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ゴルフの歴史コミュのパーマーの時代 西暦1956〜1970年

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 マスターズがTV中継され始めたのは1956年のことである。

それまでもラジオ中継はあったようだが、ゴルフのプレーはやはり見てこそであろう。

そしてそこに、TV映りの良い若々しいゴルファーが登場する。

アーノルド・パーマーである。


 ペンシルバニア州にあったゴルフ場のグリーンキーパーの息子だったパーマーは、三歳からゴルフ場に忍び込んではプレーしていたという。

プロでもあった父は、グリップ以外は「遠くに飛ばせ」しか言わなかったというから、ほとんど独学でゴルフを覚えたのだ。

彼は1954年に全米アマチュアに勝ち、プロに転向した。


 彼の最初のメジャー勝利はマスターズであった。1958年のことである。

激しいゴルフと果敢なパッティング、大きなアクションで喜怒哀楽を表す彼は一躍人気者になったのだが、その人気が爆発的なものになったのは1960年のマスターズと全米オープンを経てからのことである。


 1960年のマスターズ。残り2ホールで一打差を追っていた彼は、17、18を連続バーディとしてケン・ベンチュリーを逆転し、二度目のグリーンジャケットを獲得した。

いわゆるパーマーチャージが言われだしたのはこの試合からだと言われている。

そしていまだに語り草になっている全米オープン。

この頃は最終日が土曜日で、一日に36ホールが行われていた。

前半の18ホールを終えて首位からは七打も離されて15位。ほとんど優勝は諦めかけていた。


 伝説では待ち時間、ハンバーガーを注文してパーマーが待っていたところに、ジャーナリストのボブ・ドラムがやってきたのだという。

パーマーが


「午後は65で回ろうと思うんだ。そうしたら優勝できるだろう?」


 といったら、ドラムは


「あんたには無理だ。ホーガンになら兎も角」


 と答えたと言う。

それを聞いて頭にきたパーマーはハンバーガーも食わずにレンジで球を打ち、そのまま一番ホールへ。

そして3ラウンドで一度も成功しなかった346ヤードの1オンに成功し、そこから六連続バーディ。

このラウンドを65として大逆転優勝を飾ったことになっている。

もっとも、ラウンド前のエピソードはドラムの創作であるらしいが。


 独特なフィニッシュのスイングと、内股なパッティングフォームは瞬く間にアメリカ中を席巻した。

TVで見た彼のプレーに魅了された人々は彼を一目見ようとトーナメント会場に押し寄せる。

彼らは「アーニーズアーミー」と呼ばれ、中にはゴルフなど知らない人も混じっていた。

パーマー登場前までは売れ残りがあったというマスターズの入場券は、パーマー優勝の次の年から完売、増員となり、TV中継の放映権料は三倍となったという。


 パーマーはしばしば驚くべきチャージをして勝ったが、それよりももっと多くの派手な負け方をした。

特に1966年の全米オープン。オリンピックゴルフクラブでの負け方は歴史に残る。

なにしろ9ホール残して二位に七打差をつけたのである。

ところが自滅してビリー・キャスパーに追いつかれ、プレーオフで負けたのだ。


 ジャック・二クラウスの登場でパーマーの単独王座の時代は終わってしまったが、人気は圧倒的にパーマーの方が上だった。

何しろ当時「アーニーズアーミーがこぞって投票すれば、パーマーを大統領に出来る」と言われたほどなのだ。

彼の人気がゴルフツアーの隆盛に繋がり、賞金は高騰した。

今のゴルフプロはパーマーに足を向けて寝てはいけないと思う。

コメント(2)

この方がアーノルド・パーマーですね♪


 フーゴル・ターヘーさん>
 おお、動画ありがとうございます!確かにかっこいですよねパーマー。

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