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ZKセミナー・サロンコミュの数論セミナー第14回090714

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「数論」ss4.1 by TKC
・フェルマーの最終定理のn=3の場合のオイラーによる証明

コメント(8)

後ろのほう(9章保型形式あたり)眺めてみたが,20世紀の吸うロン半端ないですね.ラマヌジャンさんスゴス.数式が全部わからないという素晴らしい景色をみたよ.久々に清々しい気分だ.はいはい解析解析無理ぽ無理ぽ.うーんこのへんは解析の基礎からの修行が必要だな.
とりあえず個人的な目標だったクンマーの定理まで概観できたので,今,先のほうを流し読みして新しく興味のあるものを探している.
「数論3」の内容は,

9章 保型形式とは
10章 岩澤理論
11章 保型形式 (II)
12章 楕円曲線 (II)

となっていて,10章以降は20世紀後半の,現代数学と呼ぶに相応しい内容のようです.
数論すげえ.ガロア理論,複素解析,測度論,etc,全部使うのね.
ドラクエでいうともうラスボスの正体が明らかになる段階でしょうか.まだレベルもアイテムも足りない.
とりあえず「数論2」の類体論を倒さないことには始まらんことがわかりました.
それにしても,数学のなんとドラクエ的なことよ.

われわれは川をさかのぼってきた探検者のようだ.ζ関数の整数での値という目に見えるものの世界を平野に例えると,われわれはこの平野からp進L関数という川を頼りにして森や山をさかのぼってきた.この川のさらなる上流にはζのふるさとがあるような気がする.この未開の地がどうなっているのかはまだ誰も知らない.(ss.10.1, pp.522)

こういうことが書いてあると,なんか行ってみたい,行かなくちゃいけない,という気持になる.
よくわかんないけど,ドラクエ9より面白いんじゃない?
引用部分かっこいいですね.

ドラクエ9には境界があるが数学には無い.
つまり,後者は自己言及ができるが前者は与えられた世界内に留まる.
いわゆる「三次元」と「二次元」の違いも,この差異が本質的.

数学に対し,観点を固定した場合,つまり(強い)自己言及を行わない場合,数学とドラクエの面白さは比較可能になりえる.
ドラクエの面白さと数学の面白さの「距離」は,FFの面白さと数学の面白さの「距離」よりも近いかなと感じます.
ドラクエと数学は,面白さを感じるまでに時間がかかる.
と言っても最近のドラクエはレベルも上がりやすくなっていますが.

結論としては,しかしドラクエは観点が固定されている(つまり自己言及できない)といえど,その固定された世界内における楽しさや充実度は,メタ視点を誘発するに十分力があるものだと思います.
有限集合の個数の対等性の〈性質〉から,無限集合の濃度の対等性の定義を行うかの如く.
世界内における良い存在とは,常にその世界を超克するそぶりを見せるもの.
良いアニメというのもそんなものでしょう.
ζの整数値もそんな感じなのでしょうか.

ブルバキによって推し進められた構造主義が終焉し,今は極度な抽象論でなく,抽象世界が見えるような具体的対象をうまく見つける事が重要視されている感じがあります.
この傾向は研究に留まらず,教育の場においても良い結果をもたらすことと思います.
きゃぷでも,〈良い〉問題を出したいものです.

・追
先日TKCときゃぷで「変な公理から真面目な推論を行っている人間はおもしろい」というようなことを話しました.
同じ事をよっちゃんに話したところ,彼が素晴らしい反例を挙げてくださいました.
しょーろしんです.
彼は,推論(行動)はこれ以上ないほど正確ですし,また公理はかなり間違っていると思われます.
この反例は素晴らしすぎるほどマッチしていて,先の主張の本質的改変が必要性を感じるのですが,どうなんでしょう.
>世界内における良い存在とは,常にその世界を超克するそぶりを見せるもの.
>ζの整数値もそんな感じなのでしょうか.

まさにその通りかと.
==============================
(追について)
公理と推論規則は表裏一体,体系の定義の仕方に依存するので,

定理「変な公理から真面目な推論を行っている人間はおもしろい」

も,その点,定式化が厳密でないところがあったかもですね.まあ,いまの場合,

公理=考え方や信念,推論=行動

という感じなのかな.
うーん,反例:しょーろしんによって我々の理論の基礎に危機が訪れていますね!
以下は,高木貞治,「近世数学史談」からの引用ですが,理論の根本的転換の必要性が示唆されているように思います.

>ガウスが進んだ道は即ち数学の進む道である.その道は帰納的である.特殊から一般へ!それが標語である.それは凡て実質的なる学問に於て必要なる条件であらねばならない.数学が演繹的であるというが,それは既成数学の修行にのみ通用するのである.自然科学に於ても一つの学説が出来てしまえば,その学説に基づいて演繹をする.しかし論理は当たり前なのだから,演繹のみから新しいものは何も出てこないのが当たり前であろう.若しも学問が演繹のみにたよるならば,その学問は小さな環の上を永遠に週期的に輪廻する外はないであろう.我々は空虚なる一般論に捉われないで,帰納の一途に精進すべきではあるまいか.(ss.9, pp.69)
我々の定理について:

前件=sは変な公理を持っている∧sは真面目な推論を持っている,
後件=sは面白い.

しょーろしんという反例から,主張が強すぎることが分かる.
従って,経験をもっと積みその経験を反省(分析)することにより,前件を強めるか後件を弱める必要がありますね.

っていうか,こんなことしている我々このsに当てはまりますね.


貞治:
その通りですね.
ただ,「帰納」という言葉はあまり正確でない感じがします.
数学や科学においては「アブダクション」と「一般化」が,より本質的だと思います.
前者について簡単に.
アブダクションとは,確か哲学者のパースが考えた概念だったと思いますが,帰納と似ているような概念ですが全く違います.
次の例で見てみる.

事象:今日まで毎日りんごが木から落ちた.

帰納による推論:明日も明後日もりんごが木から落ちるであろう.
アブダクション:木が落ちるのはりんごが地球から引力を受けているからであろう.

つまり,アブダクションは,事象の説明を行うこと(説明の為の抽象理論の構築)といってよいでしょう.
ポイントは,アブダクションは単にその事象を繰り返し観察するだけでは決して生まれないという点(帰納と異なる点).
積極的な,うまい<飛躍>が必要である.

事象の観察,分析⇒アブダクション⇒演繹⇒検証(帰納).

従って理論の根本「転換」というよりは,抽象化(保存的拡大)が示唆されている感じがします.
よくわかった.このへんは我々が好きなとこだよね.

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