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南紀の旅コミュのミキモト真珠島

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 伊勢志摩国立公園内。
 三重県鳥羽市の鳥羽湾内に浮かぶ小島。正式名称は相島(オジマ)。
 明治26(1893)年、御木本幸吉が真珠養殖に成功した地で、昭和26(1951)年にレジャー施設として開業した。
 真珠博物館・御木本幸吉記念館・パールプラザ等の施設がある。海女の実演も行われる。
  御木本幸吉は、安政5(1858)年に鳥羽城下のうどん屋「阿波幸」の息子として生まれ、維新で失業した旧鳥羽藩士から読み書き算盤を習得した。14歳で家業の傍ら青物の行商を始め、商才を発揮、明治11(1878)年、20歳で家督を継ぎ、明治14(1881)年には、旧鳥羽藩剣術指南役の娘である久米うめ(1864〜96)と結婚した。維新以前なら考えられない身分違いの結婚であった。
 海産物商に転じた幸吉は財産を築いて地元の名士となるが、明治21(1888)年に真珠を生み出す阿古屋(アコヤ)貝の養殖を試みた。しかし、真珠を生まない阿古屋貝の商品価値は低いため、当時、不可能と考えられていた真珠養殖に挑戦する事となった。
 真珠養殖実験は極めて困難なもので、資産は底を突き、幸吉は窮地に立つが、明治26(1893)年に養殖に成功、明治29(1896)年に特許を獲得し、明治32(1899)年に銀座に御木本真珠店を出展して巨富を築いた。
 明治38(1905)年に明治天皇に拝謁を許された際には「世界中の女性の首を真珠で飾ってご覧に入れます」と豪語したと言われる。
 大正8(1919)年からはヨーロッパ市場にも参戦するが、欧州の宝石商は養殖真珠を偽真珠だとして提訴、幸吉は苦しい状況に追い込まれた。しかし、裁判所から鑑定を依頼された欧米の一流生物学者が養殖真珠の成分が天然真珠と変わらない事を証明したため、却って欧米での評価が高まり、御木本真珠は世界の真珠市場を席巻する事となった。このため、ペルシャ湾等の天然真珠産業は壊滅に追い込まれた。
 昭和2(1927)年、訪米した幸吉は、かねて憧れの対象だった発明王トーマス=エディソンと会見するが、エディソンは「私の研究所では多くの発明がなされたが、ダイヤモンドと真珠だけは人工的に作り上げる事が出来なかった。真珠を人工的に作り出した貴方は驚異の人だ」と語ったと言われる。
 幸吉は昭和29(1959)年に96歳で大往生するが、故郷の美しい志摩の海を自然公園として保護する事にも熱心で、終戦直後の混乱期である昭和21(1946)年に伊勢志摩国立公園が設けられたのも幸吉の尽力によるものだったと言われる。

*城下町鳥羽
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=49735299&comment_count=0&comm_id=194642

コメント(6)

19日火曜日に行って来ました。

左;鳥羽水族館より望む真珠島
中;パールブリッジ
右;御木本幸吉記念館
御木本幸吉記念館です。

左;生家うどん屋阿波幸の復元入り口
中;御木本うめ(1864〜96)胸像
右;幸吉誕生当時の鳥羽城下町絵図
左;真珠島碑
中;真珠博物館
右;御木本幸吉銅像
左;パールプラザ
中・右;パールプラザ2階レストラン阿波幸 真珠定食 1680円
 真珠定食は、真珠養殖に用いる阿古屋(アコヤ)貝の貝柱をメインにしたもので、醤油煮・雲丹和え・フライの三種の方法で貝柱が料理されています。 伊勢うどんも付いています。

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