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厳島神社コミュの大鳥居の謎

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あいさつ板にも書かせてもらいました。わんわんさん解答ありがとうございます。でもやっぱり謎ですもうやだ〜(悲しい顔)
なので今一度教えて頂きたいです。知ってる方は書き込みお願いします。

大鳥居なんですが、海側から見ると棟札に『厳嶋神社』と書かれており、本堂側から見ると『伊都岐島神社』と書いてあります。なぜ海側と本堂側で書いてある文字が違うのか、鳥居の左右にある太陽と月の印(陰陽道)と何か関係があるのか。。謎で夜も寝れてません……

嘘ですあせあせ(飛び散る汗)

でも、どなたか謎解明に御協力お願いします顔(願)

コメント(1)

一年も前のご質問なので、もう解決されているかもしれませんが…。
私の知る範囲をお知らせします。

ご質問の大鳥居にかかげられているものの名称は「額篇」(がくへん)といいます。
平成19年に色の塗り直しをしておりますので、現在は色鮮やかな額篇を見ることができます。

この額篇は、有栖川宮熾仁親王の染筆(明治7年)によるもので、清盛から数えて8代目とされている現在の大鳥居にかかげられています。
海側の額篇には『厳嶋神社』、ご社殿側には『伊都岐島神社』と記されております。

現在の額篇より以前に使われていた江戸時代の額篇を、今も千畳閣で見ることができます。現在のものと比較してみるのも、面白いかもしれません。
また、神社に収蔵されている天文16年(1547)後奈良天皇宸筆の額篇も、表『厳嶋大明神』(漢字・行書体)裏『伊都岐嶋大明神』(万葉仮名・草書体)と記されています。
いつの時代から表と裏の額篇で、漢字・万葉仮名と記されるようになったのはわかりません(おそらく4代目の鳥居から)が、現在の額篇も以前からの形態を踏襲しているようです。

初めて「伊都岐嶋」と文献に表れるのが、承和7年(840年)に成立する『日本後記』です。
「弘仁2年(811年)7月安芸国佐伯郡速谷神伊都岐嶋神」と記されています。
また、『延喜式神名帳』に「伊都伎嶋神社」とあります。
そして、社殿の規模を書き記した初めての文献である佐伯景弘解文に、「仁安三年(1168年)伊都岐嶋社神主佐伯景弘解」とあり、
平家納経の内の一巻である「清盛願文」にも「長寛2年(1164年)年記安芸伊都岐嶋大明神」とあります。
ですから、古くは万葉仮名で表記していたようです。

古くからある万葉仮名は音のみを生かした表記の仕方で、
時代は下りますが、漢字は意味を重視した当て字と考えてよいのかもしれません。

鳥居の左右にある日と月は、神道では日(太陽)は天照大神を表し、月は月読命を表していますので、やはり陰陽思想とは切り離して考えることはできないと思います。
また、日(太陽)が北東にはめ込まれており、鬼門封じのためという説もあります。
だた、どのような意図で日月がはめ込まれたのかはわかりません。

宮島に人が住むようになる以前は、対岸の地御前(じごぜん)から潮の満ち引きを利用して、神主が宮島へ船で渡り、祭祀をしておりました。
ですから、海に建てられた大鳥居は、海からの参詣者を迎える玄関口でありました。
鳥居は神域を表すもので、その神域への出入り口として建てられます。
ですから、人が住まない宮島には、自然と海に鳥居が建てられたのです。

私の知る範囲ですが、皆様のお役に立てれば良いなと思います。
長々と失礼いたしました。

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