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悟コミュの人はなぜ人を批判してしまうのか??

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はじめてトピというのを立ててみます!

人はなぜ人を批判してしまうのか??批判、誹謗、中傷、挑発、、等、なぜ傷つけ合おうとするのか??

僕の理解してる一つにエネルギ〜の奪い合い現象があります。

たとえば自分と違う、理解できない事に対して、恐怖や不安から勝手にエネルギ〜不足(ネガティブな感情)になりそれを満たすために相手をへこませたり、怒らせたり、不安がらせたりしてオレが正しいといわんばかりに安心感、優越感などで自分を満たそうとする。。愛が足りない時に見られがちで、みなさんも経験してる割と日常的な現象だと想いますが、、

他にもいろいろありますよねぇ!

みなさんはどう思われますか〜!

ちなみにここでのそういう書き込み(批判、挑発など)は絶対やめましょうね!!
念を押します、そうとられる様な発言はこのトピではやめてくださいね〜♪

コメント(77)

はじめまして。
私もずっとこの批判のことを考えていました。
特にスピリチャルと自称する方々のそれは目を覆いたくなります。

私の今のところの答えは…

「自分の存在は、自分を観察する客観的な目が必要」

とボーアの量子論はいいますが、
(つまり、他人の存在がなければ、自分の存在は確かでなくなる
 という相補性。自然観。道教の陰陽思想がちかいかも〜)

これに対するマインド(思考)のあがきが理由の気がしています。

マインドは、弱肉強食、自然淘汰など
今はもう役割を終えつつある生存問題をベースにした
人類の集合意識の支配下にあるので、
他人がいなくても、自分は存在すると言いたい。
したがって、自分の中の、
マインドが支配する割合を減らしていけば
他人を批判する必要がなくなる。

というのが途中経過です。
いかがでしょうか?
「他人を批判する奴なんかゲス野郎だっ!」・・とまあ冗談はさておいて・・、

他人を批判したがるのは、批判する事が同時に、いとも簡単に、オイシイ自己肯定に繋がるからだと思います。
HI☆YO(♀)さん、、はじめまして!
そうなんですよねぇ、どうも我々はけなす方が楽だと勘違い(刷り込み)させられている...。誉めるというシンプルな当たり前の喜びをこれからの子供たちに見せて往きたいですね。。


宿り木(明)さん、、はじめまして!

>他者を陥れるということは動物的な本能でしょう

ですよねぇぇ、、人間は動物ですもんね。。
ところが霊長類という霊の長でもあるんですよね。
霊、魂の世界では「本質的な愛」が基本だと想うので、まず見えない世界がある、、いわゆるスピリチュアルな世界があるという事実を知ることが、愛で本能を包み込み、優しく余裕のある人間になるために有効かとも想います。


ダイサクさん、、どうもで〜す!
突っ込んだつもりはありませんですよぉ。。苦い想いさせてすんませんでしたぁぁ!!(笑)


♪HAREYAさん、、はじめまして!

>「自分の存在は、自分を観察する客観的な目が必要」

ですよねっ!この辺に深く氣づけば、批判等のネガティブなエネルギー循環の不毛さが理解できてくると想いますね。しかし不毛もまた、それに氣づくために経験しないと解らないし...

>マインドが支配する割合を減らしていけば 他人を批判する必要がなくなる。

そうなんですよね!割合を減らす事で深い繋がりに氣づきだすんですよね。素晴らしい途中経過ですねっ♪^^

>スピリチャルと自称する方々のそれは...

僕も氣をつけたいと想います〜(^^;)


アキラ@今さん、、どうもでっす!
そうそう、自己肯定=自我肯定、して安心したいんですよね。。
分かり合う、分かち合う、理解しあう、というもっともっとオイシイものがあるのに、、ですね!
はじめまして!
『エネルギーの奪い合い』まさにそうですね。
それは都会にいるとひどく感じます--;
ぼくもそれなりにセルフコントロールが向上してると思ってたんですが、最近よく意見を(物作りをしてるんで)否定までされ、中にはひどい中傷、嫌みを残してさる人と遭遇する。
よく考えれば結局、言うだけの人は結果や実績を残してないので、自分の中ではそうやって処理しちゃいますね。
でも傷つきますが^^;

安易に情報が入り、理解してるけど実践に移しきれてないというのが現代(都会)の特徴ではないでしょうか?

無い物ねだりが現実に移しきれないときのストレスがネガティブを発するのかな?

複雑してすいません^^;

やはり大自然からの愛は偉大です。
ryu-jingさん、、はじめましてっ!

>理解してるけど実践に移しきれてないというのが...

よくあるパタ〜ンですよねぇ、、もちろん自戒もこめて^^;
ストレスがネガティブエネルギ〜を作り出し、それを自分や人に対して発散してしまう。。

そうなる前に大自然に愛に行きたいですよねっ♪^^


祈るさん、、はじめましてっ!

執着=苦悩ですよね〜!
まだまだ沢山手放したいですね〜。とりあえず愛を祈りますっ!^^
繋がろうと意識する⇒対象を理解しようとする⇒愛するというエネルギ〜が出てくる⇒本質的なポジティブエネルギ〜の循環⇒ヒ〜リングされる⇒切れていた所が繋がる⇒氣づきがあるっ♪^^

こんな感じで往きたいです!全てに。。
Frogさん、、そうですよね〜、棄ててしまいたいものは沢山ありますよね〜!
自己にある批判誹謗中傷等のネガティブなエネルギー...

自己を放棄ではなく豊氣(ほうき)、、豊かな氣で自己を理解(愛)する、、すると自己が愛に満たされて足引っ張ったりの悪戯もしなくなる、、なんて想いました。

ネガティブな感情って、小さい子供と一緒で、注目されたいから出てくるエネルギーもあるんですよね。その存在に氣づいて愛して、癒してあげると、満足して消えてしまったりする事もあるんだと想います。
里芋さん、Frogさん、、こんにちは♪^^


そうですよね、、みんな注目されたいんだと想います。

注目=愛エネルギー だと想います。
大人も子供も、「もっと私に愛を向けてくれ〜!!」という感じでしょうか(笑)
ネガティブなものの本質的な意味や作用って「光に還りたい」ということだと想像します。

「注目されたい」=「光に還りたい」

本質的なポジティブな愛があれば、全て光に還ることが出来ると理解しています。

毒の無いポジティブとなら中和するんですよね。
注目されたい、のメカニズムにエゴがあると思います。エゴは注目をエサとして生きている。他人の注目がないとやせ細ってしまう。死んでしまう。そういう面もあるんではないかと見ます。

注目を求めるのは赤ん坊の時からのサバイバルテクニックの名残りという気もします。注目されねばオッパイもらえない、世話をしてもらえない、庇護してもらえない,etc、、、。それがエゴに深く組み込まれてエゴの大きなエンジンとなる、みたいな。まったく無意識に当然のようにサバイバルと関係してるからやっかいだと見ます。
Frogさん、

>幼いころに散々甘やかしてあげると、自立が早いと聞きます。

甘やかすの質によると見ます。変な甘やかされ方をした子はワガママのエゴイストになったりするケースもある。

>エゴが強くなるということは、自立を急かされ、甘えることによって図れるコミュニケーションが不足したのかもしれません。

面白い視点です。その場合の甘えは=愛情ということだと見ます。

>そして、今、大人になっても足らぬものを満たそうと足掻くのだしょうか。

愛情欠乏、触れ合い欠乏、みたいな。

>それは、言い方の違いで、もっと私に愛を向けてくれ〜!!光に還りたいと言う事と同じ意味合いの主張のようにも思えますね。

例えば悟った両親に育てられた子はそういう欲求不満は無いのではないかと見ます。

一方無明の両親のエゴの混乱の下に育てば(ほとんどの人類はそうですが)いろんな欲求不満が鬱積した人間にならざるを得ない。もっと注目してくれ、とか、他者批判に異常にやっきになるとか(これも注目願望の発露でしょう)

要は人間の先輩たる両親の質が大きく関わっているように見ます。(しかし両親もその両親や時代のノリの影響下にあったわけで責任を追求するわけにはいかない)結局「それ=エゴ=無明の影響を脱する」のは自分にかかっているようです。
Frogさん、

>自分にかかってるとも言えるし
>人に掛かってるとも言えるのでしょう

いろんな影響下で暮らしてますから、他人の影響もモロにありますけどね。しかし他人がどうであれ自分次第と言えたなら、他人の影響は脱しているといえる。つまり自由になったと言えるんではないかと思います。

>自他一体というか・・そんな感じで

この意味は分かりません。
アキラ@今さん、、そうなんですよね。お腹に宿った時点からエゴは始まるのかもしれないですね。エゴがエサとして一番望んでいるのは、やはり愛というエネルギーなんだと想います。
たとえば物質的な栄養だけを与えられていても、心はやせ細って病氣になってしまう。
無意識に当然のように必要なのは愛なんですよね。
そこに自我が氣づいていけば、「人のせいにしてもしょうがない!全ては自分が愛に氣づくために創り出している!」と思えるんだと想います。


Frogさん、、自分はもうすぐ一歳になる息子の子育て中なので、甘やかしたほうが自立が早いという意見は凄く参考になります♪^^ありがとうございます!
でも間違いなくそうなんだと想います。もちろん偏りのない「本質的な愛」で甘やかすという意味で。
いつも自他一体していたいですね。


HI☆YO(♀)さん、、ですよね!そのプログラムを自分が魂の時に決めてきてるということですよね。

認め合う=お互いを理解する=本質的な愛を学ぶ

自我と魂、自分と相手、自分と宇宙、ポジティブとネガティブ、、等、全て、、認め合おうと、理解し合おうとすることで、本質的な愛というエネルギーが流れ出すんだと想います。
そしてそれを流せば流すだけ、愛が自分に流れて来るんだと想います。
初めましてみこです。

このコミュの書き込みレベル高いですね。
(っていうと間接的に他のコミュへの否定か?)
目に見える現象とか言葉が同じでも内容がまるで違うことあると思います。

論理的に見たら正しい事言っている人と間違った事言っている人の争いなんだけど、エネルギー的な観点で感じたら、間違った事いっている人が与えていたりとか・・・



極端な話殴ってるんだけど愛だとか。

で、もう今現在、修正しなければならない状況、部分ってのは自分にも他人にもあると思います。今の所無いって人は見た事ないです。(現実の世界で)

で極端になってしまっている場合はその人を愛せるなら、自分を犠牲にしてもいいなら現実的には否定しあい、ぶつかり合うプロセスを通らなくちゃならない事もあると思います。

ワンネスであり本質的な事言えば愛し合い理解しあえているじゃないですか?すでに。

でも現実でそれを具現しようとしたら、本当の意味で関わり合える人はそんなに多くなくて、そんな人と関わる痛みがとても大切なんじゃないかな?っと思っています。

そこで手を抜いたり、争いは嫌いとかって逃げ出したくないですね。

へこみ、へこませ、お互いけずれて、ピッタリ合うみたいな・・・
みこ、、どうもで〜す♪^^


>エネルギー的な観点で感じたら、間違った事いっている人が与えていたりとか・・・

そうなんだよね〜!
お互い身を削って全身全霊で氣づかせ合っているんだよね〜!

>極端な話殴ってるんだけど愛だとか。

あはは〜!殴らなくても良い世界にしたいですね〜♪

>今の所無いって人は見た事ないです。

逢ってみたいですねぇ。(笑)

>争いは嫌いとかって逃げ出したくないですね。
へこみ、へこませ、お互いけずれて、ピッタリ合うみたいな・・・

逃げたくないのにね〜〜!
自己や自我の争いからは、つい逃げたりしてしまっている...(笑)

争いから逃げるのではなく、争わずに争いを包み込めたらいいよね〜!
へこんだところは、本質的な愛エネルギーで膨らまし合うとか、削りたい所は手当てやヒーリングをするように、やさしく氣を出して撫でてあげるとか。
自分の中に真実があると感じるからこそ他人の中の真実を感じ尊重できるのでは?
誹謗中傷はどうかと思うけど、批判で別にいんでないの。
自分の中の弱い部分を見てしまうからではないでしょうか手(パー)
批判するのは、心が愛で満たされてない時が多いので、嫉妬ととか恨みじゃないですかね。
後は、自分が疲れてたりして八つ当たり(笑)。
自分が正しいと言うのは、思い込みだと思うので、自惚れや、自信過剰にも、批判が起こると思います。
広い心で愛があれば、批判は無いと思う。
政治関係なしで、考えてみるとか。
単純に自分が一番正しいと思ってるからだと思う…
しかし否定はしても良いが、批判はいけないなぁバッド(下向き矢印)
私たちは、無条件で自分を認める(愛する)ことが出来ずにいます。
だから、何かに頼って自分を認めようと(自信を持とうと)しています。
地位や名誉や、財産、他との優劣、価値観などに頼って、自分の存在価値を認めようと努力します。

その、自分を認める支えとなるモノ(地位や名誉や、優劣、価値観など)が、
脅かされるようなモノに出会ったときに「自己を否定する対象」として認識してしまい、
それらに対して、無意識のうちに嫌悪や怒りや恐怖を抱いてしまうのではないでしょうか?

ペンギン
自分と違う環境に対する、理解。

それが難しいからかな?

大好きで愛してるから!もっと良くなって欲しいから!チャンチャン。
6年以上前に議論が停止して居るトピックですが記述を。

ヘイトスピーチとカウンター
言い負かし合い・罵り合い・揚げ足取り・印象操作・悪意ベースでの解釈
そして憎悪と暴力の影をチラつかせての言論封鎖
こんな事柄が感じられる今こそ
こう云うオープンな場で相手を懲伏させる様な意気で臨むのでは無く
何故そう考えるのかの相互理解(受容は別の段階として)の手段で話せたら素敵です。

憎しみや怨嗟での拒絶はもう飽き飽きです。
生まれてから肉体が滅するまで批判し合うなんて修羅界の住人みたいではないでしょうか。
相手が此の今居るステージから死を以て消える事で解決や心の平穏を求めるなんて
余りにも短絡的ですし、幾らでも居る後釜が出てくれば
またそんな事の繰り返しでは不毛過ぎないでしょうか。

他者以上に優位に立ったり、仮想敵にした相手を打ち負かす事で
快楽を感じる事が有るのは否定しません。
スポーツの試合で勝つ感覚を歪んだ場面で適用させようとする人は
残念ながら溢れる程見かけます。
まるで「負のプラスエネルギー」をあさましく貪るかの様です。

どうにかして「良いエネルギー」だけを食み満たせる能力や方法が提唱され
困難・難解な修行無くして実現出来るならば、
他者を批判したり攻撃して得られるエネルギーを得ようとする事は
今よりは減るのではとの希望的観測をしています。
老年以降の悟りは退化の脳内美化
悟りは中年までがピーク なんちて ほんとかよ ほんとかもよ
悟りも瞑想も神経空間ですからね

全ての悟者は加齢と共に退化してゆく
真理を求めて議論するのだが、
真理に合意がないから、批判となり、単なる論争に落ちる。

仏陀の空の悟りは、年令と共に深まる。
目標は、如来、涅槃。
相手を批判するのは人間だからじゃないですか?
批判する動機は様々あるかもしれないですけど、
批判する事で何かを見つけたり気付いたりする事も有ると思いますから、批判する事それ自体は全然構わないと思います。

ただ、自分があんまり批判されたら嫌になりますけど(笑)

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