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ゴルフの歴史コミュのマスターズ物語?

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 オーガスタ・ナショナルゴルフクラブはアメリカの中でも保守的な、南部ジョージア州にある。そしてメンバーたちは資本家で、がちがちの共和党支持者たちだ。ドワイト・D・アイゼンハワーは当然共和党から出馬して大統領になっている。

 南部的。つまり、古き良きアメリカを愛する人々であるということだ。それは当然、アメリカNO.1、白人至上主義、資本主義バンザイであることを意味した。

 そういう人々が望むマスターズ・チャンピオンとはどんな人物であろうか。

 アメリカ人であり、白人であり、上流階級的な紳士。本音ではマスターズ委員会はそのようなプレーヤーがマスターズに勝つ事を望んでいるのだ。そのため、南アフリカ出身のゲーリー・プレーヤーやスペイン出身のセベ・バレステロスはマスターズで何度か不快な目にあわされたし、メキシコ出身のリー・トレビノは何年もマスターズに出場しなかったことがある。初めてマスターズに黒人プレーヤーが出場したのは1974年のリー・エルダー。初めてメンバーに黒人が加わったのは1990年。ちなみに、現在でもオーガスタ・ナショナルには女性のメンバーがいない(保守的なゴルフクラブでは珍しいことではないが)。

 1963年。そのようなマスターズ委員会を満足させる優勝者が誕生した。アメリカはオハイオ州出身。ドイツ系の白人で、ドラッグストアを経営する裕福な家庭に生まれ、アマチュアとして全米アマチュア選手権に2連勝した後プロ入り。性格は実直ながらユーモアにも富み、紳士そのもの。プロながら正にボビー・ジョーンズの後継者として相応しい人物だった。

 ジャック・ニクラウスである。

 マスターズ委員会はニクラウスの登場を歓迎し、ニクラウスもマスターズを愛した。オーガスタ・ナショナルではトーナメント前に、過去のチャンピオンを集めてディナーが行われる(ホストは前年優勝者が務める)。その席で、オーガスタ・ナショナルのコース改造やトーナメント運営についての改善点が話しあわれるのだが、この際に最も積極的に意見を述べるのがニクラウスだったそうである。

 彼は結局6度もクリーンジャケットを羽織ることになるのだが、初優勝は1963年。前年の全米オープンでアーノルド・パーマーを打ち破ったニクラウスは、パーマーの「庭」と見られていたオーガスタ・ナショナルでもあっさりパーマーを二位に退けたのだった。もっとも、次の年は再びパーマーが王座に返り咲く。ニクラウスがオーガスタ・ナショナルに本当の意味で不滅の名を刻むのは翌年1965年の大会においてであった。

 前年に初めてメジャー優勝の無い一年を経験したニクラウスは、65年も年明けからスイングに悩んでいた。一週間前にオーガスタ・ナショナル入りしたものの、ボールがフックして仕方が無い。その時、練習ラウンドを一緒に回っていたディーン・ビーマン(後のPGAコミッショナー)が言った。「ジャック、肩と腰がクローズになっているぞ」

 ハッと閃いたニクラウスは、突如として調子を取り戻し、練習ラウンドでホーガンから数ドル巻き上げる(これは当時、グランドスラム並みの事だと言われていたらしい)という快挙を成し遂げるなど、絶好調でトーナメントに望んだ。

 初日は67、二日目は難しいピン位置に悩まされて71。そして、ニクラウス本人が「かつて無いほど完璧なゴルフ」と振り返る三日目。当時のコースレコードタイの64を叩き出して5打差の首位に躍り出たのだった。

 こうなると最早狙うはホーガンが53年に出したトーナメントレコードである274を破れるかどうかだった。このスコアは当時、破る事は不可能なスコアであるとさえ言われていたのだ。しかし、ニクラウスは極めて冷静だった。

 オーガスタ・ナショナル名物のアーメン・コーナー。その中でも最も有名なクリーク越えのパー3。12番ホール。後にトム・ワイスコフが13ストロークを叩かされた事もある、幾多のプレーヤーの夢を飲み込んできた魔のホールである。ニクラウスはこのホールこそ世界で最も難しいパー3だと考えていた。

 二位以下に7ストロークの大差。しかしニクラウスはそれでもここで慎重にグリーン中央を狙った。幸運な事にロングパットが入ってバーディになったのであるが、ここでイケイケになってピンを狙って行かないところにニクラウスの凄みがある。これで波に乗ったニクラウスは17番でもバーディを奪い、この日69。トータル271で見事にホーガンの記録を3打も縮めたのだった。この271というスコアが如何に凄かったかは、この時つけた二位との差が9打(280なら当時は十分優勝できるスコアだった)であることでも分かるだろう。この記録は1997年にタイガー・ウッズが破るまでトーナメントレコードとして君臨し続けたのである。

 このトーナメントを観戦したボビー・ジョーンズは「ジャックはまったく違うゴルフをしている。私も知らないようなゴルフを…」とコメントしたという。後に「20世紀最強のゴルファー」と呼ばれるニクラウスだが、彼が「自分のゴルフが最高レベルに達した」と感じたのはこの試合であったという。ちなみにこの試合から、それまでパーマー贔屓のあまりニクラウスに冷たかったギャラリーが熱狂的に応援してくれるようになり、それが好スコアに結びついたそうだが、これはやはり、マスターズのパトロンたちがニクラウスのような王者を待望していたからだと思える。

 翌66年。ニクラウスはプレーオフを制して、マスターズ史上初めて2連勝を記録したプレーヤーとなり、更に72年、75年、86年と勝つに至り、マスターズと言えばまずニクラウスが思い浮かぶほどのプレーヤーとなった。恐ろしいことにベストテン入りは46回出場中20回に達している。これではTVをつければ必ずニクラウスが写っていたとしても不思議は無いわけである。

 2010年、ニクラウスはパーマーと共に第一組の「オナラリー・スターター」と務めた。この二人ほどこの役目に相応しいプレーヤーはいないだろう。

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