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モアイの前で会いましょう!コミュの佐○急便によるモアイ運搬説!?

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 《佐○急便によるモアイ運搬説/Dr.T・Hのコラム》


 モアイは誰がどのようにして運んだのか?
 自分で歩いて行った、あるいは宇宙人が運んだなど、様々な説があるが、多くは未だに謎とされている。イースター島の石碑などに残された文字は、植民地支配による悲劇などにともない、現在では誰も解読できないものだからだ。
 そこで、世界的に名の知られた匿名の自称考古学者=Dr.T・Hは、島に残された古代文字を(誰も解読できないのをいいことに)自由奔放に解釈し、以下のような大胆な説を発表した。

 イースター島の東部にあるラノ・ララク山。そこにある自然の岩肌を削って作られたモアイたちの多くは、最大20キロにも及ぶ道のりを経て、島中の海岸に並べられた。
 古くは7世紀、日本では飛鳥時代にさしかかる頃の話である。重機など存在しなかった当時、数十トンの巨大な石像の運搬にどれほどの労力を費やしたことであろうか? いや、単純に労力だけでなく、技術を伴ったプロによってのみ可能だった仕業に違いないのである。
 つまりDr.T・Hの説によると、モアイを運んだのは一般的な人々ではなく、「運搬」そのものを生業とするようなものたち、現在では佐○急便にあたるような職業集団であった。
 実際に、BC2000年頃から航海を始めたインドネシア人たちは、2千4百年もの月日を経て、AD400年頃イースター島に辿りついている。その間に培われた技術が、モアイを運ぶのに大いに役だったというのである。

 従来の説によると、巨大なモアイの運搬には数多くの人力と、長い年月を要したとされている。
 しかしこの自称考古学者T・H氏は、2005年5月にイースター島で開かれた記者会見において、「モアイの運搬は、少数精鋭のプロの運び屋たちによって、一夜にして行われたものである」と力強く語っている。
 世界七不思議のうちの一つとされている・モアイに関する新説の発表とあって、イースター島西部に位置するハンガ・ロア村の特設会場には、各国から多くの記者団が押しかけていた。
 その中でイギリスのTV局・BCGのリポーターは、「なぜ夜に運搬する必要があったのです? 昼間の方が足元も見やすく、作業は容易なはずでしょう!」という内容の質問をした。
 自称考古学者はこう回答している。
「確かに昼間の方が作業はしやすいが、逆にその作業内容の一部始終を多くの人々の目にさらすことになってしまう。彼らが長い時を経て培った運搬方法は、いわば企業秘密とされていたのです。だから作業はプロたちの手によって、月夜の晩に行われた」
 そのとき最前列でメモを取っていたNJ(ニュー・ジョーク)タイムズ紙の記者は、学者に対して単刀直入に質問した。
「それではズバリあなたの考えでは、その企業秘密にされていた運搬法とはどのようなものでしょう? そのプロたちは、最大80トンにも及ぶモアイをどのように運んだのですか?」
「確かにプロである彼らにとっても、重機も用いずにモアイを運ぶのは容易ではありませんでした。途中ではロープが切れたりして、モアイの中には転倒して破損してしまったものも少なくありません……」
 とDr.T・Hはモアイさながらに重々しく口を開いた。
 各国のプレスが固唾を飲んで見守る中、学者は以下のように自説を締めくくった。

「モアイの運搬は想像を絶するような困難でした! けれど、彼らはプロとしての誇りを決して投げ出そうとはしませんでした……最後は『モアイ』だけに、『キアイ(気合い)』でやりとげたのです!!」

 記者会見は、壇上に座布団を投げる者や運ぶ者が殺到し、混乱のうちに幕を閉じた。
 亜熱帯に属し、一年を通して夏と秋しかないという独特の気候を有するイースター島であるが、その日の体感温度は氷点下を大幅に下まわったという……


 
 【Dr.T・Hのプロフィール】

 生年月日・国籍、共に不明。(東洋人との情報あり)
 水瓶座。座右の銘は「覆水盆に返らず」
 主な著書には「ノウあるバカはネコをかぶる」、「サザエさんに学ぶ若さの秘訣」等がある。
 ※ 待望のフォト・エッセイ、「国籍も本籍も秘密ですたい!」   近日発売予定!?



  

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