think about ... , consider about ... ,という言葉も「〜について考える」という和訳で日本人にも理解は苦しくないですが、3、4級学習者にとってはthink of ..., consider of ..., も同様の訳になることはなじみのないものだと思います。"of"の一般的な理解と一致しないからです。
このギャップも大西泰斗さんの解釈に沿うならば、「距離感を感じるような(離れた)対象について『考えが及ぶ、考慮する』感覚」という説明がされるべきだと思います。
Oti☆☆さんは in のご説明の中で<内部感覚>という表現を使われていますが、
もし<内部感覚>ということでいくと、
今回は“クラスの男子全員「の中で」”となりますから
まさに<内部感覚>(つまりinを使うこと)になるのかなと。
でも答えは in ではなくて of ですから、
この説明でいくと、おそらく多くの高校生はあまりしっくりこないと思いますし、
逆に混乱する可能性もあると思います。
of という前置詞については、上でYojiさんがおっしゃっている通りだと思うのですが、
<全体>に対してその<部分・一部>を表すというのが of の中核的な意味ですよね。
私の意見としては、of と in を分ける1つの意味的境界線として
<空間>の存在があると思うのですが、
in は田中茂範先生の著書の定義では「<空間>の中に」というのがコア・イメージですから、
Who is the fastest runner in this class?
という文においては、クラスという単語から<空間>がイメージされます。
しかし、Who is the fastest runner of all the boys? という文では、
<空間>はイメージされませんよね。
私は大西先生よりも田中茂範先生の方がより説得力があると思っていまして、
例えば大西アプローチでは to のコア・イメージは<方向>になっていますが、
田中アプローチでは to のコア・イメージは<〜と向き合って>という風に設定されています。
その方が I go to school at 8:30. という文において、
学校に到着するのが8:30なのか、
それとも家を出るのが8:30(よって学校に就くのは当然8:30よりも遅くなる)なのか
という部分をきっちり説明できる点が、私がこの方に興味を持った理由の1つです。