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東アジアの近代建築コミュのアヴァンギャルド作家李箱の生家

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韓国の近代文学史の異端児、李箱の生家が
チョンノ区の文化財に指定されています。
トンイン洞にある木造家屋で、1930年代李箱がここに住み、執筆活動をしていたということです。
(写真だと見えにくいですね)

コピペプロフィールです。
李箱(1910-1937)。詩人、小説家。本名金海卿。ソウル生まれ。京城高等工業学校建築科卒業。1929年より33年まで朝鮮総督府勤務。その間『朝鮮と建築』誌の表紙図案懸賞募集に入選、『鮮展』に自画像が入選するなど多才な一面をのぞかせるが、20歳ころより肺を病む。文学活動としては、1930年長編小説『十二月十二日』を朝鮮文『朝鮮』誌に連載。1931年には『異常ナ可逆反応』をはじめとする一連の日本語詩を発表。これらは数字や記号、語句の反復、無関係な事項の羅列などを特徴とする技巧的な詩で、その奇抜さと難解さにおいて他に類のない前衛的作品であった。1934年「九人会」に入会、『朝鮮中央日報』に詩作上の成熟をうかがわせる『烏瞰図』(朝鮮語)を発表するが読者の不評をかい中断。喀血、妓生(キーセン)錦紅との同居、喫茶店経営のたびかさなる失敗、詩人としても認められない不安と絶望のなかで小説に取り組む。1936年錦紅との生活を背景とした『翼』(朝鮮語)を発表。世俗の介入を許さない密室的空間を絶対視し孤独な遊戯を楽しむ主人公を通じて人間の意識の表裏を映し出してみせた。この年卞東琳と結婚、「20世紀出張所」と彼が呼ぶ東京に単身渡る。しかし徘徊のあげく、奢侈と虚栄を見出し失望した。ついに1937年東京帝大付属病院で肺結核のため世を去った。私生活、文学両面において既成概念を打ち破り、独自の方法と思考によって自意識を洞察し提示した李箱は、その独特な風貌からもモダニストと称された。活動期間は短いが現代社会への転換期にあらわれた特異な文学者であった。『全集』が刊行されている。

“翼”という短編集に、京城の様子が描かれています。

もう少し詳しく知りたいなーと思った方は、
川村湊氏の“ソウル都市物語”
http://www.heibonsha.co.jp/catalogue/exec/browse.cgi?code=85_039
の一読をお勧めします。
李箱の生を通して京城の姿が浮かび上がってきます。


李箱の半生をテーマにした映画
“錦紅よ錦紅よ(クムホンア クムホンア)”もあります。
演技派キム・ガプス主演です。
ワタクシは未見ですが、映画のセットに京城の雰囲気を感じ取れるのかな、と想像します。

“翼”は日本語訳も出ているので、興味ある方はどうぞ。
白水社から“朝鮮幻想小説傑作集”が出ています。

コメント(6)

>めんたい子さん
このマンドゥ屋だと思います。
場所は、景福宮の西側、サジク公園の裏側あたりです。
考子洞が路面電車の終点だったので、
http://www16.plala.or.jp/caw99100/hanguk/trammap.gifこの電車に乗って“境界”(北村=南山)を飛び越えた、といった文章がソウル都市物語にのっていたような気がします。
うろ覚えですみません。
現在李箱の生家(厳密には家があったところ)にて、李箱をテーマにした
イベントが行われています。

‘李箱との対話 Conversation with Yisang’
公式ブログ
http://yisanghouseproject.blogspot.com/

<展示期間>
2011年4月6日 - 5月31日

<開催時間>
Tuesday- Thursday: 12 p.m. - 8 p.m.
Friday, Saturday: 12 p.m.- 10 p.m.
Sunday: 1 p.m. - 8 p.m.

<イベントに参加するアーチスト>
Youngho Yoo, Jooyoung Lee, Pedro Lagoa, WISE Architecture, Hyun Jung

<場所>
通仁洞154-10番地
最寄り駅 地下鉄3号線 景福宮駅2番出口を出てまっすぐ、
ウリ銀行が見えたら左に。

2004年に登録文化財に指定され、その後の調査で厳密には1940年に建て替えられたもので2008年に指定中止になったという李箱の生家。
この家を管理している文化遺産国民信託と財団法人アルムチギは、取り壊しを決定して李箱記念館を新築することにしたのですが、この決定に反対の声が高まっています。

以下、京郷新聞の記事より。

国内初のアメリカ人韓国語教授こと、ロバート・ファウザーソウル大学国語教育教授は、
今年頭に西村住居空間研究会長に就任、景福宮西側の韓屋保存運動を積極的に行っている。

〝確かに李箱の住んでいた家ではないが、築70年の貴重な建物とも言える。
西村韓屋の一部といってもいいものだ。この建物を壊すことは、韓屋保存と真逆の行為ではないか?”

教授は2009年、西村の韓屋に住んでいたが、家から見える仁王山が最近建てられた高層建物のせいで見えなくなってしまい、北村側の韓屋に引っ越した。

〝斎洞、嘉会洞、三清洞などの北村エリアは貴族階級の住居エリアだったが、考子洞、通仁洞、
通義洞など西村は、中流階級や植民地時代の日本風家屋、20世紀初頭の洋館、60年代開発初期の連立住宅などが集まっており、韓国の住居史そのものだ。それが西村を魅力的なものにしている。
朝鮮時代の姿が、そのまま保存されているものだけが韓国的なものとはいいがたい。”

過去と未来の共存をテーマに運動を展開していきたいと教授は語る。

それにしても。文化財登録の際の詰めが甘いですね。
指定を中止とは…。

最近西村、とってもきてますよね。
北村とは違う街の魅力を、観光客たちも十分楽しめるよう影で頑張っている方がいらっしゃるというレポートでした。
西村なら培花女子高生活館 の方が素敵ですよ!

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