制度が本格的に敷かれるようになった日本では、学習グループを小さな班にまとめるようになりました。これが、いわゆる、学級に見られる「班」です。その班の中では、「協調性」が強く求められ、また、班あるいはクラスの目標などというものを掲げ、「みんなで」目標を達成する事を求められてきました。ここに、「自己主張できない」日本人の原点があるように思うのです。

そもそも、そういった協調性(悪く言えば、がまん)を重んじてきた日本に、なんと西洋式の「自己主張」という考えが一気に押し寄せてきたので、日本はたじたじです。がまんを文化としてきた日本人は、自己主張を「あまえ、自分勝手、わがまま」との境界線が未だにわからないように思います。

北欧のある小学校を訪れた際、驚いたのが、「自分の好きな場所で課題をやっていい」と言われ、外の日がぽかぽかあたるベンチで友達とやる子もいれば、教室の片隅の小さなテント(その子専用)の中にこもって、一人でやっている子もいれば、本当に様々。これは、自分に一番あった方法で、気持ちよく勉強することの自己主張かもしれませんね。自分が無くては、ディベートはできないですね。
テーマの部活動から離れてしまってごめんなさい。
nanaさんへ

ごめんなさい!!まだ、Mixiを始めて2日目なもので...これからも、このような間違いを犯してしまうかもしれませんが、その都度ご迷惑をおかけしてしまうかもしれません。

今の現状を知るには、歴史を紐解かないとならない思い、最近は歴史書などを読むことが多いいです。

改めて、よろしくお願いします。
まるちんさんの指摘されている

>江戸時代、「五人組」という制度

というのは、戦前まで引きずり、「隣組制度」として、
近所の「非国民」をお上に“摘発”するために 
利用されてしまったのではないでしょうか?

そこで、戦後の「民主主義改革」路線になってから、

>西洋式の「自己主張」という考え

になって、戦争反省の上で、
「隣組制度⇒ 全廃、&拒否」
という精神構造に代わった・・・・ところが、そこから
新しい班づくり→つまり、コミュニティ作りを創造できなかった。

新しいコミュニティは、身近にある「隣」ではなく、どこか他の所につくるべし、という発想になってしまった・・かと、私は想像します。

というのは、今も、朝日新聞に連載が続いている、「市民と非戦」で日本の戦後の市民活動の歴史を見ていると、舞台が、都会ばかりなんですね。

イギリスの先回の イラク戦争反対の大規模デモなども、最終的には、都会に集まりました が、日本より、大規模で集まれたのは、各地域で小集会を開き続けていた→そこから、大デモの日には、地方からバスをチャーターしてまで、人々が都会に集まってきた、ということを イギリス在住の人から聴いています。

まとめると、日本の隣組制度は、結局 お上の都合に合わせた作り方をしていたため、市民が自分から望んで作ったコミュニティじゃなかった。
→それが、戦争に利用された→
だから、市民が、隣近所を避けて、
コミュニティづくりに熱心に取り組まず、
中央で “お上” 批判ばかりするようになった
→地域に 本当の意味での民主主義が根付かなかった。

市民革命は、各国によって、その主体となる層が異なりました。
イギリスではブルジョアの層が中心となったブルジョア革命、
パリで市民革命になり、
北欧では、農民が中心となった農民革命が 起こったんですよね
(農民層での革命が起こったからこそ、本当に市民のための政治ができるようになった)

日本では、明治維新が欧州における革命に似ているが、決して市民が主体の革命ではなかった。

つまり、日本では 歴史上 市民が主体になって政治をひっくり返すことはしていないんです。
戦後も、結局 天皇は存続し、戦争責任を負うはずの戦犯も政治に返り咲いてしまい、
本当の意味で 誰も戦争の責任をとっていないし、
人々の意識は、本当の意味では 何もひっくり返っていなかった。

ここで、最終的に 私が言いたい事は、日本に欠けていた事は、
市民レベルでの、本当の意味でのコミュニティづくりをしようという方向性ではないか、ということです。

しかし わずかながら、コツコツとコミュニティ作りをしてきた人々はいる。
千葉県我孫子市などは、市民活動が長く続き、活発化し、
市民の中から市長も生まれ、
市民中心のコミュニティづくりをしてきている。
こういう市(=コミュニティ)をモデルケースにすることによっても、
日本再生の芽は、育てることができると信じています。
追記です

千葉県我孫子市 www.city.abiko.chiba.jp
は 私も以前住んでいましたし、友人が何人かいますし、近くですので、いろいろと、情報が入ってきます。
いくら、市民活動から生まれてきた市長とは言っても、
市民の希望の全てをすぐに実行できるわけはありません。
そういう時は、こんなふうに 市民から、催促の署名を呼びかけたりしています。

>以下は、署名のお願いです。
>お知り合いの方やメーリングリストなどでよびかけて
>い ただけるとありがたいのですが。

> 「我孫子市平和文化都市条例」制定署名です。
http://www17.plala.or.jp/peaceactcampaign/

> このホームページ上で、署名用紙も印刷できますし、
>また、ネット上で署名もできま す。
>市外の方でも、英語のみしかわからない方でも、できます


ついでですが、今私の住んでいる市でも、市民が選んだ市長になって4年目になります。
以前の市長は、中央お上との癒着がらみの収賄で 御用となり、
怒った私達フツウの市民が立ち上がり、今の若い市長を立てました。(選挙運動は、私も この時がはじめてでした。)
市民派市長を当選させた後の道も 簡単ではありませんが、少しずつでも、行政と市民との協働での街づくりをすすめています。
こういうことを、今 上手く進めていかないと、日本の地方の財政も破綻します。
人口10万人の小さな私達の市は 合併せず、小さいことをイイことだとしています。
www.city.kamagaya.chiba.jp
今年の夏、私達の市民派市長の 2度目の選挙があります。
2期目も当選できるかどうか、私達市民にかかっています。

身近なコミュニティ作りを 大事にすることこそが、日本再生のための第一歩だと信じています。
どうか、あきらめずに、チャンスをうかがってください。そして、そのチャンスのために、一歩一歩確実に準備してください。
私の市も保守専門市でした、市民活動さえも つぶそうという行政のやり方に どれほど、腹が立ち、そして、「あきらめ」の気持ちを持ったかしれません。しかし、頑張っている人たちから勇気をもらい、チャンスをねらって、改革したのです。
 千葉県も、堂本知事という 改革者が当選しましたが、もともと保守大国です。まだまだ、障害はたくさんあります。

さらに、保守であろうが、革新であろうが、今の地方の財政問題を考えると、市民に協力を求めなければ、やっていけなくなってきています。

市民は、ただ、行政(地方も政府も含め)に要求するのではなく、自分たちのできることは、自分達で、自分達のやりたいやり方で一緒に協働していく、という姿勢をもつことが重要だと思います。

それによって、教育も変えていくことができます。
自分たちの好きな学校を 日本でも創ることができるのです。
(もちろん、ある程度の制限はありますが、・・
・その制限を上手くこなして、先回ご紹介の 日本の教育機関では不可能と思われてきたシュタイナー学校も認可されたのです・・・軌道に乗せるのはこれからですが、・・・)
ミコさんへ

五人組について、的確なご指摘ありがとうございます。ただ私の言葉足らずな文章で、伝えたかったことが、すんなり伝わらなかったようです。

私が言いたかったのは、五人組であれ、隣組であれ、日本の歴史上では、国民を小さなグループに纏め上げ、その中でお互いを監視しあう体制をとっていることが多いことなのです。五人組の中で、もし子どもがいた場合、できる子ができないこの面倒をみる、といった事も書かれていました。これは、今日の学級におけるクラス作りの基礎なのではないかと、考えたのです。クラスというものを、小さく分け、またその中での目標を決め達成する。達成するために、強調性は不可欠です。

つまり、五人組、という思想がその形はなくなれども、今日の学校社会にも影響していると考えたわけなのです。

それはさておき、ミコさんの積極的な態度はすばらしいですね。私も、およそ高校の時から日本の教育には疑問を持っていて、恐れをしらないものですから、「日本の教育を変えてやる!」と考え、今に至るわけです。自分が教師になり、教師同様、親達に対する教育ができたら、と考えてきました。変えることなんて一言で言ったら簡単ですが、何世代もかけなければ変わらないですよね。ただ私は、そのまま流されていく自分はとても嫌です。もっと、公共の場に出ても、理論的に人に納得できる説明ができる力がほしく、ただいま教育学を勉強中なのです。

日本にいると、日本の嫌なことばかり目につき、海外がとても良く見えるのです。海外に来ると、今度は、その国と自分の国の良い所、悪いところが見えるわけです。「物は二面性」ですね。もっと、私は日本を誇れる国するために、教育を考えてみたいですね、日本の今まで築き上げてきた文化と共に。
まるちんさん

>五人組の中で、もし子どもがいた場合、できる子ができないこの
>面倒をみる、といった事も

このことだけを見れば、決して悪い事ではありませんよね。
でも、すでに こういうことさえも できなくなってきている。
できる子と できない子が分断されてしまっているわけですね。

親としては、我が子を「できない子」集団に入れたくなくなるのは当然です。ウチも、シュタイナー学校に入れないのなら、「できる子」の集団に入れてやらなくては・
・と多額の塾代を払い・・子どもの尻を叩き、・・

>ただ私は、そのまま流されていく自分はとても嫌です

私も、そうなので、いろいろと勉強しています。

今は、いろいろな国に留学できて、いいですよね。

私達の世代は、アメリカばかりに目が向いている人たちが、多く、留学もアメリカが多かったようです。お陰で、アメリカ指向型の人は多いですね・・
・若手、今後の担い手といわれる40代ぐらいの国会議員に、注意していてください。  
保守派議員でも戦争を体験した年代の人たちは、戦争を避けようとしていますが、40代議員には、保守派でも民主党でも アメリカ指向型の「戦争やれやれ派」が結構います。


>積極的な態度はすばらしいですね。

ありがとうございます。でも、本当はしょっちゅう凹んでいるんです。
ただ、なんとなく経験したり、勉強してきた事が、ふと、ふり返ってみると 「ああ、これとこれが、繋がっている!なるほど」と気付くことが、たびたびあって、それが、皆様のお役に少しでも立てば、とつい長々と書き込んでしまいました。

>「物は二面性」

そうですね。欠点だと思っていた事も、見方によって誇れる点に変わるかもしれません。


ところで、日本食は イギリスでもヘルシーフードとしてブームになっていますか?
日本の若い親たちも、もっと「日本食」のよさを見直して、子供達が生活習慣病にならないように がんばってほしいのですが・・・。
ミコさん
>すでに こういうことさえも できなくなってきている。
できる子と できない子が分断されてしまっているわけですね

日本の教育は能力別にクラスを分けない、と言っておきながら結局分けているという実態に、自分自身なるほどぉ、と感心してしまいました。なんとも、うまいこと。

>日本食は イギリスでもヘルシーフードとしてブームになっていますか?
「食育」、もっとも注目ですね。イギリスは、なんとヨーロッパのなかで一番の肥満国です。国民のおよそ50%に近い程の割合が軽肥満&肥満なのです。そこで、今はヘルシーブームと言ってもいいほどに、いろいろ食についてはいわれています。(長くなるので、後ほど)。日本食はヘルシーフードとして、認識されているのか、スタイリッシュとして認識されているのかさなかではないのですが、すしは人気ですね。寿司しかないかのようにも感じられますが。。。
日本もそうですが、選択肢がありすぎるようですね。「いつ・どこで・だれと・何を」がすべて子どもだけで決められる、子どもの野放し状態が食文化の悪化を招いているのでは、と感じます。

>日本の若い親たちも、もっと「日本食」のよさを見直して、子供達が生活習慣病にならないように がんばってほしいのですが・・・。

その通りですね。私は、こっちにきて日本の給食、食に対する考え方について賞賛しなければ、と感じました。食文化に対して高度な文化があるのだから、これを見直さずにはいられませんよね。長くなりそうなので、みなさんの意見を聞いてから、またおじゃまします!
食育については、同じコミュの別のトピにもありますので、
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=3522009&comm_id=437244

ここで、この問題について話を続けるのがイイことかどうか?わかりませんが、私の作った、医療制度改革ってナンダ?のコミュのトピの一つに 日本の国の食育についての先日発表された基本計画に関しての記事を連ねています。(あちらのコミュで活発な議論ができなくて 寂しいので、こちらでも、皆様のご意見をきいちゃいます。)
こういう 日本の政府の食育計画って どう思われますか?
イギリスや北欧、諸外国にもありますかね?
どこまで、政府は国民ひとりひとりの生活に介入できるのでしょうか?

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=4781856&comm_id=606068

****上記トピ内容の一部******
朝食抜き小学生をゼロに 内閣府が食育基本計画案 (1)

 内閣府の検討会は20日、国民の食生活改善と健康増進を目指し、朝食を抜く「欠食」の小学生を0%にするなど2010年度までに達成する数値目標を盛り込んだ食育推進基本計画案をまとめた。

 2000年度の調査では、小学5年生で「ほとんど朝食を食べない」と回答した子どもは4%。これとは別に03年度に実施した調査で、朝食を抜いたり、サプリメントで済ます人の割合が高かった20歳代の男性(30%)と30歳代の男性(23%)についても、ともに15%以下を目指すとした。

 2006年度からの5年間を対象にして、国や地方自治体を中心に啓発活動など改善に向けた取り組みを進める。検討会座長の猪口邦子(いのぐち・くにこ)食育担当相は会合で「計画策定を機に食育を国民運動として推進したい」と述べた。

 
 1、10年度までの定量的な目標値を設定。

 (1)05年度に70%となっている食育に関心を持っている国民の割合を90%以上とする。

以下略

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