ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

吉田秀和――音楽評論とは何かコミュの吉田氏のマーラー観

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
私見では、吉田氏はあまり、マーラーがお好きじゃないみたいです。

『世界の指揮者』の中で、ショルティ、バーンスタイン、バルビローリ、クーべリックのマーラー演奏はほめていますが。

マーラー好きにとっては少し残念に感じます。


コメント(46)

吉田氏の今の心境は自分には分からないですけど、
年齢からして、何か特定の作曲家、演奏家にこだわりはないかも
しれませんね。
でしょう。
マーラーよりはブラームスでしょう。
吉田秀和氏は彼の感性の赴くまま曲や演奏家本位で彼の琴線に触れた作品を深く掘り下げて論考するタイプの評論家で、作曲家の選り好みはあまりないように感じます。
採り上げる作品がマーラーがブラームスより少ないとしたらそれは確率の問題で、マーラーの作品数がブラームスの作品数より少ないので仕方ないことかと。
肝沢さま
その評論こそ、この曲とその作曲者に対する最大級の評価ですね。
そうですか。

ご両人がそうおっしゃるのなら、わたくしの思い違いかもしれません。

マーラー音楽にたいへん惹かれているので、そんな気がしたのかも。

無論、ブラームスも好きなのですが。

吉田氏お薦めのカール・べームのブラ2聴いてみたいです。


まあ、自分は、この世でマーラーを最も高く評価してくださる評論家として吉田秀和さんのファンになり、このコミュにも参加した者なので、ある意味これは認識・捉え方の違い、といった類のものでしょう。
同じ文章でも見る角度によって違って見える、ということは有り得ると思います。
70年頃に、レコ芸の連載記事で、3回にわたって、マーラーの9番について書かれていたのが印象に残っています。
その時代に、マーラーのことをそれだけのボリュームで書くというのは、相当先駆的な話だったのではないかと思います。

最近だと、同じくレコ芸の連載で、カラヤンの5番について書かれていたものも、大きく共感を持った内容でした。

私としては、吉田氏がマーラーが「お好きじゃない」ということはないように思っています。
>まだ聴いたことがない人が幸せだと言う、吉田氏特有の言い回し

これは彼の発想ではなくて、ヨーロッパの聴衆の発言の引用ですね
>マーラーの9番について

日本初演がアマチュアオケだったという記載があったような記憶が。実は私はその初演の演奏会のメンバーに誘われたのですが、他の演奏会とぶつかっていて断念。実に残念でした。
皆さん、コメントありがとうございます。
バルビローリ、バーンスタイン以外に、吉田氏お薦めのマーラーはありますか?
ワルターの4番について非常に情感に満ちたコメントを残しています。
詳細は後で調べて報告します。
>>マーラーの9番について
>日本初演がアマチュアオケだったという記載があったような記憶が。

マーラーの演奏史に関して詳しくないのですが
1967年にコンドラシン指揮 1970年にバーンスタイン
1973年に森正+N響が東京で演奏していると記憶するので、それ以前に日本で
演奏されているとしたらプリングスハイム辺り。
コンドラシンの日本での演奏の録音は発売されています。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/2730337
6番など他の交響曲はプリングスハイムが東京芸大オケと1930年代に
日本初演していているので、その話では?

今、吉田秀和氏は今は、特定の演奏家が面白いといういうより全ての
演奏家がそれなりに価値があるという言い方なのです。
人にお薦めを聞いて、安上がりに良い物を買おうという人に対して
何も参考になることは書いてないと思います。
レヴァインやテンシュテットのアナログ盤が最初に日本で出たとき
新時代のマーラーとして、凄く誉めてましたけど、どこに、それらの
文章が残っているか直ぐに分かりません。
最近の演奏、録音は、あまり聞いてないかもしれませんね。
アマチュアオケによるマーラーの9番の演奏会は1977年のことなので、必然的に違うことになりますね。
>今、吉田秀和氏は今は、特定の演奏家が面白いといういうより全ての
>演奏家がそれなりに価値があるという言い方なのです。
>人にお薦めを聞いて、安上がりに良い物を買おうという人に対して
>何も参考になることは書いてないと思います。

ホント、そうだよね。
そうですかねえ。

日本のような文化的後進国で、ディスク批評をしない批評家は存在理由がないのでは?
吉田さんは、マーラーの他にも、チャイコフスキー、ショパンも苦手です。それでも音楽評論家は務まるから、音楽って不思議ですね。
肝沢さま
いいえ、おっしゃっている意味はわかりますし、その通りだと思います。ただ、ディスクを通してクラシック音楽を享受することは、西洋音楽の伝統がなく、今なお劇場やホールに乏しく、演奏会も少ないこの国に置いては仕方がないこと、必要不可欠なことであり、そうである以上、評論家と称する専門家がそのよしあしを批評することには、単なる実用を超えた意味、意義があると思います。吉田氏のように、長いキャリアと豊かな教養、優れた批評眼を持った大家においては、なおさらです。
また、この国はあらゆる面で、西欧諸国に比べて少なくとも百年は遅れていると思います。文化の程度においても。
モーツァルトとかシューベルトの曲でも使っていたと思います。昔、NHKFMで野村光一氏とか大木正興氏などと一緒に出演していた演奏会の評論番組があったのですがそこだったか、彼一人の番組だったかでも発言していた記憶があります。彼独特のあの口調で。

それからマーラーの9番でのアマチュアの演奏に言及していたのは彼ではなく柴田南雄氏(岩波新書のグスタフ・マーラー)だったかも。今、本が手元にないので確認できたら書き込みます。
TO : No.18 モントゥーさん
 
ワルターが多少控えめだったとすると、バーンスタインはオーバーにいっちゃっているほうだと思う。マーラーの音楽の中からエモーショナルな部分を強調している指揮のような気がしますね。自分がそれになりきったみたいになって、泣いたりわめいたり恍惚としたりして、指揮してますね、あの人は…。
それから自然に対するマーラーの愛が一番すなおにでているのはクーベリックだと思うな。しかし、マーラーの今度は非常に神経質な、それで、非常に退廃したような面というのは、やっぱりクーベリックで聴いているとだめだね。そうゆうものはやっぱりバーンスタインやなんかに、とてもいいところがあるし、しれからショリティだな。
ショルティは、ずいぶんマーラーの鋭い、前進的なものをよくつかまえているような気がする。そのかわり少しやわらかみがなくなっちゃているけどね。
 
吉田秀和 愛聴盤&参考レコード
 
交響曲第一番
☆ワルター/コロムビアso. (CS)
☆ジュリーニ/シカゴso. (EMI)
 
交響曲第二番
 バーンスタイン/ロンドンso. (CS)
 クレンペラー/フィルハーモニアO. (EMI)
 
交響曲第三番
☆クーベリック/バイエルン放送so. (DG)
 バーンスタイン/ニューヨークpo. (CS)
 
交響曲第四番
☆バーンスタイン/ニューヨークpo. (CS)
 ワルター/ニューヨークpo. (CS)
 メンゲルベルク/コンセルトヘボウO. (Fontana)
 
交響曲第五番
☆ワルター/ニューヨークpo. (CS)
☆バルビローリ/ニュ・フィルハーモニアO. (EMI)
 
交響曲第六番
☆ショルティ/シカゴso. (Decca)
 バーンスタイン/ニューヨークpo. (CS)
 
交響曲第七番
☆クレンペラー/フィルハーモニアO. (EMI)
 ショルティ/シカゴso. (Decca)
 
交響曲第八番
 ショルティ/シカゴso. (Decca)
 バーンスタイン/ニューヨークpo. (CS)
 
交響曲第九番
☆ワルター/コロムビアso. (CS)
☆バルビローリ/ベルリンpo. (EMI)
 
交響曲「大地の歌」
☆フェリア、パツァーク、ワルター/ウィーンpo. (Decca)
☆F=ディースカウ、キング、バーンスタイン/ウィーンpo. (CS)
 
吉田秀和 音楽を語る(下巻)より 1975年1月25日初版
 
p.s.シカゴ響とレヴァインが録音した、五,六,七番あたりのRCA盤を推薦していたのを、吉田さんの本で記憶してます。あとは、フィルハーモニアO.とシノーポリが録音した五番(EMI)をレコ芸の連載に書いてました。
サニーサイドさま

ありがとうございました。たいへん勉強になりました。吉田氏はショルティのマーラー演奏を激賞していましたね。
音楽展望1990年の「バーンスタインの死」というエッセーに「バーンスタインのマーラーは余人をもってはかえられないもので、私は、それがもう二度と接しられなくなってしまったことを、嘆く」とあります。

1979年の別の文章で、「戦後におけるマーラーの復活、そのブームにはバーンスタインの存在が欠かせない。いやこの人のこういう没我的狂熱的なマーラー支持があったればこそ、作曲者の死後ずっと忘れ、おきざりにされてきたマーラーへの現代の感心が生まれてきたのではないだろうか。そう、私たち今日の人間が持つようになったマーラーの音楽への渇えは、この人が教えたものである。」とあります。

マーラー復活のブームが起こる前から、ずっと音楽に関わってこられたキャリアをお持ちの吉田氏にとって、特にマーラーにこだわる必要はなさそうですが、長期にわたる朝日新聞の音楽展望への連載をみると、マーラーに言及したものは、決して少なくありません。

たとえば79年7月19日のエッセーでは・・・もしマーラーがこれを聞いたら「この男は私を理解した。私の一見複雑にからみあったスコアも、要するに自分の考えをできるだけ正確に伝えようとしたところから来たのであり、この指揮者は、私のスコアに何かをつけ加えようというのではなくて、それを正確に読みほぐすことに全力をつくしたのだ」といったろうと思う。マーラーがこの人の棒でほど、静けさにみち、クリアーで、しかも充実して響いたことはなかったろう。とあります。

吉田氏が激賞しているのは、レヴァインのRCA録音のこと。バーンスタインの巨人的啓示のあとに来た新世代の音楽の到来を歓迎されてます。
音楽展望からもう一つ引用。簡潔にして急所を突いた慧眼としかいいようがない文章。

*************************************************************************

マーラーは旺盛な自我意識に悩まされた人だが、彼は決して自己中心的に終始できず、自分をとりまく外部世界に対し、いつも注意深い態度で立ち向かわずにはいられなかった。
「生と死」とか「復活」とか「人生と自然の意味」とか、自分一個を超えた普遍的な問題への答えを常に求めていた人である。それがマーラーの交響曲の中に、森、花、小鳥、霧、風といった自然に通じる響きが吹き通ってくる理由だし、天使や子供のような人間の隣にいて、しかも人間を超えた存在に対する比類のない柔らかな感応性の働きや豊かな幻想性となって、彼の音楽のいたるところに光と色を与えている理由である。
吉田氏には、もっとマーラーについて書いてもらいたいと思います。
 別のコミュに書いたものですが、参考になると思います。

 吉田秀和は、マーラーを語る最初に、マーラーが優れた芸術家であることを精密に論じています。そして、その傍証として、シェーンベルクを引用しています。(以下引用です)

 この二十世紀音楽の父親の中で最も非妥協的だった芸術家(シェーンベルクのことです:センマオ注)は、いきなりこう言ってのける。
「多くの言葉を費やすより、ごく端的に言うのが一番良いでしょう。グスタフ・マーラーが最も偉大な人間かつ芸術家の一人だったというのが、私の不動の核心であります、と。ある芸儒家について、人を納得させるやり方は二つしかない。一つはその作品を上演すること、もう一つは作品についての信念を吐露することです」と。(引用終わり)
(「吉田秀和作曲家論集1 ブルックナー・マーラー」128p〜129p)

 この後でマーラーの音楽がどのように優れているかシェーンベルクが分析するところも吉田秀和は引用しています。
 マーラーが作曲家として、いかに天才であったかということが述べられるわけです。

 吉田秀和は、マーラーを高く評価しています。ショパンやチャイコフスキーへの低い評価とは全く異なります。
センマオさま

コメントありがとうございます。吉田翁の中で、チャイコはかなり評価低いですね。欧米でもそうなのだろうか?
やはり、ドイツ・オーストリア上位になってしまいますね。実際そうなのだろうけど。
 私の知る限り、吉田秀和が「ドイツ・オーストリアの音楽が、他の国のものよりも優れている」かのようなことを述べたことはありません。
 例えば、ドビュッシー、フォレ、ヤナーチェクなどは高く評価されていると思います。
センマオさま

確かにそうですねえ、しかしモーツァルト、ブラームス、ドォボほどじゃありませんねえ。
 「永遠の故郷 真昼」が出たので早速読んでみた。後半は、ほぼマーラー一色。最後に取り上げているのは大地の歌の最終楽章「告別」である。
 その中で、こんな一節があった。

   (以下、同書の129pからの引用)
   特に「大地の歌」の最終章「告別」、第九と第十のそれぞれの第一楽章
  などは、かつて書かれたもっとも美しい音楽に属すると言うべきだろう。
   これらの音楽は眩しいくらい美しい。そうして、無意味だ。

 「無意味だ」とはどういうことだろう。ここで吉田秀和は何を言いたいのか。
 どなたか教えていただけないだろうか?
>>[41]
← 私は虚しい、はかないという意味に理解しました。
吉田氏の感極まった様な表現であり、マーラーがずっと求めていたもの、つまり吉田氏の言う「魂の救済」や、宇宙の神妙なる真理などといったものを音楽に求めても、それは虚しく無意味である。
その様に仰ってると推察しました。

ログインすると、残り17件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

吉田秀和――音楽評論とは何か 更新情報

吉田秀和――音楽評論とは何かのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。