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広き心耳な音コミュの第5楽章

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日付が変わる頃、僕らは店を後にした。彼女の後ろ姿を視界に入れつつ、傾斜のある店の階段を昇った。

「まだ肌寒いわね」

「…………」

「タクシー拾うよ」


[タクシーを拾う]は僕らの暗黙のルールで[今日は帰る]という意味になっていた。そうでない場合、店を変えて飲み直すか、ホテルに行くということになる。実際は帰る方向は同じなので相乗りして行くのだが、それ以上のことは今日はしないという合図だ。
僕は一人になりたかった。頭の中にモヤがかかっているようだ。今日一日の出来事なのに、随分いろんなことがあった。しかし、同時にその全てが不透明な磨り硝子のようにぼやけて詳細がつかめないことに苛立ちを感じていた。
頭が重たい。僕の体は重心を失いフラフラとしていた。

「割増」という表示をつけたセダンタイプのタクシーが目の前に止まった。後部座席の扉が開き、僕らは体を滑らせた。
シートに深く沈み込み行き先を告げると、音もなく車は走り出した。
僕は夢と現実の区別もつかず、ドロドロとしたものに包まれているようだった。見るともなしに外を眺めていた。街灯が定期的に顔を照らす。
リョウコは何も言わず、横に座っていた。


「着いたわよ」

「・・・・・・。」

気がつくといつも下車する場所に着いていた。
まどろみながら支払いをすませ、僕らはタクシーを降りた。

「じゃあ今日はこれでね。ただ1つだけお願い。家に着いたら連絡して。メールでも何でもいいから。お願い。」

その発言にはイラつきを感じた。子どもに相対するような過剰な心配は、僕の体温を瞬間的に1、2度上げた。家はもう目と鼻の先だ。100メートルもない。角を二つ折れれば着く距離だ。ただ言い返す気になれないので相づちで済ませた。

「・・・じゃあね。」

「ああ。」

僕らは互いに背を向けてそれぞれの家路につく。リョウコのあまり高くないヒールが、アスファルトと一定のリズムを奏でている。メトロノームのように、同じ間隔で刻まれるリズムに異様な心地よさを感じ、催眠術にでもかかったように、まぶたが垂れてくる。ゆっくりシャッターが押されるように闇と町並みが交互に訪れる。道の真ん中を歩いていたつもりが、シャッターが開くと電柱が目の前にあり、危うくぶつかりそうになった。

僕は目を醒ますために、ほほ叩き、目をこすった。いくらか意識もハッキリしてきたので、気を取り直し家路を急いだ。ヒールの音は止んでいた。

風雨にさらされたままの選挙ポスターが張り出されている角を右に曲がりながら、家の鍵を取り出そうと鞄の中を探す。

しかし鍵は見つからない。それ以前に僕は鞄を持っていなかった。ハッとし、冷や汗をかいた。何処に忘れてきたのか思慮をめぐらせるうちにさらにハッとした。


右側に八百屋と街並み、左側には背の高いビル。
そこには、あのマチが広がっていた。

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