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◆ ユニバーサルデザイン ◆コミュの”障害者”という言葉。

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身体的、または精神的に何らかの特徴がある方を、
”障害者”といった言葉で区分していますが(あえて、一般的に用いられる表記を使います)。

”障害者”と区分されている方々が、生活を行う上での”障害”は、実は、周りの環境が作り出している・・・とはいえないでしょうか?。

つまり、周りの環境から障害を被っている”被障害者”なのではないかなと思うわけです。

ユニバーサルデザインとは、”被障害者”の”障害”を取り除いてゆくデザインではないか?と、思うのですが、皆様の御意見はいかがなものでしょう。

コメント(13)

その通りだと思います。
誰もが使いやすい設備ならば、障害ではないのですから…。
手や足が動かなくとも、きちんと整備すれば問題ないのです。

そもそも、障害者と一括りにされる事に疑問を感じますが。
こんにちは。高知県で建築士・福祉住環境コーディネーターとして活動(仕事&NPO)しています。
実は私自身、下肢に障害もあります。身障手帳も持ってます。

私はこう思います。
もちろん、在宅だけでなく街全体の環境が整備されれば、障害をお持ちの方もバリアを感じずに生活できます。
ただ、障害者・高齢者のための環境整備ではなく、健常者も含め”誰もがともに暮らせる”環境を目指すことが本当のユニバーサルデザインではないかと考えます。
よくサービス業の店舗で「障害者のためにバリアフリー整備しています!」とうたっているところがありますが、そんなところ行きたくないという意見も多いのです。当たり前であるはずのことを、押し付けがましく表にかかげられたら・・・例えば一般的にも「あなたのためにしてあげたのよ!」と言われたら気がひけますよね(^^;

ただ眼に見えた障害を持つ者を「障害者」というくくりで呼んでいるだけで、様々な苦労や精神的な傷、問題を抱えて生きている人はこの世の中にたくさんいて、むしろその方が辛いという状況もありえると思います。
つい障害を持つ者も自分の苦しみばかりに囚われがちですが、さまざまな人がいて、その誰もが暮らしやすい環境を目指そうとした時、ハードの整備だけではなくもっとソフト面で、思いやりあったり、ゆずりあったり、理解しあったり、不便な環境にあっても現状を工夫していく部分も大切だと思います。
大掛かりに環境を整備してしまわなくても、障害を持っていても、福祉用具や自助具、介護サービス、障害への理解、周囲の人々のサポート・・・いくらでも暮らしやすくなる方法はあることを知って欲しいですし、発信していきたいと思います。
障害を持っていても、工夫すれば自分らしく生きがいを持って住み慣れた環境の中で暮らし続ける事ができる。
それが本当のユニバーサルデザインではないかと、私は思います。(^^)
長くなってすいませんでした!m(__)m
Izumiさんの言葉を見てはっとしました。
ワタシは大学の卒論で、ユニバーサルデザインについて研究をしました。

確かに「当たり前のこと」ですよね。

実際に「障害者のために整備してます」っとかかれてあるのをみたら・・・。
「いいことだ」って思ってたと思います。


ワタシもソフト面でのケアをもっと重視すべきだと思います。
確かに介護しやすい環境や自立できる環境などを作ることは
大切なことだと感じますが、ハードに頼りすぎかと思います。

それだけ、手を差し伸べる人が少ないといわれればそれまでですが、tsuzukeyさんのいうようにどんなに環境が整備されても理解なしでは返って使いづらい物になるように思えます。
「ボランティア」って言葉を思い出しますね。
そんな言葉が障害者を「区別」しています。「差別」と「区別」はコインの裏表みたいなものじゃないのかなあって、ぼんやりと考えています。
「ボランティア協会」という建物がありまして(日本船舶振興会99%出費、県から1%というのがなかなか、おへそがお茶を沸かしちゃってなんとも)仕事がらみで行っていましたが、知り合った女子大生と「これって当たり前の事じゃねえの?」と意気投合しました。身のまわりで困っている人がいたら、手を貸してあげる。相手の立場を素直に確認して、「同じ人のように」付き合う。
それが出来ないのなら、生きていく資格はないわな。
わははははははははははと笑っていたらこの建物のボスが来て、「日本ではまだまだボランティアです」と、怒られました。
助ける側と助けられる側では、助けられる側が弱く、下で、助ける立場の人は上位に立ち、自己満足を得、他人からも評価されるという公式が成り立っています。
私はずっとこの事に疑問を抱いてきました。

ボランティアをする人は立派だ、と言われますが、本当にそうなのでしょうか。

弱い人、障害者と呼ばれている人、困っている人を助けてあげる、”してあげる自分は親切”というスタンスではIzumiさんのおっしゃるように押し付けがましいデザインになってしまうと思います。

たとえば、背の低い人でも使えるキッチンとか、他県や海外から来た人、焦っている人でも利用しやすい駅など、そんな視点から総合的に、では車椅子の場合は?視力が弱い場合は?など考えて行けたらいいと思っています。
インドのある地方では助けた人が「ありがとう」という言葉を使うそうです。いい気持ちにさせてくれて、という意味で。

ユニバーサルデザインという言葉がつくだけで一般のプロダクトとは区別されがちですが本当はどんな製品にも少なからずあるものだと思います。

ユニバーサルデザインと唱っている製品を本当に欲しいと思いますか?ユニバーサルデザインと唱っている製品で自分の部屋を一杯にしたいと思いますか?

皮肉にもユニバーサルデザインという言葉が一つの障害になっていることに気づきます。


一昔前はユニバーサルデザインとはバリアフリーと混同されがちで認知度もすごく低かったですが、情報の発達により、ユニバーサルデザインはどういうものか、以前よりは認知されてきたと思います。


ちなみに「障害者」よりも「障がい者」の方が正しいようです。
みなさん。コメントありがとうございます。

Izumiさんや、ぐっぴいさんの仰る通り、ただ障害を取り除くだけなら”バリアフリー”ですね。

そこに”誰もが使いたくなる魅力”が備わってこそ、”ユニバーサルデザイン”なんですよね!

”ショウガイシャ”の表記も話題に上ったようですが、ここでは生活してゆくうえでの障害・・・と言った意味も含めて、”障害”の文字を使いました。ただ、この言葉もなんとかならないものかなぁ・・・と、常々考えています。

Tsuzukeyさんの仰るように、いくら設備や環境がよくなっても、社会の理解がないと役に立ちませんよね。誘導ブロックの上に駐輪、駐車・・・などなど。
また、理解不足による不便(手すりの位置、誘導ブロックの色、設置場所など)もあげられるかもしれません。

まだまだ御意見おまちしています!
>インドのある地方では助けた人が「ありがとう」という言葉を使うそうです。
>いい気持ちにさせてくれて、という意味で。

う〜ん含蓄のあるお言葉。コウヘイ様。

貧乏学生だった頃、代々木八幡の「モスク」へ友人と行きまして、いいのかなあ、入ってもいいのかなあ、と入り口で右往左往していましたら、明らかに「ムスリム」と一目でわかる人が話しかけて来てくれて(ものすごい英語、フライデイをファラデーなんて言う)ムスリムは入り口から入るとポケットに手を突っ込み、硬貨と札を引き出して壺の中に入れました。私たちはどうしたものかと議論していたら、ムスリムは「あんた達はプアーなスチューデントだから入れる必要はノーグッド」という事で入ることが出来ました。
モスクは前の方に古いけどきっととんでもない値段だろうと思われるすり切れた絨毯で、グラディーションのように後ろに行くほど安っぽくなって、私たちの座る(これがもうめちゃくちゃひどい座り方で一分が限界)場所はビニールの筵でした。
さぞかし前の方には裕福な人がと目を凝らしましたが、明らかに貧乏な老人ばかり。そうなんですね。イスラム教では金持ちより徳を重ねた人の方が偉いんです。
ヒンドゥー教もイスラム教も、法律より宗教が優先されます。
バリアフリーとは、「取り除く」考え方で、ユニバーサルは「創造する」考え方で、前者はマイナス、後者はプラスの考え方で理念としては正反対ですが、イスラム教とヒンドゥー教はこれに良く似ています。ただ一つの神である真実を求めるイスラム教はユニバーサルの妥協無き姿であり、世界の全ての神を飲み込んでしまうヒンドゥー教はどんな異国の神であろうと「ヴィシュヌ神の化身」として「飲み込み」、無いことにしてしまいます。そう、そこの段差をスロープにしたのはヴィシュヌ神の一つの姿であります。
まあ随分無茶な考えですが、このくらい飛躍した方が面白いじゃないですか?バリアフリーもユニバーサルも、利用する人が「楽しく」なくちゃあね。

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