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答えの無い疑問コミュの答えの無い疑問という答えを持っている私たちは、何をしているのか。何をなすべきか。

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皆さんに下の問題について検討いただきたく提起するものです。

ここのコミュニティーの主旨である、人間が分かっていて分からない問題。つまり答えが見つかると次の疑問が生まれ、その疑問の答えを掴むと、またそこから疑問が生まれるという問題を煎じ詰めると、下に示す「人類危機問題と課題」とその「知の合一」の問題に収斂するだろうと考えられますので、提起させていたくものです。

「提起させてもらう」と言っているように、これは押し付けではありません。自分勝手に「押し付け」と決め付ける主観主義の方が多くなっていますが、疑問を提起し、その答えだろう人間と人類がやっている自問自答のことを提起しているのです。

従って、ここのコミュニティーで取り上げる様々な問題について真剣に解答と解決を求める方たちには、必ず以下に示す問題に行き着かざるを得ないはずですから、そういった方たちへ提起させていたくものです。

さて、多くの識者が指摘しているように、人類は自然破壊・地球破壊と人間自身の崩壊と文明の崩壊に直面しています。

(これについて理解いただくため話すと、これ以上に長くなってしまうので、必要なだけ下に示すことにして、詳しくは私どもの日記「現代人の誰にでも問われている責任」http://mixi.jp/view_diary.pl?id=718946881&owner_id=7769186   を参照ください。

人類が自然破壊・地球破壊と人間自身の崩壊と文明の崩壊に直面して、私たち現代人の一人一人に問われている「現代の人類史的課題と問題」は、

1、人類理性の危機(知の合一と三者の合一の問題)、学問と科学認識の危機、さらに国際的共通公理・公則を確立する問題と課題、その危機。
2、平和と大量核兵器・核利用の危機の問題(無秩序な核開発・核利用・廃棄物の投棄など) 
3、無秩序な自然開発による自然と地球破壊の危機の問題 
4、命と人権・民主主義の危機の問題(未知のウイルスによる世界同時蔓延と大量死の危機なども) 
5、技術開発の危機(ユビキタス時代の情報機器開発・情報操作・インターネット・遺伝子組み換え・臓器移植問題・バイオテクノロジー・戦争ロボット機械開発・独占的宇宙開発と利用などの問題)
6、世界的経済崩壊の危機(世界同時恐慌《金融暴走》問題・南北格差問題など)。

このような問題によって人類史的崩壊の危機に直面することになり、何とかそれらを解決しなければならない課題だということになっているのでしょう。

このような人の誰にでも問われている危機問題と課題があるため、それを知る者たちのうちでも僅かだが、その問題が抜き差しならない段階に達していることを自覚せざるを得ない者たちを生み出すことになっています。

しかしそのような僅かな者たちも、地球・自然破壊と人間と、その文明破壊をもたらした全体問題の真の原因を突き詰め、着き止める者はさらに僅かしかいないのでしょう。
さらにその真の解決方策を導き出せるものは、一段と僅かな者に限られることになるはずでしょう。

そこで、そのような自然・地球破壊と文明崩壊の問題を人間自身が言いながらも、その問題を着き止めず解決させないという中途半端な事実があることが、次のことを証明してもいるでしょう。

つまり、もしある者がその自然・地球破壊と文明崩壊の問題を解明し解説したとしても、その正誤正否を理解し判別できる者が皆無に等しい、ということを証明しているでしょう。

このような問題と密接な関係にある、また人類史的課題の第一番目の「知の合一」「三者の合一」などの課題について、ここでお話して整理したいと思うのです。

といってもこの「知の合一」「三者の合一」などの問題さえ、残念ながらその当事者責任をもつべき学者でさえ知らず自覚ない者が多くいるのが現状です。
従ってこの問題を理解している者は、特に学者のなかの真の学者のうち僅かな者たちに限られ、さらにそのうち30年近く研鑽を積んで自らの専門の学問に対し真剣に、責任を持って探求して、自身の死期を推測し始めた老齢な者で、

自分の学問人生を振り返り当事者責任について今現に苦しんでいる者だけが、つまり真面目でかつ理解力ある者が、それらを理解することができることになるのでしょう。

よって、自然・地球破壊の人類存亡の危機の問題と「知の合一」「三者の合一」などの問題を理解できる者はいない、と言うほうが正しいことが自明のこととなるのです。


しかし、そうとは言ってもいつかこれら人類存亡の危機問題で苦悩し命にかけて解答を探す方たちが、必ずここに提起する問題に到達せざるを得ないだろうから、そのときにご一考いただくためにここに記しておくことにするのです。


人類存亡の問題と「知の合一」「三者の合一」などの問題とその関係を、ある程度理解できている方は、我々のここまでの話しで、我々が当該問題の根源的な命題を指摘していること自体で、真に問題を理解しその解を得ているだろうことも推察いただけるでしょう。

さて「知の合一」「三者の合一」の問題のうち、まず「知の合一」とは何か、またその意味とはどのような問題や課題なのか、これらについて明らかにし、その関係として「三者の合一」などの問題へと話をすすめていくことにしましょう。


まずは「知の合一」とは何か、またその個別の知としての各個別学問との関係を整理すると、「知の合一」や「知の統合」がいわれる訳は次のような理由と原因によっています。

人類は、自身が生きるために自分の眼の前に広がる「世界」(宇宙と地球・自然と人間およびその社会と、それらの歴史のこと)について知る必要があって、これまでそれら「世界」の観察を始め、考察を進めてきました。
それら「世界」に対する知識は、人類史が始まった当初から今ほどの知識量を得ていたのではなく、徐々に知識を蓄えてきて現代の水準に達したものです。

その人類の知の旅は、つまり人類の理性や学問の歴史は、おおよそギリシャの哲学(愛知)から始まり、徐々に知の旅を進め、現代でも進めて現代あるような知識を獲得してきた歴史だといえます。

「知の合一」というテーマを知る上で、この人類が知を蓄えてきた歴史経過の事実から、はっきり自覚しておかなければならないことがあります。つまり知っておかなければならないこと、さらに知(ち)というものの内容を自覚しておかなければならないことがあるのです。

一つに、人類の知識は今でも探求しているように未完で、それらの世界という知識対象を人類は知っているとか認識しているとは言えないのだということです。

さらに二つは、だが同時に人類は世界について探求を進め、知識を積み上げてきた現段階の分だけ、世界の諸々を知っているし認識していると言えるということです。

すなわち人類は世界という知識対象について知っているし、知らないのだということが、正解等であるということなのです。ましてや個人は、ある程度のことを知ることはできるのですが、全知全能の神のようにはなれないし、死ぬまで勉強するように(勉強するのは知らないからですから)、世界の多くを知ることは不可能であり、知っているようで知らないものなのです。
「知の合一」というテーマを知る上で、この事実をまずは押さえておき、次の話に進めます。


人類の知と学問の旅(歴史)は、それら人間の眼の前に広がる世界を細分化すること(つまり分析すること)で観察を進められることだから、宇宙と太陽と月と地球を分けて観察し、自然を大地と水に分け、

また命ないもの(地学的・無機的対象)と命あるもの(動植物学的・有機的対象)に分けて、人と社会の現象を医学や生活学・社会科学に分け、それらそれぞれの学問に分けて、世界全体のうちのそれぞれの各学問対象を分担して、観察して、理解を進められるようにしてきたのです。

人類は一つの世界を正しく見たり考えるために、哲学と数学と医学と家政学などを分け、さらに世界を宇宙と地球・自然と、人間およびその社会と歴史に分け、それぞれの対象に対応する学問を分け、そのそれぞれの学問別に分業化し分担化させ組織化することで観察と理解を進め、それぞれの知を発展させてきたし、またそうすることで発展できたのです。

つまり一つの世界の諸属性(多様な側面)について、それぞれを分担して探求し、それぞれが分析・分化することで、またそれに対応する言葉と意味概念を分化し細分化することで、学問と知を効率的に進め発展させることができた、そういった歴史としてあるわけです。

しかし21世紀の現代では、今あるとおり人類が学問と知の細分化を極限まで進ませてきた結果、それらの個別化した学問、つまり専門化し特殊化し細分化してしまった学問と知は、

そもそも一つの姿とあるはずの宇宙と地球自然と、人間およびその社会についての、その世界の姿を見失い、つまりあるがままの、全体と総和としてある、また全体関係としてある、しかもどこにも切れ目がない、現実の宇宙と地球自然と、人間およびその社会の姿を、それらの「世界」の真実の姿を見失うことになってしまったのです。

専門化と個別化を限りなく進め極限まで達したため、一つの世界としてある、ありのままの全体の姿を見られる者が誰一人いないという、そのような知の関係と学術関係や社会関係が出来上がってしまったのです。

(ここの文章で専門の言葉を使うと難しく分かり図らいのでなるべく避けたいが、多元化と一元化・多元論と一元論などのことでもある)

そこにある知の問題として、分かりやすく説明すると。またそのありのままの世界全体の姿というものと、その真理の構造と錯誤の構造を、分かりやすく説明すると。

例えば人間の足の爪を見て、また爪を指差してこれが人間の爪だというのは真実であり真理でしょう。

それは真実なのだが、だがそれは爪であり人間そのモノではないのだから、人間そのものを観察し説明し理解し知ったことではなく、爪というもの一般(他の動物にも爪はあり、そのような一般的な爪を)を説明しただけの真実であり、それを知った認識したというだけのことなのです。

これと同じように、人間の爪だけでなく、髪の毛や顔や鼻、耳目や足やヘソだとかDNAだとかの人の一部分を解明し説明しても、あるいは心や精神や脳(特に強調しますが精神科医・心理学者・臨床心理士、脳学者などがいう、その心や精神や脳のことである)といった人の部分を説明しても、

さらに男や女だとか子供・老人・性や愛や理性や誠意、職業や民族の別などなどの、人の一側面や部分(細部)や一瞬を説明しても、

しかも全体から切り離した瞬間と部分を(写真のように)説明しても、人間を説明し理解し知ったことではなく、それらの部分と硬直したそれぞれの「一般」を説明しただけの真実と真理なのです。

さらにこれと同じように、人間社会も、例えば経済だけ説明して、それが卓越した真実の説明であっても、それが客観的科学的な真理であっても、ノーベル賞を貰っても、それは社会そのモノではなく様々な細部・側面・属性をもった社会の一つの、経済というものの細部であり、経済的な真実だから、そのことで人間社会を説明したり理解して知ったことではないし、その記述は真実を述べたことではないのです。

それも社会の一部には政治というモノもあります。

少し脇道にはいるようですが、世間の誤解として「すべての問題が起こる原因は、物質的な姿としてある経済と政治のあり方に起因するのだ」というような考えがあるのですが、

また「政治の優位性」などという命題もあるのだが、このような意見が大きな間違いであることを上の説明が証明しているのです(ただし各学問の主要末節関係や主従関係や階梯的関係はあり、それを否定しているのではありません)。

社会の属性には法律というモノもあります。教育もあります。企業経営・会社・家庭・宗教・男社会、女社会、子供社会、芸術・文化・芸能・スポ−ツなどなどというモノもあります。

社会を取り巻いて切れ目や接続口もないほど世界とも自然とも宇宙とも歴史とも繋がってもいます。

そのように社会と人があり全体としてあり、しかも写真のように止まり硬直したものではなく有機的に常に動いているものなのです。 さらにそのようにして、人類は人や社会や世界の真理を理解できないでいるのです。

ところで、真理判断の一つに「二律背反」という原理がありますが、上の学問の全体的関係の説明で明らかとなるのは、一つの専門学科(学問)の真理は、他の諸学の真理に背反関係となることによって、「他律総背反」となるのだということです。

いかなる個別専門学科が示す真理は、本当の真理でないことを、他の全部の学科(学問)のそれぞれの個別真理が証明する関係にあるということなのです。各個別専門学科が示す真理が真理であればあるほど、他の多くの学問の真理は太刀打ちできず、反対に他の多くの学問が示す真理が真理であればあるほど、一つの学科が示す真理は嘘でしかないのです。

法学関係者や裁判官や弁護士などは、法的知識や法的価値観で人と社会を知り真実を知り裁決できるのだとして、賠償責任があるだとか有罪だとか死刑だとか断定しているのですが、法学と法曹の真理基準や真理判断の手法で、社会そのものも説明や諸問題の解答を出せないし、人間の生理も精神も真理も、それら一切を説明することはできないのです。

その法学の理論で、物理も化学も経済も政治の問題も解明もできないし、芸術の新しい価値を創造することもできないし、それら一切の学問的対象を解明し、説明し、判断を下しそれらの個別真理を法学や法活動が明らかにすることはできないのです。

そのことは政治学も同じことで、政治学で社会と世界を説明し理解して、そのつもりになっていても、政治学ではない他の一切の学問と学問対象は政治学では(例えば法学と法現象)説明できず、解明できず、使い物にならないのです。政治学で社会と人を知ったつもりになっていても、その知が「偽」であることを他の一切の学問が証明しているのです。

つまりある特定の、個別の、専門の、特殊の、特別な学科・学問は、他の一切の学問(全体)を代理したり代替することはできないのだということなのです。

これが世界と人と社会の、真理中の真理のない、細部(専門)と動きのない(死んだ)真実を導き出し、その微細な真理が、しかも様々な個別学問が一緒になって大嘘となっている学問の全体構造なのです。

つまり話を換言すれば、その全部と全体から見ないと、真理中の真理はつかむことは出来ず、更に個々細部の真実を全部見て理解しないと、その全体と全部を見たことにはならないのです。

だから、真理中の真理はつかむことは出来ないのです。また各学問を各研究者が真剣に探求すればするほど、真剣になればなるほど、嘘の付き合い、騙し合いとなっているのです。

すなわち、それら諸学の知を合一しなければ、あるいは統合しえる知を持たなければ、現実の一つの世界・人を理解し認識できず、人の知に対応せず、真理中の真理を掴むことができず、学問は発展できず、知は知にならないのです。これが、知の合一というテーマの意味内容なのです。

ここで脇道に入り補足しますが、上まで学問について説明してきたのですが、世界を観察して知ろうとするうち、その世界には学問や言葉や記述では言い表すいことが不可能なモノがあるため、文芸や音楽や美術・演劇・舞踊・映画・写真など、芸術的に言い表そうとしている活動があるのでしょう。

科学哲学を言う学者や人々は、科学と芸術は違うとしたり、またスポーツと科学は違うものだとして、知の合一のテーマに含めなかったりする場合もあるようですが、上に説明したようにそれらは錯誤なのでしょう。

さて、翻ってそのように知の全体(細部)関係をみれば、また知の合一命題を理解するなら、そこから、その真実と知を得ることは絶対的に不可能であることが証明されたことでもあるのでしょう。

さらにまた、しかしそれは同時に、真理中の真理(最高段階の真理)へ到達するための、おおよその真理関係と原理(全体の姿)は説明でき理解できたことも意味しているのでしょう。

なぜ「真実を得ることは絶対的に不可能である」といえるのか、その答えの一つは、学問というものは次々と狭くなる隘路を進むだけだという絶対的な本性を持つからです。

各学問は、それぞれの専門・個別・特殊・細部の問題に向かって微細化し下降するだけで、その対極の上昇し上向してある「大きな、一つの世界には到達しない」「全体的真理、真理中の真理は絶対的につかめない」ということを意味するからです。

二つ目は、各科学学問の固有の対象は、写真や言葉や文字のように一瞬を止めてあるのではなく常に移り変わり、終わりがないため、その学問専門対象の、しかも細部をその都度分化・分析し微細化して抽捨象して、微細真理を次々に追い求めるから、完結したり満足に到達することは永遠にないのです。

さらに三つ目は、それらのそれが全部の科学学問で繰り広げられるため、全面的認識には到達することはないから「真実を得ることは絶対的に不可能である」わけです。

しかしそのことは同時に、そのような知と真理の、しかも嘘となる逆理の構造と原理は解き明かされたことでもあり、これが真理を得るための「真理論」の重要な命題でもあるということを証明したことであり、それらを知り認識したことでもあるのです。

こうして人類と人々が真理を掴むために、また人類が誤った活動を改めて救われるためには、そのよう真理の原理と構造を明らかにし、学び、示す学問が必要であることが明らかとなったわけです。

これが「知の合一」の意味内容であり、それをいう必要性であり、問題であり、「知の合一」の課題と命題なのです。

そのような真理中の真理を求める要の学問が必要だと言うことについては、すでに宗教はそのような真理について凡そは説明しているのですが、しかし宗教の真理では人々と人類を救う真理を示すことはできないのですし、宗教では科学の真理を示すこともできないのです。

というのも、各宗教は各民族や国家の個別宗教であり、それぞれ各宗教ごとの真理を示し導いてはいるのですが、しかし例えばキリスト教はその信者であるキリスト教徒だけに真理を示し導いて救うものであり、仏教徒やイスラム教徒などは導けないというキリスト教という一部の、細部の、真理でしかないのです。

それは他の宗教にもいえることで、互いが上に説明した「他律総背反」の関係を作り、その個別の宗教的真理は偽であることを、また自身の信徒以外は導けず救うことができないことを、互いが証明し合っているのです。

つまり、宗教の真理も各専門ごとの学問真理も、本当の真理、真理中の真理を掴むことはできないのです。

宗教や民族国家ごとの真理とは別な、人類共通の、全ての人に福利をもたらす学問としての本当の真理が、世界的社会的に成立していないため、人類と各国の誰でもが信じざるを得ない真実とはなりえていないのです。そうして人々が自らの真理や真実を知らず錯誤を改めなくなっているからこそ、「知の合一」の課題を言うのです。


さてそこで、人類はどうしたら科学的学問的な「知の合一の課題」を達成できるのだろうかということが、次に示される人類の課題ということになります。

実はその答えも、この文章冒頭に暗示されているのです。人類は、ギリシャ時代から人間が世界を見つつ実は見えていない問題について、つまり認識問題について、そのナゾを解き明かす研究活動を進め、現代まで続けてきているのです。

というのも人類は世界を正しく認識することは未だ実現してはいないからです。つまり全体を見ることも細部を見ることもできていないし、実現していないし、何よりも現代の人々でも、現代人類でも、未だ一つの世界の全体を(地球が幾つもあるのではない一つだけの世界)、正しく見て、考え、判断し、行為し活動し実践する方法を獲得していないのです。

人類がそうして正しく見えないし考えられず、正しく行為し活動し実践できずに、地球を破壊し自らの文明も崩壊させてしまい人類存亡の危機とさせているのです。

さらにそう自身で危機だと言っていながら、そうなった原因も示せず、従って解決策も見出せない(様々な「解決策」と「真の解決策」は示されるのだが、それは実は錯誤と嘘となっている)でいることが、人と人類が世界・物事を正しく見られていないことを実証しているのです。

ただ現代人類はそれと自覚せず、自分たちは目の前に展開している世界が、正しく見え、考えられ、判断でき、行為・実践できるのだと錯覚しているのです。
それも現代人が世界を正しく見ることが出来ないからこそ、それを正しく自覚できず、そう錯覚することになる、それらの証拠でもあるのです。(この人の当為については私どもの日記の「当為とは、どういうもの」http://mixi.jp/view_diary.pl?id=305435546&owner_id=7769186を参照ください。)

そのように確かに現代人は世界を正しく見られないのだが、しかし一面では、細部は正しく見えてもいるわけです。それも冒頭に実証しました。

そうして実は、人類はそこにある世界を見えて、見られていない問題について、つまり認識問題について、そのナゾを解き明かす活動をギリシャ時代から進め、現代まで続けてきているのです。

その人間が正しく認識を進められない問題として、世界と人間の関係を解明してきた学問としての哲学を、さらに人間の考え話し弁じる方法を解明してきた学問としての論理学を、さらにその二つを結ぶ学問としても、弁証法(の学)を進めてきたのです。

従って人類とその知の学問は、これらを「三者の合一」といっているわけです。その三者を合一できるなら、人間は世界を正しく認識でき実践することもでき、真理と愛と幸せ平和を得られるだろうとしているのです。

つまり知の合一という課題は、三者の合一をもって解が得られるのだというところまで、すでに解明が進んでいるのです。

現代人類はそこまで知の旅を続けてきたし、すでに「知の合一」と「三者の合一」と言われ示されているものの関係がそのように示されているわけです。

数ある科学と学問の認識と真理、芸術的認識と真理、宗教の認識と真理、哲学の認識と真理、論理学の認識と真理、弁証法の認識と真理、それらを合一し統一し、統合したところに、人類の真理があるのです。

それら中心にある三者の合一を得ることで、たった一つの地球の、一つの世界を、人間という一つの像を、一つの学科を、正しく認識することができるわけです。従って人類の現代課題は、三者の合一にあるのです。

下へ続く

コメント(36)

上からの続き

人類の危機を前にして論理実証主義や分析哲学など心理学主義の学者たちは、それぞれの理論で「知の合一」や「知の統合」を言ったり、あるいは宗教者は「西洋と東洋の合一」などといっています。芸術家は芸術と科学の合体を知の合一の課題かのようにいったりもしています。

文化人なども「西洋文化と東洋文化の合一」などともいっているし、自然科学者や産業界・政界などからは「官・産・学の合一」が言われ、スポーツと科学も同じように言っているのです。

しかしそれらはある程度のことは云い得ているのですが、上に説明したようにそれらは近からず遠い命題や課題であって、やはり錯誤が深く、その命題や課題を探求してもいつまでも解答には到達しない設問なのです。

また、それら近からず遠い視点からすると、ここでの私たちの理論に批判や「疑問」が様々あるだろうし、また出されることになるのですが、冒頭に述べたように、そのことについて私どもが説明したり解説しても、そのような方たちには理解できないことは自明なことなのです。

(たとえをいえば、論理実証主義、とくに数学論理主義は特殊学問である数学と論理学を合わせているわけですが、いくら数学と論理学を合わせても芸術的真理(例えば芸術学)は解明できなし創造することもできないのです。更にそれらは特殊な学問であり、

すでに上に説明したように細部化を追究しても真理中の真理には絶対的に到達し得ないものなのです。さらに現代は全ての人が携わっているその仕事が分業化し分担化して、さらにそれを細分化し微細化しているため、人の経験と知識や意識が微細化し(矮小化し偏在化し)畸形化せざるをえないために、数学と論理学を合わせた専門家は全体的姿としてある世界と人の真理を理解することはできないのです。)

以上がおおよその説明だが、何度もいうように、それを理解する者は有り得ないほど難しいことを説明したことでもあり、それを承知で敢えて記しておけば、私どもの日記などで展開している認識論が、その三者を合一した認識論であり、その認識論から知を合一するための学を獲得するには、人類には二つの学問が欠落しているだろうことが導き出されるだろうことを記しておきましょう。

さらに、人類の認識は、それら二つの学問が獲得されないかぎり、それは認識の正誤を計る定規(基準)を持たないことだから、まして人個人の認識は、正しく認識することはできず、その活動は錯誤したものでしかないのです。

従って、錯誤の人間活動によって起きている地球と自然の破壊と、文明を崩壊させる人間活動をやめさせたり正すことはできず、地球と人類を救うことはできないのです。

さらにこのまま、「三者の合一」と理論問題をおいて、その理論と問題を差し置いて、人類の理想の国家(天皇制封建国家・資本主義・暗黒の王国・社会主義・共産主義・神の王国・理性・人倫・自由の王国などなど、各自や各主義が理想とする国家)を社会改革や革命などで現実主義的・実践主義的に作ったとしても、それは錯誤した人々とその国家でしかなく、やはり地球崩壊と人類崩壊の問題を救うことはできないのです。

つまり「三者の合一」の課題が、人類の第一義的な課題なのです。

特に人々の錯誤活動(自分の活動が正しいと錯覚している活動)によって、社会不条理と矛盾が起き、またその被害を受けて多くの方たちが苦悩することにもなっているのだが、それら人が起こし提起する一切の問題は、もう一度示しておくが「人が起こし提起する一切の問題」(このコミュで話し合われている問題も)と、人と人々を質し正すためには、またそうして解放されるためには、「三者の合一」の課題を獲得することが第一義的に必要なのでしょう

ヒト個人が世界や物事を正しく見られず、考えられず、判断・行動できない原因については、ここで明らかにした「三者の合一」が未確立だからという理由だけでなく、多くの賢人が指摘しているように沢山の原因がありますので、私どもの日記のアチコチでも検討し示していますので参考にしてください。
マルチトピ爆乙わーい(嬉しい顔)指でOK衝撃


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http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=37518020&comm_id=105236
無駄にナゲェ〓■●
要約とか出来ないの?これ;;

・リーマン・ブラザーズ破綻に端を発した米経済ひいては世界的な金融不安からリスク回避の円買いが進み、日本経済自体は景気後退入りを示してるにもかかわらずギザ円高の今こそ海外に遊びに逝ッテヨシ!!の絶好のチャンスexclamation ×2ってことなんじゃないw??
>姫
まじで!?
あたし日本語通じないとこ行くとかマジ無理なんですけど(;Д;)

・寝る子ちゃんにはパンチ&キックっていう無敵のボディランゲージがあるでしょww

*ぉ薦めはハイパーウオン安の韓国だお。原油高の下落に伴って来年からJALも燃油代の値下げを宣言してるし、マジ無理とか国際感覚に乏しいこと言ってる場合じゃないでしょwww
>姫
いいの。あたし人間がちっちゃいから狭い世界で小さく生きていくの。
いやぁ、日本に生まれて幸せだぁ。
【人間のちっちゃさ】

寝る子ちゃん>>>>>>>>>>>>>>越えられない壁>>>>>>>>>>>>>>>>トピ主
翠 彗 さん ご意見ありがとう。またご忠告ありがとう。


スパムというものの紹介とご指摘についても、尤もなルールであり、真摯に受け止めなければいけないことと思います。

そこで、私自身が、なぜスパム行為を禁止するのかという意味と内容を考えることが、さらにその内容を衆知のものとして、スパム行為をなくすことになるのだと思います。

そのことを考えてみると、ときおり真面目な方がご自身のルール観や道徳観・倫理観などから他人の行為を拘束しすぎ、実際に生きている子供や人の伸び伸びとした生活と生き方を阻害するような場合があります。

そのようなあまりにも硬直化したルール適応は、人間社会の柔軟性を失わせ、息苦しい全体主義的社会や国家ができてしまうという問題もあるでしょう。

そのようなことを、わりと多くの方が経験するだろうことでは、校則というがあるでしょう。
また私の知るところでも、厳格な父親や教育熱心な両親が、わが子が自分で決めたことや、様々な計画や約束事を守り、それらの責任を果たしなさいとばかりに、子供の体力や能力では無理なことを強要(睡眠時間を削っても、風邪をひいていても、塾や勉強や宿題をやらせる)したり、子供らしい生活(遊びなど)を奪ってしまう、「虐待」をしているような場合もあります。
日本の軍国的全体主義の時代や社会全体主義国に実際にあったことでも、その体制と政治と法やルールを、浅い知識で「正しいものだ」「皆が守らなければならない道徳だ」として、その体制と政治と法やルールを批判したり反抗的な者を見つけると、政治警察に密告するというような密告社会ができたのも、またそうして国民と市民の互いが監視し合う息苦しい警察国家が出来上がったのも、硬直した官僚主義とその人間と社会ができたのも、そういった浅い知識による決め付けから起こるのでしょう。

人間の生理や生活(個人生活)は、それら頭で作ったルールとは全く別な原理原則(ルール)で動いているものですから、単純に合致しないのです。ですから人間の実際の命と生活にそぐわないルールは、実際生活で調整されるべきものなのです。あるいは国会審議を経て、改められるべきルールともなるのです。(このような意見は、法律概念でも習慣法とか実定法とか自然法とかいって、正当な意見と考え方・理論として認められているものなのです。また現代の法哲学や法学でも自然の法と人為社会法の優位関係を意図的に曖昧にしているのも、人が作る法は煎じ詰めると正当な根拠は無いのだとは言えないからなのです。「答えがない疑問」のままとなっているのです。)

ですから、そもそも私たちが話し合う目的は、伸び伸びと真実や真理を得るために話しあったり活動したりするのでしょう。そのような真理を判定する原則(ルール)が守られている状況があって、楽しみのための話し合いということが実現しているのでしょう。(難しい話になりますが、こちらの原則とルールは自然の法がそうさせているもので、人為的に作られた法ではないのです。)

事実や真理やマコト(心のマコト=愛と言い換えてもいい)がない、嘘の話と話し合いは、いくら「楽し」くても、長期間話し合っても、人間付き合いをしていても、空しいものとなってしまうでしょう。

ですから、真実を話し合い、またそれを広める行為と、金儲けやイベントなどで人を集めるための行為とは分けて考えるような賢さが、私たちには大切なのではないでしょうか。

また、スパム云々を言う方のうちには真面目とは別に、ひねくれや天邪鬼といったもので、ともかく他人に突っかかりたいという感情で、それをいう方がいるようです。またそれらの錯誤した真面目さと天邪鬼を、自分のなかで混ぜて分別できずに言う方がいるようです。

それについても、やはり人付き合いに空しさを抱えていて、寂しさや孤独感から「かまってほしい」とか「ふれあい」とかを求めるところから、一種の自分の中の屈折をへて「つっかかり」ということになるのでしょうから、やはりそこには空しさを産む大本の「空虚な人付き合い」の問題があるのではないでしょうか。

決め付けるわけではありませんが、キットそんな問題もあるでしょうから、是非上の真理を求める問題や人と世界は切れ目無く繋がっている問題などなど、スパム問題とあわせて検討いただけたら、またそこから何らかの価値を汲み取って頂けたら、私の儲けではなく、貴方の儲けになるとおもうのですがどうでしょう。

下へ続
上からの続き

こうしてみると、「スパム」という価値判断だけでは、大切なものを捨ててしまうことがあるのだということもご理解いただけるのではないでしょうか。本末が転倒する「本末転倒」ということが起こってしまうということ、本来求めているものが失わせられる、消される、奪われる、というような転倒原理なのだ、ということをご理解いただけるのではないでしょうか。

ですから、きっとミクシー事務局・当局も、私たちが考えるほど単純に考えたり、適用したり、強権的ではないのでしょう。皆さんが真理を求めて話し合っているのに、それを錯誤して楽しみのために話し合えばいいのだと枠組み(ルールと強制)を作ったら、空しさしか残らずミクシーは、また電脳世界一般が無意味なものとなり、自らを崩壊させることになるでしょう。

世界文明が崩壊の危機に立たされているように、電脳世界でも話を楽しむために話し合っている方や、その場合やコミュの方が多く、真実真理を求めて話し合っている人や場合の方が少ないことは、実際に電脳世界を渡り見ればご理解いただけるよう。電脳世界に真実や真理がなければ嘘ばかりになってしるのでしょうが、聖書でも人々の言葉が通じ合えなくなると、文明が崩壊することを警告していますし、教えています。

寝る子さん

貴方と翠 彗さんとの関係や、何があったのか、私は経緯を知りませんが、翠 彗さんとの上のような問題があるのではないかと思うのですがどうでしょう。

あと一般的な話として、私はトピ本分冒頭で話しかけている方を限定して、また世界に向かって話しかけていて、狭いコミュだけに向かって話しているのではないことなどを明らかにしています。

私は真理を求めている真面目な方に話しかけたり話し合っているので、そのつもりの無い方とわざわざ私の方から話つもりはないのですが、あなた方の基本態度がどうあるのかは分からないので、一応次のこともご両人にお伝えしたいと思いもます。

小さいとか大きいとか長短など―「など」です―、世界共通の測定器(客観基準)がないと、各自勝手な主観的なものでしかなく、何も意味するものがなく長短さえ決められないのです。

その主観と客観の区別を、人一般がしっかりとさせて身につけていないと、人々の話と、話し合いは、意味内容さえ伝わらなくなるでしょう。

つまり真実や真理のために話し合う以前の問題があり、この問題から明らかにし、自覚なければ、人々は心を通じ合えることはないのです。

幼児はまだ父母や社会からの教育が行き渡っていずに、考える力が弱く、自己中心であり、我が侭で、自分の口まで食物を持っていくのも母親がするべきことで、自分のために父母も祖父母も動き生きているかのように思っているものですし、そのような立場にいるのでしょう。

やがてそれをしかられ、少年期までに我が侭をやらなくなり、さらに社会教育が行き渡り、また遊び集団生活の中で自己中心主義が悪であり改めるべきものと経験的に理解するように成長し、青年期を迎えるようになるのでしょう。

まあ多くの方はそのようにして我が侭や自己中心主義・主観主義を克服するのですが、未だそのことを無自覚であったり、客観ということを知らない方もいて、幼年期や少年期のままという方もいることになります。(ジコチュのおばさん叔父さん、お婆さんやお爺さんさえ見ることはありませんか。)

私たちはまずは、その主観と客観ということを整理しないと、話し合いも、心を通じ合わせることも、さらにだから愛を育む(男女と親子の、人類の)ことも、できないのではないでしょうか。

ようは、私たちにはスパムうんぬん以前の問題が様々(他にも)あり、それらの常識的問題さえ整理していない方が多いため、それら全部の問題について、周りの者やミクシー当局は教育できないから、仕方がなく制限を設けて、不要な事件事故問題喧嘩や対立が起きないようにしているのでしょう。

つまり話し合いが真理をもとめるための活動であることや、主観と客観の区別も知らない私たちが、自分勝手をやるからこそ、様々な制限・ルール・法律が、またその強制力として裁判所も警察も必要となるのでしょう。

話し合い・意思伝達の目的の問題を理解していない人はどれほど居るのでしょう。だれでしょうか。誰が何を改めるべきなのでしょうか。ぜひ検討してみてください。

最後に、これを周りで読んでいる方にも(またMIXI事務局の方にも、このコミュ管理者にも)是非ご検討いただきたいのは、私は「スパムではないか」という指摘について、真面目に真剣に受け止め、真面目に真剣に検討しましたし、真面目に真剣がお応えしましたが、その事実をしっかりと確認していただきたいと思うのです。

下へ続く
                 ,...-‐'::"´:::::::::::::::`丶、
                /::::::::::::::::::::::;: ―-::、:::::ヽ
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              l:::::::::::::/;ヾ:::/  ,,.-、_ :i;!ーi
              }:::::::::::::';r'ソ ゙'    ,.-━;;;ァ; ;:!.
          、、__,....ノ;::::::::::::::iヾ      ` ゙フ´ : i゙
          /:::::::ヾ;、:::::::;:べリ.       /_  i     文章の要約も出来ない人にブチ切れた
           ノi::::::::::::::::::ゞ'"   .      ,._ `ヾ:::;'      セガールが乱入してぶったぎり!
         ノ;::::::::::::::::/   :   :_  i:   '゙``ー:/
         i'i;、:;;r‐'" ̄``丶、 .ヾ::::゙:...._   '"゙:i'
          / -ー- 、、   `ヽ、ヾ:;;;;;;;;;;;;;;'ノ
上からの続き

つまり、そのような事実に示されてことを見られるのか見られないのか、それなくして正しく考えられるのか考えられないのか、正しく見られず考えられない者が、正し判断を下し、正しい行為や活動(話し合いも活動・愛を交歓し愛し合うことも活動、「スパム」として削除・排除することも活動)仕事ができるのか、ぜひとも真面目に真剣に、検討いただきたく思うのです。

そもそもMIXIとかコミュニュティーを設け一生懸命運営する目的は何でしょうか。
長いですね。ひたすら長いです…w

まず、コミュニティのルールを把握してから、トピックをたてたらどうですか?
       / ̄ ̄ ̄ \
     / ―   ― \      マジで何言ってんだかわかんねーお
    /   (●)  (●)  \    つか、頭おかしいお
    |     (__人__)      |
    \   mj |⌒´     /     解説してくれお
       〈__ノ
      ノ   ノ



   / ̄ ̄\
 /   _ノ  \
 |    ( ●)(●)   斜め読みしただけだが、どうやらこの人は
. |     (__人__)     余白を全て埋めなければ気がすまないタイプのパラノイアだ。
  |     ` ⌒´ノ     世界に様々な問題が山積しているのを認識するのはいいんだが、
.  |         }     そのすべてを解決したがっている、しかも一人でな。
.  ヽ        }
   ヽ     ノ        \
   /    く  \        \
   |     \   \         \
    |    |ヽ、二⌒)、          \
       ____
     /⌒  ⌒\
   /( ●)  (●)\      ご苦労なことだけど、
  /::::::⌒(__人__)⌒::::: \   それはそれで別にいい心がけなんじゃないかお?
  |     |r┬-|     |
  \      `ー'´     /



   / ̄ ̄\
 /   _ノ  \
 |    ( ●)(●)    んなもん一人で解決できるわけないだろ、常識的に考えて…
. |     (__人__)      問題にはそれぞれ適した分析方法があり、解決方法も複数ある。
  |     ` ⌒´ノ       だからこそ、それぞれ専門家がいて、日夜試行錯誤を続けてるわけだが
.  |         }     このテの人はそれじゃ気がすまない。すべて自分でカバーしようとする。
.  ヽ        }
   ヽ     ノ        \
   /    く  \        \
   |     \   \         \
    |    |ヽ、二⌒)、          \
         ____
       /      \
      /  u   ノ  \
    /      u (●)  \  世の中の全ての学問を極めるつもりかお!?
    |         (__人__)|  そんなのレオナルドダビンチでもムリだお!
     \    u   .` ⌒/
    ノ           \
  /´               ヽ
 |    l              \
 ヽ    -一''''''"~~``'ー--、   -一'''''''ー-、.
  ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) )  (⌒_(⌒)⌒)⌒))



   / ̄ ̄\
 /   _ノ  \
 |    ( ●)(●)    そう、ムリだ。全知全能の存在でない限りな。
. |     (__人__)      だからこういう人は、全てを修めるのがムリだとわかると、
  |     ` ⌒´ノ      ある行動に出る。
.  |         }
.  ヽ        }
   ヽ     ノ        \
   /    く  \        \
   |     \   \         \
    |    |ヽ、二⌒)、          \
       ____
     /      \
   / ─    ─ \
  /   (●)  (●)   \     ……それは何だお?
  |      (__人__)    |
  \     ` ⌒´     /



   / ̄ ̄\
 /   _ノ  \
 |    ( ⌒)(⌒)    世の中の全てを説明し、
. |     (__人__)      全てを解決する無敵の万能ツールを求めるのさ。
  |     ` ⌒´ノ
.  |         }     この人の場合は知の合一がうんたらかんたらというやつだな。
.  ヽ        }
   ヽ     ノ        \
   /    く  \        \
   |     \   \         \
    |    |ヽ、二⌒)、          \
━┓
┏┛    ⌒
・    .___ ⌒  ___   ━┓
   / ―\ / ―  \  ┏┛
 /ノ  (● X  (●)  \ヽ ・.
| (●)  /_  (⌒  (●) /.   世の中の問題ぜんぶ把握すらしきれてないクセに
|   (__/      ̄ヽ__) /     それを解決する方法を作ろうとしてるのかお?
 \  /´    ___/
   \|        \        やる夫はバカだけどそれを上回る身の程知らずだお
   /|´        |



   / ̄ ̄\
 /   _ノ  \
 |    ( ●)(●)    この人にとっては、すでに解決することは目的じゃないんだ。
. |     (__人__)      ものごとを体系化し、手っ取り早い神のツールを作る作業に
  |     ` ⌒´ノ      没頭することそのものが目的になっているんだ。
.  |         }     そうすることで心が安らぐんだろう。
.  ヽ        }
   ヽ     ノ        \
   /    く  \        \
   |     \   \         \
    |    |ヽ、二⌒)、          \
       ____
     /_ノ   ヽ_\
   /( ●) ( ●)\    つまりオナニーかお? やる夫の仲間だお!
  /::::::⌒(__人__)⌒::::: \
  |     (  (      |   やる夫も現実逃避のために日に5回はオナニーするお!
  \     `ー'     /



   / ̄ ̄\
 /   _ノ  \      ここでやったら蹴り殺すぞ。
 |    ( ●)(●)
. |     (__人__)      それはさておき、こういう手合いは無視してりゃ害はない。
  |     ` ⌒´ノ      ただ、時々突然変異を起こして、その神のツールが
.  |         }     「世の中すべてユダヤ人が悪い」なんて
.  ヽ        }     論理に行き着くこともあるから、注意が必要だな。
   ヽ     ノ
   /    く  \        \
   |     \   \         \
    |    |ヽ、二⌒)、          \
      ____
     /_ノ ' ヽ_\
   /(≡)   (≡)\      思い立ったが吉日だお!
  / /// (__人__) ///\
  |     |r┬-|      |     おっ、おっ、おーっ!
  \     ` ー'´    /
                 シュッシュッシュッ



      / ̄ ̄\  
    /ノ( _ノ  \
    | ⌒(( ●)(●)      言ったそばから何やってんだ!
    .|     (__人__) /⌒l
     |     ` ⌒´ノ |`'''|
    / ⌒ヽ     }  |  |              
   /  へ  \   }__/ /             / ̄ ̄\
 / / |      ノ   ノ           / ●)) ((●\’, ・
( _ ノ    |      \´       _    (   (_人_)’∴ ),  ’ブベラ
       |       \_,, -‐ ''"   ̄ ゙̄''―---└'´ ̄`ヽ   て
       .|                  ______ ノ    (
       ヽ           _,, -‐ ''"  ノ       ヽ   r'" ̄
         \       , '´        し/..     | J
          \     (           /      |
            \    \         し-  '^`-J
      ._
       \ヽ, ,、
        `''|/ノ
         .|
     _   |
     \`ヽ、|
      \, V
         `L,,_
         |ヽ、)  ,、
        /    ヽYノ
       /    r''ヽ、.|
      |     `ー-ヽ|ヮ
      |       `|
      |.        |
      ヽ、      |
        ヽ____ノ
        /_ノ ' ヽ_\
      /(≡)   (≡)\
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      ⊂⌒__)__)
mixiは年単位で見向きもしなかったので、不慣れです。コメントするのもほぼ初めてなので、こうゆうコメントはおかしいのかもしれません。ですが、このトピック(っていうんですか)を読んで、色々思うことがありましたのでコメントさせていただきます。(最初に断わっておきますが、私は日本語がヘタです…)

まず、読むのが大変でした・・・。そしてあんまりミケランジェロさんの仰ることを理解できていないかもしれません。でも「おお!」と思いました。
私はクリスチャンなのですが、世界は神が創造した、というところから出発して、色々考えてみて、人間の色々な活動は、ほとんどが的外れなのではないかと思うようになりました。つまり、理にかなっていないのではないか、と思うようになりました。ここでいう「理」はミケランジェロさんの言う、「真理」と近いのではないかと、私は思います。
全体の関連を知らずに(時に気にも留めずに)、個々に起こる反応だけを利用していびつに発展してきたのが今の社会であり、文化、文明であるのではないのかと思います。

地球の仕組みというのは、実によくできていて、無駄のないものなのだと思います。例えば水の循環をみてもそう思います。そして、ある程度のハプニングも許容してくれる、愛のある仕組みだと思うんです。人間がちょっとバランスを崩すようなことをしても、全体の自浄作用によって辻褄を合せてくれていた。ただ、現代の人間の活動は、その許容を超えてしまっていると思います。今、石油をガンガンつかっていろんな産業活動が為されているけれども、もしかしたらものすごい長い時間間隔でみたら、石油というものも地球の環境バランスを維持するうえで必須の要因であり、無謀にバカバカつかっていいものではないかもしれない。そんなことを思います。

ただ、ミケランジェロさんのゆうように、人類の為に知の合一や三者の合一(三者の合一というのはよく分からなかったのですが)を獲得することが必要というのは、無理があるように思います。私がおもうに、それらが獲得できない人間は、世界全体に対し、世界全体のバランスを維持する許容を超えた的外れなことをし得るのだという認識を持ち、的外れだときずいたら、後退することを含めた修正の為の行動ができる思考をもつことができればよいのではないかと思います。

支離滅裂でごめんなさい。でも、ミケランジェロさんの言うようなことを、話し合える場を探してmixiを覗いてみてたので、ちょっと興奮して書き込んでしまいました。

では。
マーケットさん
真摯なご意見ありがとう御座います。

私はマーケットさんのご意見を支離滅裂などとは思いません。また多くの真面目な方もそう思わないでしょう。

ですから私も「後退することを含めた修正の為の行動ができる思考をもつことができればよい」のだと思います。またそう思う思わないではなく、実際にそうならざるを得ないでしょう。

地球と自然が人類にその判断を迫っているのですから、このままでは自然も失われるし人類の命も生活も失われるので、今までの道を進むのか別な道を進むのかを選ぶよう迫っているのでしょう。

人類が滅亡しても、地球とその自然は人類とは全く関係なく、その人類の愚かとは関係なかったかのように発展を続け、何千何万年を経て生命の万物が復活することでしょう。

しかし、生命の万物が復活するといっても、また「後退することを含めた修正」といっても、今までと同じ生命や後退の復活ではなく、21世紀の現代的「後退的復活」なのでしょうし、単なる原始地球から生命の誕生までの、繰り返しなのではないでしょう。

現代の人間と文明は不合理で、勉強も仕事も生活も意味もなく忙しく、過密で、自然な人間的な生活が出来ないでいるのでしょう。

ようはそれら人間活動の原理の一切が「金儲け」を目的にされているからで、人間的生活のための活動原理で動いていないことの結果なのでしょう。

ですから21世紀は、ゆったりとした人間のための学問・勉強・仕事・生活(活動)となり、特別急ぐ必要がある人以外は、また乗り物マニア以外は、電車や自動車で移動する意味がなくなるのでしょうし、それに敵対する非人間的学問(嘘の学問)も必要なくなり、学問も勉強も急いだり競争したりする必要がまったく無くなるのでしょう。

メタボになるほど不要に食べる必要もなくなり、労働で体力を消耗してなおかつダイエットで体力を消耗するために、食事を摂る必要もなくなるでしょう。

金儲けのために、ただ消費させ廃棄させるための生産と商業を、それらの「活動」をする必要もなくなるでしょう。

不合理な生産と消費・文化・社会を改め、農作物を飢餓の子供たちへまわし、困窮者を救うための生産と消費文化・社会と「活動」となるでしょうし、またそうしないと人間的生活は実現しないのでしょう。

他人と貧窮者と子供の命を代償にした生産と消費、その国際的生産と消費の非人間的で儲ければ良いのだとする体制・状況を改め、人間的生活にしなければならないわけです。

ところが、非人間的で儲ければ良いのだとする体制・状況を維持するための学問が、その嘘の原理で数多の理論を生み出し、人間的理論と真理が泥まみれになり分からなくされているため、また残念なが人間自身が生まれつきの認識障害をもっているために、その真偽を判断できないから、それら嘘の学問を整理する、真理と理性をいう人間的学問が必要になっているといっているのです。


宗教が生まれたのも、今あるような科学というものや学問・学校というものが無かった時代にうまれ、人々が翻弄され騙されている風説を整理して、その人間的真理を求め、教え、導く理性的活動(学問)として始まったのでしょう。

各宗教の始祖はそのように思索を始めたのですが、やはり今あるような学問というものや科学というものが無かった時代だからこそ、その後を継いだ賢人や学者といわれる者たちが、

文盲の民衆には難しい話をしても仕方が無いので、「兎も角信じなさい」「疑問を差し挟んではならない」となり、宗教というものになってきたのでしょう。

人間的真理を求める学問の方も、現代まで研究を受け継ぎつつ積み重ねてきて、21世紀の今現代では、そのためには「知の合一」と「三者の合一」が必要だというところまで来たということなのです。

そうして「三者の合一」は哲学と論理学と弁証法の三つのことであり、それらの学問も泥まみれで真偽は分からなくなさせられているのですが、人類にとって「知の合一」と「三者の合一」がどのような意味関係にあるのかを明快にするなら、その泥を払い落とす役目を果たすものにもなるわけです。

現代の人類がその研究を進めなくても、次の世代の真面目な者が必ず研究を進め、その真価を獲得するといっているわけです。

自然世界がそうあり、自然自身(自体)が身を持って示しているのですから、その答えを望むなら必ず与えられるわけです。

さらに、それを知った人々が、学者や政治家らが、その示すところに従えば、人間的な社会と世界ができるわけです。

下へ続く
上からの続き

私たち民衆は文盲から抜け出しましたが、無知蒙昧だからこそ学校に通い学者や先陣・先生から教えを受けているわけで、またマスコミを見て読んでいるわけで、その教えるところに従えば、人間的社会と世界ができるわけです。

ただその教えが真理かどうかなのです。

嘘を教える学者なら、マスコミなら、私たちは非人間的な状態に押し止められ、閉じ込められたままとなるのです。今がそうであるように。

電脳世界を徘徊すれば分かるように、どれもこれも学者の理論とマスコミの言説の焼き直しでしかないのですし、現代問題の原因を解明し、次代を指し示す学問と理論はないのでしょう。

家庭崩壊や教育崩壊・企業倫理崩壊・国家崩壊(その他様々な分野の崩壊現象があります)などは多くの識者が言いますが、その真の原因を解明できず、解決策も示せず、子供たちや若者たちが苦悩したままでいるのです。


告知 周りでこれを読んでいる方におかれましては、スパムについて、もう少し検討を深めましたので当日記したまで、ご一読下さい。
スパム問題について、正誤が転倒する原理http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1028908017&owner_id=7769186
ミケランジェロさん
地球のバランスを崩す元に成ってますね
人間の間違えた金儲けの生活が

金儲け基本に考えてるから分からないのでしょう

今 日本や先進国のほとんどが破綻をずっと隠している事を
先進国のほとんどが赤字国債発行して紙切れをすっています
紙切れに気持ちも売り飛ばした人間が沢山居るみたいです
セラフさん

真摯に検討いただきありがとう御座います。

まさに資本主義的原理の金儲け主義は、トピ本文の現代の人類史的課題のうちの6、の国際的経済破綻問題と中心原因のことでもあるのです。

先進資本主義国のほとんどが、財政赤字となっていて国債で賄う虚構経済を進めてきたのも、金儲け主義が大本にあるのでしょう。

株式・為替・信用商品(国債・保険)などの金融操作で金儲けをやり、その虚構金融資本主義が肥大化して実体経済との乖離が大きくなってしまい、虚構金融経済(資本主義体制)が破綻しているのでしょう。

現代はグローバル経済(製造物流の実体経済と金融経済も)となり、もはや一国の経済問題は世界経済と切り離してはありえないし、考えられもしないのでしょう。

ですから例えば、世界各国で起こる利害対立・民事事件・裁判において、一つの経済・商業事件が、ある国では間違いとされ別な国では正しいとされるのでは、世界共通の経済ルール・環境の建設はできず、国際的経済混乱を終息させられず、操作・管理することはできず、今後とも世界経済崩壊の道を進むだけとなるのでしょう。

従って、21世紀を迎え、法といわれているものが世界共通のものとなるような、また同時に国ごとにも適応しうるような、現代的な書き換えが迫られている時代なのです。

ですから私たちがここで言う真理と知の合一に関わる、「スパム」「ルール」「法」という問題を、第1級の法学者・法曹関係者も真剣に模索しているところですから、最先端の問題でもあるのです。

また経済学と学者にとっても、21世紀を迎え、第1級の最先端の問題なのです。
従ってこれら経済学的理論(知識)と法学的理論(知識・学問)の正しい解明がなければ、アフリカ・アジア・南米諸国の貧困・飢餓問題は解決されず、日本など先進国の失業問題なども解決されないことになるのです。

さらにこの「ルール」「法」なるものは、また「経済」なるものは、そうして法と経済が深く関わる「政治」なるもの、加えてそれら現代と世界を教える「教育」なるもの、情報ネットワーク科学技術問題は、

ようは諸学問は、知的理屈遊びではなく、また議論のための議論ではなく、学問のための学問ではなく、現代的な現実・世界問題なのです。しかも第1級の、高度な学術問題なのです。

さらに、もし第1級の世界的経済学者が、世界経済の問題を解明し原因を特定し解決策と未来経済を示したとしても、それに対して世界第1級の法学者や政治学者が反論し、その錯誤を法学・政治学的に証明すれば、その経済学理論はまったく無意味な錯誤でしかない、という問題なのです。

さらにそれら法学者や政治学者が、それぞれ類まれな専門理論を示しても、他の一切の学問から錯誤を証明されれば、その法学も政治学もまったく無意味な錯誤でしかないという、知の合一的問題なのです。

21世紀は、全ての人と社会に、そのような学問が問われ、人間の幸せが問われ、人生の生き方が問われ、失業と貧困問題に迫られ、自然と地球を守る課題が問われているわけです。

ミケランジェロさん
分かりますおっしゃる通りだと思います

世の中 正しい物や真実が表に出ている訳では無いのです

残念な事に間違えでも勢いがある物が全てを巻き込みます

ミケランジェロさん
貴方は第一級の意見をお持ちなのですか?あるなら伺いたいのですが?

無いなら話しは繋がりませんしもう長いレスも執拗無いと思います

答えがそこに無いのですから

問題が有る事は理解しました。

答えは私にもありません

問いを出せることは、問題内容を知り、答えを知っているからでしょう。

学校のテストと同じ原理が、正解を得る原理であり、真理を得る原理なのではないでしょうか。

勿論、本文でも言っているように、科学的学問的真理を得る方法は、また手続きは、あるいは原理は、「テストの原理」だけあるのではありません。

テストの原理は、哲学的論理学の原理の一つでしょう。それは現代の「論理学」では言われていないことですが、現実・実際にテストとその答えと、質問文の関係には、そのよな真理の原理があるでしょう。

答えを得ていることは本文冒頭から言っている通り、また解を得ていることは終わりの方でも再度言っている通りだし、尚且つそれが判る人は少ないだろうことも本文で話してありますし、セラフさんがそれを証明しているでしょう。

もう一度お読み下さい。

人間と人類が、科学的合理的、理性的に考え方を進めようとしたのは、ギリシャ時代からですが、今現代でも科学論があり研究が進んでいるのでしょう。

ギリシャ時代と同じ道を進んできたのですが、同質なのではないのです。錯誤と倒錯ばかりの現代科学(実際にニセ科学を論じているコミュもあります)から見ると、「後退的復帰」に見えるような、現実的素朴な、土着的(に見える)な科学論があるのです。
例えば、りんごを詳しく調べるために虫眼鏡を用いたいけれど、その拡大されて検討された箇所をつなぎ合わせていかなければ、りんごという全体像を把握することは到底適うものではない、という話なんでしょうかね。

たしかに冗長であると思いますが、茶化されることは無いかと思います。AAは酷いですよね。

虫眼鏡で得られた視座と視座との断絶を如何に埋めるかという問題に対して、哲学と論理学の弁証法的な過程を要求されている、ということでしょうかね。
哲学と論理学と弁証法学、ですか、それらは全体を把握する学問なのでしょうかね。それとも学問と学問との隔たりを縫い合わせる学問なのでしょうか。

私は
30さん
>問いを出せることは、問題内容を知り、答えを知っているからでしょう。

ということに関しては、答えを知らなくても問題提起はできるし、また答えが無くても何らかの解釈は行えるものかと思います。もちろん答えが無いのですから、正誤も有い、ただ違っているだけだと思います。

様々な問題を提起されていて、またその部分が冗長さを助けているようですが、果たして大局的な視座の獲得が、遍く全ての問題の解決と成り得るのでしょうか。
確かに狭窄的な価値観などによって引き起こされる問題も多々あります。
私も嘗ては退化史観をしていました。
けれども最近はこうも思います。
どうして、進、退化の基準は生物の存滅に拠るだろうかと。

確かに様々な問題が日々表れていることでしょう。
けれども、それもまた仕様が無いことなのではとも思っています。
つまり、私個人としては諦めてしまったのでしょうね。
このようなことに対して意欲的な方達によって、世界が良い方向に進めば良いなとは思いつつ、まあ無理だろうなとも思っています。
ミケランジェロさん
誤解されたかな?

世の中 本物が広がる訳ではない

世の中での解答は 残念ながら この糞みたいなコミニティメンバーに理解されない解答では 残念ですが解に成らない

一流の解ではない

そして 世の中が理解できる解答が 一流

貴方の解答 純粋な輝きを見ます

だから 世間の人が理解できる解で お願いしたい

最低でも今から 十年は 資本主義が頑張ります

それに 世間に 合った解答が書けていない

合 と書いても 説得力が無い

貴方に このコミニティと 合った解は今無いと 私は 言ったのかな?こんなコミニティですら合わないのにどこで合った解をお持ちなので?

貴方は 合った解は 持ってない 本物かも知れませんが 世の中は残念な事に本物が広がるわけでもない 勢いのある物が広がる

貴方に 世の中 の勢いに勝る

解は お持ちですか?

いやまずは コミニティに合った解で よければ お答え下さい

ちるねさん セラフさん

真摯にご検討いただきありがとう御座います。

お二人にお応えしようとすると、共通する問題があるように思いますので、ご一緒にお読みいただけると、より深くご理解いただけかと思います。

早速リンゴの話と質問についてですが、本文で提起され(人類史的に提起されている)、またしている(私が文章を書いた「した」という意味)話は、細部問題と全体問題のことですし、その関係の話です。

これがまた難しい問題を様々に含んでいますので、その話をするだけで上の「冗長」な話もさらに長くなるという問題を含んでいて、それら全部を話さなければ、それらの疑問を持つそれぞれの方は、納得されないテーマなのです。実は本文ですでに話しているテーマのことなのです。


つまり、例えば歴史学でいう意見に次のようなものがあります。「歴史上の一瞬一瞬と時間的経過は、その瞬間だけ隆起している時空の事象であり、歴史に同じことは起き得るはずがない。
だから歴史上には共通性や原則性や法則性はなく、歴史の規則性を記述するのは出来ないのだ。
それぞれが主観的(国ごと、民族ごと、個人ごと)に語れる歴史だけだ」という細部と全体問題のことが論点となっているのです。

ですから物理現象も時空の事象ですから、物理学でも同様の議論になるわけです。さらに、自分なるものを捉え、知ろう、自覚しようとする問題でも、自分の幼児期を自分らしい自分だと規定できないでしょう。

あるいは今の自分が最も自分らしい自分で、幼年期・少年期・青年期の自分は自分らしい自分ではない、とも規定できないでしょう。それとも自分が壮年・老年になったとき、自分で自分だといえるのでしょうか。

という自分らしさの問題でもあるのです。

つまり、人生全体の大きな(長い)ところから場面場面の小さな(短い)自分を見るという、全体と細部の問題があるのです。

さらに個人に対してある、「人間らしさ」「人間」という全体像を捉え、知ろう、自覚しようとする問題もあるのです。

ちるねさん 貴方はそれらの正しい結論を得ていますか?。

自分らしいとは何ですか?。その前に自分らしさを計り評価し判断しうる、人間らしさ、人間といえる条件とは何でしょうか?。

人間というものも分からずして、自分というものも分からず、他人(愛する人)というものが分かろうはずがないでしょう。

そういう、それらの問題のことなのです。

従って、「視座と視座との断絶を如何に埋めるかという」学際的問題・課題のことではないのです。ですが上のような細部と全体、個別と全般、特種と普遍などの命題に解答を得ることで、
それら学際的問題への解答も得られるという関係にあるという、より次元の深い、あるいは高度な問題と課題であり、そのような関係としてあるテーマなのです。

ですから、これを周りで読んでいる方で、また今後ここを訪れる方で、それらの問題のことだと分かっている方は、上の本文が長いだとか短いだとか冗長だとかは言わず、それらの問題として、また別な関連問題や意味内容について真剣に考えを進めるテーマなのです。



テスト「問題」と同じといった「問題」というものについても、本文でも上でもここでも言いました。

貴方が言うことと私が別な方(セラフさん)に言ったこととは、次元が違う問題(命題)のことなのです。ですから当該文書で「勿論、本文でも言っているように、科学的学問的真理を得る方法は、また手続きは、あるいは原理は、『テストの原理』だけあるのではありません」と念を押しておいたのです。

というのも、私たちの思考では、問題に対し解答(真実・真理)を得るのは、その「論理学」的活動では、矛盾なく事象を説明しうることが正解というものでしょう。

しかし現実自然界と人間は、矛盾体そのものなのです。

ですから現実の自然と人間の実態的な「そのもの」に到達した時、つまり根源的矛盾に到達した時、つまりその「弁証法」的事実を得たとき、正解・解を得たといえるのでしょう。

ですからここでも、それらの「問題と解答」というものの全部を話せるはずがなく、それでなくても話が長いだとか言ってる方が多いいぐらいなのですから、「それ以前」の問題があるのです。

長い短いを言うのも、またその長短を言えるのは、また長短を測れるのは、客観的な定規が無ければ計れず判断できず、無意味なのです。

そのことさえ知らない主観主義の方が多くいるのです。

下へ続く
上からの続き

そういうことを知らない方たちに話しても意味が伝わるはずがない、ありえない、内容なのです。

主観と客観を、それはつまり細部と全体を、それらの違いをまずは理解して、分別して、その次に、意味内容が通じる話しなのです。

主観と客観を分別し、さらに細部と全体問題を検討し、その次の、次の次の、次元が異なる話なのです。次元が異なる話を冗長にやることはできないのでしょう。

まずは、ギリシャ時代に提起された「汝自身を知れ」から、人類と私たちが探求し現代まで知の旅を辿り、

何も知らない自分を知る「無知の智」を自覚し、「汝自身を疑う」ところから、答えの無い疑問の意味を理解できるのでしょう。

私もそうしてきましたので、けっして皮肉や尊大を装ったりなどの意味や目的で話しているのではないのです。

しかし、上の知の合一と三者の合一の話が、多くの方には理解しづらい次元が異なる内容と話しだといっても、上の人類の知の旅の概略を読だ方は、人類の今現在のおおよその姿と位置を見たのですから、それを読んだり見ていない方たちとは、

つまり知らない方たちとは大きな違いがあるのでしょう。

今生きている時代を知らなければ、そこに生きている、その時空にいる、自分も知らないことになるのでしょう。


セラフさん


上の ちるね さんのお答えでも言ったのですが、そしてその続きでもあるのですが、人は話が上手く伝わない様々な問題や錯誤を抱えているものでしょう。

私もセラフさんの話しに分からないところがあるので様々疑問をもつのですが、その疑問というものは、私の勉強不足から、自分が知らない物事として生まれるものですから、それをセラフさんに質問し、それに応えるためにセラフに作文させ、セラフさんを煩わすのは失礼でしょうから、

特に私は捻くれが人々と同じぐらいか、それより強いのかもしれませんので、私の質問に丁寧に答えてもらえばもらうほど、次々に疑問を出したくなる方なのです。

そのような私は、自分のそのような「突っかかり」を反省して自分自身で改めているところなので、私自身の疑問は自分で勉強してみることにします。

ちるね さんもご自身の中の出題や疑問にあわせて「知の合一」「三者の合一」など検討してみてください。

まあ補足として、この話は当然な真実の話しで言うに及ばないことですが、だから話す必要のないことですが、ところがその当然と事実を分からない人もいるでしょうから話すのですが、

「悪貨は良貨を駆逐する」のは世の習いですし、人と社会の全般的傾向ですし、その世の中が「悪化傾向」や「多勢に無勢」であることは真理です。

しかしその反面、人類は全体として進歩・発展し野蛮から文明化へ進んでいるのは確かですし、無知から有知(これも本文で再三話していることです)へ進んでいるのは真実でしょう。

一つの世界とその歴史を捉えるのも、またその人間が生きてきた一つの世界と歴史を捉えるのも、そうした二つの対立する真理・真実の姿と意見があるのでしょう。

その二つだけではなく、様々な意見の対立がある(ちるね さんのお答えでも話した諸学問での意見の対立もある)のでしょう。

私はその人と社会の姿と、その意見の対立の真実を言っているだけで、私の考えや主観を言っているのではないのです。

そこで、人類史的崩壊問題を解決する「答え」「解」ですが、

人は、人々は、人類は、自らが考える方向(間違った方向と正しい方向の両方)に進んできたのでしょう。

正しい方向に進もうと言う人、人々、人類もいるのですし、それとは反対に、そうとは考えられず、考えず、言わず、疑義を言う人、人々、人類もいるのです。

実際にそういう人が居るでしょう。

それが答えです。

実際に悪い方向に進めて世界(自然と文明)崩壊は間近に迫っているのでしょう。それが事実だし真実の姿であり、答えなのです。

もう一度いいましょう。本文とここでの皆さんへの返答をもう一度お読み下さい。

私は、同じ問題と答えを、繰り返しで話しているのではないでしょうか。私はそのつもりなのですが、どうでしょう。
ミケランジェロさん
結局は
実際に悪い方向に進めて世界(自然と文明)崩壊は間近に迫っているのでしょう。それが事実だし真実の姿であり、答えなのです。

こんだけですか?

類は崩壊に向かっている

長々しく書かないでも皆知ってますよ
かの昔から文明は幾度も滅び
恐竜や酸素が蔓延する前の生命も絶滅している

当たり前の皆が知っている事ですやん?

何か?

現状ぐらい皆も分かってますよ

しかも 生きてる内に起こらない事も

今は崩壊しない事も皆知っている

だからなに?だからどうしたの?

そうですが だからなに?

その先が貴方に無いと私は言っているし

私にも無いのだから書く必要が無いと言っている

その先に人類を導く答えで勢いで現資本主義に勝るなら

一流です あなたのはただの 現状に嘆いているだけですしボヤキ何ですよ

長い長いボヤキに付き合ってしまった涙
ミケランジェロさん
 私は、上の本文を客観性の限界を指摘するものだと解釈していましたが、33、34を読んで、
主観性と客観性、一部と全部が抱える矛盾を弁証法的に捉え、得られた合もまた何かしらの矛盾となっているけれども、それらの連続の末に辿り着く根源的矛盾、それに対する弁証法的に得られる合が真理であり、それこそが諸所の問題の根絶に繋がる、という解釈でよろしいのでしょうか。

33の
>つまり、人生全体の大きな(長い)ところから場面場面の小さな(短い)
>自分を見るという、全体と細部の問題があるのです。
>さらに個人に対してある、「人間らしさ」「人間」という全体像を捉え、
>知ろう、自覚しようとする問題もあるのです。
>ちるねさん 貴方はそれらの正しい結論を得ていますか?。
>自分らしいとは何ですか?。その前に自分らしさを計り評価し判断しうる、
>人間らしさ、人間といえる条件とは何でしょうか?。
>人間というものも分からずして、自分というものも分からず、他人(愛する
>人)というものが分かろうはずがないでしょう。

また34の
>ちるね さんもご自身の中の出題や疑問にあわせて「知の合一」「三者の合
>一」など検討してみてください。

私には、その正しい結論というものがわかりません。恐らく弁証法的に求められた合がそれに当たるのだろうとは推察しますが、私にとってはミュンヒハウゼンのトリレンマよろしく、恣意的な解釈は有していますが、果たしてそれが正しいかとなると尻込みしてしまいますよ。

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