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江戸幕府コミュの幕臣・小栗上野介忠順

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小栗上野介忠順

 幕末に活躍した幕臣(旗本)。万延元年、通商条約批准書交換のため遣米使節団の一員として渡米。後に、外国奉行・勘定奉行・軍艦奉行等を歴任。斜陽の幕政のために尽力する。中でも横須賀に製鉄所造成に貢献した。
 鳥羽伏見の戦い後、徳川慶喜に対して薩長軍との徹底抗戦を主張するも容れられず、罷免される。その後、領地の上州権田村に隠棲するが、官軍に捕えられ、家臣らと共に斬首された。

 幕末の混迷を極めた時代に、凡庸な幕閣をしのぐほどの知性と意欲を持って、幕政に邁進した上野介。旗本の中でも名家であり、その誇りをかけて傾きかけた幕政を立て直そうと努力します。
 しかし、その一途さゆえ徳川慶喜から疎んじられ、対薩長軍主戦論を唱えたため、突如罷免。領地の権田村に隠棲したところを、東山道鎮撫総督府に捕えられ、すぐさま極刑が言い渡されました。上野介は一言の言い逃れもせず、従容として死地につきました。

 薩長主導による新政府の政治は、実は開国後の旧幕府が目指した方針を引き継いだものも少なくなく、多数の幕臣が下級官吏となり、政治の下支えをしてきたことはあまり知られていません。
 残念なことに、小栗は新しい時代を見ることなくこの世を去りましたが、明治維新後の急速な近代化の流れの中で、見失われたもの、忘れ去られた人々を今この時代だからこそ、改めて見直す必要があるように思います。


 写真左 小栗忠順の胸像
 写真中 小栗の墓
 写真右 小栗が葬られている高崎市「東善寺」

コメント(7)

どうも上野介の官途を得た人は、吉良サンと言い、ロクな事になってませんねえ…。
 大審問官様

 御意。。。呪われた官職なのかもしれませぬなぁ…。
> 大審問官 さん

その役職は当時から不吉だからと嫌がられてたと聞きます…。


小栗上野介を語るときに、アメリカとの通貨交渉、兵庫商社、横須賀製鉄所の話は外せませんが、私個人はマニアックに走って、小栗上野介と勝海舟が同じ流派の剣術を学び、一時的に同じ道場に通っていた可能性があるのを面白いと思っています。
 直心影流・島田見山でしたっけ。男谷精一郎つながりですねー。
当時の殿様の多くが、側室とかを当たり前に持ってた中で、小栗公は1人も側室を持たず、正室一筋だったようですね。
 そういったところが好感が持てます。
 
>ナガセさん

 小栗には、彼自身が几帳面につけていた家の家計簿みたいなのが残っているんですが、それを見ると、お妾さんと思われる女性へのお手当ての記録のような記載があるんです。正妻に子供がなかなか出来なかったので、そういう側女も一人や二人いた可能性もあります。
 ですが、長続きはしなかったみたいです(笑)。
 >大審問官さん
 確かに本多上野介正純も秀忠治下では不遇でしたね。

 日本海海戦の後、東郷聯合艦隊司令長官が「我々が勝てたのは小栗上野介のおかげだ」といったそうです。確かに横須賀を海軍基地として整備したのは小栗上野介ですもんね。

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