3月6日(木)にBD作家 Nicolas de Crécy(ニコラ・ド・クレシー)を招いて東京の日仏学院で行なわれたイベント「ニコラ・ドゥ・クレシーを囲んで」の報告です。いやあ、なんかぐずぐずしてたらイベント当日からはや1週間が経ってしまいました… 当日会場に来ることができず、楽しみにしていた方がいたら申し訳ありません。きちんとメモをしなかったんで、細部に自信が持てず、なかなかアップできませんでした。時間を置いたからと言って、よくなるというものでもないんですが、もういい加減アップしないと…ということで、ここらで見切りをつけることにしました。ここ違うだろというところがあるはずなので、当日会場にいた方にフォローしていただけると助かります。
■「フレンチコミック・アート展」で、ド・クレシーさんの作品を紹介したわけだが、ド・クレシーさんの作品の魅力を考えた場合、まずそのキャラクターの面白さということが挙げられる。作品を読むと、例えば、『フォリガット』や『天空のビバンドム』など、丸々と太ったキャラクターが最終的にひどい目にあうという話が多い。それ以外でも、『Monsieur Fruit(ミスター・フルーツ)』や『Journal d’un Fantôme(ある幽霊の日記)』といった作品に太ったキャラクターが登場する。実際、ド・クレシーさんは太ったキャラクターがお好きなのか? □(いきなりですみませんが、ここはあまり聞き取れてません…)初めて気づいた。太ったキャラクターを描くと、他に絵を描かなければいけないスペースが減るので、太ったキャラクターを好んで描いているのではないか(笑)。『フォリガット』については、オペラのカストラートの話であり、物語の設定上、主役は太ったキャラクターになっている。『ミスター・フルーツ』は、スーパー・マンのカリカチュアであり、スーパー・ヒーローの戯画として、太った造形を選択している。
■これはページ数の限られた作品だが、これをもとにして作った作品が『Journal d’un Fantôme(ある幽霊の日記)』ということでいいか? □この短い作品をもとにして、長編を描くためのアイディアがいろいろと浮かんできた。この本は生成途中にあるキャラクターを通じて「絵」を語る物語である。日本に滞在した生成途中のキャラクターは、帰りの飛行機の中で、作者である私と出会うことになる。私はブラジルへの旅行を終えた帰りで、彼にブラジルでの経験を話すことになる。この本は2つの異なる国の考察でもあり、本の前後半がそれぞれの国に費やされている。描き方もそれぞれの部分で異なっているのが特徴である。
■『Journal d’un Fantôme(ある幽霊の日記)』を読んで感銘を受けた。若干文学的なところはあるが、生成途中のキャラクターというアイディアが面白く、「絵」とは何かというテーマについて豊かな思索が含まれており、白黒のBDという観点からも十分日本でも受け入れられうる作品だと思われる。私自身、BDとマンガの違いに関心があるのだが、『プロゾポプス』でかなりマンガに近い試みをしているド・クレシーさんにとって、BDとマンガの違いはどのようなものなのか?
トーク・イベントが終わったあとに『Journal d'un Fantôme(ある幽霊の日記)』にデディカスをしてもらいました。「これ誰なんですか?」と聞いたら、「Personne.(誰でもないよ)」とのこと(笑)。ほんとは『Journal』の主役であるおばけを描いてもらいたかったんですが(笑)、これはこれで素敵です。
※左が『Journal d'un Fantôme(ある幽霊の日記)』の表紙で、右が本の見返しにしてもらったデディカス。
■『Journal d’un Fantôme(ある幽霊の日記)』を読んで感銘を受けた。若干文学的なところはあるが、生成途中のキャラクターというアイディアが面白く、「絵」とは何かというテーマについて豊かな思索が含まれており、白黒のBDという観点からも十分日本でも受け入れられうる作品だと思われる。私自身、BDとマンガの違いに関心があるのだが、『プロゾポプス』でかなりマンガに近い試みをしているド・クレシーさんにとって、BDとマンガの違いはどのようなものなのか?
あと、面白いと思ったのは、日本で興味を持ったことについて、キャラクターグッズについて話してましたね。
キャラクターグッズなんていちばんバカにされそうなものだと思ったのですが、日本ほど、この産業が成功している例はないといって、この点についてはいろいろかつての作品(Journal d'un fantome)の中にも出てくるようですね(愛知万博のキッコロとか、キティちゃんとかアンパンマンとか)