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佐藤信夫さんを深読みする会コミュのテクスト論の限界について

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加藤典洋の『テクストから遠く離れて』を友人にすすめられ、読んでいる。


確か、佐藤信夫は、「現在の意味論が、意味が通じているかという観点からずれてきてしまっているように思う。」ということを意味の弾性の巻頭言の中で言っている。


加藤は、前述書の中で、テクストと作者を切り離すことつまり「作者の死」がテクスト論の核だが、そこを再考する必要をうったえる。


作者がいないテクストは、トルソのようなものだ。このたとえでは、頭部が「作者」、頭部から上半身が「作品」トルソが「テクスト」となる。

われわれは、文を読むときそこに頭部を想起する。その像は、実際の作者ではないが、読み取った上でわかる「作者の像」ではないか、と加藤は言う。

私も思う、たとえコンピュータープログラミングによってできた俳句があったとしても、その俳句を読む私は「作者の像」を考えつつ、読んでいる。

であるとするならば、佐藤が悩んでいたことに対する答えはおのずとわかる。

頭部、主体が消えたとき、意味伝達はできない。すくなくともわれわれ人間は、受信者となったとき、たとえ架空であったとしても、発信者の像を浮かべなければ、意味了解ができないということなのだ。(変だったら攻撃お願いします。)

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