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巨人機大好き!コミュのB−36について熱く語ります。

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 昔の映画で戦略空軍命令(誤訳で正しくは戦略空軍です。)ってのがありますが、あれに出て来るB−36に青年期より痺れてました。当時は、オーロラ、レベルの半端スケールしかなく1/72でバキュームキットを大枚叩いて買いました。胴体には補強に水道管の塩化ビニールパイプ入れるようになってました。10年ぐらい後にモノグラムからインジェクションでB−36が出て狂喜しました。でもでか過ぎて転勤族の僕には作れませんでした。昨年、終の棲家に定住したことを契機に長年の夢であるB−36の製作に着手しましたが、どうも戦略空軍命令のイメージが涌いてこない・・・・?理由は優雅に飛んでいないからでした。巨人機は地上では結構グロイ存在ですが、ひとたび大空に舞い上がると大きな翼は優雅なものです。巨人機の魅力って大きな翼なんですね。そこで意を決して、B−36のモーターライズに挑戦することになりました。(昔のミニベビーモーターはなく携帯電話のモーターでは小さすぎでFA−130モーター6個をナセルにぶち込みましたが、キットの都合でペラに入れるシャフト製作が困難そうです。)
 飛行シーンなら、いったいどういう風に飾るかってことで思案しました。都合よく世界の傑作機にB−36が発売され、つぶさに日本語で読むことができましたので色々、当時の軍事情勢とかB−36について研究することができ、次のようなコンセプトで製作することになりました。
 時は、東西冷戦真っ只中の1954年(朝鮮戦争休戦後日も浅い米ソピリピリの時期)戦略目標偵察のため定例の威力偵察飛行中のSACのRB−36は、アラスケ経由でベーリング海峡上空からソ連領空ギリギリをジェットも再起動させた高速巡航で飛行していた。そこに現れたソ連防衛空軍のミグー15、整備が急務で進められた防空レーダーで探知され、ミグのスクランブルを受けたって次第です。
 右側から接近し「帰れ!」と手振りで示すミグのパイロット。笑顔で手を振って敵意のないことを示す操縦士だが、見えないミグの僚機を必至に探す砲手たち、既に6基の20?砲塔は引き出されて周囲を睨んでいる。一触即発の状況・・・・ミグー15の大口径機関砲は対米爆撃機用でB−36の16問の20?砲(12問は格納式)は射程1000mで対ミグ用なんですね。
 実はそんな状況の絵を見つけました。ドラゴンのナナニのミグ15の箱絵です。
 大物の製作で作っても静岡ホビーショーのような遠方の展示会には公共交通で持参できないため、持参用としてホビクラの1/144でRB−36の空中ジオラマを先行試作することにしました。
 長くなるんで1/144のRB−36製作に関し、気付いたB−36に関する情報は次の書き込みにて・・・・わーい(嬉しい顔)

コメント(17)

B-36といえば、確か原子炉積んで、原子力飛行機の実験台にもなった機体ですよね。放射能たっぷりの排気を飛ばして、何処へでも飛んで行ける訳ですが、危ないったらありゃしませんね。墜落したら原子炉、どうするんでしょう。環境破壊ナンバーワンの実験機ですね(笑)
日の丸霊感の鬼さん
 ありゃ、そんなことまでご存知だったんですか?米国も流石に原子炉積んで蒸気タービンぶん回して飛ぶのは、安全上無理と考えたようですね。原子炉は、飛行に寄与してなく、ただ積んでみただけだと記憶します。鬼さんネタなら輸送機方が良いんでは?実際、ハワイ路線なんかでPANAM辺りからのオーダー期待したようですが、時代が早過ぎ旅客機にはなってません。こんな機体までモノのナナニから改造するマニアが我が国におられるんですね。
B-36、こんな写真が出てきました。
1953年8月、日本に初めて飛来したB-36Dですが、何でもビッグスティック作戦の名の元に米本土から無着陸で横田と嘉手納に編隊飛行してきたそうです。

朝鮮戦争は停戦しておりましたが、アメリカの力を誇示する目的だったとか・・・。
 日の丸巨人フェチの鬼さん
 この辺りが映画の戦略空軍命令のラストシーンになってるんでしょうね。映画ではB−47で空中給油受けながら米本土から横田に向かい悪天のため、嘉手納にダバートしますが、ビローミニマムぎりぎりをローフューエルで嘉手納GCAの着陸誘導で安着します。
 B−36の防氷装置についての考察
 B−29まであった翼の防氷帯(圧縮空気を順番に送り、このゴム製のエアーバッグを膨らませることにより着氷を粉砕する。)がB−36にはありませんが、より高高度、ソ連領という極地付近を飛ぶB−36に着氷の問題を避けては任務遂行はできません。以前から疑問だったんですが、世界の傑作機B−36にこのあたりの図面(写真左)がありました。翼前縁に廃熱利用の高温の空気を循環させてたんですね。この防氷用熱空気排気口がナセル上部にある小さな出っ張りです。(写真中)そして、驚くことにペラの防氷装置です。通常、ペラの防氷はペラ前縁(ここに溝を切ったゴムが貼ってあります。)にアルコールを染み出させて着氷を防ぎますが、B−36の後期に採用された先端が矩形のペラは、先端の裏側前縁部に奇妙な開口部があります。最初、モノのキットでこの矩形の穴を発見した時には、ミスだと思い埋めようかと思いましたが、見つけました。ディテール&スケール誌のP−51左下部の写真(写真右)・・・防氷熱空気排気口と説明されてました。B−36の巨大なペラはアルミ鋳造でなく中空の鋼製だそうでこの前縁に熱空気を導き防氷してたんですね。物凄い遠心力ゆえに循環させることができず、ペラ内側先端から排気してたんでしょうね。また、前期に使用された丸方のペラにはこの排気口はありませんので従来のアルコール利用だったと思われます。
 B−36の潤滑油冷却器の冷却用空気排出口扉の形状についての考察
 あまりマニアック過ぎて全くの無反応にも係わらず、後日B−36製作に嵌るモデラーへの道標として淡々と記録します。
 モノやホビクラのB−36のキットを見て下さい。ナセルの底部に扇型のドアーがモールドされてますね。こいつが今日のお題の潤滑油冷却器の冷却用空気排出口扉です。世界の傑作機のB−36の図面の注釈に寄れば、飛行中は開で地上では閉だそうだ。従って、僕のように空中ジオラマや飛行状態に作りたいモデラーは、ここを開としなければならない。(写真左)この扉の形状写真がディテール&スケール誌掲載の細部写真では矩形と成っている。(写真中)世界の傑作機の図面でも矩形である。言われてみれば排気口扉を扇状にする必要なないように思える。さては、モノが形を誤り、ホビクラが追従したのでは?・・・・う〜む、分らん。この部分の形状が分る写真が件の本の写真意外皆無なのである。ゆえに僕は、一旦開口した排気口の形状を、扇方から矩形に変えるべくモノのキットの改造に着手した。ところが改造に着手してから暫くしてネットで拾ってた写真中、当該部分の写真があったことを発見したのである。(写真右)正に、モノやボビクラのキットの排気口扉の形状で正しいのである。では、ディテール&スケールの写真は何なのだ?また、世傑の図面は何なのだ?
 僕の結論は、こうである。B−36は、高価で戦闘による消耗もなく竜巻被害でかなりの機が損壊したこともあり、初期の型が暫時改修され輪廻転生をして来たのである。件の本掲載写真では一々何型とは明記されていないが、ネットで拾った機体は生き残った数少ない機体の写真である。つまり生き残ったてことは後期の改修された型の写真であるということになる。(ちなみにDWLした組写真からこの機体には機首砲塔がないのでB−36D?かB−36J?のフェザーウエイト型と思われる。)そこで、件の矩形扉写真は初期の型のものではないだろうか?また、モノのキットは後期型かRBの仕様だし、ホビクラもB型以外は後期の型である。よって、ホビクラのB型以外なら、キットのままで由とした。
 まあ、堂々巡りして元の鞘に納まっただけの話である。
 B−36の砲室開口部の大きさの違いについての考察
 相変わらずの無反応を物ともせず、唯我独尊でB−36研究成果を記録します。モノとホビクラのキット、前者はナナニで後者はイッチョンチョンで発売時期は20年以上離れているが、胴体3箇所にある砲室開口部の大きさについて、両キットとも前上部砲室の開口部が若干大きくなっていることにお気づきのモデラーっておられるだろうか?僅かにそこは他より大きいんですね。ここに合わせて砲座、砲等の寸法を割り出して原型を製作し、コピーしたため、製作中のホビクラRB−36の砲室内の砲座の状況は、写真左の通りとなってしまった。写真中、左上が前上部の砲室であり、右下が後上部、左下が後底部である。明らかに各砲座間の間隔に前上部ではゆとりがあるものの、後部上下砲室のそれにはゆとりが全くない。(実はゆとりどころか砲室に砲座が納まらず砲座を可能な限り削ってやっと設置できたってのが正直なところである。)
 この砲室開口部の大きさの違いは両社の誤りだろうか?又しても怪しいキットに対する僕の拘り研究が始まった。図面も当てにならないようなので写真を探したら確認できる写真が見つかった(写真中&右)前上部砲室開口部は胴体上部の外板ラインに沿っているが、後部砲室はあきらかにこの外板ラインの内側が開口部となっている。同じパーツを使って砲室内に砲等が設置されてるのに砲室開口部の大きさが異なる理由って何だろうか?前と後ろの砲室の違いって前は機構的に扉が左右開きで機能的に緊急脱出口を兼ねてる以外に差異は認められない。写真右のようにB−36初期型の前部砲室内に奇妙な四角い部分があり、砲室内の形状も一部異なり扉の形もこれに伴い異なっているのは、緊急脱出のためと推察される。正確な理由は不明であるが、B−36の砲室開口部の大きさは両キット通りに前部がやや大きいのが正しいという、これも堂々巡りして元の鞘に納まっただけの話であるが、砲室内の追加工作をする場合には、事前に押さえておくべき重要な点でもある。
オヤジ殿
B-36の素晴らしきウンチク、大変勉強になりました。その辺の本を読むより知識が頭に入ります。

写真はB-36じゃありませんが、グローブマスターの4機揃い踏み。なかなかの迫力ですね。
 日の丸隠れ切支丹の鬼さん
 本の筆者さんは模型作らないから気付かないんだと思います。調べて作り出したら現実的にぶち当たる3次元の諸問題問題ですので拘るのも必然なんですね。でも、僕は機内のレバーが如何とかには一切触れてません。操縦席など計器版もありません。見えない、パーツない、小さくて作れないで初めから全く注目してません。大型機の内部ってかいこうぶから見える所意外って殆ど完成後には見えなくなりますんで外見に拘った方が良いようです。
 殆ど見えなくなるって分ってて97重爆の機内に拘った鬼さんの拘りには脱帽しました。
 このB−36うんちく自論はまだ数ネタ続きますので頭痛くならない程度で読んでいただければ嬉しいですね。
 グローブマスター僕も好きです。小低学年の頃にお親からお年玉で貰った100円札握り締めて元旦から砂取小近くの模型店に走り買いました。(まだB−17ウイルスに感染する前でした。)そして買ったのが本機ですね。弟の爆撃機(多分B−17)は爆弾倉を開くと小さい爆弾がバラバラ落ちて来ましたが、僕のグローブマスターは顎が観音開きに開きベロが出ました。太っちょですが犬の鼻のような愛らしい姿に今でも好きなアイテムですね。愛着があります。
 ちなみにナナニとイッチョンでアニグランドから出てますね。
http://www.anigrand.com/AA2067_C-124.htm
http://www.anigrand.com/AA4024_C-124.htm
アニグランド1/72グローブマスターの箱がこれ(左)。
今年静岡に持ち込んだC-97(右)も大概に大きいのだが、2つ並べるとグローブマスターの方がもう一回りデカイ。

来年の静岡にグローブマスターを持って行きたいのだが、クラブのテーマの行く末を見守りながら、じっくりと思案中なのです。
 エシュロンさん
 アニグランド1/72グローブマスターご購入とは素晴らしい、貴兄は男ですね。こんなデカイ レジンに挑戦なさるとは素晴らしいです。来年の静岡で拝見できれば嬉しいですね。
 ところで、3枚目の写真はアカデミーのC−97でしょうか?良い感じですね。クリアーコートされてるようですが、金属質間を損ねてませんね。今製作中のB−36も極細歩行ラインが手書きできそうもないのでデカール貼ってクリアーコートしたいんですが、金属質感の低下が怖いです。宜しければ、何処の銀を塗ってどのようにコートされたのか銀塗装のコーティング初心者の僕にご教授下さい。
>蛇の目オヤジさん

あの顎が開いて舌が出るグローブマスター、1/200位だったでしょうか、私は中学時代に見て買おうと思っていたらいつの間にか市場から消えてましてね。残念。それで、1/72で同じギミックを使って、静岡の初日には顎を閉じ、2日目には顎を開いて中から軍用トレーラーを引き出して展示…、などと妄想をしていたら、全く同じアイデアを昨年の静岡で土屋氏が1/144でやっていました。残念。

銀コートの件、ベテランの蛇の目オヤジ殿にお話するのも僭越ですが、私の銀塗装は写真のMr.メタルカラーをスプレーし(C-97ではこれを3本使用)、磨いた後に水性のトップコートを吹いています。よく銀磨きの上にトップコートを吹くと灰色に変色すると言われますが、私はそのような迷信を信じてはいません。但し、保証はできませんので、オウンリスクでお願いします。先の写真のC97はアカデミーです。これが近寄れる限界の写真で、これ以上近づくとアラが目立ちます。

トビに敬意を表して写真一枚追加。B-36、私もいつかやろうと思っていますが、今年2機も出てしまったので、当面はパス。やるときには色々と教えて下さい。
なお、「戦略空軍命令」の撮影の際、ジェームス・スチュアートは実際に横田に来訪し、当時横田に駐留(後に小牧に移動)した39FISのF-86Dを自ら操縦して地上滑走までしたそうです。元39FISのエンジンメカニックに聞いた話です。
 エシュロンさん
 嬉しいですね。あのグローブマスターのキットをご存知だったとはうまい!愛嬌ある面構えの機首からベロが出るのが何とも良い感じでした。
 塗装指南有難うございました。大昔にB−17B製作の折にメタルカラーの上からクリアー吹いてトラウマになり、後年、P−51のワックスかけ翼の再現で水性クリアー(塗面を痛めぬよう本当に水で薄めました。)を吹きましたら、弾かれて水滴になり、仕方なく霧が付くような状態でなんども何度も霧吹きしました。お陰で塗面を痛めることはなかったんですが、箱入り娘だったのに今では翼は蝿捕り紙状態で埃がへばり付いてます。貴兄の場合、市販の水性クリアーだそうですが、塗面を痛めませんでしたか?また、水性はあのベタ付きが抜けないように思いますが、ベタ付きはありませんか?
 B−36やって下さい。大きいけど優雅なヒコーキです。
 撮影時にジェームス・スチュアート来日とは、結構凝った撮影したんですね。でも、横田基地でもジェームス・スチュアートのシーンってなかったですから、カットされたシーンにあるんでしょうね。
>蛇の目オヤジさん

水性トップコートのベタ付きは、特には無かったように思いますが、気が付かないだけかも知れません。しかし、ご懸念のように、銀磨き塗装とトップコートの組合せには金属質感減退の外にも多くのリスク、爆弾を抱えています。

まず下塗りですが、これをすると金属感が薄められるようで私は極力しないようにしています。この際、継ぎ目をパテ処理することはできなくなりますので、接着剤のみで果たして継ぎ目を上手く消せるかという問題。次に、銀塗料の食いつきが悪いので、後にトップコートの上にマスキングして別の色を塗装すると、マスキングテープを剥がす際に銀塗装まで一緒に持って行かれるというリスク。これが発生した場合の対応は、?見なかったことにする、?銀塗装からやり直す、のいずれかしかありません。私は常に?で解決?していました。
さらにはトップコートを吹く際、余り近づけ過ぎると銀塗装が飛んで地肌が現れ出し、離し過ぎると水滴状のブツブツ表面になるというジレンマ…などなど。

私も色々失敗を重ね、試行錯誤を繰り返しながら、未だこれぞという安定した方法を確立できずにおります。最後に(本当に最後か?)、今だ未知の問題もあります。水性トップコートの耐久性(耐候性)の問題です。保存状態にもよりましょうが、5年位は大丈夫のようですが10年となるとどうなるか分かりません。というのは、古い機体を見ると「確かもう少し金属色が輝いていたはずだが…」と思われるフシがあるからですが、これは直接比較できないために何ともはっきりとは分かりません。もう少し年月が経つと分かるかも知れませんが。

という訳で、静岡でも色々な人から表面仕上げについての質問を受けましたが、自分では我慢できたとしても、果たして人さまにお勧めできるものであるかどうかは分かりませんので、その点、よろしくご了解下さいませ。これまでの作品例を参考までに幾つか貼り付けます。(KWATさん、写真無断転用ご了解乞う。)


 エシュロンさん
 ご丁寧な解説痛み入ります。僕は、B−17B製作で初めて磨き銀を使いました。もう20年ぐらい前のことですが・・・。下地にはサフを吹き、文字や国籍マーク、防氷帯、歩行表示線を描いてからマスキングして磨き銀吹き眼鏡拭きで磨きだしてマスキングテープ剥がしました。はがす時に飛散した微細な銀粒子はどうしても取れません。特にキャノピーは困りました。そして、20年経た今では8番塗ったのと何ら変らぬ燻し銀状態です。多分、アルミ粒子が酸化したんでしょうね。以後、指紋付着防止に白手袋は必需品です。
 水性コートについては缶入り使用経験はないんですが、昨年、MC202製作した時に使用したエアロマスターデカールが見事にラッカーシンナーに侵され萎縮するので使用しましたが、今でもベタ付き感があります。相変わらず水性ってトホホです。何でも乾いてないんじゃなくて体温で溶剤が軟化するらしいですね。してみると水性の材質的特長でどうしようもないです。以後、こいつも指紋押捺防止に白手袋が必需品です。

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