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石原吉郎コミュのプリーモ・レーヴィと石原吉郎

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みなさん、プリーモ・レーヴィというイタリアの作家をご存知でしょうか。
いわゆる「収容所文学」の作家です。
数年前にその名をしたのですが、彼を知れば知るほどに、石原との共通点であふれています。
生き残ってしまったこと。バカ正直なくらいまじめなこと。そして不可解な死。
石原を読む人たちが、レーヴィをどう見るのか知りたいです。

「プリーモ・レーヴィへの旅」←作家の徐京植さんの本です。ボクにとってのレーヴィ入門書です。一押しの一冊です。

プリーモ・レーヴィ(Primo Levi)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A2%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3

コメント(4)

 私はむしろ、シャラーモフが気になります。
 同じくシベリア強制労働を通過した詩人ですが、残念ながらロシア語を解せない私にはどういう詩を書いているのかは分かりませんが、誰か石原吉郎との比較論文でも書いているかもしれません。
プリーモ・レーヴィと石原吉郎、たしかに、共通性はあると思いますが、
 どうなんでしょうか、
 問題意識としては通底しているかもしれませんが、
 レーヴィは、積極的に「散文」という形式で、「他者」に対して「体験」を伝えようとしていますが、石原吉郎は、それを拒絶しています。「実感」と「説明」の対立ですよね、
 石原吉郎は、収容所体験の「実感」を手放したくなかった、「説明」するという行為はこの「実感」を棄却することになると。そのため、詩作という作業を自らの発話行為として選ぶわけですが、これも、自分の「沈黙」をしっかりと掴むためであって、この「沈黙」と収容所で陥った「失語」とは決定的な違いがあると言っています。これらのことは、彼のエッセイで表明していることです。

 ジャン・アメリーをレーヴィに並置することは、問題ないないことだと思いますが、石原吉郎は「自分」に対して反復的に「経験」を詩語という個人的な発話によって語りなおしている人で、レーヴィと石原吉郎とを並置することは誤解を招く虞があると思います。
 
 石原吉郎が目指していたこと、というか生理的に求めていたものは、収容所体験の伝達ではなくて、その「実感」を保持し続けて「沈黙」を獲得することだったと思います。対して、レーヴィは、公的な場への「体験」の提出ですね。

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