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ゴルフの歴史コミュのゴルフ殿堂? ボビー・ジョーンズ

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 ボビー・ジョーンズの愛用していたパターは、ヒッコリーシャフトのL字ブレード。あだ名が「カラミティ・ジェーン」西部劇の女ガンマンの名前で、百発百中というような意味であるらしい。

 このパター、オリジナルは壊れてしまい、スポルディングがジョーンズ用に、オリジナルそっくりに作り直したものを後年は使っていた。後に市販もされている。

 このパター、ジョーンズ使用のものにも市販品にも、シャフトに三つの糸が巻いてある。これはオリジナルの補修痕をそのまま真似ただけであり、機能的には何の意味も無い。なぜヒッコリーシャフトの真ん中に補修痕があったのか?

 それは、どうもジョーンズがシャフトをしばしば折ってしまったからであるらしい。ハーヴィ・ペニックの証言ではこのパターのシャフトは修理のためにセロテープが巻いてあったというのである。もちろん、事故ではなく故意に折ったのだ。パットが、入らなかった時に腹を立てて。

 日本では「球聖」アメリカでは「皇帝」と呼ばれるボビー・ジョーンズ。ゴルフ史上冠絶する名プレーヤーであると同時に紳士と言えば必ず名前が挙がるゴルファー。その彼がクラブのシャフトを腹立ち紛れにぶち折ったとは俄かには信じがたい。しかしながら、彼は若い頃(もちろんジョーンズの現役時代は14〜28歳までなので後半期でも十分若いが)むしろ癇癪もちで知られたプレーヤーであったのである。

 ボビー・ジョーンズ、本名ロバート・タイア・ジョーンズの生まれはジョージア州アトランタである。父は弁護士であったが、祖父が大企業を所有する地元の名士であった。小さい頃は病弱であり、乳母と母に囲まれて育てられ、外出すら許されなかったという。この生い立ちから見えてくるのは、いわゆる病弱なお坊ちゃんの姿であり、このような生まれの人間は概ね自己を肥大させて、つまりわがままに育つ。実際ジョーンズは典型的な南部の金持気質の持ち主であり、酒飲みでチェーンスモーカーで猥談を好み賭け事が好きだった。

 ゴルフを始めてからもその性格は変わらず、気に入らなければクラブをぶん投げるなど朝飯前であった。1921年の全米オープンでは、ジョーンズが投げたクラブが女性の足に当たり、USGAから出場停止を勧告されたこともある。有名なのは1921年。初めて訪れたセントアンドリュースのオールドコースの11番で大叩きし、スコアカードを破り捨てて棄権したというのがある。おそらくは他の試合でもそうやって気に入らないことがあれば棄権していたことだろう。

 彼の短気で癇癪もちな性格は彼の才能をスポイルした。野球選手でプロの誘いもあったほどのプレーヤーであった父の運動神経を受け継いだジョーンズは5歳でゴルフを始め、なんと1916年14歳で全米アマチュア選手権に出場。三回戦に進出している。それほどの才能を持ちながら、実際に初めてメジャーに勝ったのは1923年の全米オープン選手権。七年も掛かっている。ひとえに、短気ゆえの自滅ゆえであった。

 この短気の克服のために、彼が発見したのがいわゆる「オールドマンパー」の思想である。つまり、目の前にいる人間を相手にするのではなく、コースを相手に戦うべきだという思想なのだが、これはとりもなおさず、ゴルフとは他人ではなく自分との戦いであると知ったという事であろう。敵は自分の内にあり。世の中自分の性格を見つめ直すことほど難しいことは無い。ジョーンズはそれをやってのけたのである。1921年以降、彼はトーナメントコース上では完全に紳士として振舞った。以降彼がトーナメントの最中に感情を爆発させたことは無い(プライベートでは相変わらずクラブを投げていたようであるが)。

 彼は温和で、人には優しく思いやりをもって接し、万事について控えめであった。そして何より誰からも好かれた。周りの人を不思議と和ませてしまう雰囲気をもっていたようで、人々はこぞって彼の周りに集まった。テンポ良く、切れの良いショットを放ち、きびきびとプレーしたジョーンズは特にスコットランドで愛された。1936年、彼がお忍びでオールドコースをプレーしていたら、噂が噂を呼んで町中の人々が彼を見に駆けつけたという。若かりし頃に棄権をした彼にブーイングを浴びたそのセントアンドリュース市民がである。スコットランドのアンドリュー・ジェイミソンは1926年の全英アマチュア選手権でジョーンズを負かしたのだが、自分のことを「無謀な馬鹿野郎」と呼んで謝罪の手紙を出したという。あの頑固なスコットランド人がである。

 1930年、ジョーンズは全米アマ、全英アマ、全米オープン、全英オープンに勝ち、いわゆるグランドスラムを達成。その年に引退する。その後オーガスタナショナルゴルフクラブを設立し、マスターズトーナメントを開催するのだが、そのトーナメントの名前は最初「オーガスタナショナル招待競技」であった。当初から「マスターズ」という名前になるはずだったのだが、ジョーンズが「大仰過ぎる」と嫌ったのだと言う。このあたりもジョーンズの控えめな性格が推察されるエピソードである。

 ジョーンズは40代に入り、脊髄に障害が生じ、歩くこともままならなくなった。彼の顔は常に感じる苦痛でゆがみ、年齢よりもはるかに老けて見えた。しかし人と合えばやはりその魅力で相手を抱擁し和ませた。病に対する癇癪を爆発させることも苛立ちを何かにぶつけて表現することもなかったという。彼の痩せ衰え、現役時代とは変わり果てた姿に立ち竦み涙ぐむ知人に、彼はこう言った。「止めてください。ボールはあるがままに打たなければならないでしょう?」彼はゴルフの精神をもって病と闘ったのであろう。

 彼の名はゴルフ史上あまりにも巨大であるが、彼が成し遂げた自己改革や自己コントロールは誰にでもけして不可能ではないだろう。彼こそ、すべてのゴルファーが目標とするにふさわしい人物である。

コメント(2)

深いい話ですねぴかぴか(新しい)

為になります<m(__)m>

自分の性格を変えるほどゴルフが好きだった+負けたくなかったって事っすね指でOK

それにしても、この文章AOIさんが考えたんですか?
シャフトの話〜〆まで、文章の流れが素晴らしいですねぴかぴか(新しい)
 フーゴル・ターヘーさん>

 ジョーンズは、ゴルフを通じて自らを高めようとした人物だと思います。私もゴルファーの端くれとして、単にゴルフをする人ではなくジョーンズのようなゴルファーになろうと日々精進です。

 一応、文章はオリジナルです。資料は参考にしていますが。文章書きが好きなので。褒められると嬉しいです(笑)。

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