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ボストーク8号コミュの雑談

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何でも自由に書き込んでください。

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コメント(11)

■言霊の効用

「言葉に魂は在るか?」

例えば存在が懐疑的だと言われるモノ、
幽霊・超能力・UFO・UMAの存在は信じないのに、
言葉には力が在ると信じる人が多いのは、何故だろう。

言葉には力が宿る、と言う人が居る。
あたかも言葉を発した人の魂が乗り移ったかのように、
其れは言霊と呼ばれる、のだそうだ。

本当だろうか。
霊魂の存在は否定しても、言葉には魂が宿るだろうか。
だとしたら、魂って何だ?

感情。
言葉に込めた気持ち。
其れって「根性」みたいなモノだろうか。
少し違う気がする。

水と蛋白質を混ぜて、かき回しても、人間には成るまい。
同じように文字を何個も羅列しても、言葉には成るまい。

仮に、其れ等が運良く、人間に成っても、言葉に成っても、
其れ等に魂が宿っているかは、非常に疑わしい。
しかし僕達は信じようとする。

僕達自身に、魂は宿っていると。
僕達自身が気持ちを込めた言葉に、魂は宿ると。
其れは何故だ?

恐らく、其れは経験だろう。

言葉に救われた経験が、誰にでも、少なからず在る。
誰かの発した言葉に、声に、僕達が救われた時、
僕達は言葉を「生きている」と感じた。
単なる文字だとは思わなかった。

同じように、僕達が誰かに救われた時、
僕達は相手を身近に感じ「生きている」と感じるだろう。
相手の存在を、相手の残した言葉を「生きている」と感じるだろう。
場合によっては、其れが既にこの世に居ない相手でも、そう感じる瞬間が在るかもしれない。

そんな風にして僕達が、本来は目に見えない、存在が不確かなはずの何かを、
確かに「生きている」と認識した瞬間、其処に魂は存在するのではないだろうか。
例えば、言葉に。
例えば、音楽や、絵画や、僕達の存在に。


「言葉に魂は在るか?」


多分、在るだろう。


「ならば、言霊に効用は在るか?」


解らない。だけれど。
言葉に、誰かの人生を照らすほどの力が、在ると良いと思う。
そんな言葉が書けたらなと、僕は思う。
■腹痛状態

自宅のパソコンが壊れた。

パソコン暦10年にして、初めての経験である。
何の予兆も前兆も無く、ある日突然、音も無く壊れた。
電源スイッチを押しても、ウンともスンとも言わないのである。
ほんの5分前まで、あんなに元気に動いていたのに、である。

聞けば皆、一度くらいは「パソコン故障」を経験している。
この10年、ほぼ毎日パソコンの前に座っている生活をしながら、
今まで一度も故障を経験しなかった方が、珍しいのかもしれない。

近所の家電量販店に持っていくと、修理に2〜3週間は必要との事。
しかもデータが全て消えるのは、ほぼ確実であろうとの事。マジでか!
おお、ちょっと待ってくれ!過去の作品のデータも全部か!それはヤバイ!
焦りながらも話を進めると、一応何とかなりそうな感じだったが、正直怖い。
皆が言っていた「バックアップ命」とは、この事だったか。

パソコンが壊れた。
この状況はひとえに、授業中の腹痛に似ている。
本人にとっては一大事なのだが、他の者にとっては普段通りの日常である。
ヤバイヤバイと騒いでも、ヤバイのは当人だけで、今日も世界は平和である。

生まれて初めて腹痛を経験した乙女のごとく、
どうして良いのか解らないが、現状を受け入れるしかなく、
只、普段と変わらない周囲の様子を噛み締めながら一人、腹を抑えるのである。

ああ、パソコンが壊れた。ヤバイなぁ。
■宇宙

宇宙が好きだ。

パソコンが壊れたので、最近は一人、読書をして過ごす。
日頃から小説を読む習慣が無いので、
コンビニで見付けた学研の『超怪奇UFO現象FILE』など、
若干怪しい活字本を読み耽り、密かに心を躍らせている。

クラリオン星人、怖ぇ。
■順応

一向にパソコン、戻らず。

仕事中、暫しの休憩にキーボードを叩く程度になってしまった。
在るなら在るで、無いなら無いで、順応してしまうのが僕達である。
悲しいかな、思いのほか早くパソコンの無い生活にも慣れ、
キーボードの「$」の位置を若干忘れ始めているような有様である。

無いと困ると思っていたモノが、あの頃の僕達には沢山あって、
恐らく驚くべきほどの其れ等をボロボロと溢しながら、此処まで来た。
無いと困ると思っていたモノは、無くても困らないモノになり、無いモノになった。
たまに思い出し、忘れた事さえ忘れるようになり、また思い出したりした。
そうやって多分、僕達は強くなった。

其れでも、不意に。
あの頃の僕達の弱さや、儚さが、
美しいモノだったような気がする瞬間があるよ。

まだ在るモノ。
忘れていく、僕達の何か。
せめて忘れないように、打っておこう。

「$」
■記憶

我がパソコン、帰還せり。

データは全て消えている覚悟で出迎えたところ、
消えるどころか全てそのまま残っており、拍子抜けした。

失われたと思っていた何かが、実は失われていなかった事への、安堵と落胆。
この相反する感情が両立する事を、呑気に佇む我がパソコンを見て体感した。
終わるなら終わるで覚悟は出来ていた。悲しいけれど私達、これでお別れなのねと。
今までの記憶が消えてしまうのは悲しいが、気持ちを新たに、また積み重ねようと。
そう、後ろ髪を引かれながらも、気持ちは既に明日を見ていたのである。

しかし記憶は失われていなかった。
何一つ失われず、あの日のまま、静かに其処に佇んでいた。
この安堵。――そして再び記憶を背負い続ける事への、浅く淡い落胆。

喩えるなら、そう。
漫画『ドラゴンボール』にて、前篇で死んはずのフリーザが、
セル編の冒頭、サイボーグ化して生きていた時の、あの安堵と落胆に似ている。

……今の喩えは酷かった。自分の貧困な喩えに落胆した。
記憶から消去したいが、そういう訳にもいかないので、これもまた背負っていこうと思う。
■人生

人間、単純が一番である。

複雑なモノを複雑に扱えば、
更に複雑になるだけである。
しかし大抵の真実は、決まって常に単純なのだ。

人生は複雑に絡まり合う道のようだが、
複雑にしているのは自分自身でもある。
出来るだけ単純にいきたいものだ。

薬を飲むと眠くなり、珈琲を飲むと眠れなくなり、
オロナミンCを飲むと元気になる人間で在りたい。
■体温

毎日、暑いです。
毎日、アイス・コーヒーを飲んでます。
甚平を着て、風鈴を飾り、団扇で涼を取ってます。

何時だったか僕は、夏が何よりも嫌いでした。
何時だったか僕は、カーテンを閉じた薄暗い部屋が好きでした。
何処に行く必要も無かったし、何処に行きたいと嘯くのも自由でした。

ああ、散歩をしたい気分です。
今は窓を開けて、吹く風を感じているのです。
カーテンを揺らし見える景色を、その静かな色と体温を、愛しいと思うのです。

薄っすらと汗を流して。夏の空気を吸い込んで。
■誤字

最近、後輩の誤字が気になっている。

信じられない誤字脱字をする後輩がいて、
冗談でもココまでは間違わないだろうというレベルなのだけれど、
本人は至って本気なので、失礼ながら毎回、楽しませてもらっている。

どのくらい信じられないレベルかというと、
平仮名の「お」の最後の点を打ち忘れて「す」みたくなっていたり、
「お礼」と書こうとしたものの、最後の最後を書き忘れ「おネ」となっていたり、
おおよそ小学四年生でも間違えないような、重度のウッカリ具合なのだ。

先日は「おちつけ!」と書かれたメモ書きを発見したのだけれど、
よくよく見ると「おつちけ!」と書かれていた。
全然おちつけてなかった。

心の中で「まずお前が落ち着け」と、そっと呟いた。
■言葉

初めて「それ」を言葉にしたのは、何時だったかな。
そんな事をフと考えて、過去に書いた日記を振り返ってみた。
毎日のように日記を書いていた頃に、そんな事を書いた記憶があったから。
すると2007年05月16日の日記の中で、どうやら僕は「それ」を初めて言葉にしていた。

「ラジオがやりたい」

それは、そんな、ほんの短い言葉だった。
中学時代に憧れたラジオという世界に、自分も入ってみたいという素朴な想いだった。
もしかしたら、もっと前にも、何処かで想いを言葉にしたことはあったかもしれない。
だけれど多分、そのどれもが単なる夢物語で、とても現実感のある話ではなかった。

口が達者な訳ではなく、活舌が良い訳でもない。
文字では饒舌だけれど、僕は人見知りで、面白い事は好きだけれど、人前は嫌いだ。
それでも表現者として生きて往きたいと願う時、僕には絵や、詩や、小説や、
何物にも代え難き言葉という武器があり、それから憧れの場所として、ラジオが在った。

2006年の大晦日だったか。
日記に「ラジオがやりたい」と書く、少し前。
僕は友人に誘われて、初めてネットラジオというモノに声を乗せた。

今思えば我ながら、新年早々、深夜に何をやってるんだと思う。
だけれど、あの時の小さな衝動、小さな感動を、僕は今でも思い出せる。
そっと掌に宝物を乗せてもらったような気分だった。
それで僕はラジオへの想いを強くした。

フツフツとした小さな衝動は、最初は文章に表れた。
2007年05月16日に初めて「ラジオがやりたい」と言葉にした僕は、
その一年間「文章でラジオを再現してみる」という試みを、何度も行った。
簡単にいうと、ラジオのお喋り風な文章を書く、というだけのことなのだけれど。

そして2008年11月1日、自分でラジオ番組を立ち上げた。
まぁ単なるネットラジオだけれど。
本物のラジオを作っている人達に申し訳なくて、
わざと「オンライン・ラジヲ」と呼んでいた。
ラジオ、とは別物なのだと。

2009年になると、いよいよ僕はあまり文章を書かなくなった。
詩や小説はおろか、毎日のように書いていたmixiの日記も、ほとんど書かなくなった。
恐らく「言葉」というモノに対する僕のスタンスは、この時期から緩やかに変化していた。
あれほど仲良しだった虚無や、衝動や、孤独は、ゆっくりと遠い存在になった。

それに伴って、僕が文章を書かなければならない理由は、消えていった。
僕は満たされない何か、欠けてしまった何かを埋める為に、言葉を書き続けていたのだ。
自分が狂わぬように、壊れてしまわぬように、僕は書かずにはいられなかったのだ。だから、
書かなければならない理由が消えていけば、もう僕には書き続ける理由は無かった。

それでも、僕の中でフツフツと煮え滾り、何処にも消えない感情は在った。

僕は言葉が好きだ。
僕は言葉に救われ、言葉で他人と繋がろうとしてきた人間だ。
だから言葉を伝えたい。届けたい。他人と繋がりたいと、やっぱり今でも願う。
言葉は、その為に在る。

半煮えみたいな状態だった僕に、声をかけてくれた人がいる。
それは僕が中学生だった頃、夢中になって聴いたラジオ番組のパーソナリティーだった人。
MARUさんだった。

2010年5月22日。
僕はMARUさんの番組にゲスト出演させて頂いた。
ほんの数分の体験だったが、ラジオ少年だった僕には、夢の中のような時間だった。
あの日、僕の中の何かが、再び静かに動き始めるのを、僕は感じたのだ。

2010年12月13日。
Radio-D FMドラマシティ 77.6MHz。
明日の18:00から、僕のラジオ番組が始まります。
憧れ続けた「本当のラジオ」です。

僕は言葉を使って、次の場所に進みたい。
満たされない何か、欠けてしまった何かを埋める為に、
狂わぬように、壊れてしまわぬように、書き続けていた僕だけれど、
理由が見当たらなくなった時に、必要は無くなって、それでも出来損ないの言葉だけ残って、
それを拾い上げて僕は、誰かの為に、いやどうかな、少なくとも僕が信じる世界の為に、
今度は言葉を、電波ってヤツに乗せてみようと思っている。

また言葉を、飛ばすんだ。

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【Orange Moon Re:Light】

Monday 18:00〜19:00
Radio-D FMドラマシティ
77.6MHz
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サイマルラジオ(→http://www.simulradio.jp/)にて全国にも配信中です。
インターネットを通して、地域外の方でもお聴き頂けます。
宜しければ、お付き合いくださいな。
■春

春。新生活。心機一転。

ブログをリニューアルしましたよ。
昨日のラジオでは「新生活」をテーマに話をしました。

僕の住んでいる町も雪解けが進み、
久し振りの地面が顔を出し、春の匂いがしてきます。

憂鬱な出来事が、無い訳では無い。
つまらないことや、くだらないことで、一日を無駄にしたり、
一日を無駄にしたなと、また悩んでは、一日を無駄にしたり、
僕も、もしかしたら君や、誰かも、ぐるぐる回るような毎日ですね。

それで僕は、早起きしてブログをリニューアルしてみました。
それだけの話なのですが、何となく、話してみたくなったのです。
溶けるように柔らかな、春が、また始まります。
■秋

窓辺に飾っていた風鈴を下げた。
気が付けば夏は過ぎ、近所の神社では祭。
すっかりと、秋の匂い。

この一年で変わった事はあるだろうか。
言葉を書く代わりに、週に一度、マイクの前で話すようになった。
出不精だった過去が嘘のように、色々な場所へ出かける機会が増えた。
何も無かった場所に、少しだけ何かが在るようになった。

だけれど特別、何かが上達している感覚がある訳ではない。
只、当たり前の日常を積み重ねている。
淡々。粛々。平々凡々。

昨日、我が家はカレーだった。
カレーが美味ければ世界は平和だ。
だから昨日、我が家はきっと平和だった。

窓辺に飾っていた風鈴を下げた。
気が付けば夏は過ぎ、もうすぐ月で兎が跳ねる。
しっとりと、秋の匂い。

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