ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

難病患者の独り言コミュのクローンだから生きてられる。

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

緊急入院

昭和63年9月16日、4時45頃お腹の調子がおかしくトイレに
駆け込みました。ザーッと言う水溶便、見れば真っ赤、始めての
下血です。量の多さに戸惑いビックリしたものの、冷静さを装い
誰にも言わずに、退社の5時を待ちました。

時間と共に一目散に着替えて自宅に、当時は通勤用に125?の
オフロードバイクに乗っていました。ただただ、倒れる前に家まで
たどり着きたいと、ひたすら飛ばして大正区の職場から枚方市の自宅まで
帰った記憶があります。信号待ちのたびに焦りと不安とお漏らしの心配。
多分、幾度と信号無視はして飛ばして帰ったのだと・・・

家に帰ったときはふらふら状態で一目散にトイレ。
ジャジャジャーッと水溶便、見れば便と言うよりも血そのもの、
それも綺麗な鮮血、トイレを流しても流れないくらいに・・・
再度トイレ、母親に見てもらう、血の多さに母親の顔色が一瞬にして
強張りました。通常じゃ考えられない多量な量に、流しても流しても
血が舞って、出血の凄さを物語るような感じでした。
病院に行く準備する30分ほどの間にも三度トイレに行きました。
いずれも気が遠のくような凄い出血です。

直ぐに病院に、病院に着いたときは夜の7時を廻っていたかな?
当直医に見て貰って、確認のためにと医師が肛門に指を入れた瞬間に、
鮮血が確認され直ぐに入院という事に・・・
しかし病室は満室で空いてません。
近くの病院を紹介されるけど、コマツ製作所前にある病院、評判は
最悪、コマツの人間、大きな事故で担ぎこまれて、何人も死んでいると
言う病院です。

親父は当時コマツで働いていました。鉄骨刺さったまま担ぎ込まれた
同僚が何の治療もされずに・・・
そのほかにも色々話は聞いているから、その病院だけには行きたく
無いとね。しかし病室が・・・

やむを得ず特別室が空いていると言うことで、仕方無しにそこに緊急
入院しました。これが私のクローンの始まりです。

つづく

コメント(1)

振り返って考えると、体調の意見は高校を卒業した時
ぐらいから感じていたかな。

二十歳くらいからは毎日微熱がありましたからね。
もしかしたら体温が人よりは高いのかなって、勝手に
決め付けて、気にはしないようにしてました。

一度は血便が出て、病院で検査してもらった事は
会ったのですが、検査では何も異常は無かったですね。

多分、二十歳くらいからはクローンとしての病変は
有ったのか、その頃から病変は進行していってたのかも。

仕事はとても楽しかったから、心や体のバランスが
保てていて、25歳ころまで体が持ったのかなって
思っています。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

難病患者の独り言 更新情報

難病患者の独り言のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング