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F1道(2010年度復刻版)コミュの【15回忌追悼企画】アイルトン・セナとローランド・ラッツェンバーガーに捧ぐ

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1994年4月29日、サンマリノGP


F1界にとって最も衝撃的な、そしてあまりにも悲し過ぎる
「悪魔の週末」
が始まった…


4月29日の金曜日、当時予選初日と予選2日目で分けていたルールだった為、この日はレースのスタート順位を決める最初の予選だった。
ジョーダンのルーベンス・バリチェロはヴァリアンテ・バッサシケインで時速140マイル(225キロ)で縁石に乗り上げてしまい、宙へ舞い上がった。
マシンはタイヤバリアの上端と金網に衝突し、バリチェロはその衝撃で気を失い骨折をしたが、辛くも命は救われた
しかし、これは悪魔の週末の序章だった…


4月30日の土曜日、予選2日目の開始後20分経過して、シムテックのローランド・ラッツェンバーガーが「ヴィルヌーヴカーブ」を曲がりきれず、アウト側のコンクリートウォールにほぼ正面から衝突した。サバイバルセル(モノコック部)は原形を大まかには留めていたものの、300km/h以上の速度で激突した車体は、ラッツェンバーガーの脚が見えるほど大破していた。
この衝突の衝撃によりラッツェンバーガーは頭蓋底骨折を起こし死亡した。
ポールポジションはアイルトン・セナで、タイムは1:21.548。
ラッツェンバーガーは6秒近く遅れた26位で予選を通過だった。


5月1日の日曜日、さらなる悪夢がサンマリノを震撼させた。
スタート時、J.J.レートのマシンがグリッド上でストールした。後方からスタートしたペドロ・ラミーは、前走者によって停止していたレートを確認することができずに追突し、車体の破片やタイヤなどが宙に舞い上がる。
これらの残骸が観客へ降り注ぎ、9名に軽症を負わせた。

この破片の回収でSCが入るが、タイヤ温度がみるみる低下していき、グリップが得られない事が懸念された。
そしてスタートが再開して2周後、トップを走行していたセナが、タンブレロコーナーでコースアウト。衝突するまでの0.9秒間にブレーキングと6速から5速へのシフトダウンで312km/hから211km/hへ減速したが、それでもコンクリートウォールへの衝撃はあまりに酷かった。

レースは赤旗が振られ、これを目の当たりにしたエリック・コマスは恐怖と動揺からレースをリタイアした。
あまりにも生々しい事故現場は世界へ配信され、セナのシートには大量の血の跡が確認される程であった。


後、セナの死亡が確認される。
ご冥福をお祈りします。

コメント(11)

(´ー`)y-~~

'92モナコGP セナvsマンセル
http://www.youtube.com/watch?v=SVzxVwuQ6xs

(微笑)
…−y(  ̄д ̄).。o○

'93ドニントン 雨のセナ、怒涛の走り
http://www.youtube.com/watch?v=AsNAcZnhl5M

(微笑)
(T_T)y-~~~

'91 ブラジルGP 母国初優勝

http://www.youtube.com/watch?v=h6_frjkBD0I

(微笑)
上記3つはPCにてご覧ください

やはり『セナはセナ』(^^)

(微笑)
PCないから見れないけど、やっぱりセナといったら、ドニントンパークの非力なフォードエンジンで力走したセナ、マンセルに猛追を受けながら走り切ったモナコ、母国ブラジルで6速だけで走り切って絶叫していたセナ。

懐かしいなぁ…
> 翼徳さん

分かります。
あれはあまりにも衝撃的すぎる映像だった…

2006年のカナダでクビサの大事故はすぐさまにセナの事故を彷彿とさせてしまうくらいに不安になったからね…
5月1日だね
黙祷

クビサは無事でよかった

あのタンブレロコーナーは呪われてたのかな
前にもベルガー(だっけ?)が炎上した
たしか紳士協定の時だから89年?

TiMask.さんの選ばれた3つのレースは感動的だったよね
鮮明に覚えてるよ

周回遅れの中嶋パパが絡んでブラジル初優勝逃がしたこともあった
中嶋DNAは受け継がれたようね

私がセナに惚れたのは88年鈴鹿
セナが神をみた時
私はセナが神に見えた


http://www.youtube.com/watch?v=70K-Buyf8L4&feature=related

セナを語ると止まんないよう

我が家のセニーニャ
もう15年になるんですね。時がたつのは早いなー。 あの頃は若かったなたらーっ(汗)ジャンプで見るくらいだったけど、やはり衝撃だったなー。

俺もクビサのクラッシュは緊張したけど、シルバーストーン(だった?)のコバライネンのクラッシュ。ブルーシートを見たときは祈ったもん。 何事もなくてよかったけどね。

何はともあれ、あれ以来、安全性に関して改善されていったことがせめてもの救いだね。
うん。
彼らの死は決して無駄ではなかったと今では思えるね。

オレは正直、当時はセナよりもマンセルやプロストを贔屓していて、セナに対してはアンチな考えだった。

91年の日本グランプリの時、故意にスピードを落としてベルガーに優勝を譲ったレースに怒りを表してたり、セナというものがあの当時はなぜか好きになれなかった。

だけど彼がこの世を去り、改めて当時を回想すると、彼はF1史上屈指の名ドライバーだったと思う。

たしかにダーティな部分も彼にはあったけど、やはりトータルで考えて繊細な人間味のある人物であったし、当時のF1は今の

「300km/hの人間ドラマ」

なんかよりも素晴らしく人間性がある人物がたくさんいたと思う。

彼がいたから日本にもF1が流行したし、彼がいたから今でも根強い視聴層がいるんだなと思える。

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