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特殊造型・特殊メイクコミュのメイクアップアーティストの記事を翻訳しました。

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 ENDO’s GAME

 一躍脚光を浴びているスターの遠藤氏がメイクアップアーティストマガジン編集者と、メイクやインスピレーションの得方、学校経営について語る。

今年、ロンドンで開催されたトレードショーで最近脚光を浴びている若いアーティストさんの姿を見た。たった22歳で遠藤シンヤ氏は大阪でARC+ESTという学校とスタジオを開設した。25歳になった今では、東京のAmazing School JURという学校でインストラクターをやっていて、映画などの世界で数々のアーティストを排出している。編集者は彼にインタビューをすることにした。

 編集「いつ頃特殊メイクに興味を持ちました?」
 
 遠藤「12歳の時かなあ。両親が満員の映画館に連れていってくれたんですが、そこでジュラシックパークを見たんです。この恐竜ってどうやって作ったんだろう?って疑問に思いました。当時、好きな科目は美術だったんですが、動く骸骨みたいなかわったものを作るのが好きでした。」

 編集「メイクアップアーティストがどんな仕事をしてるのかご存じでした?」

 遠藤「特殊メイク関係の知識はほとんどなかったので、仕事についてもよく知りませんでした。”special make up”っていう言葉すら知りませんでした。
 編集「プロになろうと思ってたんですか?それとも、趣味でやろうと思ってました?」

 遠藤「職業にしようとは思ってなかったです。趣味として映画に出てきた恐竜を作ろうって思ってました。」

 編集「どうやってメイクを勉強しました?」

 遠藤「最初は、色鉛筆や接着剤やティッシュペーパーで遊んでただけです。中学生になったとき、真剣に勉強しはじめました。材料や道具を手に入れるために多くの化粧品店をまわりましたが、欲しいものを手に入れることは難しかったです。1年間、あっちこっちを探して大阪の舞台用品店でメイクアップアーティストマガジンを見つけました。それは表紙にメンインブラックが載った号でした。興奮して、店にあったすべての号と、具リースペイント、ワックスなどを購入しました。英語で書いた雑誌を理解するのは大変でしたが、どうにか読みこなし、雑誌に載っていた店にファックスを送りました。高校生のときは、情報を集め本を買いましたが、それはメイクを勉強するのに非常に役立ちました。」

 編集「最初に作ったのはどんなものでした?」

 遠藤「子供のとき、傷を作ったり飼い猫のレプリカを作ったりしました。メイク道具を手に入れたあと最初に作ったのは老人の頭です。」

 編集「どうやって作ったんですか?」

 遠藤「いとこのライフマスクを石膏で作って、油粘土で彫刻し、また石膏で型を取り、ウレタンフォームでピースを作りました。」

 編集「特殊メイクの基本や、応用を覚えるのにどれくらいかかりました?」

 遠藤「本格的に勉強するつもりだったので基本だけで6年かかりました。応用については、10年以上かかりましたし今も勉強中です。」

 編集「専門学校には通いましたか?」

 遠藤「高校を卒業したあと、メイクの学校に通いました。勉強することが特になかったので1年で学校を辞めました。そのあと、長年夢見ていたロスに行きました。3か月だけでしたが、いくつかの工房を訪れ実際に技術や作品を見ました。それらには興奮しましたが、スキルはほとんど独学です。」

 編集「どうやってアマチュアからプロに転身しました?」

 遠藤「最初の何年かは、自主製作映画でスキルを試していました。それは高校に入ってからです。その間に大きなプロジェクトに少しずつ関わってきました。好きでやっていただけで、特別プロになることを考えていたわけではありません。自然にプロになる道が開けてきました。」

 編集「日本では、メイクで生活できましたか?」
 
 遠藤「以前はほとんど収入はありませんでした。スタジオと別に学校を開いたあとは、それが収入源になりました。アメリカの環境と比べると、いろんな面で恵まれてはいません。」

 編集「学校とスタジオは自分で作ったんですか?」

 遠藤「はい、学校にはスタジオと同じ設備を作りました。最初は、WAOスクールとの共同経営でした。そのあと独立し、ARC-ESTスクールと名付けました。そのあと、スタジオを教室の中に新たに作りました。そうすれば、生徒に実際の仕事環境を見せることができるので・・・。一番大きいのが製作室、教室、写真室、材料保管室、展示室、オーブン用の部屋(スーツを作れるほど大きなものです)、事務室。教室には2人のアシスタントがいましたが、ほとんどは自分で授業を担当しました。傷、しわ、ボールドキャップなどの基礎や、彫刻、フォームラテックスの貼り付け、シリコンアプライエンスの貼り付け、ダミーヘッドや義眼、義歯作りなどを教えました。20歳のとき学校を作ることを思いつき、1年半後の22歳のとき学校を作りました。去年の5月まで学校を運営したあと閉鎖しました。現在は、Amazing School JURで教師をやってます。ARC+ESTでの経験を元にカリキュラムを作成し現在の学校で技術や材料に関する知識などを教えています。」

 編集「今までどんな仕事をしましたか?」

 遠藤「映画、デスノート・Lチェンジ・ザ・ワールドでメイククルーの中の一員でした。実際の赤ちゃんが演じるのに危険なシーンでメカニカルの子供の赤ちゃんを作りました。また、EXTEっていうホラー映画の仕事もしました。そこでも、俳優さんが演じるのに向いていないシーンで人のダミーを作りました。また、その映画ではメイクの仕事も少しですがしました。また、映画の宣伝用にいろいろなダミーを作りました。舞妓はーーーん、ターミネーター、サラコナークロニクルズ、Cyril, スパイダーマン、ハリーポッターなど。作品を作ったのち、JURの営業マンに売る場所を探してきてもらいました。最近では、直接仕事を請け負うこともあります。JURの営業マンのおかげで私はこの世界で名の通るようになりました。」

 編集「影響を受けた作品はありますか?また、影響を受けたアーティストさんは?」

 遠藤「ジュラシックパークやスタンウインストンです。残念なことにスタンウインストンは昨年お亡くなりになりました。また、辻和弘さんにも影響を受けました。辻さんはロスでトップクラスアーティストとして活躍されてますよね・・・。」

 編集「10年後の目標は?工房を開きたいですか?それとも、大きな工房でトップクラスになりたい?」

 遠藤「そのときは35歳になっちゃいますね(笑)。やりたいことはいろいろとあります。今よりさらにリアルなものを作れるようになりたいですし、またアーティストとしての修行は一生続けるつもりです。それがトップクラスかどうかはどっちでもいいです。また、こういう夢もあります。ワックスミュージアムみたいにリアルな人を展示するミュージアムを作りたいです。」

 編集「メイクを張り付ける仕事がしたいですか?それともデザインがしたいですか?」

 遠藤「特殊メイクの仕事で、どこの作業が好きかっていうのはありません。僕の考えですが、特殊メイクアーティストはすべての仕事を完璧にできるべきだと思うんです。なので、この業界のいろいろな仕事ができるようになりたいんです。アメリカには、素晴らしい技術や知識を持ったアーティストがたんさんいますが、僕はその中でどのレベルにいるのか知りたいです。また、さらに技術を向上させたいですし、いつかはすぐれたアーティストの中の一人として認識されたいです。」

 スガノチズルさんには、翻訳の面で協力していただきました。



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MAKE-UP ARTIST (旧MAKE-UP ARTIST magazine)

NUMBER 78     P76 - P79

翻訳者:八王子イゴール

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